更紗のタペストリー(L)

auoneblogから引っ越してきました。 主に、アート・書籍・音楽・映画などについて語ってるブログです。 もうひとつのブログ(http://sarasata.seesaa.net/)では、日経新聞の連載小説の感想を綴っています。

『風の墓標』(曽祢まさこ・著)

 私が雑誌の「なかよし」を熱心に読んでいたのは、小学3年生から5年生にかけての頃だったのですが、読み始めたきっかけと、あまり熱心に読まなくなったきっかけは、今でもはっきり覚えています。

 読み始めたきっかけは、美内すずえ先生の『妖鬼妃伝』で、あまり熱心に読まなくなってしまったきっかけは、曽祢まさこ先生の『風の墓標』でした。

 …という書き方をすると、まるで『風の墓標』が面白くなかったから「なかよし」をへの情熱が失われてしまったかのようなニュアンスになってしまいますが、実際には全くの逆で、あまりにも心に響いたから、「なかよし」への情熱が急激に冷めてしまったのです。

 どういうことかと言うと、『風の墓標』は当時の「なかよし」ではかなり特殊な作品で、子供目線でも明らかに「なかよし」のカラーにそぐわない内容だったため、そんな『風の墓標』に心打たれた私は、「あ、自分はもう『なかよし』という雑誌の読者層から外れてしまっているんだな」と自覚してしまい、徐々に心が「なかよし」から離れることになってしまったのでした。

 具体的に『風の墓標』の特殊性を挙げてみると、以下の3点になります。 


①主人公もサブ主人公も少年で、ヒロイン不在。

②恋愛要素が皆無。

③舞台が海外。


 「なかよし」というと『キャンディ・キャンディ』が有名なので、「舞台が海外というのは珍しくないのでは…?」と思う方もいるのではないかと思いますが、私の「なかよし」を読んでいた当時の記憶で、舞台が海外の作品というと、思い出せるのはいがらしゆみこ先生の『ティム・ティム・サーカス』、原ちえこ先生の『風のソナタ』、松本洋子先生の『黒の〇〇』シリーズ(『黒の輪舞』『黒の組曲』『黒の迷宮』)くらいのものです。(ちなみに、松本洋子先生の作品で舞台が海外というと『シンデレラ特急』もありますが、「日本人の女の子が海外に行く」という設定なので、主人公は日本人です。)
 あと、海外が舞台の漫画で印象に残っているのは、さこう栄先生の『夜明けの吸血鬼』なのですが、確かこの作品が掲載されたのは「なかよしデラックス」の方でした。

 『風の墓標』が掲載されていた時の「なかよし」のラインナップは、メディア芸術データベースで確認できますが(雑誌巻号:なかよし 1983/09/01 表示号数9)、この号の「なかよし」では、海外が舞台となっている作品は『風の墓標』だけです。


 『風の墓標』は、講談社漫画文庫の『曽祢まさこ短編集—ブローニィ家の悲劇』(Kindle版あり)に収録されているのですが、その短編集のあとがきで、曽祢先生は『風の墓標』について《この話は「なかよし」の読者にはむずかしかったらしく、反応(ファン・レター)がぜんぜんなくて少し悲しかった》…と語っており、リアルタイムで「なかよし」で読んでいた自分は申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。(そうだと知っていれば、ファンレターを書いたのですが…。曽祢先生、ごめんなさい…。)

 曽祢先生は、『風の墓標』が読者に受けなかった理由を「むずかしかった」からだとおっしゃっていますが、少なくとも当時小学生だった私にとっては、難しかったのはタイトルだけで(私が「墓標」という言葉を初めて知ったのはこの作品です)、ストーリーはちゃんと理解できました。
 むしろ私にとって問題だったのは、「何にどう感動したのか言葉で説明できなかった」ということで、ファンレターが全く来なかった最大の理由はそこにあると、私は思っています。
 今だったら、「過ぎ去った時間と失われた命は取り戻せない」というテーマが衝撃的だったと説明できますが、小学生だった自分には、その一文が頭に浮かんで来なかったんです。

