2018年12月01日


20181121_181130_0010仕事の流儀_181130_0052


自分の写真あげるのも何だかなーだけど、木山さんがせっかく撮ってくれたんでね。
ちなみに二枚目はうまく撮ってくれてるけど、出番前にぶつぶつ言いながら宙を見つめてガクガク震えているところです。


早いものでもう一週間。
でも、まだ三日前くらいの感覚。
まあ、あっちこっちと忙しい人たちは次の稽古やら本番やらで、それどことじゃねえんだよってとこなんだろうけども、私はすでに年末年始の予行練習にぬかりなくダラダラしている。

ようやく何かしようと思い立ったので、あまり遅くならないうちにの備忘録。
いつかの私が見返して、ああそうだったそうだったって思えるものを垂れ流しの雑文でお送りする。
だから長いし、まとめるつもりもないし、登場人物の詳細もない(˘ω˘)



本番期間中に、ブログ書くならまず最初に書こうと思っていたのは、メインのスタッフさんももちろんなのですが、
裏で細かいことを色々してくださってた、インターン?のお手伝いの方々。
もうね、私ごときの出番のためにあれやこれやと準備してくれて、本当に申し訳ないやらありがたいやら。
客席に回って立ち見してても、「見えにくいですけど、椅子どうぞ」って丸椅子を出してくださったり。
普段そういう扱いを受けることがないので、身に余るというか、やっぱりありがたかったのです。じーんとしちゃったのです。モチベーションあがったのです。ここまでしてもらってるんだから、ヘタなことできないぞ、やるぞってなったのです。本当に本当に感謝です。


【落語を選んだことに関してうんぬん】
思えば落語というのを隠したばかりに、稽古写真もあげられず、何がどうとも言えずで、当初は私も「隠しておくのが正解!」と思ってたけど、初日の客席ぽっかーん事件を思えば、果たして正解だったのかと思ったり(˘ω˘)
あそこから持ち直した私が今回で一番がんばった瞬間だった!

色々な葛藤があったけど、やはり私は落語が好きだなと思う。
あと歳が十歳若かったら弟子入りしているし、
今でもお金積んで何とかなるなら、口利きしてもらえるなら弟子入りしたい。
失礼な話だけど、誰でもいいから弟子入りしたい。

落語はどんなに上手くやってのけても、落語家の弟子になる以外プロになる道はない。
プロよりうまい素人なんで腐るほどいるし、その逆も腐るほどいる。
でも素人では食えないし、プロなら下手でも家賃くらいは稼げる。

あのときあそこの選択肢はあっちじゃなかった。
もっと早く東京に行くべきだった。口ばっかりで臆病だった。
後悔は常に頭の隅でくすぶり、夢の中で夢が叶い、夢から覚めての現実に吐きそうになる。
20代をバカみたいに無駄に、そして保守的に過ごしていたばっかりに、このざまだ。
落語に出会ってからは、生き方にも、台本にも、演出にも、影響は受けている。
でも、どれもお金にはならないのが何だかなーとなる。

お金が欲しいというよりも、お金は一番わかりやすい価値基準、バロメーター。
自分の芸にお金を払ってくれる人がいて、それでご飯を食べていけるというのはモチベーションも、自己肯定感もパネエ高く保てる。

そういう気持ちがあるから、落語をやるならきっちりやりたいという気持ちは常にあって、
「落語もできます!」な、っぽいものとは違うものを見せたいと思った。
だから、「素人に毛が生えた程度だと思ってたけど、そうじゃなかった」って言葉は嬉しかったし、ホッとした。

自分が大好きだからこそ、「落語ってやっぱり何かよくわかんねえな」って傷をつけるのは絶対嫌だったし、落語調でしゃべってお茶を濁すのも嫌だった。

でもまあ何度となく、「もうこれでいっかー」と思ったのも事実で……。
コピー落語なら、好きな師匠の仕草、口調をそのままやればいいけど、創作落語は影響は受けつつも全部自分で決めるので、自分がルールブックであるゆえに、自由すぎて何が正解なのかわからなくてパニック状態だった。
一週間前にようやく「あ、ここだわ」ってところを見つかったので救われた。

