更紗のタペストリー(L)

auoneblogから引っ越してきました。 主に、アート・書籍・音楽・映画などについて語ってるブログです。 もうひとつのブログ(http://sarasata.seesaa.net/)では、日経新聞の連載小説の感想を綴っています。

2010年03月

フラ・アンジェリコ『聖母戴冠』

 ティントレットの『奴隷を救う聖マルコ』アルブレヒト・デューラーの『4人の使徒』に引き続き、聖マルコの描かれている絵を探してみました。


フラ・アンジェリコ
『聖母戴冠』


 これはサン・マルコ修道院の第6僧房にある壁画です。昇天した聖母マリアに天国の女王の冠を授けるキリストと、6人の聖人(左から「聖トマス・アクィナス」「聖ベネディクトゥス」「聖ドメニコ」「聖フランチェスコ」「殉教者聖ピエトロ」「聖マルコ」)を描いています。
 両手をあげるポーズは、敬虔なる会話を示す宗教的ジェスチュアなんだそうです。

 見えにくいかもしれませんが、右から3番目の「聖フランチェスコ」は、手のひらに「聖痕」があります。手のひらと脇腹に「聖痕」がある聖人の絵といえば聖フランチェスコをテーマにした絵なので、他の聖人の絵と比べてかなり見分けがつきやすいです。


『聖母戴冠』の右下の部分
(聖フランチェスコ、殉教者聖ピエトロ、聖マルコ)



 あと、見分けがつきやすい聖人といえば、「聖セバスティアヌス」です。縛り付けられて矢が刺さっている聖人の絵があったら、それは聖セバスティアヌスをテーマにした絵です。
 

『無花果の森』(112)



 何度か読み返してみたが、泉をだまし、陥れようとする匂いは感じられなかった。
 八重子は一応、美術の世界では知名度のある人間だから、八重子の自宅を探りあてるのはわけなくできるだろう。サクラからうまく情報を得られる可能性もある。
 「姑息な手段を使って」この長屋を探し出したわけではない、という手紙の言葉は信用できた。
 電話してみよう、と泉は思った。











 塚本に電話する気になった泉ですが……一体何のために?
 泉は過去を忘れたいんじゃなかったっけ?

【このまま時が流れてくれればよかった。同じ毎日が飽きず繰り返されていけばいい。
 そうやっている間に少しずつ、過去の残骸は色あせていくだろう。
 そうなってくれさえすれば、望むことは他に何ひとつない、と泉は思った。】
(第92話より)


 塚本と会ったら、過去を思い出さないわけにはいかないんですけどねぇ…。一体、どんな覚悟で会うつもりでいるのでしょうか?
 なんだか、泉からは、「塚本への好奇心」しか感じられないんですよね。それが不自然に感じられてなりません。「(過去の残骸が色あせてくれれば)望むことは他に何ひとつない」とか言っていた人間が、たかが好奇心だけで他人に電話しちゃうなんてねぇ…。

 「口止め目的」で塚本に会うというのならまだ分からないでもないですけど、泉にはそんな力はないですよね。お金も権力もない上に、世間や法律も味方につけられない状態ですし。


 105話から112話までの挿絵です。

『韃靼の馬』(147)

《東上 28》

 製述官李賢の日記。
「某月三日 深更、たちまち風おこり、纜(ともづな)を解いて鞆ノ浦を出帆。(略)
 同月五日 室津に泊す。(略)余は痔疾の痛みはげしく、乞うて横臥して応ず。(略)
 横臥せし時、余が感心したのは、畳の整然とした美しさである。(略)詩は嗤うべし、畳は嘆賞すべし。
 同月八日 丑初の刻(午前二時頃)、解纜して、室津を発す。群倭の護行船大小あわせて千隻に近し。海をおおうこと数里。それぞれ四、五燈を点し、その燈明は海に充つ。(略)
 これをみた倭人軍官兼訳官阿比留某曰く、両国の船艦を合わせて、海外の諸蛮夷を伐つこともできましょう、と。嗤うべし。(略)無知蒙昧、世界の中心が漢であることの認識ひとつすらなし。しかし、その漢(明)とて、蛮夷女真に滅ぼされて、いまは弁髪の清となりはてた。憂うべし。かくして漢の遺髪を継ぐは、わが朝鮮をおいてほかなし。(略) 同月十一日 痔疾悪化、終日、石仏のごとく横臥。(略)」













