このドラマの感想は前回だけで終わらせるつもりだったのですが、最終回があまりにモヤモヤしたので、また感想を書きます。

 まんま『シャーロック・ホームズ』なシチュエーションはオマージュということで許せるとしても(オマージュにしては雑ですし、 ストーリー全体から見てクライマックスで「崖」を舞台にする必然性が全く見えませんし、そもそも火村がわざわざ崖に向かう理由がありませんが…。「そうか、俺に崖に来いというのか…。だが断る」でいいですよね、別に…。)、さんざん今まで引っ張ってきた「火村の中の殺人願望の有無の問題」を「ただの正当防衛」にしてしまったのは、さすがにどうなのでしょうか…?

 火村が銃の引き金を引くかどうかで、ドラマの初期から引っ張ってきた「殺人願望の有無の問題」が決着する…という状況がせっかく作られているのに、なぜかここで諸星が火村に銃を向けて“挑発”しまっているので、こんな状況下に置かれている火村が引き金を引くとしたら、その理由は「正当防衛」にしかなりえません。 火村の中に殺人願望が有ろうが無かろうが関係ないです。

 ドラマ全体(1クール分)を貫くテーマが「殺人願望の有無の問題」だったにもかかわらず、 クライマックスがコレっていうのは、あんまりです。全体としてはイマイチでも、1話1話の推理が面白かったのなら、まだ救いがありましたが、ミステリーとして雑な上に、心理ドラマもいい加減でした。(特にサイコパスの回。中途半端にプライドが高くて自己愛が強く、「惨めな将来像」に堪えられなかっただけのオッサンは、サイコパスとは言えません。)

 最終回でミステリーらしい所と言えば、3つのワイングラスのうちの一つに毒を入れるという、一種のロシアンルーレットですが、火村がやった「自分と諸星を引き分けにするためのトリック」は、毒が致死量ピッタリでなければ意味がありません。最初から致死量の倍以上の毒が入っていたら火村も諸星も死んでいました。普通、致死量ピッタリに毒を入れるなんてことは、しませんよね…? 確実に殺す(or死ぬ)つもりなら、念のために致死量の数倍の毒を入れるはずだと思うのですが…。
 諸星が異様に几帳面で、致死量ピッタリにしないと気が済まない性格だったのかもしれませんが、たとえそうだとしても、火村があの場で大人しくロシアンルーレットに従う理由がさっぱり分かりません。諸星が毒をドバドバ入れていたら意味がなくなる危険なトリックを一か八かでやるくらい「生きる事」に執着しているのであれば、岸辺露伴ばりに「だが断る」と突っぱねてもよかったはずです。諸星は火村を殺すチャンスがあるのにも関わらず、いちいち“挑発”してきているわけですから、その“挑発”に乗らなきゃいいだけの話です。

 火村と諸星の関係をミステリアスに演出することで、ドラマ全体を盛り上げようとした制作サイドの意図は分かるのですが、結果的に「挑発する人」-「挑発に乗る人」という関係しか最後に演出できていないところに、心理ドラマとしてのダメな部分が凝縮されているように思います。