2019年05月29日

第3回縁劇フェスチラシ裏

杮落としは絶好調なのだが、
縁劇フェスのチケットがまだある。
と言っても、この一日でグッと増えて、
6/7(金)19:00ブロックは近いうちに売り切れるだろう。
具体的にあと何枚と書きたいところだけど、
それ書いちゃうとその他のブロックの残席状況が何だか複雑なので内緒。

そう、そうなのです。チケットが絶賛まだあるのです。
絶賛されてるのにまだあるってどういうこと?って言う人は空気ヨメ。

中には「あーそうだねー売れてないねー。知らんけど」って関係者もいるだろうけど、
私はね、「やだ!!」なのです。

売らなければ、何かを犠牲にしても売らなければ。
腎臓は……もう少しの間使いたいので、ブログでも書こうとなう。
何もしないよりずっといい。
なので、私は「100年後」が出来るまでの恥部。
言うなれば100年後のおちんちん事情について書く。
需要があるか知らんけど。


以下回想。
4月上旬。
私はかつてないスランプに泣きながら本を書いていた。
百回くらい再演でいいじゃないという優しい言葉が頭をよぎりつつ、
「だってほら、中野劇団さんだって……」とよぎりつつ、
「向こうは自分とこのビッグプロジェクト前だろうが! HEP&東京様だぞ? お前売れてない。時間ある。書かない理由がないだろうがボケカスゴミクズがっ!」
という一人芝居を家で繰り返していた。
10分間タイムリープが止まらない一人芝居を繰り返していた。
タイムリープが止まらないのに、日付が変わるんだから不思議だった。
それはデジャヴだった。

書きやすく美味しいところ3~4ページだけ書いては、
別の美味しいところだけの台本を書くという行為を繰り返していた。
その先にあるものは全っっっ然面白くない、進研ゼミのおまけ漫画くらいのボリュームのセリフを羅列しただけのデータだった。

世間では、つまらなくてもいいからとりあえず書き上げろってよく言われている。
それは確かにその通りなのだ。未完のものを千本書いても身にならない。
ただ、私に関して言えばそれは絶対ではない。
あまりにも書けなくて、とりあえず何か書こうとした末路はひどい。
例えば、



「マクドナルドって大阪だとマクドって呼ぶじゃない? でもフランスでもマクドなんだって」

「へえー」

「好き」

これは本当に書かれた台本からコピペしたものだ。
もうわからなさ過ぎて、とりあえずうんちく並べて、「好き」までの間を埋めていこうという大作戦だ。
もちろん大失敗だ。

悲惨。





「あのね、鳩って、ベトナム語で何て言うか知ってる?」

「いや、知らないな」

「チンポコ。好き」

これはうんちくから、小ネタに現実逃避した一例だ。
書きながらニヤニヤ笑ったけど、もちろんここから何の物語も始まらない。
もうここからショートコント集みたいにしようぜって10分間だけ逃げた。





「君のことが好きなんだ」

「私も好き」

「結婚してくれるかい?」

「……はい」

本気の末期になるとこうなる。
もうこのときは「書きたくないぃぃいぎぎぎ!!」という気持ち100%なのだ。
一秒も思考を通していない。


そしてこういったものと毎日向き合っていると、本当に死にたくなる。
だから正解は、
「とりあえずせめてお前もう少し考えてから書き始めよう。そしたら完本目指そうぜ」
だ。

まあ、中略してその先に産みだされたのが「100年後」という話だ。
俄然観たくなったでしょう。そうでしょう。わかりみ。



さておき、
苦労したから観に来てよ。
それは違う。
それこそ知らんがなって話なのである。

面白いから観に来て。
それは正解。
でも面白いって、ふわっとしてるから伝えるのは難しい。
でもぼけっとしてても伝わらない。

だから知ってほしい。
このラインナップを。
いや、ふわりとまとめそうになったけど、
早い話、超特急で早い話、自分のブロック、自分の芝居だけ来てくれたらそれでいい。
っていうか、他のブロック空いてるのに、自分のブロックだけソールドアウトって痛快じゃない。
「ひゃっほーいぇー!ざまぁ!!」と内心では叫びつつ、
「いえそんな、たまたまですよ。このブロックはオパンポンさんがいるから。はははっ」って言うの痛快じゃない。

時間作って、頭抱えて、唯一の唯一、それが意味を成すのが本番。
満席というものを知ってたら耐えがたい。

今なら1ブロック2,500円。
少なくとも、内1,500円分は三等フランソワーズで保証する。
2,500円で買える手ごろな幸せがたくさんあるのも知ってる。
交通費がかかるのも、時間作らなきゃいけないのも、着の身着のままで行けないのも、お尻が痛いのも、
全部全部知ってる。
知ってるから私は友達観劇はほぼしないことにした。疲れた。
その代わり、友達に観に来てって直接声をかけることもしない。
だけどね、友達でもない多くの人に観に来てほしい。
すっごいわがままだし、どういう理屈だって思うだろうけど、

それが私の思う演劇。
それがただひとつの幸せ。
それが売れるということ。
私はやるからには売れたい。
でも売れ方がわからない。
この先、十年二十年もこんな環境で続けるなんて無理。死ぬ。
板の上で死ぬとか無理。固い痛い冷える。
ふっかふかの超高級布団の上か、ぴっかぴかの美女のお腹の上で(落ちてきた瓦礫から庇ってって意味でだよ?)死にたいです!

お客様の為に、誠心誠意良い物を。
なんてこれっぽっちも思ってない。

死んでも恥をかきたくない。
褒めてもらいたい。
後悔したくない。
というエゴのかたまりです。
そればっかりです。
言えるとしたら、
良い物作るから、嫌な思いなんて絶対させないから、お財布からお金出してチケット買ってください。


私の演劇寿命はそう長くない。
4月のスランプのせいもあって、次に新作は書けるのかしらって思ってる。
そんな少ない寿命で、もしかしてのまさかの万にひとつのチャンスが来た時に、
「あ、この芝居は違うんです! 前回の芝居を観てもらったら……」なんて言う間はないのです。
何のコネクションもないのに、人の集まらないところにチャンスの神様は観に来ない。
面白くない、商品力のないものと何かしたいとは思わない。

だから、つまり、その、何だ、あれだ、そう縁劇フェス!
今年がないのに、来年はあるなんて悠長なこと言ってられない。
たったの三回しか公演できなくて、たったのこんだけにしか観てもらえないの?ってのはやだ!
費用対効果ヤバい!!
このラインナップでこのチャンスで、まだまだチケットありますってのはダメ絶対!って話でした。

長くなったや、ごめーん(;´Д`)

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