 日記の中には「科挙合格者のオレ様が出世できないのは庶子のせいだ」とかいう愚痴がウダウダ書いてありましたが、鬱陶しいので省略しました。

 李賢の日記の中では、どうやら「漢」は「明」を表しているようです。「漢」も「明」も漢人の王朝なので「漢」と呼んでいると思われますが、日本では「漢」といえば秦滅亡後の漢王朝しか指しませんから、「漢」=「明」とされるとちょっとややこしいですね。


『無花果の森』(111)



 スーパーで鰺とトイレットペーパーと義歯洗浄剤を買い、長屋に戻ると、自分の部屋の玄関ドアに角封筒がはさまっていた。表に「高田洋子様」と横書きされていた。
 泉はその場で封を破った。
『至急、お会いして話したく思っています。ご都合のいい時に、連絡をいただければ幸いです。なお、このようにして、あなたの居場所を捜し当てることができたのは、天坊先生のお宅がどこにあるのか、わかったからであり、断じて姑息な手段を使って調べ上げた結果ではない、ということをあらかじめ申し上げておきます。では、ご連絡をお待ちしています』
 最後に「塚本鉄治」と著名され、その脇に十一桁の携帯電話番号が記されていた。
 やはり彼は自分を探し出すことを目的として大崖の街にやって来たのだ。
 だが、それは辻褄の合わない話だった。塚本が週刊誌の記者ならば、『ブルー・ベルベット』でゲイの男に好かれながら働く必要が、どこにあるだろう。












 辻褄が合わない?
 いや、合わせる方法ならありますよ。サクラと塚本がグルだと仮定すれば辻褄合うじゃん。

 サクラは大崖に住んでいるんだから、道端で泉を見掛けるチャンスなんていくらでもあったはずです。サクラが映画ファンなら監督としての吉彦に興味を持っている可能性は高いし、泉と吉彦の結婚がそれなりにメディアで取り上げらたのならサクラが泉の顔を知っている可能性もなくはないです。
 泉が休暇に商店街をブラブラしていた時なら尾行なんか簡単だし、仮にチャリに乗っていたとしても、怪我をする前ならサクラもチャリを使えば尾行は可能です。(ていうか、怪我が嘘という可能性もあるし。)

 八重子は自分の部屋のドアには表札を出していたはずですから、泉が住んでいる部屋が八重子の所有だということはすぐに分ります。八重子に雇われた直後の泉がチャリで買い物をしている姿を、サクラが一度でも見かけていれば、泉が八重子の世話をしているということは分かります。(不自然に買い物量が多かったし、オマルを買ったときもあったし。)

 サクラと八重子は元から知り合いなわけですから、営業に見せかけて電話で八重子を呼び出すのは簡単です。八重子は歩くのがやっとの状態ですから、八重子を呼び出せば泉は確実に付いてきます。

 泉の「発見」がいいネタになると踏んだサクラが、週刊誌に連絡を入れる。で、大崖に来た塚本を、「つい最近雇ったばかりの男」ということにして八重子&泉に引き合わせ、泉が吉彦の妻であることを塚本に確認させる……ほら、辻褄が合った

 ……って、何をムキになって無理矢理辻褄を合わせてるんでしょうか、私は
 あらすじでは、泉と塚本は「不思議な因縁」で結び付けられるとのことですから、2人の再開は単なる偶然の可能性が高いですね


『韃靼の馬』(146)

