更紗のタペストリー(L)

auoneblogから引っ越してきました。 主に、アート・書籍・音楽・映画などについて語ってるブログです。 もうひとつのブログ(http://sarasata.seesaa.net/)では、日経新聞の連載小説の感想を綴っています。

インタビュー

日経朝刊の『もんじゅ関連1兆円超支出』という記事

ブログネタ
.気になったニュース38 に参加中!

 まだ江戸川区ネタが途中ですが、今朝の日経新聞の朝刊で許せない記事があったので、久々に日経ネタを書きます。

 ↓こちらは、今日(11月15日)の朝刊に載っていた、『もんじゅ関連1兆円超支出 830億円の施設使われず 検査院、ムダ指摘』という記事です。


日経・もんじゅ

日経・もんじゅ・表

 日経新聞のHPでも、この記事は読めます。→ 《もんじゅ関連1兆円超支出 830億円の施設使われず 検査院、ムダ指摘》

【運転停止中の高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)や関連施設の研究開発のため、総額約1兆810億円が支出されたことが14日、会計検査院の検査で分かった。うち約830億円をかけて建設した茨城県東海村の試験施設はもんじゅの事故の影響で全く使われていないことが判明、検査員は日本原子力研究開発機構に他の活用方法などについて検討するよう求めた。

 同機構はもんじゅの総事業費について、2010年までの総額が約9265億円に上るとホームページで公表。だが、これには人件費や固定資産税、1979年度以前の準備段階の経費が含まれず、検査員は支出総額は1545億円上積みされると指摘した。

 このうち、同機構は東海村の「リサイクル機器試験施設(RETF)の建設費として約830億円を支出。RETFはもんじゅの運転で発生した使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す技術を試験するための施設で、00年に地上6階、地下2階の建物部分が完成した。

 もんじゅは1995年にナトリウム漏れ事故が発生し運転を中断。運転再開直後の昨年8月にも燃料交換用の装置が原子炉内に落下する事故が発生、再び運転を停止している。このためRETFも建物が完成しただけで半分の試験機器が整備されておらず、内部は「がらんどう状態」(検査院)という。

 福島第1原発事故を受けて政府が新しいエネルギー基本計画の策定に着手したことを踏まえ、検査院は「もんじゅを巡る国会などでの議論のためにも適正な支出額を公表し、RETFについては建物の暫定的な使用方法を検討すべきだ」と指摘した。

 日本原子力研究開発機構の話 今後は指摘された支出をホームページで公表し、RETFについても当面の活用方法を幅広く検討していく。】


 おいっ
 最後の日本原子力研究開発機構のコメントは何だよ

日経・もんじゅ・コメント

 なんで人物名がちゃんと載ってないんだよ 
 これじゃ誰のコメントか分からないだろ

 過去の『Newton』関係の記事(この記事の最後に、リンク一覧を付けておきます)を読んでいただくと分かりますが、日本原子力研究開発機構の理事長は、鈴木篤之氏という人物です。
 ということは、日経に載っているコメントは、鈴木篤之のコメントである可能性が、かなり高いと思います。

 もしかしたら、直接日経の記者にコメント文を寄せたのは広報部の人かもしれませんが、日本原子力研究開発機構のトップは鈴木篤之氏なのですから、鈴木篤之氏は何かしらのコメントをすべきです。
 日本原子力研究開発機構のHP(http://www.jaea.go.jp/)を見てみたところ、「会計検査院からの意見表示について」という文書がアップされていたのですが、会計監査院からの意見は、「独立行政法人日本原子力研究開発機構理事長宛て」になっています。(3ページ目を参照)

会計検査院からの意見表示について(PDF)

 それなのに、この件に対する鈴木篤之氏自身の言葉としての意見表明が、新聞にも載っていなければ、HPにも載っていない(11月15日現在)のは、どういうことなのでしょうか?

