芸能ニュースにはほとんど興味がないのですが、一時期、あまりにも東出昌大氏の不倫ニュースが大きく取り上げられすぎていて、「そういえば、不倫がテーマのドラマに出てたなぁ」なんてことを思い出したので、東出氏が出演していたドラマの原作漫画の感想を書くことにしました。

 実はドラマの方が全く観ていなくて、原作漫画が完結した時に原作を一気読みし、その時に「ドラマ版はどんなだったのかなぁ」と気になって配役をチェックしたので、知っているのは配役だけです。ドラマ版の方のストーリーは本当に全く知らないので、ご了承下さい。






 この作品は、主人公の「美都」が、元彼の「光軌」と再会し、W不倫の関係になってしまう…というストーリーで、ドラマ版で東出氏が演じていたのは美都の夫の「涼太」であり、つまり、妻に浮気をされてしまう夫の役なので、のちに私生活の方で不倫をやらかしてしまうとは、何とも皮肉な話です。

 のっけから「不倫に何の罪悪感も湧かない不誠実さ」を前面に出したシチュエーションであるため、美都にも光軌にも同情できない流れとなっており、特に私が嫌悪感を持ったのは、W不倫という状況よりも、「出産は命懸けの行為という認識がない美都と光軌の無知蒙昧さと想像力の欠如」の方でした。
 光軌が妻帯者であり、妻が出産で里帰り中であることを美都が知るのは、二人が肉体関係を持ってしまった後なのですが、光軌が「妻の里帰り中に浮気するようクズ」だと判明しても、「自らも既婚者であることを隠していたのだから対等な関係(=共犯関係)」と考えて嬉しがり、それに加え、「自分には子供がいないから恋愛においてはアドバンテージがある(=自分は子供の存在や妊娠をダシにして男を縛らない女である)」と思っているようなところもあり、かなり意図的に美都というキャラは「読者から嫌われること」を前提にした描写がなされています。

 美都が徹底的に「嫌われキャラ」として一貫性のある描かれ方をされているのであれば、一種の「悪女モノ」として割り切って読むこともできるのですが、問題は、美都の夫の涼太の描写です。
 中盤で、美都が光軌の子を妊娠したと思い込む(実際にはただ生理が遅れていただけですが)という展開があるのですが、美都の妊娠に対して涼太は怒るどころか、美都の全てを赦し、お腹の子供を愛せると断言し、離婚を拒否します。
 涼太の母親はクリスチャンで、父親も洗礼を受けているので、涼太の「赦し」はキリスト教の「無償の愛」の概念の影響を受けたものだと解釈すれば、何らおかしな行動ではないのですが、漫画表現的には涼太の「寛容さ」は「狂気」のような扱いになっており、美都は涼太の価値観を理解できずに「拒否感」を抱きます。
 ここの部分で、読者が美都に僅かながらにでも同情するようにリードされているのは明らかで、つまりは美都を「嫌われキャラ」として一貫性を持たせることを放棄してしまっています。
 「涼太の母親はクリスチャンで、父親も洗礼を受けている」という設定など入れなければ、涼太の「ヤンデレ」っぷりはもっと徹底できたのに、なぜ、余計な設定を入れてしまったのか、理解に苦しみます。「涼太のキリスト教的価値観を理解できない美都の愚かさ」を強調することで美都の「嫌われキャラ」度を強化する方向性ならともかく、読者が美都に同情するようにリードする演出にしてしまったのは、私には失敗としか思えません。

 もう一つ、この作品で解せなのは、ラストで光軌が「子供への愛」を盾にして「離婚の回避」に成功してしまっていることです。美都の方は涼太とは結局離婚してしまうので、これで光軌まで離婚してしまうと物語の後味があまりにも悪くなってしまうという判断があったのかもしれませんが、「子供への愛」を盾にして「離婚を回避」するのを「卑怯者」というニュアンスではなく「娘を溺愛する健気なお父さん」として描いてしまうのは、あまりにも「やったもん勝ち」すぎます。そもそもそんなに娘を溺愛しているのなら、最初から娘に顔向けできないこと(=不倫)なんかすんなよって話です。
 「子供への愛」を盾にすれば「離婚を回避」できると「学んで」しまった光軌は、もはや恐いものなしで、いくらでも浮気を繰り返せるということになってしまいます。物語の冒頭から「子供の誕生」が「浮気心のストッパー」になっていないというのに、「子供への愛」で「浮気の罪」を相殺できることにしてしまうというオチは、私には矛盾としか思えないのですが、「光軌が父親としての自覚を持つようになる成長物語」という解釈にすれば、ギリギリ評価できなくもないとはいえ、仮にそういうことにすると子供のいない美都は何の成長もないわけで(実際に何も成長していません)、物語としての完成度はやはり「残念な出来」という感想にしかなりません。
 ドラマ版の方の完成度は、果たしてどうだったのでしょうか…?