私が雑誌の「なかよし」を熱心に読んでいたのは、小学3年生から5年生にかけての頃だったのですが、読み始めたきっかけと、あまり熱心に読まなくなったきっかけは、今でもはっきり覚えています。

 読み始めたきっかけは、美内すずえ先生の『妖鬼妃伝』で、あまり熱心に読まなくなってしまったきっかけは、曽祢まさこ先生の『風の墓標』でした。

 …という書き方をすると、まるで『風の墓標』が面白くなかったから「なかよし」をへの情熱が失われてしまったかのようなニュアンスになってしまいますが、実際には全くの逆で、あまりにも心に響いたから、「なかよし」への情熱が急激に冷めてしまったのです。

 どういうことかと言うと、『風の墓標』は当時の「なかよし」ではかなり特殊な作品で、子供目線でも明らかに「なかよし」のカラーにそぐわない内容だったため、そんな『風の墓標』に心打たれた私は、「あ、自分はもう『なかよし』という雑誌の読者層から外れてしまっているんだな」と自覚してしまい、徐々に心が「なかよし」から離れることになってしまったのでした。

 具体的に『風の墓標』の特殊性を挙げてみると、以下の3点になります。 


①主人公もサブ主人公も少年で、ヒロイン不在。

②恋愛要素が皆無。

③舞台が海外。


 「なかよし」というと『キャンディ・キャンディ』が有名なので、「舞台が海外というのは珍しくないのでは…?」と思う方もいるのではないかと思いますが、私の「なかよし」を読んでいた当時の記憶で、舞台が海外の作品というと、思い出せるのはいがらしゆみこ先生の『ティム・ティム・サーカス』、原ちえこ先生の『風のソナタ』、松本洋子先生の『黒の〇〇』シリーズ(『黒の輪舞』『黒の組曲』『黒の迷宮』)くらいのものです。(ちなみに、松本洋子先生の作品で舞台が海外というと『シンデレラ特急』もありますが、「日本人の女の子が海外に行く」という設定なので、主人公は日本人です。)
 あと、海外が舞台の漫画で印象に残っているのは、さこう栄先生の『夜明けの吸血鬼』なのですが、確かこの作品が掲載されたのは「なかよしデラックス」の方でした。

 『風の墓標』が掲載されていた時の「なかよし」のラインナップは、メディア芸術データベースで確認できますが(雑誌巻号:なかよし 1983/09/01 表示号数9)、この号の「なかよし」では、海外が舞台となっている作品は『風の墓標』だけです。


 『風の墓標』は、講談社漫画文庫の『曽祢まさこ短編集—ブローニィ家の悲劇』(Kindle版あり)に収録されているのですが、その短編集のあとがきで、曽祢先生は『風の墓標』について《この話は「なかよし」の読者にはむずかしかったらしく、反応(ファン・レター)がぜんぜんなくて少し悲しかった》…と語っており、リアルタイムで「なかよし」で読んでいた自分は申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。(そうだと知っていれば、ファンレターを書いたのですが…。曽祢先生、ごめんなさい…。)

 曽祢先生は、『風の墓標』が読者に受けなかった理由を「むずかしかった」からだとおっしゃっていますが、少なくとも当時小学生だった私にとっては、難しかったのはタイトルだけで(私が「墓標」という言葉を初めて知ったのはこの作品です)、ストーリーはちゃんと理解できました。
 むしろ私にとって問題だったのは、「何にどう感動したのか言葉で説明できなかった」ということで、ファンレターが全く来なかった最大の理由はそこにあると、私は思っています。
 今だったら、「過ぎ去った時間と失われた命は取り戻せない」というテーマが衝撃的だったと説明できますが、小学生だった自分には、その一文が頭に浮かんで来なかったんです。

 そして、読者に受けなかった理由の可能性としてもう一つ考えられるのは、萩尾望都先生の『トーマの心臓』の影響が見られるせいで、萩尾ファンから顰蹙を買ったのではないか…ということです。
 アルビンというキャラクターの雰囲気があまりにもオスカーに似ている上に、ボビィというキャラクターの外見と「委員長」という肩書がまんまユリスモールで、どう考えても偶然ではなく、意図的に『トーマの心臓』を意識したキャラメイクになっています。
 ストーリーもキャラクターの背景も全く違うので、オマージュのレベルではあるのですが、「キャラクターの外見や雰囲気が似ている」「主人公(リロイ)とサブ主人公(アルビン)の2人が寄宿学校に通っている」という設定だけで、『トーマの心臓』を知っている当時の読者から相当な反感を買ったことは、想像に難くありません。(ちなみに、当時の私は、萩尾作品は一つも読んでおらず、『トーマの心臓』はタイトルすら知りませんでした。)
 おそらく、曽祢先生からすれば「分かる人だけに分かるちょっとした悪戯」程度の意識だったのかもしれませんが、魔夜峰央先生が『ラシャーヌ!』の中で『ポーの一族』のエドガーとアランを登場させたような感じで、脇役の中に「そっくさん」が登場する程度だったのならともかく(ちなみに『ラシャーヌ!』に描き込まれているエドガーとアランは後ろ姿のみです)、サブ主人公であるアルビンがオスカーに似ているというのは、ちょっとやりすぎでした。
 せめてアルビンの髪型を変えていれば、萩尾ファンから反感を買うことはなかったはずなのに…と思うと、残念でなりません。