 鈴木篤之氏は、何の責任も取らずに、コソコソと逃げる気マンマンのようですねっ

 私は、御用学者の中で一番タチが悪いのは、鈴木篤之氏だと思っています。(これはtwitterの方で何度か書いています。)
 中川恵一氏や山下俊一氏のような人物は、過去の発言がネットで記録されていて、晒し者になっていますから、ある意味それが社会的制裁になっていますが、鈴木篤之氏は表に出てこない分、悪質さが半端ありません。
 私はたまたま、古本屋で見つけた『Newton』で、東大教授時代の鈴木篤之氏の御用っぷりを知りました。これは運命だと思っています。私は鈴木篤之氏の御用っぷりを定期的にネットで発信し続けるつもりでいます。(主にtwitterで。)


 ↓ 1993年の『Newton』8月号に掲載されていた鈴木篤之氏のインタビュー

1993年の『Newton』の「プルトニウムの本当の話」(その1)

1993年の『Newton』の「プルトニウムの本当の話」(その2)

1993年の『Newton』の「プルトニウムの本当の話」(その3)

1993年の『Newton』の「プルトニウムの本当の話」(その4)

1993年の『Newton』の「プルトニウムの本当の話」(その5)

1993年の『Newton』の「プルトニウムの本当の話」(その6)

1993年の『Newton』の「プルトニウムの本当の話」(その7)



1993年の『Newton』の「プルトニウムの本当の話」(その7)

ブログネタ
エネルギー・環境問題 に参加中!
その6からの続き)


【平和利用技術を確立し世界に貢献したい】

Newton―日本の状況はいかがですか。

鈴木―日本には「常陽」という実験炉があって、15年ぐらいたちます。さらに今年は原型炉の「もんじゅ」が臨界になります。当面はこの「もんじゅ」が安全に確実に動くことを実証することがだいじだと思います。

Newton―最後にプルトニウムをあつかう日本の技術レベルは、どのくらいにあるとお考えですか。

鈴木―まず再処理ですが、東海村の再処理工場は、15年ぐらい前にできたころにくらべますと、ここ数年は非常に稼働率がいいようです。昨年の暮れまでにおおよそ700トンの核燃料を処理しています。これは世界的にみるとフランスに次いで世界第2位の実績です。青森県に計画されている新しい再処理工場も世界的に注目されています。
 次に再処理してとれたプルトニウムをウランとまぜて核燃料の形に加工しなければいけません。その場合には今までのウラン燃料とはちがった工場の設備を必要とします。これについても、日本では新型転換炉「ふげん」とよばれる特別の原子炉で使ってきており、20年ぐらいの経験があります。

Newton―「ふげん」の燃料にはどのくらいのプルトニウムが入っているのですか。

鈴木―「ふげん」の燃料はプルトニウムのまぜぐあいが非常に少ないのです。1%から2%しかウランの中に入れていません。高速増殖炉の燃料では15%から20%、場合によっては30%ということもあります。その中間にあるのが軽水炉のリサイクルです。軽水炉用の燃料の場合、5%から10%未満です。ですから、プルトニウムの割合を将来の高速増殖炉用燃料に向けて少しずつふやしていくという点では、軽水炉用の燃料を経験することが、技術的にちょうどいいのです。軽水炉へのリサイクルを経験しながら、徐々に理想的な高速増殖炉による利用に転換していくのが懸命なような気がします。
 これからのエネルギー問題は、原子力を抜きには考えられません。世界平和の問題も、原子力と無関係には考えられません。世界に誇れる原子力の平和利用技術、すなわちプルトニウムの平和利用技術を確立し、核軍縮から核廃絶という人類の悲願に向けて国際的に貢献できればというのが、われわれの願いです。


Newton―どうもありがとうございました。



********************


 「もんじゅ」がナトリウム漏れ事故を起こしたのは、このインタビューの2年後の1995年です。
 あまりニュースになっていませんが、「もんじゅ」は2010年8月26日に原子炉容器内に筒型の炉内中継装置が落下し、吊り上げによる回収が不可能な状態になっています。
 落下した装置を引き抜くための追加工事や試験などの復旧作業には約9億4千万円の費用がかかり、停止中も維持費に1日5500万円の国費がかかるとされています。(ウィキペディアより)

 もんじゅのHP(「高速増殖炉もんじゅへようこそ」)では、現時点(2011年4月4日)では、炉内中継装置の落下事故については何の記載もありあません。
 もんじゅを管理している日本原子力研究開発機構のHPの中の「炉内中継装置引き抜き・復旧工事について」というページに行けば、事故の件が記されているのすが、トップページをパッと見ただけでは、重大な事故が起きていることに気付かない方が多いかと思います。恐らく、わざと目立たないようなレイアウトにしているのではないでしょうか。