お芝居でもそうだけど、迷子になったときというのは、「積み重ねた先についに見つけた……」ということはあまりなく、クロスワードパズルを解くような感じで、ふと縦のカギの答えがわかり、横がわかり、そうしたら別の縦がわかりと、今までの苦労は何だったんだ、どうしてこんなことに気づかなかったんだろってことが多い。
それに出会えるまでが、出会えるのかが毎回不安なんだけど。



【作品の振り返り】
パンフにも書いたけど、そもそもは三等フランソワーズ旗揚げの時、「放課後裁判」だけでは時間が余るので、当時のネタ帳から、「父親の仕事がミッキー」と書かれた設定だけで無理やり台本に仕立てたのが「仕事の流儀」。
そのときは山下さんが父役で、こうめさんが娘役での二人芝居。

8分くらいのお話で、「仕方ないだろ!お父さんがミッキーマウスなん……何でもない!」と本人に言わせてしまうという、今思えば、当時も少し思っていたけど、少し雑な台本だった(笑)
それでも、その山下さんを見て、木山さんが面会ロビーで「また芝居してみたいなー」って呟いて、そのまま今に至るなので面白いものだなー。

二年前の冬、どうしてもやりたい「しじみ売り」という落語があって、コモンカフェで落語をすることにした。
その際に、「しじみ売り」という古典落語と「仕事の流儀」に出てくるモチーフから、イベント名を「Mouse」と名づけた。

しかし、天王寺のステージプラスの二階の和室で試演会をしたときのあまりのウケの悪さに臆して、これはヤベーと本番には出さなかったので、タイトルの意味がぼやけてしまった。
ただ、あのときの試演会は本当に酷かった。
あのときは、山下さんと、斉藤さんと、当時はまだ身内ではなかった、というかこのときに劇団員になると言い出した井上シンさんの前での試演会だった。
そのとき一週間で覚えたのが、志の輔師匠の新作落語「親の顔」。
それは9月の火ゲキのフロントアクトで使えたので、思わぬところで役に立った。
落語のいいところは、一度覚えてしまえば次はすぐに出してこれるところ。

でも、二年前に臆病風に吹かれて正解だったように思う。
サゲこそ同じだけど、舞台台本をほぼそのまま落語にしただけでかなり無理があったし、舞台台本の書き方も行き当たりばったりで、今よりも未熟だった。
そんなこんなあったからのINDEPENDENTだったのだし。
まさかこんな形でこんなたくさんの人の前で、もう一度日の目を見せてあげる作品になるとは、書いた当初は思いもしなかった。

小学生のまとまらない日記みたいになったけど、まあその通りなのでいいのだ。


【落語布教】
落語は本当に面白い。
面白くないとしたら、それは自分に合ってない落語家なだけ。
あまり売れてない人で面白いってことはそうそうないけども、
バラエティーに出てるからとか、笑点に出てるからとかは本当に全然関係ない。
大御所でテレビに引っ張りだこでも全く笑えない人もいるし、それが面白いと受け取る人もいる。
オーバーな落語が面白いって人もいるし、昭和の名人こそ落語だねーって人もいる。
私は昭和の名人は全く良さがわかんないけど。

これまた色々聞いてると、少し固い落語をする人のでも、「あーこういうところがうまいよねー」ってわかったり。
同じ古典落語でも、落語家によって全然全く違う。
あの人のは笑えたのに、この人で聞くとしょーもなってのもある。
ネタもひどいダジャレ落ちのサゲもあれば、ステキ!って落ちもある。
酷い落ちを、ステキに改作するひともいる。
そういうのも面白い。