 そして、読者に受けなかった理由の可能性としてもう一つ考えられるのは、萩尾望都先生の『トーマの心臓』の影響が見られるせいで、萩尾ファンから顰蹙を買ったのではないか…ということです。
 アルビンというキャラクターの雰囲気があまりにもオスカーに似ている上に、ボビィというキャラクターの外見と「委員長」という肩書がまんまユリスモールで、どう考えても偶然ではなく、意図的に『トーマの心臓』を意識したキャラメイクになっています。
 ストーリーもキャラクターの背景も全く違うので、オマージュのレベルではあるのですが、「キャラクターの外見や雰囲気が似ている」「主人公(リロイ)とサブ主人公(アルビン)の2人が寄宿学校に通っている」という設定だけで、『トーマの心臓』を知っている当時の読者から相当な反感を買ったことは、想像に難くありません。(ちなみに、当時の私は、萩尾作品は一つも読んでおらず、『トーマの心臓』はタイトルすら知りませんでした。)
 おそらく、曽祢先生からすれば「分かる人だけに分かるちょっとした悪戯」程度の意識だったのかもしれませんが、魔夜峰央先生が『ラシャーヌ!』の中で『ポーの一族』のエドガーとアランを登場させたような感じで、脇役の中に「そっくさん」が登場する程度だったのならともかく(ちなみに『ラシャーヌ!』に描き込まれているエドガーとアランは後ろ姿のみです)、サブ主人公であるアルビンがオスカーに似ているというのは、ちょっとやりすぎでした。
 せめてアルビンの髪型を変えていれば、萩尾ファンから反感を買うことはなかったはずなのに…と思うと、残念でなりません。






日経新聞で9月3日から『ワカタケル』が連載開始

8月30日の日経新聞に、新しい連載小説の告知が載りました。
新しい連載小説
ワカタケル
 池澤 夏樹 
 鴻池 朋子 画  

本紙朝刊連載小説、林真理子氏の「愉楽にて」は9月2日で終わり、3日から池澤夏樹氏の「ワカタケル」を掲載します。(作者の言葉を文化面に)  

 日本最古の歴史書とされる「古事記」と「日本書紀」をベースにした小説です。主人公はワカタケル、すなわち第21代天皇「雄略」。激しい権力闘争と女たちとの仲、神々や怪物との行き来などを通じ、日本という国が形成される過程を描きます。
 1945年北海道生まれの池澤夏樹氏は88年「スティル・ライフ」で芥川賞、93年「マシアス・ギリの失脚」で谷崎潤一郎賞を受賞。詩、批評、翻訳のほか、世界文学全集や日本文学全集の編集も手掛けています。
 挿絵と題字は、独創的なアート作品で知られる美術家、鴻池朋子氏が担当します。電子版でもお読みいただけます。

 新しい連載小説
ワカタケル

 9月3日から新しい連載小説「ワカタケル」(池澤夏樹作、鴻池朋子挿絵)がはじまります。(1面参照)

<作者の言葉>
 数年前に『古事記』の現代語訳をして、神話めいた上巻より人間くさい中下巻の方がおもしろいと知った。
 天皇たちの武勇伝は少なく、争いと色ごとが多い。その中で『日本書紀』に「大悪天皇」と記された二十一代雄略天皇を主人公にして小説を書くと決めた。
 和名をワカタケルというこの人物は、中国の史書や古墳の遺物などで、実在したことがわかっている。暴君であると同時に偉大な国家建設者であった。
 挿絵に鴻池朋子さんを得て勇気百倍。
 乞御期待!

 池澤夏樹先生は、小説は読んだことはないのですが、論評はちょいちょいお見かけしているので、ずっと興味を持っていた作家さんですし、日本を舞台にした歴史モノは奈良時代より前の時代が好きなので、『古事記』や『日本書紀』をネタにしているのなら、好みの範囲内です。(一番好きな時代は飛鳥時代ですが…。)

 それよりも(と、言ってしまうと池澤先生には失礼ですが)私が注目しているのは、挿絵が鴻池朋子氏だということです。2009年にオペラシティアートギャラリーで展覧会を見て以来のファンなので、大興奮しています。日経の挿絵でこんなに嬉しくなったのは『望郷の道』の天明屋尚氏以来です。