《東上 27》

「わたしはね、どこで生まれたのかも、父や母が誰かも知らないの。物心つくと、もう楊州仮面劇の一座にいて、綱渡りをさせられていた。
 一緒に育った幼馴染は何人もいたけど、親方様に売られて、ある日突然いなくなってしまう。風の便りに、そのうちの一人が日本に渡ったと聞いたことがある。朝鮮語の広大(クァンデ)は、日本では『クグツ』と発音するんですって?」
 克人は、大江匡房が記した『傀儡子記』に、日本の傀儡子は、朝鮮の芸能集団、広大や社堂(サダン)が源流と記されていたことを思い出した。
「克人は結婚しているの?」
「この旅が終わったら、祝言を挙げるつもりだ」
「旅が終わった後……。わたし、今度の旅は終わらないような気がするのよ。なぜだか分からないけど」

 











 大江匡房が記した『傀儡子記』かぁ…気になるなぁ…。
 amazonで検索してみたら、大江匡房に関する本ならいくつか出てきましたが、『傀儡子記』は出てきませんでした。

 yahoo!百科事典で「傀儡子」を調べてみたら、以下のような説明がありました。

【人形遣いの古称。和訓で「くぐつ」「くぐつまわし」といい、この語源には、人形などの道具を入れて歩く久具(くぐ)という植物を編んだ籠(かご)とか、唐代語のkulutsなど外来語説などがある。古くは、曲芸や人形を操る芸などを生業とした古代日本の漂泊民をいった。すでに奈良時代にはこれらの人々がいたと推定されるが、10世紀中ごろの『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』に「久々豆(くぐつ)」の語がみえ、そのすこしあとの『散楽策問(さんがくさくもん)』には9世紀ごろに藤醜人(とうしゅうじん)が中国の傀儡を習って宮中で演じたと記されている。しかし、彼らについての詳細が明らかになるのは平安中期以降で、『本朝無題詩(むだいし)』『枕草子(まくらのそうし)』『傀儡子記』などの文献にみえ、男は弓馬を使って狩猟し、刀玉のような曲芸をし、幻術をし、人形を操り、女は唱歌淫楽(いんらく)の遊女を業とした漂泊の民であった。(略)】
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%82%80%E5%84%A1%E5%AD%90/

 こちらでも『傀儡子記』が挙がっていますが、「日本の傀儡子の源流」=「朝鮮の芸能集団」とは書いてないですね…。

アルブレヒト・デューラー『4人の使徒』

 『無花果の森』109話の記事でにティントレットの描いた聖マルコの絵(『奴隷を救う聖マルコ』)について触れましたが、今度はデューラーの描いた聖マルコについて。



アルブレヒト・デューラー
『4人の使徒』


 この絵は、新約聖書の「マルコによる福音書」の《イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。そして、12人を呼び寄せ、2人ずつ組にして遣わすことにされた》という場面を描いています。
 描かれている4人の人物は、左から「聖ヨハネ」「聖ペテロ」「聖マルコ」「聖パウロ」です。

 この絵は、「青年から老年に至る人間の4世代」と「四性論による人間の四つの気質」を象徴していると言われています。
 四性論とは、ヒポクラテスが提唱した人間の気質の分類で、「多血質」「粘液質」「胆汁質」「憂鬱質」の4つがあります。

 どの人物が何の世代・何の気質を表しているのかといいますと…

聖ヨハネ「青年」「多血質」
聖ペテロ「老年」「粘液質」
聖マルコ「壮年」「胆汁質」
聖パウロ「中年」「憂鬱質」
 
 …だそうです。

 「粘液質」「胆汁質」は、字面的になんだか性格が悪そうな印象を受けますが、「粘液質」は情熱的な性格で、「胆汁質」は穏やかな性格なんだそうです。


『無花果の森』(110)



 泉は聖書を閉じ、立ち上がって窓辺に立った。
 未だに梅雨の真っ最中ではあったが、本格的な夏はもうすぐそこまで来ていた。
 長くここにいてはならないような気がした。いたくてもいることができなくなるのかもしれない、と思った。
 塚本鉄治が難かった。彼と出くわしたりしなければ、心乱されることなく、無花果の見える長屋の部屋で暮らしていくことができたはずなのに。
 この暮らしがいかに現在の自分の状態にふさわしいか、強く実感できるようにもなった。これほどの心の安寧は得られないことはわかりきっている。