落語はかしこまって聴くものではない、音楽プレーヤーで聴きながら歩けばいいのだ。
どの落語会もTシャツにジーパンで行ける。
今も昔も変わらず大衆芸能なのだ。
落語は同じネタを何回聞いても面白い。
日常を豊かにしてくれる。
考え方が、粋か粋じゃないかになる。
時代劇を見るのが楽しくなる。
あと、少し語れるようになるとかっこいい(笑)
「目黒のさんま」とか、秋になるとニュースになるのでうんちくを垂れることもできる。
あとはねー、「何聴いてんの?」「え、ああ、五代目小さん」というやりとりもできる(笑)

まあ、入口はどうあれ、落語というものがもっと世の中に広まったらなーと思うのです。
落語は演劇と比べてはるかに安い。
つまらない演劇見るお金で、売れっ子の落語会のチケットが買える。
ホールでやるので座席も良い。

繁盛亭は上方落語念願の寄席小屋なので、ラインナップにも力が入っている。
東京の寄席と比べて短いけども、一人目から面白い。濃い。
お金にシビアな関西人相手にしてるだけに、しっかりした芸人しか出てこない印象がある。
米朝師匠は昭和の大名人だけど、全然フランクで面白い。

もう私の落語愛を押し付けるだけになってきたので、おしまい。

INDEPENDENTは次も声がかかったら出たいかと、ちょこちょこ聞かれるけど、わっかんないなーってのが正直なところ。
もう頭おかしくなるんじゃないかってくらいにしんどかった。
でもそれを補うくらいに楽しかった。
それは結果的しくじらなかったから思えることだろうし、
苦しんだ過去をキレイな思い出にすり替えてるだけなのかもしれない。
「一人芝居はいいぞー(落語だけど)。みんなやったらいいぞー」とも薦められない。
だからわかんない。
でも今回においては、「出てよかった」と言える。
枕で散々悪口言ったけど、声を掛けてくださった相内Pには感謝です。
結果的にですけどね!!

次は1月の30GP!
そのあとは何も考えてない!!
新劇場が建たないと、火ゲキもないしね!!
ってか、組み合わせ抽選会の日程早く決めてほしい!!

2018年10月22日

20181016_181022_0006
20181016_181022_0018
20181016_181022_0024
20181016 #1_181022_0002
20181016 #1_181022_0003
20181016 #1_181022_0006
20181016 #1_181022_0008
20181016_181022_0053
20181016_181022_0072
20181016_181022_0076
20181016_181022_0081
20181016_181022_0083


来月には関東に行く井上信治さんが、当日に駆けつけて、ぶっつけで撮ってくれた写真です。
これがシンさんの遺作になるので、しみじみサクッと選びました。
まあ、過去の写真を見返しても、いい写真だなーと思います。
「ここ!」ってところをきっちり押さえてるのも嬉しいし、
実際の1.5倍盛りくらいのちょうどいい感じに撮ってくれるので、すごいいい芝居みたいじゃんって思ったものです。
稽古写真は、うちに出てくれる役者さんのモチベーションをあげるいい材料でした。
当たり前に、専属で稽古写真を撮ってくれる人がいるというのはありがたいものだなと、亡くなった、否、いなくなる今になってしみじみと思います。
いやいや、最近虚空さんの稽古ばっかり撮りに行ってたとしても!それはそれだから!!向こうはOMS戯曲賞だから!!

初めて会ったその日に頼んでもないのに子供の写真見せられたのも、日帰り旅行に行ったのも、山下さんと引っ越し手伝ってもらったのも、面倒ごとの仲裁に入ってもらったのも、志の輔師匠を森ノ宮に観に行ったのも、芸創でクソ高いクソ芝居見た帰りのバスで「あれが面白いのか?あれが正しいのか?」と議論したのも、電話口で言葉の行き違いからヤミ金業者みたいな罵倒を受けたのも、てめえなんだその物言いはってなったのも、うまい焼肉も、さんまも、肴も、思い出すと、シンさんはどれも美味しかったなーと思います。
ずっと私の一ファンでいてくれて、それこそたくさん持ち上げてくれました。
ちょっと言いすぎだよ!ってところもあったけど、ネガティブな方向に折れやすい私の骨を支えてくれたのはシンさんだったので感謝しております。
私が芝居をやめるのが先か、シンさんが大阪に戻ってくるのが先かはわからないけども、私の遺影はシンさんの写真から選ぼうと思うよ。
……という、前置きが長くなりましたが、知らない人は「そういう人がいたんだなー。ご冥福を……」と思っててください。

