世の中に溢れている情報(得にネット上)を精査するコツが提示されている本ですが、ジャーナリズムの在り方を理解する上で知っておかなければならない概念や、それが成立するに至った背景が書かれているので、将来報道に関わる仕事に就きたい人には必読です。

 特に重要なのはfairnesstruthfulnessの概念で、この概念を説明するために、著者はその背景にあるキリスト教文化にも話を拡げています。
 日本ではジャーナリズムにおける「フェア」とは「どっちつかずの中立の態度」とか「とりあえず賛否両論を併記」というイメージですが、本来「フェア」という概念はキリスト教の神が人間を裁く(judge)時の態度であり、神様が人間にするように「良い行い悪い行いもすべてを考慮してジャッジする」態度が「フェア」である…と著者は述べています。

 「数字が合っているか」「固有名詞が合っているか」などの「校正・校閲的な正しさはaccuracyであり、報道における正しさとは「どれほど神が知っている真実(truth)に近いか」という意味だそうです。

 慰安婦制度や南京大虐殺や七三一部隊を否定する論拠としてしばしば持ち出されるのがaccuracyですが、いくらaccuracy的な正誤を追及したところでtruthは変わらないわけで、truthから目を背ける手段としてaccuracyを持ち出すことをさも「中立的で冷静な議論」とする日本の風潮は詭弁であり、国際的に全く通用しないということが、この本を読んで理解できます。

 キリスト教的価値観が背景にある社会で生活していれば自然と身に付く概念や価値観が日本では身に付かないことによって生じる弊害には、単純なところなら「文学作品や映画作品に対するトンチンカンな解釈」レベルで済みますが、ジャーナリズムにおける勘違いや無理解はかなり深刻です。
 「キリスト教的価値観を知ること」と「聖書の内容を真に受けること」は全く違うのですが、日本では「キリスト教を理解しよう」という主張には後者を連想して反発してくる人が大半なので、たちが悪いです。