2019年12月16日

昔ショーレースで書いていたころに教わったことがある。
あらすじは物語の紹介を書くな。
プロでも何でもないお前の書く物語なんて世界中の誰も興味を持ってない。
あらすじでつまらん思われたら、中身は読んでもらえないと思え。そこでボツだ。
中身を読んでもらわないと始まらないのだから、あらすじは多少ハッタリを利かせてもいい。
極端なことを言えば、あらすじと全然違うけど内容がめちゃ面白ければ活路はある。
ただあらすじヘタクソなのに、話が神がかってるなんてことはまずない。
ただその逆はあるので、とりあえず読んでもらえるあらすじを書けカス。
なので思わせぶりなタイトルにしてみたけどどうかしら?
まあもうブログ書くとしたら公演後か、何なら年末だろう。
それすら書くか怪しいくらいのめんどくさがりな私なので、
公演前の最後のブログ、もしくは今年最後のブログになるだろう。
クリスマスギャロップの話である。
「Birthday(ちなみに「ばーすでー」で変換したら普通にこの綴りは出てくる)」
の下地がある分セリフの入りは早い部分もあるし、
むしろ下地があるせいで、妙なややこしさもあったりもした。
それを二週間という気の狂ったスケジュールでやっているのが今で、
正直言えば、もう出来上がってる。
人間追いつめられたらやれるもんだなと思うし、
追いつめられなくてもこれくらいやれたら大したものなのになとも思うし、
でも追いつめられてもやらない奴は本当やらないので、やっぱりそこは私以外の役者には感謝しかない。
私は稽古場で圧を出すタイプの演出ではない。
その代わり、めちゃくちゃ細かいし、できてないシーンは死んでもできてるとは言わない。
できたからってあまり褒めもしない。
役者からしたら、「止められなくなったからクリアかな?」って感じだろうなと思う。
時間は当然限られていて、すべてのシーンを自分の理想の90点代に持っていかないといけないので、
ひとまず90点越えてるシーンは放置する。
しかし稽古が進んでくるとスルーしてたシーンをもう一回ほじくり返す。
90点越えてるシーンを「もういい加減にして!お前気持ち悪い!!」ってキレられるんじゃないかってレベルまで裏ごしする。
袖から出てきてからの視線が気に入らないとか、セリフ言う前に一呼吸置くだろとか、置くなとか、部分的に活舌が甘いとか、「そうした方が上手に見えるから」ってことをやる。
昨日は澤井さんと本ちゃんが来るまではずっと5分ほどのシーンをほじくり返していた。
結果どうなるか。
「ああー……ちょっと……ごめん、そこ最初のに戻そうか」
とか言い出したりする。
だから、たぶんもうできることは限られてきてるのかなと思う。
そりゃ私の理想の100点を目指すけど、結局は他人なので、そこを押し付けすぎると90点越えてたものが80台に落ちたりする。
そこが演出と役者との、自分と他人との間での落としどころだと私は思う。
そこが演劇の歯がゆいところでもあり、逆に他人とやるが故に妙なまぐれ当たりみたいな、
怪我の功名みたいな、棚からぼたもちみたいな、ラムネかと思ったらMDMAだったみたいな、そういう面白さも見つけることができる。
最初はあまり乗り気じゃないんじゃないかしらと思ってた響さんだけど、
この役は青い恋人たちの稽古で知った響さんのかわいらしさがよく出てる役だと思うし、
ベテランゆえの表現力を一切のエゴなく、くだらない方向に全振りすることを受け入れてくれることに感謝はしつつ、やはり一番は響さんにこの役を書いた私が偉いなーと自分をすごく褒める毎日だ。
一番最初の初演から付き合ってる三人に関しては、何が苦手で何ができるのかよく知ってる。
絶対に逃げないのもわかってるので、歯に衣着せぬ具合があれなのも認める。
まあこの作品に対する思い入れも思い出も、三人には言葉にできないものがあるってのもある。
劇団員になる前の本ちゃんとは、日の暮れる狭い稽古場で冒頭の二人のシーンを二時間延々と繰り返すという拷問のような時間を、
木山さにとっては、十年のブランク明けの最初の芝居なのに、芸創の制作者ボックスでの読み合わせで「何か嘘っぽいんですよねー」って言われた拷問のような時間を、
山下さんにとっては、「かっこ悪い!そんな人全然絶対好きになれない。0か100以外をください」と言われた拷問のような時間を共に過ごしてきた。
