手塚治虫先生の作品で、雑誌掲載時にリアルタイムで読んで唯一はっきりと覚えているものは、1985年に「月刊少年ジャンプ」に掲載された『1985年への出発』という読み切り作品です。(またま手に取った雑誌で『三つ目がとおる』を見かけた記憶もうっすらあるのですが、きちんとは読んでいません。)

 当時、「週刊少年ジャンプ」は定期的に読んでいましたが、「月刊少年ジャンプ」の方は時々しか読んでおらず、《あの手塚治虫の新作が月刊ジャンプに登場!》的な広告が「週刊少年ジャンプ」の方にかなり大きく掲載されたため、当時『火の鳥』が大好きだった私は「手塚先生の新作!? これは読まなければ!」と意気込んでわくわくしながら「月刊少年ジャンプ」を手に取ったのです。

 …ですが、読み終わった時に当時の私が感じたのは「物足りなさ」でした。ストレートに戦争反対をテーマにしすぎていて説教臭い上に、タイムスリップネタなのにSF的な面白さがなく、一言でいうと「エンターテインメント性に欠けている」と感じたのです。

 そのエンターテインメント性のなさゆえのせいか、手塚治虫の作品集になかなか収録されておらず、再読する機会を得たのは30年以上経ってからのことでした。

 私が確認できた限りでは、以下の本に収録されています。





 30年以上経って改めて読み直して、愕然としたのは、塚先生が80年代に抱いていた危機感に近いものを現在の自分も感じている事でした。当時の自分が中学1年生だったということを差し引いても、「エンターテインメント性」という視点だけでしかこの作品を読んいなかったことに、「なんて愚かだったんだろう」と反省することしきりでした。  ちなみ当時は、私の年代では既に手塚先生といえば大御所を通り過ぎてすっかり「過去の人」という認識が蔓延しており、『アドルフに告ぐ』レベルの重厚なテーマの作品をピンポイントで挙げずに漠然と「手塚治虫の漫画が好き」と言おうものなら、「趣味が古い」だの「幼稚」だのと言われる傾向がありました。(手塚治虫というと『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』等のアニメのイメージが強かったからでしょう。)

 特別に手塚ファンというわけではない読者の認識は一般的にはそんな感じでしたから、手塚ファンである私が『1985年の旅立ち』をつまらなく感じたのであれば、手塚ファンではない読者は尚更つまらなかったはずで、「読んだのに記憶に残っていない」という人もかなり多いのではないかと思います。

 …ですが、『1985年への出発』は、発表当時に“若者”だった人にこそ読んでほしい作品です。1985年という時代が既に30年以上も昔となっているので、ストーリー上では「現代」となっている部分も「過去を振り返る視点」で読むことになるため、1985年という時代を知らない世代よりも、知っている世代の方が味わい深く読めます。
 きっと、「1985年という時代を過ごしてきた自分」と「現在の自分」の価値観の違いや、日本社会の変化というものに、思いを馳せるきっかけになると思います。