 翌日の午後、泉は自転車でスーパーに買い物に出かけた。夕食の材料はそろっていたが、八重子が突然、何がなんでも鰺のたたきが食べたい、と言い出したからだった。











 「長くここにいてはならないような気がした」…って、一体いつまで泉は八重子からあてがわれた部屋に居つくつもりだったのでしょうか?
 八重子は老い先短いんだから、そうそう長い期間は居候していられないのははっきりしているのに… 
 相変わらず先のことをまったく考えてないなぁ、泉は…

『韃靼の馬』(145)

《東上 26》

 リョンハンは次のような噂を聞いていた。
 柳成一が前例を破って派遣された背景には、警護とは別の意図が隠されている。対馬藩朝鮮方の中に、倭館を根じろに密偵活動を行う者がいるらしい。その男は幕府の指令で動いているという。柳はその密偵を割り出し、処刑するという任務を帯びているという。
 おそらく、日本は再び朝鮮を侵略する野望を抱いているのだ。蛮夷のくせして……。
 この国にはもともと文字というものがなかった。百済王がそれはかわいそうだというので、文士王仁(わに)や阿直岐を遣わし、はじめて文字を教えた。そして、長い長い歳月の末、ようやく読み書きができるようになったのだ。
 克人は沈黙を守っている。
「あの丹陽郊外の栗林で倒れていたのは、ひょっとして密命を帯びて朝鮮の奥深く入って、何者かと……。克人、あなたはいったい何者?」
 ふり向いた克人は、リョンハンの睫の先に涙が夜霧のように光っているのをみた。

 











 えーっ なんで「百済王が日本に遣いを出した」ということを持ち出して、朝鮮人が日本に恩を売ったつもりになってるの 朝鮮半島の三国時代は、朝鮮人の国は新羅じゃなかったっけ

『ポケットモンスター ハートゴールド・ソウルシルバー』の誤字

 娘に教えてもらった、ポケモンのゲームの中の誤字です。


「さんかせた」
(「さんかさせた」の間違い)




「むしとりたかい」
(「むしとりたいかい」の間違い)


 娘に教えてもらうまで、全然気付きませんでした…。

『韃靼の馬』(144)

《東上 25》

 王の満漢全席は広大たちを狂喜させた。
 品数は二十品数だが、満漢全席であることに変わりはない。
 なかに一品、仙酔島では供されなかった皿があって、これが広大たちを最も喜ばせる料理になった。王勇の創作になる。
「豚もも肉脂身つきを薄切りにしたものに片栗粉をつけ、油で揚げる。別に黄瓜、ニンジン、干し椎茸、ニンニク、長葱、夏みかんのむき身を湯通しし、鉄鍋で胡麻油と甘酢に塩を加えて熱する。片栗粉でとろみをつけ、頃合いをみて揚げた豚肉を炒め合わせ、最後に老酒を垂らして、はい出来上がり! これ、名付けて酢豚なり」
 広大たちの拍手喝采の中を、リョンハンが目配せで克人を誘って、甲板に出た。
「……ありがとう。克人。うれしかったわ」
「王の料理はどうだった?」
「言葉に尽くせないほど。これから先、こんな機会は二度と訪れないような気がする。……月はどこかしら?」
 月はちょうど二人のまうしろの山の端にあった。
 リョンハンは克人に至急知らせたいこと、尋ねたいことがあった。そのきっかけをずっと捜していた。

 











 この小説では、酢豚のレシピが王の作ということになっていますねぇ…。
 確か、『鉄鍋のジャン!』では、中華料理の酢豚の定義は「揚げた豚肉を甘酸っぱく味付けしたもの」だから、野菜が入っていなくてもいい…という説明があったような記憶があります。(コミックスが手元にないのでうろ覚えでスミマセン)
 野菜入りの「日本風の酢豚」のレシピを考えたのが王…ということなのでしょうか? それとも、単に辻原先生が冗談で書いただけなのでしょうか?

