更紗のタペストリー(L)

auoneblogから引っ越してきました。 主に、アート・書籍・音楽・映画などについて語ってるブログです。 もうひとつのブログ(http://sarasata.seesaa.net/)では、日経新聞の連載小説の感想を綴っています。

映画

映画『そして父になる』

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 かなり久しぶりの映画レビューです。上映会の券が当たったので、『そして父になる』を観てきました。 

 観終わって真っ先に思ったのは、「観る人によって評価がかなり分かれる映画だろうな・・・」という事でした。鑑賞者が既婚者なのか独身者なのか、子供がいるのかどうか、男なのか女なのか・・・等々。

 野々宮家(福山雅治&尾野真千子)は「子供にとって楽しくない家」であり、斉木家(リリー・フランキー&真木よう子)は「子供にとって楽しい家」として描写されているのですが、この部分に不快感を示す人がかなりいるのではないかと思ったので、この部分に関して、ちょっと長めに感想を書かせて頂きます。

 恐らく、野々宮家が「子供にとって楽しくない家」である理由を「一人っ子家庭だから」として解釈した人は多いのではないかと思いますが、私の解釈は違います。野々宮家が「子供にとって楽しくない家」であるのは、そこが「夫にとって居心地のいい場所」として用意されているからです。つまり、野々宮家は「夫中心の家庭」なのです。
 そういう家庭をセッティングしているのは、もちろん妻です。野々宮家では、妻が、夫のために最高の働きをしているというわけです。育児にしても同じで、妻は、「夫が満足するかどうか」を優先して子育てしています。

 一方の斉木家は、「子供にとって居心地のいい場所」です。つまり、斉木家は「子供中心の家庭」なのです。しかも、そういう家庭をセッティングしているのは、夫と妻の両方です。妻だけがそうしようと思っているわけではないのです。

 「夫(父親)にとって居心地のいい場所」と「子供にとって居心地のいい場所」のどちらを選ぶかと子供に問えば、当然、「子供にとって居心地のいい場所」に決まっています。野々宮家が一人っ子で、斉木家が三人兄弟であるなんてことは、この映画では重大な違いではないのです。

 野々宮家の妻と斉木家の妻が仲良くなるシーンを、ただ単に「女同士だから」と解釈した人も多いかと思いますが、ここも私の解釈は違います。二人が仲良くなったのは、双方に「家庭に尽くしている」という自負があり、「夫のために苦労している」という共通部分があるからです。

 二人ともよく出来た妻すぎて、夫への不満を口にしているシーンなどほとんどありませんが(全くないわけではありません)、仕事で忙しい夫のために家事と育児を一身に負っている野々宮家の妻と、夫の稼ぎでは生活できずにパートで働いている斉木家の妻に、夫への不満がないはずがなく、二人にとっては夫という存在は「共通の敵」といってもいいくらいなのです。(とはいっても、双方とも「よく出来た妻」なので、夫婦関係が壊れるほど夫に不満を言うことはしません。)

 そういう部分を考慮すれば、この映画は「お金で幸せは買えない」とか「貧乏でも子沢山であれば幸せ」などというテーマなわけではなく、「夫婦関係の有り方・家族の有り方」を問うているということが見えてくるのではないかと思います。決して、野々宮家の有り方が「間違って」いて、斉木家の有り方が「正しい」としているわけではないのです。

 野々宮家の有り方が否定されているように見えてしまうのは、「子供目線の判断」を重視して物語が進んでいるからに他なりません。野々宮家の夫が、「父親としての自分の有り方」を反省したのは、「小学一年生の息子の判断」を通して父親としての自分を顧みたからであって、これがもし、息子の年齢が二十歳とか三十歳とかだったら、ストーリーは全然違ってしまったはずです。
 「小学一年生の息子」という設定があってこそ、この映画がこういうストーリーなのだということを念頭に置かないと、ただ単に「仕事に打ち込む夫(父親)を全否定する映画」という評価になりかねないので、ここは注意しなければならない点なのではないかと思いました。


そして父になる Blu-rayスタンダード・エディション
福山雅治
アミューズソフトエンタテインメント
2014-04-23

 

アニメ『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』

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 前回の記事では小説版の『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』について書きましたが、今回はアニメ版です。
 アニメ版には劇場版とテレビ版があり、劇場版はDVD化されています。両方とも制作はイギリスです。
 テレビアニメ版はDVD化されていないようなのですが、劇場版はDVD化されています。(劇場版のアニメのタイトルは『・』が抜けて『ウォーターシップダウンのうさぎたち』になっています。)

ウォーターシップダウンのうさぎたち コレクターズ・エディション [DVD]
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 劇場版は大体原作通りの内容になっていますが、テレビ版は結構アレンジが入っています。原作ではオスだったキャラがメスになっていたり、原作では影が薄かったキャラの活躍の場が増えたりしています。どうやら、視聴者が原作を知っていることを前提に話が作られているようで、序盤は説明不足の感が否めず、原作を知らない人は第1話で見る気を失ってしまう可能性がありますが、原作を知っている人なら、原作との違いを見つける楽しみがあります。(改悪だと感じる方もいるかもしれませんが、私は悪くないアレンジだと思いました。)

 劇場版もテレビ版も、絵柄はあまり可愛くありません。原作の方でうさぎが擬人化された描写になっていないため、アニメ版もそれに合わせて制作したと思われます。
 テレビ版は、多少、ディズニーっぽいタッチになっていて、それなりに見やすい絵柄なのですが、劇場版はかなりキツいです。

