その①からの続き)


 その①の方で、「あかりの精神年齢が幼すぎる」と書きましたが、 どれくらい幼いのかというと『マリと子犬の物語』の彩と同じレベルです。14歳の中学生のくせに、幼稚園児並のメンタリティなんです。

 自分の誕生日にお父さんがなかなか帰ってこないからってふてくされるわ(残業の多い仕事をしているのなら、11時帰宅なんてよくあるレベルなんじゃないの)、犬を飼うことの覚悟が全くできてないわ(「10の約束」ちゃんと理解してないじゃん)、犬を入れちゃいけない場所(病院と寮)に入れておいてなんの後ろめたさも感じてないわ(「犬は家族だからペットじゃない」?はぁ?他人から見たら犬は犬でしかないよ)、家事をほとんど父親任せにするわ(せめて半分は分担しろよ)、父親の仕事を全く理解しようとしないわ(誰に食わせてもらってるんだか分かってんの)、見ていてイラつくことこの上ないです。

 あかりが幼稚園児か小学校低学年という設定なら無理のないストーリーになったはずなに、なぜ、14歳の中学生という設定にしてしまったのでしょうか?答えは、おそらく、田中麗奈と福田麻由子をセットで使いたかったからという、ただそれだけの理由なのではないかと思っています。(私の単なる想像に過ぎませんが…。)大事なのは、大人時代の主人公を田中麗奈、子供時代の主人公を福田麻由子にキャスティングすることであり、内容なんてどうでも良かったってことなのではないでしょうか。
 福田麻由子を使うと決まった時点で、「あかりは中学生」という設定にならざるをえまん。田中麗奈は、メイクによっては10代後半で充分通用するわけですから、子供時代のあかりを8歳くらい、ソックスが死ぬ頃の年齢を18歳くらいにしておけば、無理のない映画になったのに…もったいないことをしたものです。

 田中麗奈も、福田麻由子も、演技は文句無しに上手いんです。演技は。でも、あのキャラの精神年齢に対する田中麗奈と福田麻由子の実年齢に、ギャップがありすぎたんです。もし、脚本がある程度先にできていて、後からキャスティングが決まったのだとしたら、これは完全にミスキャストです。(逆に、最初からキャスティングが決まっていて、後から脚本を書いたのだとしたら、脚本家がダメすぎます。)

 もう一人ミスキャストに感じたのが、あかりのボーイフレンド(=星)役の加瀬亮。

 どう見ても田中麗奈と同い年には見えません

 いったい星くんはどんだけフランスで苦労したんですか あの老け方は半端じゃありません 再会した幼馴染があんな老け方をしていたら、懐かしがるより先に、健康状態が心配になります

 あと、気になったのが、あかりの友達(=ゆうこ)役の、池脇千鶴。

 脇役なのに存在感ありすぎ

 田中麗奈と一緒に歩いているシーンだけ見た人がいたら、かなりの確率で池脇千鶴の方を主人公だと思っちゃいますよ

 脇役なのに存在感がありすぎな人といえば、他にも岸辺一徳とか笹野高史とかピエール瀧なんかもいます。ピエール瀧は、ラストで面白いことをやらかしてくれるからまだいいんですけど、岸辺一徳と笹野高史は、「後で何かでっかいことをしてくれるんじゃ…」と期待させておきながらナンも無し。ならもっと存在感のない俳優さんをキャスティングすればいいのに…。『マリと子犬の物語』に出ていた脇役の人達は、いい具合に存在感がなかったのになぁ褒めてます、一応…)

 俳優さんたちには、全く落ち度はないんです。演技は抜群に上手いんです。でも、キャスティングがストーリーにマッチしてないんです。あかりの父親役の豊川悦司はバッチリはまってたし、だんだん老けてゆく様は見ものなんですけどねぇ…。

 あと、演出上、大ポカをやらかしているシーンが一箇所あります。あるシーンから次のシーンに切り替わった途端に、ソックス(子犬の方)が成長して大きくなってしまっているんです。それなのに、次のシーンでは、また元の大きさに戻っているという…。
 おそらく、この3つのシーンの真ん中だけロケを後回ししたか、もしくは別の個体の子犬を使っていたのでしょう。犬が好きな人にはかなりガッカリなシーンです。この程度の違いならバレないとでも思ったのでしょうけど…
 ロケの順番は俳優さんのスケジュールとか天候の都合があるから仕方ないにしても、あのシーンなら、カメラワークとか編集をちょっと工夫すれば、犬の大きさくらいごまかせたはずなのに…。手を抜くにもほどがあります

 あと、犬が好きな人にはがっかりな部分といえば、見過ごせないのは、この映画は「犬をかわいがること」と「甘やかすこと」の区別が全くついていないことです。そのせいで、ソックスのしつけというものが全くできていないんです。
 日本は「犬のしつけ」と「調教」の区別がいまいちついていないせいで、どうしても「しつけ=犬がかわいそう」というイメージが働きがちなのですが、しつけと調教は全然別物です。
 あかりがソックスに一張羅を汚されたシーンであかりがやたらに怒っていましたが、これはソックスが悪いわけではなく、ちゃんとしつけていない飼い主のせいです。ソックスがテーブルに足をかけているシーンもそう。悪いのはソックスではなく、ちゃんとしつけていない飼い主の方です。
 あかりが自分の気分だけでソックスを家の中に入れたり庭に追い出したりしていましたが、これは、犬のしつけとしては最悪です。一度外で飼うと決めたなら、ずっと外で飼うべきです。

 「犬は友達(あるいは家族)だから、しつけなんていらない」という主義の飼い主の方ももちろん世の中にはおられます。当人がそれで納得しているのであれば、それを否定するつもりは毛頭ありません。 
 ですが、この映画では、あかりとソックスは同等ではないのです。「ハウス!」と命令しているシーンが、それを如実に表しています。自分の機嫌の悪いときだけ「外に行け!」と命令するなんて、友達でも家族でもありません。主従関係以外の何物でもありません。
 あかりとソックスが同等であるのなら、ソックスが何をしでかしても、あかりは怒るべきではありません。家に上がりこもうと、テーブルにあるものを勝手に食べようと、服を汚そうと、一切怒るべきではありません。だって、しつけてないんですから。

 犬のしつけというのは、「人間と一緒に暮らす上での最低限のマナーを犬に守らせる」ということです。金魚やハムスターのように完全に隔離されて飼われているペットと違い、犬と人間は生活範囲がどうしても被ってしまうわけですから、共同生活する上でのマナーを守ることは、重要です。犬にとっても、人間にとっても、です。

 「犬が人間に対して守るべきマナー」を覚えさせるのが「しつけ」であるのに対し、「人間が犬に対して守るべきマナー」を教えてくれているのが『犬の10戒』なんです。そのことが、この映画では完全に無視されているんです。

 映画の表向きのテーマが「犬を飼う上での約束」なのに、蓋を開けてみたら実際のテーマが「あかりの自立」になってしまっているのは、脚本家が『犬の10戒』というものの存在の意義を全く理解していないせいだと思います。