 ちなみに、「その1」と「その3」の記事で書いた通り、この組織の理事長は鈴木篤之氏であり、 この組織の前身の前身(あぁ、ややこしい)は「動力炉・核燃料開発事業団」です。

1993年の『Newton』の「プルトニウムの本当の話」(その6)

ブログネタ
エネルギー・環境問題 に参加中!
その5からの続き)


【高速増殖炉で利用効率は約100倍になる。】

Newton―高速増殖炉でプルトニウムを使うと、どのくらい有効に利用することができるのでしょうか。

鈴木―今の話のように、現在の原子力発電では100のうち3くらいしかエネルギーにかわっていないのですが、その100のウランは「濃縮ウラン」とよばれるもので、天然ウランからつくらなければなりません。私の試算では600くらいの天然ウランが必要です。つまり600から3のエネルギーしかとれていません。効率は0.5%と非常に低いのです。そこで先ほどの残ったウランの96とプルトニウムに1とをリサイクルするとします。現在の原子力発電でリサイクルすると、私の試算では、96のウランは600のうちの約100に相当します。さらにプルトニウムの1をもどせば、これは199倍効率が高いですから、さらに100の節約になる。600が400になります。400から3のエネルギーですから、0.75%です。

Newton―リサイクルの効果が出たとはいっても、パーセンテージにすると0.5が0.75になったにすぎないという見方もできますね。

鈴木―そのとおりで、どこが問題かというと、天然ウランから濃縮ウランをつくる間のロスがいけないのです。高速増殖炉にするとそのロスがなくなるので、私の試算では、3のエネルギーを得るのに5の資源消費ですみます。軽水炉での600から3の関係が、高速増殖炉では5から3になり、資源の利用効率が60%にもなります。ですから資源の節約効果が非常に大きいのです。今の軽水炉にリサイクルすると効率が約1.5倍です。それに対して高速増殖炉にすれば効率が約100倍にもなります。これほどの効率の向上はほかの技術ではむずかしいでしょう。

Newton―しかし高速増殖炉の開発計画は、海外では次々に中止されているようですが。

鈴木―たしかに高速増殖炉はフランとロシア以外では計画そのものがストップしている状態です。それはどうしてかと調べてみますと、たとえばアメリカでは財政赤字の影響が非常に大きいようです。高速増殖炉の開発には相当の技術力と経済力が必要です。その点で、現在の日本が最もその資格があるのかもしれません。

Newton―技術的な問題ではないのですか。

鈴木―どちらかというと、技術的な問題ではないと思います。たとえば、アメリカには30年ぐらい前から動いている高速増殖炉がある以上、技術的に本質的な欠陥があるとはいえないでしょう。イギリスの高速増殖炉も来年には運転を止めるようですが、これまで20年間ぐらい動いてきています。それからフランスでも20年間動かしてきた経験があります。しかし将来、さらにすぐれたものにしていく必要があります。実用化に向けて先端的な革新的技術を開発していくことが今後の重要な課題です。



********************


 「私の試算では」が3回も出てきています。いわゆる、机上の空論ってやつですね。
 エネルギーの計算だけを見ていくと、確かにそれなりの効率は見込めそうですが、高速増殖炉の運転のコストについては全く触れられていません。高速増殖炉の建設だけでも莫大なコストがかかりますし、高速増殖炉を運転するための燃料を用意することにもコストがかかります。これで採算が取れるとでもいうのでしょうか?

 しかも、「アメリカ・フランス・イギリスの高速増殖炉が2~30年稼動してきたから、技術的に本質的な欠陥があるとはいえない」…? 2~30年もの間、全くトラブルが起こらなかったとでも言うのでしょうか? 高速増殖炉は、どこの国でも事故を起こしていますよ? 長く稼動させてきたことが、必ずしも「技術的に本質的な欠陥がない」証拠になるわけではありません。



その7に続く)

 

1993年の『Newton』の「プルトニウムの本当の話」(その5)

ブログネタ
エネルギー・環境問題 に参加中!
その4からの続き)