 ↓テレビ版は、こんな感じです。



 ↓劇場版は、怖いシーンばかり集めた動画がありました。



 ↑この映像だけ見ると「どんだけバイオレンスなアニメなんだ」と思われるかもしれませんが、全編を通して観れば、ただ残酷なだけのアニメではないとお分かりいただけると思いますので、これからDVDでご覧になる方は、挫折しないで最後までご覧になってみて下さい。

 私は劇場版はレンタルで観たので、劇場に直接足を運んではいないのですが、古本市で偶然見つけた劇場版のパンフレットを持っています。

ウォータシップダウン・パンフ

 日本語版の監修を、ムツゴロウさんこと畑正憲氏が担当されている関係で、このパンフレットには、畑正憲氏と手塚治虫先生の対談が掲載されています。

ウォータシップダウン・パンフ・対談

 対談のページには、畑正憲氏と手塚治虫先生のイラストが掲載されています。

ウォータシップダウン・パンフ・畑
 

ウォータシップダウン・パンフ・手塚


 劇場版の主題歌は「サイモン&ガーファンクル」のアート・ガーファンクルによる『BRIGHT EYES』で、私はこの曲が大好きなのですが、長くなるので、別途で記事にします。

映画『超電王トリロジー 派遣イマジンはNEWトラル』 

 『超電王トリロジー』第二弾の、『派遣イマジンはNEWトラル』を観てきました。

 前作の『ゼロのスタートウィンクル』よりも楽しい内容でした 大人の観客には少々ボリューム不足に感じられますが、子供だったらこれくらいが丁度いいと思います。

 …とは言っても、前作も今作も、ターゲットにされている客層は、明らかに大人の女性ですね 前作はモロに「愛理と侑斗の間の微妙な距離感」がストーリーの主軸になってましたし、今作は今作で「幸太郎とテディの」がストーリーの主軸になっていますから。

 もうね、「主従関係」とか「友情」とかを越しちゃってます、幸太郎とテディは。
 2人の間には、完全にが芽生えちゃってます。
 
 腐女子目線で『電王』を楽しめる人には今作はお勧めですが、仮面ライダーに「戦う男のカタルシス」を求めている人には……あまりお勧めできません(^^;)


映画『超電王トリロジー ゼロのスタートウィンクル』

 『超電王トリロジー』の第一弾の、『ゼロのスタートウィンクル』を観てきました。

 う~ん…面白くないわけではないんですけど…なんか、違和感を感じざるをえない内容でした。

 違和感のポイントは3つ。


①異様にテンポが悪い。

②「若返った良太郎」が、「若返った良太郎」に見えない。

③愛理のキャラが変わってしまった。



 ③に関しては、まぁ、仕方がない面もあります。今回の映画の愛理は、「記憶が戻った後の愛理」ですから。TV版の、「記憶を失っていた愛理」とキャラが違うのは、わざとやっていることだというのは、理解できます。
 …でも、大人の観客ならともかく、子供の観客は記憶喪失云々の設定は忘れている(もしくは理解していない)でしょうから、「愛理役の女優さんの演技が暗い」という印象しか受けないと思います

 ②は…。「大人の事情」が絡んでいるであろうことは想像に難くありませんけれど、それにしたって、劇場版一作目の『俺、誕生!』に出てきた小太郎役の子を使い続けるのは無理があります。元々佐藤健に似ていなかったのに、成長するにつれて、ますます似なくなってきちゃってますから。
 いっそのこと、「もっと若返ってしまった」という設定にして、佐藤健っぽい顔つきの小学生でも使った方が良かったのではないでしょうか

 ①は、良く言えば「心理描写を丁寧にした」ってことなのでしょうけど、悪く言えば「時間稼ぎ」です。やろうと思えば半分の時間に収められるけど、それじゃ映画として成り立たないから、仕方なく上映時間を延ばしたのでは…?と思われても仕方ないくらい、テンポが悪いんです。

 
 面白くないというわけじゃないんですよ…決して。
 ただ、過去の劇場版電王や、TV版電王と比較してしまうと…
 劇場で観るほどのものかなぁ…?と、思わざるをえません。


映画『タイタンの戦い』

 私はレイ・ハリーハウゼンのファンなので、『タイタンの戦い』のリメイクには、半分心配しつつも、半分期待…という感じでした。

 で、実際観てみての感想ですが…。
 「旧作のリメイク」としては、正しい方向性で製作されていました。

・へなちょこB級ファンタジー映画であること。
・クリーチャーへの愛が感じられること。


 この2点は、旧作のファンにとっては、かなりポイントが高いです。

 「いつの間にか仲間が集まっている」「やたらに世界が狭く感じる」「主人公専用のアイテムがある」「大怪我をしてもあっという間に全回復」…などの、 『紀元前1万年』にもみられた”B級ファンタジー映画のお約束”が、この映画でもしっかり拝めました
 もし、出てくるクリーチャーがただ凶悪なだけだったら、『クローバーフィールド』や『ミスト』に出てきた謎の生物と大差がなくなってしまいますが、スコーピオンには愛嬌がありましたし、メデューサにはどことなく悲しさがありましたし、ペガサスには知性が感じられました。(ただし、例外はクラーケンで、こいつはただの凶暴なモンスターでした


 …というわけで、旧作ファンにはそれなりに楽しめる映画なのですが、では、旧作のファンではない人から観たらどうなのかといいますと……おそらく、かなり物足りないのではないかと思います。
 と、いうのも、個々の演出はよく出来てはいても、ストーリーの軸がぶれてしまっているため、映画全体にまとまりがなくなってしまっているんです。