さて、
ここからも長いです。ここからが長いです。

すっかり稽古ブログを書くのが嫌になり、とうとう一度もあげなかった今回ですが、最後くらいはとお酒を片手に振り返ってみようかなと。
いや、11月の台本を書かなくていいのかなんてのは野暮な話で、構想だけはスピルバーグなみにあると言っておくのです。
スピルバーグが構想構想と言い出し始めてから、スピルバーグってハンバーグの名前だったのかしらと思うくらいの興味がなくなった感じですけども。
まあ、それに負けないくらい構想が迷走してるし、瞑想という名の睡眠に事欠かないここ最近。

「フレンチとマニュアル」
そもそも、「暗闇」が台風でずれ込んだのがよくなかった。
なんだかんだ言っても、目の前の公演が最優先で、それが終わらないと次に本腰を入れるなんてのはモチベーション的に無理なのだ。
それに多少何とかなるだろうという楽観もあり、いざ本格的に始めると非常に大変だった。

まずセリフが恐ろしく入らない。
でもテンポが遅いのも許せない。
どうやったら楽しくなるのかわからない。
ないなしずくしで、「こっちのほうが暗闇だよ!」と何度も思った。

また、自分すら迷子なのに、それを木山さんに踏襲させようとするから大変だった。
「理屈は無限にあるけど、自転車運転するのにいちいち、そんなこと考えないんだから、フィーリングで、ニュアンスで、モチベーションで、イメージをセンシティブにエンジョイワッショイしようぜ!」
みたいなことを言って、「それがわかんねえんだよ!」と木山さんが頭を抱えることが多々々あった。

それでも、努力と根性と理屈だけでそれをこなしてくる木山さんはすごい。
しかし、一旦くずれると、一から立て直しになるので、そこが大変だったと思う(笑)
せっかく立てたジェンガをがしゃんって崩すような稽古が多かった気がする。
いや、がしゃんってするのはいつも木山さんなんだけど。
それを見ては、「あんた、ストイックすぎるで……(*´Д`)」と引いてたんだけど。

もっとわかりやすい例えなら、このお芝居は懐かしいところでダンレボとか、ドラムマニアとか、そんな感じだなと。
リズムに乗って、音楽を楽しみつつ流れてくる矢印をこなせばいいのだ。
そんな中、徹底的に楽譜をこさえて解明して挑んでくるのが木山さんだった。
それはそれで私は好きだ。
理屈がないのに、ニュアンスだけでセリフを言われるとイライラする。

ただ、今回に関してはあまりにもセリフ量と仕事量が膨大で、攻略が困難すぎる。
こう言っては何だけど、百パーセント完璧にこなすのは、はなからムリなのだ。
もうそこを含めて楽しまないとムリ。
にもかかわらず、私は細かく注文するので、余計に混乱したと思う。
楽しめって言ったあとに、「あそこが遅い」「早すぎる」「もっと立てないと」と、
無限に攻めるのでもう何が何やらだっただろう。

それでも本番きっちりこなしたのだから、私は文句はない。
本番前にDVD焼いてくれたり、小道具も言わずともそろえてくれたり、すべてやってくれたことにも感謝している。
最終的には私が何を言っても、「まだまだこんなもんじゃない!」という、エースでもねらうのかよってくらいの熱量と頭痛で挑んでたので、どう言ったら納得してくれるのかということに悩んだ(笑)
「100点満点だよ!」っていうのは、見え透いた嘘だしね。
「私も木山さんも、これが今の目一杯。これが今のベストオブベスト」という、嘘のない、物は言いようともいった感じで本番に挑んだ。