 2009年にオペラシティアートギャラリーで開催された『鴻池朋子展』は、こちらにアーカイブが残っています。→https://www.operacity.jp/ag/exh108/index.html
 本当は自分のブログで感想を書き残しておきたかったのですが、うまく文章にできなくて、結局書かず終いになってしまいました。
 オペラシティの展覧会は、空間を上手く使いこなしているかどうかで、見応えが全然違うのですが、鴻池朋子展は「えっ?オペラシティの企画展のスペースってこんなに広かったっけ?」と疑問に思ってしまうほど空間を無駄なく使っていて、異次元に迷い込んだかのように錯覚してしまうほどでした。
 その「異次元感」をうまく言葉にできなくて、ブログで書かず終いになってしまったという…。
 当時は展覧会に行きまくっていたので、感想を書ききれていないのが結構多くて、展覧会に行く余裕が無くなってしまた今となっては、とりあえず「行った」という記録だけでもつけておけば良かったなぁ…と後悔しています。(チラシや半券は取っておいてあるのですが、整理できていません…。)

 
 日経新聞の連載小説は、Seesaaブログの方で扱っているので、興味のある方はどうぞ。  

 Seesaaブログ→http://sarasata.seesaa.net/

『黒書院の六兵衛』がドラマ化

 日経新聞朝刊で連載されていた『黒書院の六兵衛』が、WOWOWでドラマ化です!

黒書院の六兵衛wowow


 最近はドラマとか映画は「アマゾンプライム」と「ビデオパス」でいっぱいいっぱいで、WOWOWはほどんどチェックを入れていなかったのですが、さすがにプログラムガイドの表紙が思いっきりこれ↑だったので、ドラマ化に気付くことができました。
 
 公式サイト→http://www.wowow.co.jp/dramaw/kuroshoin/

 この小説で一番好きなキャラクターは福地源一郎だったので、駒木根隆介さん演じる福地源一郎に注目したいです!

『服従の心理』(スタンレー・ミルグラム/著)

 「ゆかりんノート」(「togetter」のようにTwitterのツイートをスクラップできるサービス)が2015年に終了してしまったので、備忘録としてまとめていた「本の抜粋」(ここは覚えておきたい、と思った部分をTwitterでツイートしていたもの)のまとめをこちらのブログの方に少しずつ掲載しています。

 このまとめは、『服従の心理』からの抜粋をまとめたものです。

Date:2014年01月16日

『服従の心理』











『ぼくらの翼―国境なき路上の子供たち』(姫川明・著)

 以前、学年誌絡みの記事をまだ書いていた頃、姫川明先生の『556(ココロ)ラボ』という漫画を一年間追っていたことがあり、当時、同じ著者による『ぼくらの翼―国境なき路上の子供たち』という単行本がすごく気になっていたのですが、当時は絶版本だったため、読むのを諦めていました。(2002年に出版された本なのに、6年しか経っていない2008年には絶版で入手困難になっていたところに、いかに小学館が学年誌漫画のマーケティングに力を入れていないか分かりますね…。)




 …ところが最近、電子書籍化され、「漫画図書館Z(旧・Jコミ)」(http://www.mangaz.com/)やauブックパス(https://bookpass.auone.jp/)で読むことができるようになりました。


「漫画図書館Z」内の『ぼくらの翼―国境なき路上の子供たち』のページ→http://www.mangaz.com/book/detail/121661
(※無料)

「auブックパス」内の『ぼくらの翼―国境なき路上の子供たち』のページ→
https://bookpass.auone.jp/pack/detail/?iid=LT000090311000733815&skip_flag=true
(※有料(この記事を書いている段階では読み放題プランの対象になっています)


 なぜこの本が気になっていたのかというと、私は元々は姫川先生の漫画には悪い印象を全く持っていなかったのに、『556(ココロ)ラボ』の内容が「小学生の読者を舐めている」&「本来読者として想定されていない“ネットユーザーのおっさん”に媚びている(『ないしょのつぼみ』のように)」としか思えない内容だったためにものすごく印象が悪くなり、たまたま『556(ココロ)ラボ』の出来が酷かっただけなのか、あるいは「子供の読者」の方向に意識を向けないで漫画を描いている方なのか、見極めたいと思っていたからです。

 …で、『ぼくらの翼』を読んでみた感想ですが…。
 テーマが「フィリピンとベトナムのストリート・チルドレンと、アフガニスタンの戦乱の中で生きる子供たち」という、とても社会性が高いものとなっており、「ためになる作品を作ろう」という作者の編集部の意気込みがとても伝わってきて、「この頃はまだまともな編集方針が残っていたんだなぁ」と思わせられる内容になっています。