 旧作ではペルセウスが戦う理由は「アンドロメダのため」だったので、すごく分かりやすかったのですが、今作ではペルセウスは「自分の中の神の血に抗うため」に戦っています。これが、話を妙に分かりにくくしてしまっているんです。
 ペルセウスが神を憎むようになる理由はかなり分かりやすく描写されているのですが、その憎しみのベクトルが「半神である自分自身」に向かい、その結果、「自分は人間として戦う」と決意する…という心理の描写が、ちょっと雑なんです。
 それなのに、「半神としてのペルセウスの苦悩」をストーリーの軸になってしまっているため、観ていてどうもスッキリしないんです。

 単純に「ハデスへの復讐」をストーリーの軸に持ってくれば分かりやすかったはずなのですが、監督はどうしても「苦悩するペルセウス」を描きたかったのでしょうね、きっと…。まぁ、単純なアドベンチャームービーにしたくはない、というお気持ちはよく分かるのですが、『アバター』の記憶がまだ新しいのに、『アバター』と同じ俳優さんに「半分人間」というキャラを演じさせて、「苦悩する姿」を描くのは、少々くどすぎました。あまり良いタイミングではありませんでしたね
 


映画『第9地区』

 週プレの懸賞で当たったタダ券で観てきました。

 簡単に言うと、『エイリアン・ネイション』と、『ザ・フライ』と、モンスターエンジンのコントを足して3で割ったような内容でした。 
 『トランスフォーマー』っぽい部分とか、『プレデター』っぽい部分なんかもありましたが、それでも、この映画からは「新鮮さ」が感じられました。
 個々の演出は既に他の映画で観慣れてしまったものであるにも関わらず、それらをうまくまとめて一つの映画として「調和」させることに成功しているため、その「調和」がこの映画に新鮮さを与えているのだと思います。

 ただCGが凄いだけの映画なら、最近の作品なら『ノウイング』『2012』がありますが、この2つの作品は、「家族愛」というテーマが妙に浮いてしまっている、という共通点がありました。そのために、映画に「陳腐さ」が生じてしまい、映画を観終った後に、何だかモヤモヤっとしたものが心の中に残ってしまっていたんです。面白いかどうか聞かれれば、まぁ、面白かったと言える映画なのですが、「後味」があまりよくなかったわけです。

 ですが、『第9地区』は、救いのない内容であるにも関わらず、「後味」の悪くない映画でした。オチに「家族愛」を持ってくるという、ハリウッド映画にありがちな演出をしているというのに、「陳腐さ」が全く感じられず、むしろ、「切なさ」とか「爽やかさ」が心の中に残るんです。
 エイリアンのグロさはほとんどホラーだし、人間がじゃんじゃん死んでいく様はほとんどスプラッターなのですが、不快さがあまり感じられず、最後まで冷静に映画を観ていられる…というのも、この映画の「後味の良さ」に繋がっているかもしれません。クライマックスの戦闘シーンはかなり迫力があるんですけど、不思議と、観ていてそれほどテンションが上がりませんでした。これは、おそらくは、主人公が「正義」だの「平和」だのの大義名分を掲げて戦わず、単に「やけっぱち」で暴れまわっていることからきているのではないかと思います。主人公の「やけっぱち」っぷりが、観ている側に「しみじみとした共感」を与えるせいで、変にテンションが上がることがないんです。
  
 『アバター』(これも週プレの懸賞で当たったタダ券で観たのですが、まだ感想は書いていません)も、CGが凄かったですし、個々の演出が「ひとつの作品」として調和がとれている素晴らしい映画でしたが、『第9地区』と違って、『アバター』は、「老若男女を問わず、誰もが最初から最後まで”楽しい”と思える映画」だったんです。徹底的にエンタテインメントに徹した作品だったわけです。
 ですが、『第9地区』は、観ていて決して「楽しい」とは思えない映画でした。エイリアンも人間もろくでもない描写をされていますし、主人公の運命はあまりにも悲惨ですし…。
 それなのに、「後味」の良さは『アバター』と同レベル、というのは、なんとも凄いことです。

 ファミリーやカップルで観に行くのには全然相応しくない映画ですが、「とにかく何か凄い映画が観たい」という人には、オススメできる映画です。

映画『金瓶梅』

 週プレの懸賞で当たったタダ券で『金瓶梅』を観てきました。
 『金瓶梅』は、中国四代奇書のひとつに数えられているので、ご存知の方も多いかと思いますが…まぁ、要するに…Hな小説です

 週プレの懸賞ページでこの映画を知った時は、「タダなら観に行ってもいいかな…」という程度の興味しか湧かなかったのですが、タダ券と一緒に贈られてきたチラシに書いてある謳い文句がなかなか良くできていたので、チラシを見たとたんにすごく観たくなってしまいました。

《アジア各国で大ヒットした文芸エロティック・ロマン巨編、伝説の性豪が繰り広げる愛と欲望の背徳淫乱絵巻。》

《史上最もワイセツな禁書、愛と性の最高傑作を完全映画化!》

《快楽を追究し、欲望のままに女淫の限りを尽くす男、あまりにも背徳的なその究極の性豪英雄伝。》

《前代未聞の過酷な色道修行!空前絶後のカンフー・セッ●ス!処女の尼僧を犯し、魔性の人妻を寝取る!》

《日本が世界に誇るセクシー女優陣総出演で描く、”映画史上最も刺激的な官能シーン”の数々!》



 「欲望のままに女淫の限りを尽くす」だの「あまりにも背徳的」だの書いてあるので、主人公の男はどんだけ酷いヤツなんだろう…と思っていたのですが、実際に映画を見たら、意外にいいひとでした。
 というのも、主人公は基本的に愛した女としかセッ●スしてないし(ただし「カンフー・セッ●ス」の時は、やむをえない事情があって、愛していない女とセッ●スしていますが)、無理強いしているシーンは一切ありません。「処女の尼僧」も「魔性の人妻」も、同意の上でセッ●スしています。しかも、「処女の尼僧」はちゃんと還俗した後でセッ●スしているので、正確に言えば「処女の元・尼僧」です。本当に「背徳らしい背徳」と言えるシーンは、「魔性の人妻」の夫を毒殺するシーンくらいのものです。(でも、実際に手を下したのは人妻であって、主人公ではありません。)