『無花果の森』(109)



 少しでも気を紛らわせるためには、本を読むのが一番だった。
 美しい日本語で訳されたヘッセの短編小説もよかったが、聖書はどのページを開いても、吸い寄せられるような文章が並んでいて心慰められた。
 ある晩、思いつくままに開いてたページは「マルコによる福音書」だった。
『いちじくの木からこの譬えを学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。そのように、これらの事が起こるのを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい』
 中庭の無花果の木を見て、ふいに泉は、自分が今、腰をおろしている場所が、富永という名の詩人が息を引き取ったところであることを思い出した。
 泉はもう一度聖書に目を落とした。
「人の子」というのは、自分の場合、塚本鉄治のことを指すのではないのか、と思った。











 おおっ やっと泉が買った古本の描写が…と思ったら、新約聖書の方かーいっ

 新約聖書の「お言葉」は、あんまり興味ないんですよねぇ~ 新約聖書に関する絵画なら興味がありますけど…。

 福音書記者の一人の「聖マルコ」に関する絵画なら、こういうのがあります。


ティントレット
『奴隷を救う聖マルコ』


 聖マルコはヴェネツィアの守護聖人です。ヴェネツィアのあるヴェネト州の州旗に描かれているライオンは、聖マルコを象徴しています。

 聖マルコに関しては、機会があったら別途で記事にしたいと思います。
 

『韃靼の馬』(143)

《東上 24》

 克人が艫で櫂を操り、王が提灯を掲げて船首に立つ。艫と船首の間には、王の料理が山と積まれている。
「王さんじゃないか。どうしたんです? 」とテウン。
「王の満漢全席を届けに来たのさ」と王の後ろから克人が言う。
 テウンがあわてて甲板から引っ込んだかと思うと、すぐリョンハンがとび出してきた。
 夕方、リョンハンとテウンは朴に仙酔島行きの許可を願い出たが、言下に拒否された。
 仲間たちに呼びかけ、夜が更けると、仮面をかぶって朴の宿舎を襲い、当て身をくらわせ、気絶したところをさるぐつわを噛ませて縛り上げ、小舟の中に転がしておいた。仙酔島からもどると意識を取り戻していたが、再び当て身をくらわせ、彼の部屋に運び込んだ。
 翌日、朴は任主幹に訴え出たが、夢でもみたのだろう、と笑って取り合わなかった。

 











 朴…ダメキャラの鏡みたいなヤツですね…

 一日のうちに二度も当て身をくらったら、痣くらいはできていそうなものですが、そういう痕が残らないようなコツをリョンハンたちは心得ているのでしょうか?

『無花果の森』(108)



 わからないことが宙づりになったまま、泉の中に残された。そのせいで、いたずらに不安ばかりが、かきたてられた。
 久しぶりに『ブルー・ベルベット』に行ったことがきっかけで、気分が変わったのか、八重子は急に仕事に熱を入れ始めた。よほど集中しているのか、アトリエにこもっている八重子から、つまらない用を言いつけられることも少なくなった。
 就寝前には八重子の入浴や身仕度の世話をしなければならなかったが、それまでの夜の時間は自由だった。だが、せっかく与えられた自由なひとときも、泉には上の空だった。
 未整理のまま放り出されているものが、頭の中に押し寄せてきて、息苦しくなった。いたたまれなくなり、叫びだしてしまいそうになるほどだった。










 せっかく自由時間があるのに、「上の空」だの「いたたまれなくなり、叫びだしてしまいそうになる」だの書いてあるということは、新約聖書もヘッセの『メルヒェン』もほったからしということなのでしょうか?

 ブックオフに行ったらヘッセの『メルヒェン』が置いてあったので、思わず買ってしまいました。
 『無花果の森』に出てきたのは人文書院刊で、おそらくはハードカバーですけど、私が買ったのは新潮社から出ている文庫版です。


新潮文庫版『メルヒェン』
翻訳:高橋建二



  amazonで調べてみたら、人文書院から出ている『メルヒェン』も、同じ人が翻訳をしていました。

 収録されている作品は『アウグスツス』『詩人』『笛の夢』『別な星の奇妙なたより』『苦しい道』『夢から夢へ』『ファルドゥム』『アヤメ』『ピクトルの変身』の9本です。
 『詩人』という短編は、詩を極めようとするあまりに世捨て人になってしまう男の話なんですけど、もしかしたら、「富永」と通じるものがあるのでしょうか?

