image

こんにちは。サランとアモです。親子です。
2匹を連れて散歩をしていると、よく声をかけていただきます。
『親子なんです。』と、私が言うと、さらに優しいまなざしを向けてくださり。
ときに、手を差し伸べる方に、人懐こいサランは尻尾をふってお愛想をふりまきます。

人見知りするアモは、警戒心を露わにしますが、そんな時サランはアモの前に立ちふさがり、アモを護るような仕草をするのです。

動物の母性の強さをひしひしと感じています。


先月、知り合いの猫ちゃんが14歳で天に召されました。

そんなに近しい間柄ではないのですが、何かできないかと考え、猫のピンバッジを贈ることにしました。

神保町のにゃんこ堂で、ピンバッジを見つけ贈り物にしたいと告げたら、猫の写真入りポストカードと一緒にラッピングしてくれました。

先月、そのピンバッジを渡した時に、添えてあったポストカードを見た知人が、『この猫、うちの猫とおなじです!』と。
私も、もちろんにゃんこ堂の店主も、ピンバッジを贈る先の猫の種類どころか、顔さえも知りません。

しかし、そういう不思議な力はもはや珍しいことではないので、やっぱり・・・という感情とよかったという感謝の気持ちでいっぱいになりました。

知人は、というと。
猫ちゃんがなくなったと聞いたときもそうですが、愛猫を失って悲しみに打ちひしがれているというよりも、その顔は明るくほっとしている様子が、とても印象深くわたしの心に残りました。

自分に置き換えた時に、順番で考えたらサランを失ったとして、あの方のように、にこやかでいられるのだろうか・・・


あれからひと月が過ぎて、今日、玄関先でその方と15分くらいおしゃべりをしました。

ピンバッジのお礼にと私のお気に入りの台所用スポンジをいただいて恐縮しましたが、私はその方に疑問をぶつけてみました。

その人はこんな風に言いました。

『いろいろな考え方はあると思うけど、病気に罹り御飯が食べられず弱っていく子を、毎日のように点滴をさせる為にせっせと病院に連れていき、やれるだけのことをやったという満足感が今はあります。』

命を終えたその日も、猫ちゃんは庭へ出て、自分の足でよたよたと歩き、娘さんの帰りを待って、最期はみんなに撫でてもらいながら眠るように息を引き取ったそうです。

『その瞬間、思わず拍手しちゃいました。』

と、その人は笑って言いました。


私が泣いたらどうなるの。と、胸の奥を必死でつねりながら、話を聞いていました。
私の足下で、サランがお座りして尻尾をゆらゆらと遠慮気味に揺すっていました。


『ほんとうに、お利口さんな子だったんです。苦しまないで逝ってくれてほっとしています。』

猫ちゃんが逝った翌日、点滴に通い続けた病院に行くと、綺麗な花模様の棺を無償でくれたことや、若い看護婦さんが号泣してくれたことなどを聞かせてもらいました。

偶然にもサランとアモがお世話になっている動物病院と同じでした。


この先、必ず訪れる、愛するサランとアモとのお別れ。

ペットを看取るということを、自分なりに考えて、最期は拍手で見送りたいと、いい犬生だったね。と、言ってあげたいと、そんなことを考えながら、平日の昼下がりを過ごしています。
サランとアモは気持ち良さそうにお昼寝をしています。

image

犬派の私もはまっている神保町のにゃんこ堂で買った本です。http://blog.livedoor.jp/saran_amo/archives/47202541.html(にゃんこ堂の記事です)
本の中の猫ちゃんの写真がたまらなくキュートです。
一匹の猫(海ちゃん)の回想録ですが、海ちゃんは、いい猫生だったなあ。と思いました。

image

わが家の庭にアゲハ蝶が遊びにきました。

娘が『ななちゃんかな?』って。

ななちゃんは、サランが産んだ一番上の娘で生後3日で虹の橋を渡りました。

娘も私にいうことが似てきたなあ。って感じる今日この頃です。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

にほんブログ村
よい週末を♪