 全体的にはアホテイスト満載の映画なのですが、絶妙なバランスで「シリアスさ」が配合されているので、ただのバカ映画で終わっていません。映像も音楽も綺麗ですし、演技も抜群に上手いです。エンターテインメントに徹している映画なので、「どうせポルノでしょ?」なんてたかをくくって観始めた人は、映画としての出来のよさにびっくりすること請け合いです。(白状しますと、私も最初はたかをくくっていました…
 香港映画なだけあって、ワイヤーアクションもしっかり組み込まれています。やっぱり、どんなジャンルであっても、香港映画にはワイヤーアクションは欠かせないんですね
 
 チラシに書かれている「日本が世界に誇るセクシー女優陣…」というのは、実はAV女優さんのことなんですけど、Hシーン以外の演技も上手くてびっくりしました。これは本当に世界に誇っていいかもしれません。

 ただ、気になった点が二つあります。

・「あぁ~ん」という声が大きすぎる。 

 せっかく映像も音楽も綺麗なのに、女のあえぎ声がデカすぎて気が散って仕方が無かったです。
 男のあえぎ声は、笑いを取るために入れたのでしょうけど、可笑しさよりも気持ち悪さの方が勝ってしまいました

・映画の終わり方が唐突すぎる。 

 ラストがいかにも「第二部に続く」的な演出になっていたんですけど、だからといって、そういう表示があったわけではなかったので、本当に「いきなり」終わっているという感じです。
 さんざん盛り上げた所で唐突に終わっているので、続きが気になって仕方がありません。
 映画館の受付で文庫版の『金瓶梅』が売られていたので、買おうか買うまいか、帰りがけに迷ってしまいました(結局買いませんでしたが…)

映画『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』

 う~ん…この映画…前作の『オールライダー対大ショッカー』とはどう繋がっているのでしょうか…
 『ディケイド』はストーリーが元から破綻している作品だというのに、そこにさらに『W』を付け加えるという無茶振りをしているせいで、もう、何が何だか…

 CMでは、「謎が明かされる」的な宣伝になっていましたが、実際には、『W』も『ディケイド』も、謎なんて全然明かされていませんでした。強いて言えば、『W』ではフィリップの名前の由来が明かされていて、『ディケイド』では夏海の存在意義が明かされていましたが、両方とも、劇場で観る価値があるだけの謎かというと、そうでもなかったです。せめて、夏海が○○することが劇場公開までヒミツになっていたのならよかったのですが、残念ながら、映画のチラシの裏に書かれてしまっていたんです。『2012』を観に行った時にこのチラシを見てしまった私は、あまりに酷いネタバレっぷりに愕然としてしまいました

 どう考えても、『W』と『ディケイド』を切り離して、それぞれ単体で上映した方が良かったと思うんですけどねぇ…。ストーリーを端折りに端折って尺を切り詰めているのが明らかです。こうまでして『W』と『ディケイド』を抱き合わなければいけなかった理由が何かあったのでしょうか
 「東映まんがまつり」的なノリにするか、もしくは、前作くらいにゴッタ煮にしてくれれば、観ている方もテンションが上がったんですけどねぇ…。スタッフの頑張りは伝わってくるんですけど、『ディケイド』と『W』は食い合わせが悪すぎましたね これが『電王』だったら、どんな作品と抱き合わせたって、それなりのストーリーにはできたはずなんですが

 …と、ネガティブな意見ばかり書いてしまいましたが、見所はちゃんとあります。ディケイドよりもよっぽど破壊者として相応しい「J」の暴れっぷりとか、吉川晃司の仮面ライダーっぷりとか、ファングジョーカーの切れのいい戦いっぷりとか、メカのCGとか…。
 チラシの件がなければ、個人的には、夏海の○○が一番の見所になったはずなんですけどねぇ…。惜しいなぁ

映画『ONE PIECE FILM STRONG WORLD』

 去る12月14日(月曜日)に、劇場版の『ONE PIECE』を観に行きました。

 実は私は『ONE PIECE』には全然興味がないのですが、主人が「入場者プレゼントのコミックス(0巻)が欲しい」と言っていたので、「じゃあ、TOHOシネマズのポイントがたまってるから、仮面ライダーを観るついでにポイントを使って0巻を貰ってくる」と言い、13日(日曜日)に子供を連れてTOHOシネマズに行ったんです。ところが、映画館の入り口には、[本日のワンピースは満席となりました]の立て看板が… TOHOシネマズは三日前から席の予約ができるせいで、こういう状況になってしまったようです。
 受付の人に聞いてみると、「翌日の座席の予約なら取れるけど入場者プレゼントは劇場に入る時じゃないと貰えない」と言われたので、仕方が無いので、翌日の席を予約し、 0巻のために興味のない映画を観に行くはめになりました。まぁ、タダだからいいんですけど…。