『韃靼の馬』(142)

《東上 23》

 満漢全席、残るはデザートの四品。まず広寒米羔(←これで一文字)(金木犀の花の蒸し菓子)。
「わが中国においては、科挙試験のある年に、受験生はみな広寒米羔を作って食べ、互いに贈り合う。科挙に合格することを『折桂』(桂(=モクセイ)を折りとる)、または『折月桂』(月の桂を折りとる)ともいうから幸先のいい蒸し菓子なのであります」と王が説明する。
 つづいて酥蜜餅(クッキー)、海老煎餅、そして、三十二品目、最後に出てきたのが、蒸し真桑瓜。
 柳成一が農業からもらった真桑瓜を王勇に差し入れたところ、王はひと口食べて膝を打った。これはめったにない、極上の瓜だ、というわけで、満漢全席のトリをつとめることになった。
 王の破天荒な満漢全席は、はしなくも鞆ノ浦の農業の瓜、それも鶏泥棒がらみといういわくつきの真桑瓜で幕を閉じた。

 











 シメに真桑瓜を持ってくるとは…。よほどおいしい真桑瓜だったんでしょうねぇ。
 同じ中華料理でも、『甘苦上海』の料理の描写は全然おいしそうに思えなかったのに、『韃靼の馬』の方はおいしそうな気がするのは、やっぱり、登場人物たちが「食べる」という行為そのものを楽しんでいる雰囲気が伝わってくるからなんでしょうね。『甘苦上海』の場合は、「こんな高い料理を食べてるアタシってグルメ」みたいな描写ばっかりでしたから。つまりは、「食べる」という行為ではなく、「食べているアタシ」のことしか考えていないっていう。


江戸東京博物館『チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展』(その7)

その6からの続き)


 中国のプロパガンダが鼻につきすぎる点がかなりアレな展覧会でしたが、展示品自体はかなり良かったです。歴史に興味のある方と美術工芸品に興味のある方、それぞれに、満足のいく展示品だと思います。

 ただ、気になったのは、チンギス・ハーン関連の展示品の解説の中の、「内モンゴル自治区チンギス・ハーン陵所蔵」という記載。
 この記載を読んだ人の中には、その展示物がチンギス・ハーンの「お墓の中」にあったものだと勘違いする人が、相当いるのではないでしょうか?

 でも、チンギス・ハーンのお墓は、まだ発見されていません。ですから、「チンギス・ハーン陵」の「陵」という字から、「陵墓」を連想してはいけません 「チンギス・ハーン陵」は、チンギス・ハーンを葬った場所ではなく、チンギス・ハーンを祀るために造られた場所ですから、どちらかというと、「陵」というより「廟」という表現の方が正確だと思います。

 もしかしたら、中国語では「陵」は「廟」と大差ないのかもしれませんが、日本人にとっては「陵」といえば墓所のイメージですから、「チンギス・ハーン陵所蔵」などと書かれていたら、「あれ?これって、お墓の中にあったもの?」と思う人が出てきても、おかしくはありません。
 図録には「チンギス・ハーン陵」とは具体的にどういう施設なのか記載されていませんし、展覧会の会場にも、それらしい説明はなかったと記憶しています。

 こんなんじゃ、主催者はわざと「チンギス・ハーンのお墓は内モンゴル自治区の中にある」=「中国(の主張する領土)の中にある」とお客さんが勘違いするように仕向けているのでは…?と、勘ぐりたくなってしまいます
 

『無花果の森』(107)



 トイレから出て席に戻ると、塚本の姿はなかった。
 ビールを手にしながら八重子とサクラの会話に聞き耳をたてると、二人は死んだ詩人ことを話していた。会話の端々に「富永さん」という名が出てきた。
「いい男だったのにねえ」とサクラがため息をついた。「あんたがなかなか手を出さないみたいだったから、そのうちあたしが、と思ってたのに。もったいないことをしたわ」