良い思い出を語ろうと思ったけど、初演の記憶はずっと拷問だったかも知れない。
あの頃は今よりも理屈での説明が少なかった気がする。
そんな拷問オーダーに「むずかしー」と言いながら毎回リボンをつけて持ってくる女優がいて、
夜中に稽古動画見て、「夜中に悪いんだけど、きみはものすごく上手だわ」ってLINEを送ったのも覚えているし、
お前かわいい過ぎだろって照れ照れ返事が返ってきたのも覚えている。
まあそんな懐かしい話は今はいいのだが、初演からの人たちのことを触れたらそこに触れないといけなかっただけ。
私自身澤井さんという人間を掴み切れてないところがあり、
澤井さんからしたらお前ごときに掴めるかというところもあるだろうけども。
まあ、嫌われてはないんだろうなーと思いつつ、そろそろセクハラツイートやめといた方が今後の為じゃないかと思わないでもないけど、訴状が届いてないのでコメントは控えさせてもらっている。
澤井さんは非常にバランスもいいし、見た目も声もいい、バランスがいい。
わかってて二回書いてる。
個人的に一番澤井さんとやってて思うのは「賢い」というところ。
演技力なんて言葉があるけども、それは芝居の圧にあてられて出てくるようなものなので、
結局は演劇なんてものは、思考と感情のバランスだと私は思う。
役者バカなんて言葉があるけど、本当にバカなら演劇はできない。
セリフ覚えてそれっぽく言うだけならそれこそバカでもできるし、そんなバカはよく見かける。
感情だけで押し切れるなら、高校演劇でいいし、そこらに涙もろい人はいくらでもいるし、
芝居っ気がある人間なんてうちの職場にもいる。
ただ、演劇というのはそれ一回こっきりが毎回すべてで、
毎回同じ立ち位置で同じように感情の導線を巡らせ、
なのに客席に向かって見えるように動き、
稽古場で何度も修正し、口にしてきたセリフを初めて口にするように喋る。
演劇とはそういうもんだと言えばそうなんだけども、
それがハイセンスな環境で守られてる芝居にお目にかかるなんてことは本当に稀。
だいたいはニュアンスでやってるものが多い。
その方が楽だし、しくじりも少ない。
そう。
そうだね。わかってる。知ってる。
脱線してる。
澤井さんは賢いって話だった。
「Birthday」は、クリスマスギャロップの初演をなぞったもので、解釈は一緒。
今回のクリスマスギャロップはそことは少し解釈が違う。
後半のシーンを書きながら、それまでずっと隠そうとしていたシーンの要が、
「果たしてそうなのか?」と思い、真逆にしてみたら何とも辛いエピソードになってしまった。
「ああ、この子は賢いし、ずっと大人だったんだなー」って気付き、その境遇を思えばそりゃそうかと思い、ずいぶんとあざといじゃないかと思ったり。
そんなあざとい主人公になってしまったのは、あざとい女優のせいなので、
そこはきっちりきちきちに責任を取ってもらわないといけないのである。
え、まだ詰めるの?って思われるだろうけど、まだ詰めるのである。
嫌がられてもつきまとうのが、ストーカーとしての役目である。
ここで冒頭に戻って。
あらすじはハッタリを利かせた方がいい。
ただ内容に関しては嘘をついてはいけない。
責任をもたなければいけない。
美味しいですって言ったものがまずかったら、
それは舌が悪いのか嘘吐きかのどちらかなので。
これほどキャッチ―でど真ん中な話で、確かな品質のものは早々ない。
今思い出せるもので、あそことあそこのお店でしかくらいでしか食べたことない。
私はというか、私達はその責任を負ってやるし、初日が明ければ残りの席は埋まると思っている。
その初日は残り10席だからそれも直に埋まるのでそれでいいのだ。
チケットのシステム的に、この時期になっても「気が向いたら行こう」って思ってる人に、
「観に来てください!」「面白いです!」と言っても届かないだろう。
そんなのはピザのチラシと同じくらいには、毎週タイムラインに流れて来るんだから無理もない。
いつでも予約できるようにはつぶやくけど、もう予約してほしいとは頼まない。
ただ席があるうちに予約しておく方が賢いと私は思う。
最後に再び冒頭の言葉に戻って。
付け加えておく。
宣伝において大事なことを。
押してもダメなら引いてみよう。