 つまらなかったら途中で帰ろうと思っていたのですが、本編を知らない人でも十分に楽しめる内容だったので、最後まで飽きずに観ることができました。話のテンポがよく、ダラダラ感が全くないので、2時間があっという間に感じられました。
 ただ、設定の一部が星野之宣の『コドク・エクスペリメント』と被っている部分があり、敵の軍団の考えていることの予想がついてしまいました たまたま似てしまっただけというのは分かるのですが、モンスターの生存本能の凄まじさは『コドク・エクスペリメント』の描写の方が上なので、それと比べてしまうと、『ONE PIECE』の方は少々物足りなく感じてしまいました。

 もっとも、『ポケモン』や『ドラえもん』などの、他のシリーズ物のアニメ映画の劣化の酷さを考えると、今回の『ONE PIECE』の完成度の高さはかなりのものです。
 何より評価したいのは、エンディングテーマです。ミスチルの曲がストーリーにぴったりマッチしていました。
 最近の映画は、観終わった後の余韻をぶちこわすようなエンディングテーマが多すぎるんですよね(最近私が観た映画では『カムイ外伝』が酷かった なんなんだよ、あのエンディングテーマは
 私は特にミスチルのファンというわけではなかったのですが、このエンディングテーマを聞いて、ミスチルへの高感度がアップしました。
 

映画『2012』

 週プレの懸賞で当たったタダ券で観てきました。
 私は受付でこの映画のタイトルを「にーぜろいちにー」と言ってしまったのですが、これ、本当の読み方は「にせんじゅうに」だったんですね…。後で知りました

 『ノウイング』から謎解きを取って、その代わりに災害のシーンをテンコ盛りにしたような映画でした。
 『ノウイング』の謎解きが、実はストーリーにはそれほど絡んでいなかった(というか、謎を出す意味が無かった)ことを考えると、災害シーンをこれでもか!これでもか!と入れまくった『2012』は、サービス精神旺盛な映画だと言えるかもしれません。 






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宇野亜喜良と上海のちょっとした関係

 私は以前、このブログで「ビアズリーと宇野亜喜良」という記事をアップしたことがあって、その記事を書く時、私は『アール・ヌーヴォーの世界4 ― 黒の曲線 ビアズリーとロンドン』(学研・1987年出版)という本を参考にしたのですが、先日、久しぶりにこの本をひっぱり出して読み返してみたところ、この本のためのコラム(というか、エッセイ?)を書いた当時の宇野先生は、『上海バンスキング』という映画の美術のお仕事をされていたことが判明しました。


《今、ぼくは<オンシアター・自由劇場>が製作する「上海バンスキング」という映画の美術を手伝っている。かなり以前から、この劇団の視点と手作りの味の魅かれていたので、二ヵ月あとに個展をひかえている心理的な忙しさの中で、好んでひきうけているといったところである。
 この映画は、昭和11年の上海で始まり、昭和20年の終戦の年までの、日本のジャズメン達と横浜のダンス・ホールのお嬢さんの話である。
 上海の方さんというフランス留学の体験のある中国人の家と、ダンス・ホールが主な舞台で、方さんの家というのは、やはり、インテリのお父さんの代に建てられたもので、世紀末に建てられたものという設定だから、少しアール・ヌーヴォーのスタイルの要素を入れることになった。
 ダンス・ホールのほうは1936年だから当時まだ流行の残影のあったはずのアール・デコのスタイルでいくというプランである。
 この前は、演出家(いつもはそうなのだが、今回は監督といわないといけないのかも知れない)の串田和美さんや美術のスタッフと「東アジアのアール・ヌーヴォーとアール・デコ」という講演会を聞きにでかけたりした。
 中国のヌーヴォー・スタイルの移入の形は三つあって、一つはロシアが、自国の力をデモンストレーションする為に、ヨーロッパに発生した様式を、いち早く中国で展開させたというもの。二つめは、ヨーロッパから日本を経由地点として北上するという経路もあるという話や、アール・ヌーヴォーでは、特有の金属モティーフが、木で造られているものが多いことなど土地の特性による変容が面白い話だった。》
 


 …と、ここまでで、宇野先生は原稿全体の1/3を使ってしまっているのですが、実はこのコラム(エッセイ?)は、タイトルは『イギリス黄金期のイラストレーターたち』だったりします。イギリスとは全く関係の無い話で原稿の1/3を埋め、しかも、映画の宣伝まで入れるとは…宇野先生、なかなかやりますね

 この後は、《ロンドンのアール・ヌーヴォーは、どんな性質のものか、ぼくにはまったく知識がない》と続いているのですが、「知識がない」といいつつも、見事なビアズリーの分析を展開しているのは、以前の記事にも書いた通りです。

 『上海バンスキング』がどういう映画なのかすごく気になるのですが、残念ながら、TSUTAYA DISCASではレンタルされていませんでした。

 ウィキペディアには、

【松竹と西武流通グループとテレビ朝日が共同制作し、深作が監督を務めた1984年公開の映画では、作品の舞台となっている上海でロケを行った。しかし「自分達の舞台での仕事を映像化してみたかった」串田自らが制作と監督を務めた映画が、1988年に公開された。】

 …と書いてあるので、映画版は2つのバージョンがあり、宇野先生が美術を担当されたのは2つ目の作品のようです。



映画『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』

 『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』を観てきました。

 5月に観に行った『超・電王&ディケイド 鬼ヶ島の戦艦』は、一応、テレビと連動していた内容だったのですが、今回の『オールライダー対大ショッカー』は、連動しているんだかしていなんだか、いまいちはっきりしません。『魔界城の王』とか『クライマックス刑事』のような、アナザーストーリー的な扱いなのでしょうか…?