 詩人の名前は、どうやら「富永」というようです。
 サクラが富永の名前や顔を知っているということは、以前、八重子がここに連れてきたということなのでしょうか?(逆に、富永が八重子を連れてきた可能性もありますが…)   


『韃靼の馬』(141)

《東上 22》

「いま、彼らが踊っているのはサルプリチェムといって、厄払いの踊りです」と趙が説明する。
 やがて踊りの輪が宴席のほうへ近づいてきて、客たちを取り囲んでぐるぐる回る。
 王の料理と数々の酒、炎と仮面舞踏が一体となって、人々を夢幻の世界へと誘い込んでいった。
 赤い猿の仮面をつけた踊り子が、克人の真うしろでぴたりと動きをやめる。
「克人、あたしよ」
 リョンハンの声がした。克人がふり向くと、もう遠ざかっていた。
 楽の音が低く弱まり、松明も燃え尽きようとしている。踊りの輪も解け、楽隊を先頭に彼らは椿の森へ、暗闇の中へと入って、やがてみえなくなった。
 この時点で、王の料理は二十八品を数えていた。

 











 仮面を被った人たちにぐるぐる囲まれながらの食事って…
 なんだか落ち着かなそうですけど、当人たちは満足しているようなので、現代人にとってのディナーショーみたいな感覚なのでしょうか?


『無花果の森』(106)



 泉は「ちょっと失礼します」と言ってスツールから下り、トイレのドアに向かった。
 小さな洋式トイレの中には、店内で焚かれているのとは別の香りが充満していた。苺のような甘ったるい香りだった。
 便器を囲む白い壁には、『ブルー・ベルベット』のスチール写真とサントラ版ジャケットのコピーが貼られていた。
 胸が苦しかった。頭の中が混乱していた。何故、彼がここにいるのか。何が目的なのか。
 八重子やサクラの手前、騒動を起こすことは避けねばならなかったし、避けたかった。
 せっかく見つけた居心地のいい巣穴から、当分の間、離れたくはなかった。今、またこの街を出て行かねばならなくなったとしたら、どこまでも墜ちていく自分を何とも思わなくなってしまうに違いなかった。












 「せっかく見つけた居心地のいい巣穴」あ、泉ってば、自分で認めちゃいましたね、現状が「居心地がいい」って。
 不当に安い給金で八重子にこき使われていることに必死に耐えているわけでもなく、かといって、ボランティア精神で八重子の面倒を見てあげているわけでもなく、「居心地がいいから、とりあえず今のままがいい」と思っている自分を、自覚しているってことですね。
  今までさんざん「こんなアタシってカワイソウ」と自己憐憫に浸ってきたくせに、結局のところ、自分にとって楽な方を選んできただけじゃーん

 …いえ、楽な方を選んできたこと自体はいいんですよ、別に。泉には選択する自由があるんですから。
 問題なのは、楽な方を選んできたくせに自己憐憫に浸っているという、泉のメンタリティなんです。

 もしかしたら、塚本の方も、「こんなオレってカワイソウ」とか思ってるんじゃないだろうなぁ… こんなキャラが2人いたら鬱陶しいから、そうでないことを願います

 



『韃靼の馬』(140)

《東上 21》

 前菜の次は、筵上焼魚煮魚事件(宴席用焼魚・煮魚各種)。
 次に団魚羹(すっぽん汁)、つづいて筵上焼肉事件(宴席用あぶり肉各種)。
 箸休めに、くるみ餡の焼き餅と木の実の春巻きが出る。つづいて、女真族(清)の名菜の数々が登場しはじめる。
 仙酔島に招かれた客たちは目と舌で満漢全席を存分にたのしんでいたが、心からたのしめない人物が二人いた。
 克人も王もリョンハンのことが気がかりだった。克人は柳成一の存在も気になる。
「広大たちはやっぱり遠慮したのかな、やって来ませんな」
 と雨森がいうと、背後の椿から鉦、銅羅、鼓、縦笛、長喇叭の合奏がひびき渡り、松明を掲げた十人ばかりの仮面の男がとび出してきた。演奏者たちはグロテスクな化粧をしていた。













 「筵上焼魚煮魚事件」「筵上焼肉事件」…う~ん…なんともサスペンスな雰囲気のネーミングです
 おそらく、「筵上」が「宴席用」という意味だと思われますから、だとすると、「事件」というのは「各種」という意味なのでしょうか?

