<「朕は災難である」 4>

 ムハンマドからイラン北部の山岳地帯に移動するように勧告されていたトルケン太后は一族を連れてイラン北部へと出奔しイラール城塞に立て籠りましたが、この冬は異常に降水が少なく、水不足で降伏の止むなきに至りました。
 降伏したトルケン太后はモンゴル草原に連行され、馬糞を売りながら十三年生き続けました。

 ジェベとスボダイが進駐したライの街では市民の間で激しい宗教対立が起こり、イスラム教徒の宗派争いが理解できないジェベは加害者と思われる一派を処刑した後、「同宗の信者を裏切る連中は信用できない」と訴え出た宗派も全員処刑したため、ライの街では宗派争いはなくなりましたが都市そのものも衰退し、北隣のテヘランに代わりました。
………続く。


 トルケン太后はさすがに誰かの妾にはなれなかったようで…。遊牧生活の中で女一人で生きていこうと思ったら、馬糞を売るくらいしか生活のすべがないのか…。哀しい現実ですね

 イスラム教徒の宗派争いというと、いわゆるスンニー派とかシーア派とかの対立でしょうか?シャーマニズムを信奉している民族からしたら、たしかに同宗による宗派争いは理解しかねますねぇ