渋谷まで一人で歩いていって
 ネオンの坂道で倒れたって
 馬鹿な奴だったよ お前は最後まで

 南こうせつマキシーのためにの一節。
 古い歌だが、こうせつの名曲で今でも時々耳にする。歌詞の中で、自殺した女性マキシーのことを二度も「馬鹿」と言っているが、この歌を聴いて、不快になる人はいないだろう。日本語の意味合いは極めて複雑で、「馬鹿」と呼んだからといって、必ずしも相手を侮辱しているとは限らない。親しい友人の死を悼む気持ちを「馬鹿」という言葉で表現することもあるのだ。

 報道によると、平野達男復興担当相が、講演会の中で、大震災の津波から逃げなかった高校の同級生のことを「逃げなかったばかなやつもいる」と発言したことに対し、自民党の大島理森副総裁がかみついて、「閣僚として許されざる言葉だ」と批判し、臨時国会で追及すると息巻いている。

 しかし平野氏の真意が、故人を侮辱するものでなかったことは明らかだ。
 どうも最近の自民党と一部マスコミは、民主党閣僚の失言のあらさがしに専念し過ぎているように思える。
 こんな「言葉狩り」はやめて、本来の政策論争を充実させてほしい。