江戸東京博物館『チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展』(その6)

その5からの続き)


 主催者による「ご挨拶」、中華人民共和国駐日本国特命全権大使による「祝辞」、中国内蒙古自治区文化庁庁長による「はじめに」に関する紹介は終わったので、お次は早稲田大学文学学術院教授・早稲田大学モンゴル研究所所長による「展覧会に寄せて」というお言葉です。
 この教授のお言葉には変な「誤魔化し」はなく、この展覧会の実態を的確に説明しています。
 モンゴルの研究をなさっている方なだけあって、展覧会の説明だけでなく、モンゴルの気候や生活、歴史についても触れているので、「モンゴル高原」という地域や「モンゴル帝国」という国を、頭の中にイメージしやすくなっています。
 全文だと長すぎるので、一部省略してご紹介します。



【モンゴル民族の活動舞台であるモンゴル高原は、内陸アジアの東部を形成し、日本の9倍ほどの面積を誇ります。そこには緑の草原(ステップ)が広がっています。
 内陸アジアのステップは、雨が少なく農耕には不向きですから、古来、住民は放牧と狩猟を生業としてきました。かれらの遊牧は、そこの代表的な家畜とも言えるウマの飼育と利用によって強く特色づけられます。それは騎馬遊牧と言い換えてもよいものです。内陸アジアの遊牧民は、まさに騎馬遊牧の民なのです。世界の遊牧民の中で騎馬遊牧民と言えるものは、内陸アジアの遊牧民だけです。(略)
 モンゴル帝国の時代、モンゴル高原及びその周辺において、遊牧民のモンゴル化が進行しました。モンゴル系の人びとも、トルコ系諸部の人びとも、時勢をみて進んでモンゴルと称するようになったと伝えられています。モンゴルを自称しなかった者たちも、実際にはモンゴル化しつつありました。そしてモンゴル帝国、この場合モンゴルの本流であった元朝、それが瓦解すると、皇帝(ハーン)を頂点とする支配層の多くの軍隊はモンゴル高原にもどり、モンゴル化の進行していた同高原の住民とともに高原で活動しました。これらの結果が、モンゴル民族の形成につながり、今に至りました。(略)
 さて、モンゴル高原に興った遊牧国家は、モンゴル高原規模の国家に拡大すると間もなく、南方の中国王朝や西方のオアシス地帯に、あるいは侵入・略奪し、あるいは勢力下に置き、あるいは征服しました。(略)農耕国家におけるほど手工業の発達は見られず、従って職人も多くなかったので、造られた手工業品の種類は少なく、かなり多くのものは、外部から交易によって購入したり、外部から捕虜などとしてステップに連れてきた職人に作らせたりしました。それらのものにもかれらの好みや文化が反映されたことは言うまでもありません。 
 このたびの「チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展」の展示品は、モンゴル高原の遊牧民の手もとに存在したそうしたもの、それらのものの中でも特に優れたものから成ります。しかも「モンゴル」の至宝展と題していますが、モンゴルの時代のものだけではなく、それに先立つ東胡、匈奴からキタイに至る各時代の遊牧民のそれぞれの文化および外部とりわけ漢民族王朝との交流を示す展示品を数多くそろえてあります。(略)
 この至宝展は、日本各地をめぐって催されます。私は、優れた展示品が日本の各地のできるだけ多くの人びとの目に触れ、モンゴル高原の遊牧民とその文化 に対する日本の人びとの理解が深まることを、心から期待しております。(略)】



 この「お言葉」の中には、「モンゴルの文化=中国の文化」というアピールがないことが、お分かりいただけますね?

 「『モンゴル』の至宝展と題していますが、モンゴルの時代のものだけではなく…」と書いているということは、この教授は、展覧名が「実態」とは異なっていることに対して、何かしらのフォローをしなければ…と思ったのでしょうね、きっと…。


(その6に続く)

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