たかだか、30分のイベント芝居。
稽古回数も途中からわからなくなったけど、追加追加で20回近くやってる。
それこそ理屈とか損得とか費用対効果とか考えたら、間違ってるんだけど、そこはもうお客様のためとかそういうことではなく、
どうせやるなら、今より先が見えているなら、やらないわけにはいかない。
見なかったことには、知らなかったことにはできないってだけ。
だからもう、やるんじゃなかったとか、始めるんじゃなかったとか後悔する。
そんな精神的によろしくないやり方が正解かというと、どうだろうねーと思う。

ひと様がのんびり稽古して、面白くないのに「面白いです!」ってつぶやいてるのを見て、案の定「面白くなかった……」という感想を聞いたりすると、腹も立ちながら、でもそれくらいでいいんじゃないの?とも思ったり、それよりはマシなんじゃないの?って思ったり。

でもそれなら、最初からやらなくていいのかーというところにたどり着く。
こなすのが目的になってるなら、「これが見せたいの!面白いと思うの!」ってのを出せないなら、先はないし、存在する意味がない。どこか似たような会話劇をするところにでも入ればいい。
お客さんにバレないうなぎ風味の魚って何だろうと悩むなら、それはもうなぎ屋やめるときなんだと思う。
私は悩む。
あるときから、あるきっかけを境に。
演劇を続ける理由と、やめる理由をずっと考えている。
代わりになる理由と、続けられなくなる理由のどちらかが巡ってこないかなーって。
しんどいのになーって。

今続けているのは、言葉を選ばないなら惰性で、
何だかよくわからないけど、やらなくちゃいけないと思ってやっている。
あとは死ぬ間際に、しゃべる話題に困らないかなとか。それくらい。

でもやるからには内容は惰性では、いつまでも答えが出ないので、目一杯やる。
お金もコネもないから、大したことはできないけど、よそのお店ではやらないことをやろうと常に思っている。
口が悪い分、その口に恥じないようにしようと。
だから、よそ様がバレないと思って平気で書く水増し台本も書かない。
さっきと言ってることが違うじゃんという、作家のご都合台本も書かない。
今続ける理由は、それを見てくれている人がちゃんといること、それが徐々に認められていること。
「これって正解?」と適度に疑いながら、過度に期待しないようにしながら歩いている。

来月11月が終わったら、その先はどうしようかなーとか、あの件はどうなるのかなーとか、色々思うところはあるのです。
あるのですが、一番最後にそのすべての根幹にあるのは、観てくださる方がいるから。
「應典院の公演見て来ました!」とか、
「虚空さんのアフタートーク見て来ました!」とかね。
そりゃ嬉しいですよ。そういうことを報告してくれることが嬉しいの。
だって、そんなの言ってもらわないとわからないもん(笑)
「ああ、無駄じゃなかったんだなー、ちゃんとちゃんとここまでつながってるんだなー」って思うから。

だからね、もし思ってくれるなら、どうかどうか今後ともご贔屓に。
私もそのご贔屓にお応えできるよう、もう少しだけがんばります。
好きな映画を誰かに教えたくて仕方がなくなるように、
あなたの好きを、誰かにも教えたくて仕方ないくらいの好きにまで昇華できるように。

ちょっとかなり脱線してけど、飲んでるから仕方ないと思って。
いつもやりたいお芝居には必ず下敷きがあるけど、今回の下敷きは少々身の丈に合わなかったかもしれない。
もっと華麗にステップ踏めると思ってたのに、
実際踊ってみると、「お、おおお!? こんなところにこんな筋肉を使うの?」って感じだった。
いや、実際には筋肉は使ってないですよ。比喩だよ比喩。
実際、オープニング含めても30歩も歩いてないよ。

