更紗のタペストリー(L)

auoneblogから引っ越してきました。 主に、アート・書籍・音楽・映画などについて語ってるブログです。 もうひとつのブログ(http://sarasata.seesaa.net/)では、日経新聞の連載小説の感想を綴っています。

2014年06月

『さよなら絶望先生』における原発と震災の描写(その3)

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その2からの続き)

 今回も3.11以前に『さよなら絶望先生』に出てきた震災ネタのご紹介です。
 
 今回は24巻です。コミックスの発行は2011年2月17日です。

 24巻に収録されている第235話『初手に告げるなかれ』は、「防災の日」をテーマとして描かれているのですが、物語の中の日付が防災の日(=9月1日)だと分かるのは、最初から2コマ目と最後のコマだけなので、実は私は最後のコマを見るまでテーマが「防災の日」だとは気づきませんでした。

 さよなら絶望先生_初手に告げるなかれ1
(『さよなら絶望先生』24巻 63ページ)

さよなら絶望先生_初手に告げるなかれ2
(『さよなら絶望先生』24巻 74ページ)



 「防災の日」である9月1日は関東大震災の日が起こった日付であり、大抵の小学校では避難訓練の際に校庭で校長先生が関東大震災の話をするのが恒例になっているのではないかと思いますが(←私は小学校の頃はそうだったのですが、もし、今は違っているのだとしたらすみません)、はっきり言って、ほとんどの人にとっては避難訓練はただの「恒例の儀式」であり、本気で震災の可能性を頭に思い描いて危機感を持っていた人は、阪神淡路大震災や中越沖地震を直接体験した人でもない限り、あまりいなかったのではないかと思います。(正直言って私もその一人でした。)

 避難訓練の必要性は誰もが認めるところだと思いますが、かといって避難訓練のたびに危機意識を持つかとうと大抵の人はそうでなく、結局のところは、15巻の『予言省告示』で描かれているような「予言なんて当たるわけないじゃない」という雑誌記事を小馬鹿にする態度と大して変わらない感覚で「地震なんて来るわけないじゃない」と思っている人が大半であるのが、日本の現実なのではないでしょうか。そうでなければ、いったいどうして、原発の再稼働を積極的に賛成したり「やむなし」と仕方なく認める人が大勢いるのでしょうか。


さよなら絶望先生_予言省告示3
(『さよなら絶望先生』15巻 137ページ)


 震災はいつ起きるかは分からないのですから、本来なら震災に対する危機意識は常に持っていて当たり前でなければならないのに、震災に対する注意喚起が「避難訓練」という形だとそれはただの儀式となってしまい、かといって「予言」という形だとオカルト扱いであるならば、いったいどういう形にすれば震災に対する注意喚起が成功し、危機意識が生じるのでしょうか。震災をテーマにしたドキュメンタリーやルポルタージュ、小説、漫画・・・そういう形でしか注意喚起できないのであるとすると、テレビも映画も本も見ない人にはいったいどうアプローチすればいいというのでしょうか。これは震災大国である日本では本来なら深刻な課題であるはずなのに、結局のところは「予算が云々」の話だけで終わっているのが行政の現実です。
 かつて民主党政権時代の蓮舫氏が災害対策予算を削減したことは忘れてはいけないし、それと当時に、歴代の自民党の政治家が災害の可能性を無視して原発を推進し続けたことも忘れてはいけないことです。(特に、原発推進のための予算を最初に強引に組んだ中曽根氏の罪は重いです。)


その4に続く)


さよなら絶望先生(24) (少年マガジンコミックス) [コミック]
 

『さよなら絶望先生』における原発と震災の描写(その2)

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その1からの続き)

 前回は3.11以前に『さよなら絶望先生』に出てきた原発ネタ(&放射性廃棄物ネタ)をご紹介しましたが、今回は震災ネタです。

 まずは15巻。コミックスの発行は2008年10月17日です。


 

 15巻に収録されている第150話『予言省告示』は、首都圏直下型大地震の「予言」を自分に都合のいい形で信じたり信じなかったりする登場人物たちをギャグとして描いています。

さよなら絶望先生_予言省告示2
(『さよなら絶望先生』15巻 136ページ)

さよなら絶望先生_予言省告示3
(『さよなら絶望先生』15巻 137ページ)


 首都圏に限らず、地震大国の日本ではどんな場所であろうとも大地震の可能性はあるわけで、だからこそ避難訓練というものが行われているわけですが、具体的に「いついつに大地震が来る」と“予言”してしまうと、それは注意の喚起ではなく「オカルト」になってしまい、ギャグ漫画のネタとして成立してしまう・・・という状況なわけです。
 「いつか必ず来るであろう大地震の可能性に留意する」というのは本来なら当たり前のことなのですが、それを具体的にイメージすることは「冷静さに欠ける」とか「非科学的」とか揶揄されてしまうという日本人の危うい感覚を、この話は思い出させてくれます。(作者にはそういう意図はなかったかもしれませんが。)

 また、この話は 「さすがに東京で大きな地震が起きれば雑誌の出版なんかないだろう」という前提で話が進んでいるのですが、実際に首都圏で大きな地震が起き、電車が止まり計画停電が騒がれても、ほとんどの都民は「いつも通りの生活」を強いられました。大人は仕事場に向かい、子供は学校に行かされたことは、皆様ご存じの通りです。発売が延期になった雑誌があったかどうかはちょっと記憶にないのですが(すみません)、大体の雑誌は予定通りに出版されていたのではないかと思います(違ってたらごめんなさい)。

 3.11で実際に震災に見舞われ、上記の話はギャグでは済まなくなってしまったはずのですが、震災から3年経った現在、地震に対する感覚は、どうなっているのでしょうか? 結局のところ、ほとんどの日本人は、3.11以前の感覚に戻ってしまっているのではないでしょうか? そうでなければ、なぜ、原発の再稼働を「やむなし」と考える人が大勢いるのか、理解できません。

 ちなみに、日本は地震だけでなく火山のリスクも高い国です。私が小学生の頃は、子供向け雑誌で、富士山大噴火ネタの記事を一年に一回は目にしていたように思います。そういう「いつ起こるかは分からないけれどいつかは起こるリスク」を「オカルト」とか「子供を怖がらせるだけのネタ」と見做し、まともに直視しない社会こそ、冷静さに欠ける態度だと思いますし、非科学的な思考だと私は思います。


その3に続く)


さよなら絶望先生(15) (少年マガジンコミックス) [コミック]


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