 12月に、またディケイドの映画が上映されるようなので、そちらを観れば、この謎はとけるのかもしれませんね。
(…ていうか、また劇場まで足を運ぶのか、私









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映画『超・電王&ディケイド 鬼ヶ島の戦艦』

 前作のタイトルが『さらば仮面ライダー電王』だったので、劇場版の電王があれが最後か思っていたのですが、まさかの新作です。

 パンフレットを見たら、

【今回より始動する新たな電王世界の冒険譚は、その名も「超・電王シリーズ」。】

 …と書いてあったので、ただの「電王」は前作で終わりで、これからは「超・電王」が始まるらしいです。う~ん、なんて強引な理屈。

【「電王」とは《少年が時の列車に乗り、仮面ライダーとなって自分を見いだし、列車を降りるまでの冒険物語》。】

 …いつのまに、「電王」という言葉に、そんな定義が…
 まぁ、面白けりゃもう何でもいいですけど

 相変わらず、ファンへのサービスがテンコ盛りで、凄く楽しめましたが、欲を言わせてもらえれば、『仮面ライダー響鬼』を出してほしかったなぁ、と…。
 鬼がどーのこーのという内容だから『響鬼』が出てくることを期待していた人って、結構いたんじゃないかと思うんですけどねぇ…。





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映画『天使と悪魔』

 週プレの懸賞で当たったタダ券で観てきました。

 なんか、大部分が「手の込んだ殺人」をダラダラ追っていくだけのストーリーだったので、前半はちょっと眠くなってしまいました。「手が込んでいる」って言ってもトリックの話ではなく、シチュエーションが凝っているだけなんです。

 犯人が面倒くさい殺し方をしていることには、一応、それなりに意味があるんですけど、その「意味」に気が付いているのはトム・ハンクス演じる主人公だけ。でも、主人公が一連の事件に関わるようになったのは、犯人の想定外なんです。
 ということは、もし、主人公がこの事件に関わらなかったら、犯人の意図は誰も気が付かないということになるんですよね。主人公がいて初めて犯人の意図が理解できるのに、主人公がこの事件に関わるようになったのは犯人の想定外だなんて、なんだか間の抜けた話です。

 でも、クライマックスで話が二転三転して、『天使と悪魔』というタイトルの解釈が観客の中でも二転三転するのは、凄く良かったと思います。
 あと、キリスト教の宗教建築とか宗教美術が堪能できるのもすごく楽しかったです。

 気になったのは、犯人がわざわざ「反物質」を利用して爆破をたくらむこと。これはあまりにも手間がかかりすぎる行為です。犯人自身はともかく、加担させられていた人はたまったものではありません。盗むのも盗んだ後の処置も、さぞかし面倒くさかったでしょうね。(そういえば、加担させられていた人の属している組織って、一体何だったのでしょうか? 私はてっきりモサドあたりかと思っていたのですが…)
 「宗教も科学も、解釈によっては毒にもなるし薬にもなる」ということを強調するために、「科学」の象徴として「反物質」を出した意図は分かります。(研究者は次世代エネルギーとして反物質を研究していたのに、犯人は破壊兵器として利用しようとしたわけですから。)
 中世の科学者の研究対象が「四大元素」だったのに対し、現代の科学者の研究対象が「反物質」、というのも、面白い対比だったと思います。
 でも、あの犯人が、わざわざ手間をかけて「反物質」を利用しようとする流れが、解せないというか、なんというか…。物語のテーマを明確にするためのアイテムとしては申し分ないんですけど、ストーリー的には、ちょっと強引すぎる気がしました。
 まぁ、それを言ったら、この映画は、あっちもこっちも強引すぎるところばかりなんですけどね

映画『レッドクリフ パートⅡ』

 週プレの懸賞でタダ券が当たったので観てきました。(パートⅠの方はDVDで観賞。)

 実は、感想を書いていない映画が何本も溜まっているのですが、この映画がダントツで「苦笑い度」が高かったので、先に記事します。

 週プレがタダ券を配っているくらいなので、多分、アレな内容なんだろうなぁ…とは思っていましたが…やっぱりアレな出来栄えでした

 私が三国志の映像化作品に期待する部分は、「戦略をどういう風にビジュアル化するか」ということなので(孔明のトンチではなく、「軍VS軍」のちゃんとした戦闘の方)、パートⅠでは「八卦の陣」のシーンがものすごく楽しかったんです。
 逆に、全然楽しくなかったのが、周瑜と孔明がダラダラ映っているだけのシーン。
 私は三国志で好きな登場人物は荀イクとかホウ統とか徐庶あたりなので(これは多分『蒼天航路』と『SWEET三国志』の影響です)、周瑜と孔明には全然萌えないんです。(嫌いというわけではないのですが、特にお気に入りというわけでもないということです。)
 この二人に萌えられない観客には、三時間という上映時間は長すぎます



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『超劇場版ケロロ軍曹 撃侵ドラゴンウォリアーズであります!』