でもでもまあでも、やってよかった。
木山さんはどうだったかわからないけど、私は楽しかった。
そりゃ本っっっ当にしんどかったけど、楽しかった。
私の無理難題を理解しようと頭を抱え、私以上のモチベーションで挑んでくれた木山さんには感謝しかない。
本人にも話したけど、そこまで私のお芝居に身をやつしてくれる女優は他にいない。
それがすごく嬉しかった今回のお芝居でした。
ありがとうございました。

そして誰がどこまで見てるのか知らないこの長文ですが、私ならまず見ないですが、
ご来場くださった、面白いと笑ってくださった皆々様に感謝でございます。

2018年09月28日

暗闇_180928_0030
暗闇_180928_0008
暗闇_180928_0130
暗闇_180928_0012
暗闇_180928_0123
暗闇_180928_0039
暗闇_180928_0063
暗闇_180928_0073
暗闇_180928_0082
暗闇_180928_0086
暗闇_180928_0104
暗闇_180928_0090


今回の舞台写真は、師匠のシンさんに見守られながら、木山さんが撮ったものです。
こうやって並べてみると大したもんだね。

暗闇に関しては、終わったら色々言い訳しないとなーと思っていたので、
やることは目白押しだけどブログ。

まず作品の好き嫌いに関してはもうどうこう言わない。言うけど。
面と向かって言われたわけではないけど、嫌だって人もいると思う。
そこを賛否両論あるよねと逃げるつもりもない。
私が気まぐれにやりたいようにやった作品がこれだったってだけ。

個人的には、「状況的にも展開的にも暗闇で、最後にそういう意味でも暗闇」という暗闇というタイトルではははっと最後に笑ってもらえたらなーってところが一番。
オチがわかってしまえば、最初の暗転から最後の暗転まで堂々と嘘をついている。
まあ、わかりにくくはしてるけども。
そこを楽しんでもらいたかったんだけど、そうは思えなかった人には退屈な最期だったと思う。申し訳ない。

何でこんな話になったか思い返してみると、
元々は六月の應典院の縁劇フェスで「のぞみちゃん」の存在を知り、
結局寝坊して見れなかったんだけど、芝居のイメージとユニット名がすごくいい感じだなーって思ってて、
たまにはこういう雰囲気のもいいよねーとも思ってて、
色々頭抱えてたら、気が付けばそういうテイストになっていた。
だから、女の子のひとりは「希」って名前にした。
どうせなら、もうひとりも一文字にしよう。
なんか似通った言葉はないかなってところで「恵」にした。
そして稽古を5回くらいしたときに、ハッと気づいた。
「めーさん……小藤めぐみやん」って。
当時、台本を読んでたみんな、何か意図があってそういう風にしたのだろうと思って黙っていたらしいが、ただのボンクラだった。
名前変えようかと提案したが、二人ともすでにセリフを覚えていたため、そのままでいいということになった。
これが「あなたもめぐみっていうの?私と同じね」事件の真相。
めーさんのお知り合いは妙な先入観から入ったことだと思う。ごめんなさい<(_ _)>

今回は小藤のめーさんも本ちゃんもすごく懸命に取り組んでくれた。
次から次へと新しい箱を開けてくれるのは楽しいもので、こっちもどんどん箱を用意したくなる。

普通に考えたら本ちゃんにああいう役は当てない。
けど、前回の「青い恋人たち」で色々試行錯誤しているのを見て、だったらもっと試行錯誤し甲斐のある役を当てたら、何かしらがっしり手にするものがあるんじゃないかしらと思っての配役だった。
結果的に大正解だったと思う。本ちゃんも嬉しいだろうけど、私も嬉しい。
稽古から見ていて何度も「おお!?」と思った。
偶然かなと思ってたころもあったけど、ああ理解して、狙ってやってるんだなって嬉しく思った。