 …ですが、「子供に分かりやすく&共感しやすく」という方針があだとなり、貧困や戦争が生じる社会システムや、当事国や関連国の政治的な責任がまるきり見えないストーリーになっている上に、「本来なら関心を持たなければいけないのは大人の方」という前提も見えてこないため、元々問題意識の高い子供や、色々な本を読み慣れている子供なら、モヤモヤしたりムッしたりするであろうことが容易に想像できる内容となってしまっています。

 敢えて厳しい言い方をすれば、子供の読者を舐めています。(作者の方と、当時の編集の方には申し訳なく思いますが、子供の読者を想定とした漫画であり、テーマが重いからこそ、敢えて厳しい意見を書かせていただきます。)
 学年誌という性質上、高い要求は酷だという意見もあるでしょうが、仮に私が小学五年生の時にこの漫画を読んだらモヤモヤしたことは確実ですし(そのモヤモヤを言葉で説明することは小学生の自分には到底無理ですが)、これが学年誌の限界なのだとしたら、廃刊への道を辿ったのは必然だったと考えるよりほかありません。

 物語の構成上、主人公の男の子を海外に連れて行くシチュエーションが「お父さんが連れて行く」以外になく、そのお父さんを「立派な人」という設定にしなければならないという事情は分かるのですが、その「立派なお父さん」の描写がかなりのくせものとなってしまっています。

 「息子に父親がやっていることを理解させるためにろくに知識も与えないままいきなり現場(外国)に連れていく」などという行動は、パターナリズムに他なりません。(注:パターナリズムとは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして干渉することです。マンネリという意味ではありません。)
 しかも、お父さんが「自分のやりたいことを」を思う存分やれるのは妻のサポート(特に収入面)があってのことですから、「息子をいきなり現場(外国)に連れて行く」という行動と相まって、よりパターナリズムを補強する形になってしまっています。

 お父さんのやっている活動がどんなに人道的に立派であっても、家族に迷惑をかけていい理由にはなりません。このお父さんは確かに立派ですが、その立派なお父さんを、日本という社会は一体どのくらい評価し、支援しているというのでしょうか?
 まずはお父さんを評価すべきなのは、息子ではなく「日本という社会」であるべきなのに、ストーリーを「父親に対する息子の理解」から始めて「子供同士の友情」でオチをつけてしまっているため、本質的なテーマが完全にぶれてしまっており、結果的に社会や国家の責任から読者の目を逸らさせる結果に繋がっています。

 おそらく、姫川先生にも編集部にもそんな意図はなく、単に、子供向けの「ためになる話」のテンプレを守ったら自動的にそうなってしまっただけだと思われますが、社会問題を扱っておきながら「社会や国家の責任を問う」という目的がごっそり抜け落ちているような物語がテンプレ化しているという状況が日本の出版業界の現状なのだとしたら、その間違った状況に対してクリエイターや編集部が疑問を持てないのは大問題です。
 もちろん、疑問を持ってもそれを創作物に活かせなければ意味がないですし、その創作物に込められた意図を読み取れるだけの読者側のリテラシーも必要です。

 昭和の時代から連綿と続いてきた子供向けの「ためになる話」のテンプレが、出版社・クリエイター・読者を麻痺させてしまい、「そのテンプレはそもそも間違っているのでは…?」との疑問を持たせないようにしてしまっているのだとしたら、その問題は「個人の読書」のレベルではなく「日本の教育」というレベルにまで及びます。

 姫川先生の創作スタンスとして、『556(ココロ)ラボ』の酷さだけが特別なものだったのか、あるいはそもそも「子供の読者」の方向に意識を向けないで漫画を描いている(厳しい言い方をすれば、読者を舐めている)のか…という私の疑問の結論は、「子供にとって“ためになる話”を描こうという意思はそれなりに感じるけれど、社会問題を描く力量はない」というものです。
 その力量のなさは、姫川先生個人の問題に帰結するのではなく、日本の教育の在り方にまで繋がっているのであり、小学館の学年誌が『小学一年生』を残して廃刊になってしまったことを「ニーズの多様化」と「少子化」だけで済ますことに、私は強い危機感を覚えます。それは、「日本の教育の在り方」の問題点を隠すことに繋がってしまうのですから…。


記事検索
月別アーカイブ
最新コメント
プロフィール

さらさ

読書メーター
更紗蝦さんの読書メーター

更紗蝦さんの読書メーター
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