 『超劇場版ケロロ軍曹 撃侵ドラゴンウォリアーズであります!』を見てきました。(タイトル長いなぁ…

 今年のケロロの映画はイマイチでした。ケロロ達がドラゴンになってしまう、というアイデアは悪くはないのですが、この程度のアイデアならテレビ版の方で使えばそれで十分だったのではないかと思います。劇場版でやるほどのことではないでしょう。
 ケロロがケロロとして活躍してこそのケロロワールドなのに、ドラゴンの姿で暴れまわってもねぇ~… 冬樹達がドラゴンの背中に乗るシーンはそれなりに格好良かったですけど、「少年少女がドラゴンに乗って飛び回る姿」に格好良さを感じるのは80年代から90年代の和製ファンタジーブームを知っている30代以上の人だけなのでは…?
 5色のドラゴンが暴れ回っているシーンは『ロードス島戦記』みたいだし、「地球竜」の設定は『ファイブスター物語』みたいだし、なんか、昔の角川作品を彷彿とさせるんですよね。(『ファイブスター物語』はまだ完結していないから、「昔の作品」って言っちゃ失礼ですけど
 ケロロも角川作品だし、一種のオマージュなのでしょうか。

 アフレコがへたっぴぃなゲスト声優がいないのはすごく良かったんですけど、その代わりなのか何なのかは分かりませんがOPが『ケロっと!マーチ』ではなくなってしまったのは残念でした。なんか、『クレヨンしんちゃん』みたいなゆる~いOPテーマになってしまっていて、脱力してしまいました。

 劇場版限定キャラの「シオン」のキャラの薄さも、なんだかな~っていう感じでした。あのキャラの薄さじゃ、強烈な個性を持つキャラだらけのケロロワールドの中では「ただのかわいこちゃん」でしかありません。いっそのこと、桃華を主人公にして話を進めればよかったのに…

 

東京国立近代美術館フィルムセンター『映画の中の日本文学 Part1』

 東京国立近代美術館フィルムセンターの『映画の中の日本文学 Part1』を見てきました。



 私は日本文学も映画も詳しい方ではないのですが、この展覧会は面白かったです
 
 一番最初に展示されていたスチル写真が、日本書紀と古事記を題材にした映画『日本誕生』だったので、しょっぱなから驚きました。こんな映画があったとは知りませんでした

 日本書紀と古事記の映画があるのなら、1987年に上映されたSFスペクタクル(?)映画の『竹取物語』も展示されているのでは…と期待したのですが、なぜかこれは展示されていませんでした。もしかしたら、クビナガリュウだの宇宙船だのが出てくるのがいけなかったのでしょうか…。

 『日本誕生』の次は、『源氏物語』や『あさき夢みし』(後深草院二条の「とはずがたり」を映画化したもの。大和和紀の漫画とは関係ありません。)のポスターやスチル写真。
 その次は、井原西鶴、近松門左衛門、上田秋成、滝沢馬琴の作品…などなど、渋い映画が続々。でも、1919年と1954年に上映された「里見八犬伝」ネタの映画(1919年は『里見八犬傳』、1954年は『里見八犬伝 第一部 妖刀村雨丸』)はブロマイドやシナリオが展示されているのに、深作欣二監督の『里見八犬伝』が無視されているのは何でなのでしょうか?原作無視しまくりだったのがいけなかったのでしょうか?

 さて、その後は、幸田露伴、森鴎外、樋口一葉、島崎藤村の作品など、「ああ、これなら、映画化されてて納得」という感じの展示が続くのですが、衝撃的だったのは、尾崎紅葉の「金色夜叉」を子供だけで演じた映画の『ベビー金色夜叉』。スチル写真を見た限りでは、出演している子供は3歳~5歳くらいでした。一体、何を考えて、こんな映画を作ったのでしょうか…謎です。

 全ての作品はさすがに列挙できないので残りは割愛しますが、一番最後に展示されていた江戸川乱歩の作品だけご紹介させていただきます。
 展示されていたのは『パレットナイフの殺人』『少年探偵団 二十面相の悪魔』『少年探偵団 夜光の魔人』『黒蜥蜴』『江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者』のポスターやスチル写真でした。
 江戸川乱歩生誕100周年を記念して制作された『RAMPO』が無視されているのが、ちょっと残念でした。乱歩の小説を映画化したわけではありませんでしたけど、乱歩の小説のネタがかなり使われている映画だったのになぁ…



『スパイダーマン3』

 週プレの懸賞で当たったタダ券で『スパイダーマン3』を観てきました。

 実は私、『スパイダーマン』はちゃんと観たことがあるのは東映が製作した日本版のTVドラマ(巨大ロボが出てくる特撮ヒーロー物)と、ニコラス・ハモンドが演じたアメリカ版のTVドラマ(かなり昔に日曜洋画劇場で放映されました)だけで、肝心の『1』と『2』は観ていません。
 そんな状況でいきなり『3』を観たので、序盤は人間関係が全く把握できなかったのですが、中盤あたりではなんとか理解することができました。

 で、感想ですが…。

 CG技術は物凄くレベルが高いです。高層ビルの間を飛び回るスパイダーマンのスピード感溢れる動きとか、サンドマンの体を作っている砂粒の流れ落ちる様とか、謎の地球外生命体(ヴェノム)の薄気味悪いウネウネ感とか、申し分の無い出来です。
 笑える演出も随所にあるので、アクションシーン以外でも退屈しません。最初から最後までドキドキワクワクしながら観ていられます。

 ただ…ストーリーの荒っぽさはいかんともしがたい感じです

 とにかく、色んなモノを詰め込みすぎるんです。
 なにせスパイダーマンの敵が3人も出てくるので、どの敵がどういう理由でスパイダーマンに喧嘩を売っているのか把握するのが大変で、「これ、最後にどうやってまとめるの?」と、心配になってきてしまうほどです
 恋愛模様なんて三角関係を通り越して四角なんだか五角なんだかワケがわからなくなっちゃってます 