この先私がいつまでお芝居をするのかわからないけど、ダラダラと十年二十年やってしまったときに、そのときにまだ本ちゃんも一緒にやってたら、その年月の分だけの何かを持った女優になってないとだなと思ったので、ずいぶんと偉そうな言い方になるけど育成という名目もあったり。
作家や演出ばっかりフィーチャーされて、その劇団員は何もわかってないんじゃないの?って劇団は嫌だ。
私の好きなあの劇団もどの劇団も、作演が素敵で、且つメンバーがその世界観を体現することに特化している。
どうせ長くやってるなら、そういう集団にしたい。
なのでまあ、できれば私と世界観を共にしてくれる人間がたくさん集まればいいなーとも思ったり。
ただ、ストイックに活動してないので、そんなところがメンバー募集かけてもなーとか思ったり。

脱線した。
まあ、色んな意味で実験的なお芝居に付き合ってくれためーさんには感謝しかないし、
相手役をめーさんにしてよかったと思っている。
毎回、演出プランを自分なりに咀嚼して、自分のエゴもしっかり織り込んで出してくるのがすごく好きだった。
本来そうあるべきだろうと思う。
稽古中、何度も賢いなーと思った。

あの芝居を見て、「あの程度で?」って思う人もいると思う。
特に役者なんかやってると、そう思う人もいるだろう。
というか、誰がやってるのを見ても、「あの程度で?」「私ならこうするのに」と思うような、本だなと自分で思う。
どこまで掘り下げて、どこまで割り切って、どこまでやらしく、どこまですかしてやるかは演出の好みだ。
でも、私の作るお芝居としては二人ともよくぞという気持ちでいっぱいだ。
それくらいにうるさく細かく注文をつけたし、応えてくれた。
まあ、初めて自分の作ったものを客席で見たので、そりゃ袖中で見るよりも「あーーーそこはそうじゃなくってー!」って思ったけど(笑)
終わった感想としては楽しかったなーとも思うし、
めーさんのブログを読んで、そんなこともあったなーと懐かしく笑ったり。

あと、落語の補足として大事なことを最初に言い忘れていた。
あとで叩かれたら大変なので書くと、
あのネタは私のオリジナルではありません。
立川志の輔師匠の「親の顔」という落語を勝手にカットしたコピー落語です。
ただオリジナルが神様の創作物なので、できれば見ないでいただけると助かる。
まあ、緊張した。おしゃべりしてる間は何ともなんだけど、落語に入った途端ド緊張した。
また始まる前も終わった後も楽屋での挙動がおかしかった(笑)
羽織紐の結び方がわからなくなるくらいに狼狽していた。
楽しくない、怖い、帰りたい、何だか眠たい、もう落語どころか役者もやめよう、もしくは控えよう、向いてない、バーカバーカと頭の中で何度もぐるぐる考えていた。
そして、そんな人が出る11月の一人芝居……(˘ω˘)

わかっちゃいたけど長くなった……だからブログはダメだ。

冗談抜きでお芝居なんて何でやってるんだろう?
100の労力の見返りが4とか5くらいしかないのにって何度も思う。
趣味にしては見返りが少ないし、仕事でももちろんない、時間もお金もバカみたいに使う。
それでもやっぱり続けているのは、「また観に来るね」って人がいてくれるから以外にない。

今回、延期になっても来てくださった方、延期になったから来てくださった方、私が愚痴ったから二回も見てくださった方(笑)、あとカーテンコールではふざけたけど、見に行きたかったーって言ってくださる方。
私の血縁でも同級生でもないのに、応援してくれる人たちがいるから、こんなことを続けてるんだなーと改めて思ったり。

それゆえに後に引けないのも事実だけども、それがなくなるのも怖いというのも事実。
で、やっぱり感謝の気持ちは絶えない。
信用を失わないように、どうせやるなら後悔のないように、踏ん切りつくまでは続けるのかなと思うのでした。

ここから16日までは「フレンチとマニュアル」の稽古。
何の役にも立たない話だけど、仕事終わりに気持ちよく笑って、余裕があれば一杯ひかっけて帰りたくなるお芝居にしたいなと思います。
がんばるぴょん。