前回の記事では、「傲慢なもったいない精神」ということで、少々厳しめのレビューを書きましたが、今回も似た方向性でかなり厳しめのレビューを書きます。





 写真集に厳しめのレビューというのもおかしな話ですが、この本で指摘しておきたいポイントは

・昭和という時代を知る上で誤解しかねない表現(あえてモノクロ)をしている
・かつてボツにした写真の有効活用するために、後付けでコンセプトを打ち出している
・「東京下町」を前面に出す必然性が弱すぎる 


 …の3点です。

 まず1点目ですが、この本は昭和56~58年に撮影した商店の写真と、同じ場所を2000年代に撮り直した写真を上下に並べて掲載しており、1ページの中で20年という歳月を感じられるような構成になっっているのですが、昭和50年代といえばカラー写真が主流なのに、敢えてモノクロ写真になっているため、平成生まれ以降の世代は「昭和50年代はモノクロ写真が主流だった」と誤解しかねません。
 なぜ、あえてモノクロ写真なのかといえば、もちろん、「昭和50年代でもまだこんな懐かしい建物が残っていました」とのメッセージを込め、郷愁を誘うという狙いなのは明白なのですが、その狙いが伝わらず、純粋にただの記録写真としか認識できない世代がこれからどんどん増えてきます。
 「昭和50年代」も「戦前」もひとくくりで「昭和」という認識で、「懐かしさ」など感じようもない世代の読者がはたしてこの本をどう認識するかを考慮していないのは、本が長く残るメディアだということをあまり意識していないのかな…?と感じます。

 次に2点目です。
 あとがきによると、この写真集に収録されている写真は、『下町残照』という写真集で取り上げなかった写真なのだそうで、つまり、意地悪な言い方をすれば、「かつてボツにした写真を有効活用する上手いアイデアを思いついた」から出版したということです。
 撮影者側のこういう事情が透けて見えるのは、「被写体側の目線」(そこを生活の場にしている住民)を持つ読者には不快ですし、作者の言う下町が品川・荒川・隅田・中央・千代田・文京・港・足立・台東区の9区であり、江東区・葛飾区・江戸川区が抜け落ちているあたり、著者の「ご都合」が優先される何らかの事情(おそらくは単に交通の便である可能性が大)があり、「失われてゆくこと・忘れ去られてゆくことの危機感」の本気度があまり感じられません。
 2000年代ならまだこの手の商店は小岩や金町あたりなら残っていましたが、その時にきちんと危機感を持って撮影しておいたのでしょうか? 仮に撮影してあるとして、その「記録」は現在、どうなっているのでしょうか? 2020年以降、同じコンセプトでまた「再利用」するために、「とりあえず保管」なのでしょうか?
 後になって「失われてゆく物・忘れ去られてゆく物」へ想いを馳せたい…なんていう事情は、「見る側」にとってはエンタメですが、「見られる側」にとっては失礼極まりないわけで、たとえ写真の中に自分が写り込んでいるわけではなくても、撮影場所が「自分の郷土」だと感じる人にとっては、「他人を懐かしがらせるためにそこで生活しているわけじゃない」と言いたくもなります。
 もちろん、写真に写ることが嬉しい人もいるでしょうけど、もし、撮影者が「写真に写してもらえれば誰もが嬉しく思うに違いない」と当然のように思っているとしたら、その考え方にはかなり問題があるでしょう。

 最後に3点目です。
 昭和50年代に撮影された古い写真と、2000年代の新しい(今となってはそう新しくもないですが)写真を並べるという方法はいいとして、そこから導き出される「20年という歳月による変化」は、別段「東京下町ならでは」のものではありません。廃業した店舗の跡地が駐車場やビルやマンションになるのは、全国共通の傾向です。
 2000年代に撮影された建物が東京下町特有のものではないのは言わずもがなですが(ただし、遠くから街並を眺めている構図の写真なら別です)、昭和50年代に撮影されている建物(ほとんどは商店)のデザインが東京特有のもの(例えば、看板建築であるとか)であるのなら、建築学的に解説しなければ読者には「どのへんに東京っぽさがあるのか」が正確には伝わりません。
 昭和50年代に撮影されている建物(商店)のデザインに、なんとなく「東京っぽさ」を感じて懐かしがることができる読者というのは、「昭和50年代に地方と東京を行き来したことのある人」だけです。ずっと東京下町に住んでいる人はそこにある建物が「東京下町ならでは」とは思いませんし(超有名店なら別ですが)、ずっと東京以外に住んでいる人には「自分の中から自然と湧き上がってくる懐かしさ」などあるはずがなく、外因的に「ノスタルジア」が引き起こされているにすぎません。例えればそれは、竹久夢二の絵に現代人が「大正エレジー」を感じるのと同じような仕組みなわけで、その感情が大正生まれの人と同じということは決してありません。

 かなりきついレビューを書いてしまいましたが、私が言いたいのは、写真のクオリティに関することではなく、「写真集としてのコンセプト」です。一枚一枚の写真は好きでも、写真集としてのコンセプトに納得できない場合もある…ということで、厳しいレビューを書かせて頂きました。