6年程前、AKB48の峰岸みなみさんの「丸刈り謝罪」がYoutubeにアップされて物議をかもした時、Twitter上で「海外では女性の丸刈りはナチスを連想させる」との指摘があり、そのツイートを見て私は初めてナチスと丸刈りの関係を知りました。

 あの時の騒動から何年も経ち、偶然図書館で見つけて、再び「丸刈り謝罪」を思い出すきっかけとなったのが、『丸刈りにされた女たち――「ドイツ兵の恋人」の戦後を辿る旅 』という本でした。



 第二次大戦中にドイツ兵と通じたフランス人女性に対して行われた「丸刈り」というみせしめに対して、著者が留学中に色々と調べたことが述べられており、「女性の丸刈り=ナチス」という感覚に疎い日本人にとっては、とても意義のある本だと思いましたし、読んで良かったとも思いました。
 …が、気になった点がいくつかあったので、辛口になってしまいますが、指摘しておきたいと思います。


・構成がレポートとして中途半端。
・著者が研究者としての「欲目」を自覚していない。
・「丸刈り」という見せしめ行為は、「やられた側」ではなく「やった側」を追究すべきなのに、「やられた側」ばかり追究している。
・丸刈りにされたフランス人女性は「ドイツ兵と愛し合った」という不貞を咎められたパターンと、密告などの“売国”行為を咎められたパターンがあるのに、ほぼ前者しか扱っていない。



 それでは、個別に詳しく書いていきたいと思います。

【構成がレポートとして中途半端】
 この本はルポルタージュでも研究書でもなく、体裁としてはレポート風であり、滞在記に近い内容です。
 そのため、本のタイトルも『丸刈りにされた女たち――「ドイツ兵の恋人」の戦後を辿る旅 』という微妙な表現になっており、このタイトルでは、ノンフィクションだということは察することはできても、ルポなのか研究書なのか滞在記なのかは、読んでみないと判断がつきません。
 私の個人的な印象としては、おそらく著者は構想段階ではルポか研究書にする意気込みがあったのではないかと感じるのですが、思ったように調査が進まず、しかし「自分の留学を意義のあるものにしたい」という著者の個人的な事情があるため、やむなく滞在記寄りの内容にして出版に踏み切ったのでは? …と思えました。
 タイトルに嘘はないので、良心的といえば良心的と言えますが…。

【著者が研究者としての「欲目」を自覚していない】
 ここでいう「研究者としての欲目」とは、上記で指摘した「自分の留学を意義のあるものにしたい」という著者の個人的な事情を指します。
 著者としては、ルポでも研究書でもなく滞在記寄りのレポートという構成になってしまったのは、不本意であり苦肉の策だったろうとは思いますが、「思ったように調査が進まなかったけど、せっかくここまでリソースを割いたのだから、本にしなければもったいない」という考えだったのだとしたら、それは「傲慢なもったいない精神」であり、その「注いだリソースを無駄にしたくない」という気持ちはとてもよく分かるのですが、そこに内在する「研究者としての傲慢さ」を著者が自覚していないのであるとしたら、第二次世界大戦という「ごく最近の出来事」を研究している立場の者としては、ちょっと配慮が欠けているのでは…と感じざるをえません。
 なにせ著者が調査の対象としている「丸刈りの被害者」は存命中なのですから、調査対象としてターゲットにされる側から見れば、研究者がどんなに人間的に優れた人物であり、崇高な目的で研究をしていたとしても、「自分の研究を意義のあるものにしなければならない」という研究者の個人的な事情などというものは、傲慢さとしか感じないと思うのです。
 これは、良い悪いの話ではなく、研究者やジャーナリストやルポライターに必ず付随する問題であり、そういう立場の人が必ずぶつかることなので、立場上必然的に発生する「傲慢なもったいない精神」を完璧に消し去れなどという無茶な要望をするつもりは毛頭ないのですが、「自分は“傲慢なもったいない精神”がどうしても発生する立場である」という自覚は必要だと思うのです。…そして、私の個人的な印象としては、著者の藤森氏は、その自覚はあまりないように感じるのです。

【「丸刈り」という見せしめ行為は、「やられた側」ではなく「やった側」を追究すべきなのに、「やられた側」ばかり追究している】
 見せしめという行為の「加害者側の責任」よりも、「被害者」の方ばかり注目すれば、それは「可哀相な人が頑張って生き抜いた感動の物語」に集約されるに決まっているのですから、例えればそれは「感動ポルノ」における障害者のポジションに丸刈りの被害者を置き換えたようなものです。(あまりいい例えではなくて申し訳ありません。)
 被害者に会おうとして手紙を書きまくっている作者に対して否定的なフランス人が多かったのは、被害者の声を拾っても「感動ポルノ的なもの」にしかならないことが分かっているからだと思うのですが、作者は気に留めていません。
 一応、作者も「やった側」への追究の甘さは自覚しており、あとがきでちらっと触れているので、おそらくは構想段階ではちゃんと「やった側」を追究する意気込みはあったのだと思われますが、力が及ばず、それでも「自分の留学を意義のあるものにするため」に出版に踏み切ったということなのでしょう。
 そしてその判断は、先に指摘した「傲慢なもったいない精神」に繋がっています。

【丸刈りにされたフランス人女性は「ドイツ兵と愛し合った」という不貞を咎められたパターンと、密告などの“売国”行為を咎められたパターンがあるのに、ほぼ前者しか扱っていない】
 「不貞を咎められたパターン」と「“売国”行為を咎められたパターン」をきっちり分けた上で、それぞれを個別に論じるべきところを、ほぼ前者しか扱っていないため、結果的にごっちゃにしているのと変わりない印象になってしまっており、これでは双方の女性に対してあまりにも失礼です。
 前者(=不貞)を理由に丸刈りにされた女性からしてみれば「国家を裏切っていない」という誇りがあり、後者(=売国)を理由に丸刈りにされた女性にしてみれば「心は売り渡していない」という誇りがあるはずなわけで、ここはしっかりと配慮すべきところだったのではないでしょうか?

 あまりにも厳しい意見を書いてしまいましたが、読む価値がないということではなく、価値があるからこそ、残念な部分があることがとてつもなく惜しいと思い、このような長々とした記事を書くに至りましたことをご容赦下さい。