 でも、まぁ、最後はちゃんとまとまって、「納まるところに納まった」カタチにはなっているのですが、そのまとめ方があまりにも強引すぎて、まるで少年ジャンプで突然打ち切りが決まった漫画の最終回のようです

 細かいことは考えずに、特撮技術の凄さとか、俳優さん達の演技の上手さとか、演出の細かさに集中した方が、この映画を楽しめると思います。


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キース・エマーソンのインタビュー(『ゴジラ・ファイナルウォーズ』より)②

(①からの続き)


【過去のゴジラ映画の音楽についてどんな印象を持たれましたか。得に伊福部昭氏のゴジラのテーマについてお聞かせ下さい】

「ウィル・アレキサンダーと僕は、過去のゴジラ映画を研究した。(略)二人ともすぐ、伊福部昭氏のオリジナル・テーマは、いつも起立させられるような、軍隊志向の強い音楽だっていう結論に達してね。(略)伊福部さん式ににしたいと思って、そうできたんじゃないかと思う。伊福部さんは『ゴジラ』の音楽を一週間で書き上げたんでしょう。本当にすごい。僕には出来ないですね

 『幻魔大戦』にしても『ゴジラ・ファイナルウォーズ』にしても、少ない資料をもとに短期間で作曲したにも関わらず、見事に映画にマッチした曲になっていたんですから、キース氏は凄いですよ
 …はっ!も、もしや、伊福部昭氏も、キース氏と同じような状況(資料も時間もろくに無し)で『ゴジラ』のテーマを作曲した…なんてことは…


【今回の音楽で特に注意を払った点、及び特徴的な点はどこでしょう】

「伊福部昭氏の解釈から外れず、北村さんの期待に応えられていたらいいと思う」

 「オレにとってのゴジラはこうだゼ!!」じゃなくて、あくまで伊福部氏と北村氏の解釈に従う姿勢のキース氏…。いい人だぁ~


【今回のゴジラ映画に関わられて、全体的な感想をお聞かせ下さい】

「僕の息子、アロン(34歳)とデイモン(27歳)にゴジラの音楽を担当することになったと伝えたら、すごいね!といわれた。最初の曲想を聞かせたところ、がっかりして(略)北村さんからの助言と同様、もっと”ロックっぽく”したら、って。その後(略)ファットボーイスリムとも仕事をしたっていうヤツらを息子が紹介してくれた。(結局一緒にやり直したよ。)僕のいいたいこと伝わったかな。歴史はめぐりめぐって回っていて、僕もそれと一緒に回っているんだ。ヘイ!(なっ)ゴジラ!」

 う~ん…なんてゆーか…『At The Movies』のコメントと矛盾した部分は全くないので、このインタビューの内容は全て本当なのでしょうけど…上手くはぐらかしているという感じが否めないっつーか、なんつーか… キース氏が気を遣っっているのか、翻訳(通訳)の人が気を遣っているのか、パンフレットの編集者が気を遣っているのかは、定かではありませんが…

 いずれにしても、キース氏が日本の映画業界の悪い面のせいで満足な仕事ができなかった(一度ならず二度までも!)という事に関しては、本当に申し訳なく思います…。キースさん、本当にすみませんでした

キース・エマーソンのインタビュー(『ゴジラ・ファイナルウォーズ』より)①

 昨日に引き続き、今日もキース・エマーソンに関する記事です。

 『At The Movies』の解説によると、キース氏は『ゴジラ・ファイナルウォーズ』の音楽に満足していないとのことでしたが、それでは、『ゴジラ・ファイナルウォーズ』のインタビューでは、キース氏はなんと答えているのでしょうか?手元にある映画のパンフレットから抜粋してみます。



【ゴジラ映画を音楽を依頼されてどんな感想を抱きましたか】

「最高に気分がよかった。(略)唯一心配したことは、今行っている北米ツアー前に、すべて終わらすことができるかってことだった」

 ここだけ読むと、キース氏は北米ツアーを控えていて時間が無いことを承知の上で、快く作曲を引き受けたように見えますけど…実際にはどうなんでしょうねぇ… 『At The Movies』の方にも詳しくは書かれていませんでしたけど…



【北村監督から音楽に関してどんな注文がありましたか】

「カリフォルニアでの北村さんとの打ち合わせは、お互いのTシャツにサインしあって、”お互いほめあう会”だったかな。でも、ここでのボスは北村さんで、僕といえば、絨毯を敷くためアパートの床を測りに来たのに、外の芝生にも絨毯を敷いてくれと言われたようなもので…でも、とてもよかった。北村さんはいいものを作りたいと思っていたんだろうし、それは僕も同じだから」

 なるほど、つまり、「アパートの床を測りに来た」というのは「主題曲だけ作曲するつもりだった」という意味で、「外の芝生にも絨毯を敷いてくれ」は「映画の曲全部を作曲してくれ」という意味なわけですね。なかなか上手い喩えですね。



【実際の音楽づくりはどのように進められたのですか】

「感情的なところから作業にかかったよ。初めは、『Final Wars』の大体のストーリー・ボードしか頼るものがなくって(この点では、東宝を紹介してくれたJVCのSHINに感謝しなくてはいけない)。すぐに作曲にとりかかったんだけど、これで最終かなと思ってたんだ。CDを東宝に送ったところ、”とてもいいんだけど、もっとロックっぽくならない?”という返事が北村さんからきた。だから(略)そういう風に変えたんだ」

 少ない資料をもとに作曲したのに、ダメ出しくらったんですか!? あああぁぁ~すみませんキースさん~ 悪いのは充分な資料を提供しない東宝側ですから ホントにすみません



(②に続く)

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