【プルトニウムはエネルギーにかわりやすい。】

Newton―核燃料としてのプルトニウムの話に入っていきたいのですが、プルトニウムを使っていくことのメリットはなんでしょうか。

鈴木―私はひと言でいうと資源のリサイクルといういうことだと思っています。つまり資源をできるだけたいせつに使おうということですね。原子力の分野でも一度使った核燃料をできるだけ再利用することが、長い目でみてどうしても必要だと思うのです。ただし、核燃料のリサイクルが経済的になりたつかどうかはウランの価格で決まります。

Newton―それでいうと、ウランはいま安いですね。

鈴木―そうです。ウランの価格が高くなってからやればいいではないかという考え方がありますが、私はそれはまちがいだと思います。環境をだいじにする、資源をたいせつに使うという考え方を、あわせて取り入れていくことが必要だと思います。急いでリサイクルしなければいけないということではありません。だんだんとリサイクルが進んでいくように人材を育成し、技術も開発し、制度をつくっていくことが必要です。

Newton―今の原子力発電所では、核燃料をどのくらいの効率で使っているのですか。

鈴木―今は100の核燃料のうち、3くらいしかエネルギーにかわっていません。その3のうち2はウランが直接核分裂したもの、残りの1はウランからできたプルトニウムが核分裂したものです。あとの97をよくみてみると、96がウラン、残りの1がプルトニウムです。プルトニウムは結局2できるのです。2できるのですが、そのうちの1は核分裂してすぐエネルギーにかわります。そういう意味でプルトニウムは非常に効率のいい燃料です。ウランは100入れても2しかエネルギーにかわりませんから。残りの1のプルトニウムを回収して使えば、そのうちの0.5がすぐにエネルギーになる。ですから97のうちわずか1のプルトニウムも非常に貴重なのです。

Newton―残りの1のプルトニウムも回収しないともったいないわけですね。

鈴木―ウランとプルトニウムをくらべますと、プルトニウムのほうがずっとエネルギーにかわりやすいということなのです。



********************



 はい、出てきました、「リサイクル」という言葉が。1993年当時は、この言葉には「環境に優しい」とか「経済的」とかのイメージがありましたが、のちに環境に優しくもなければ経済的でもないことがはっきりしてしまい、代わりに叫ばれだしたのが「CO2削減」だの「エコ」だのいう言葉でした。

 このインタビューは、「原子力発電は絶対に必要」という前提で話が進んでいるので、火力発電のことは全く出てこないのですが、そもそも、原子力発電の推進の理由は3月25日の記事でも書いたように、「石油に依存する社会からの脱却」だったはずです。石油は「限りある資源」だから、石油に頼らないで発電できるようにしなければならない…ということで、原子力発電が推し進められてきたんです、元々は。

 …ところが、原子力発電に使われているウランも「限りある資源」なものだから、じゃあ、ウラン以外の物質からも発電できるようにしなきゃ…ということで目を付けられたのが、プルトニウだった、と、いういうわけです。

 …しかし。しかしですよ。そもそも、火力発電をやめて原子力発電に頼ったからといって、原子力発電を推進するそもそもの目的である「石油に依存する社会からの脱却」は、実現されるのでしょうか?
 答えは否。3月25日の記事でも書いたように、火力発電を止めたところで、節約できるのは重油だけです。灯油、軽油、ガソリンは節約できません。

 …つまり、原子力発電を推進するそもそもの目的が既におかしいので、「ウランがもったいない」だの「リサイクル」だの言っても、説得力がないんです。

 それに、原子力発電の経済性は、ウランの価格だけでは決まりません。設備を作るときのコストや、維持するためのコストも考えなければなりませんし、設備が使えなくなった時のコスト(つまり、廃炉にするためのコスト)も念頭に置かなければなりません。
 さらに、自然災害によるダメージや、人的ミスによるダメージがあった場合にかかるコストも考えなければなりませんし…。
 
 ちなみに、鈴木氏は「プルトニウムはエネルギーにかわりやすい」などという言い方をしていますが、原子力発電所で行われている原子力エネルギーの使い道は、所詮は「湯沸し」です。原子力でお湯を沸かして蒸気を発生させてタービンを回す…という仕組みで発電しているに過ぎないので、原子力エネルギーそのものがいきなり電気に変換されているわけではありません。


その6に続く)

1993年の『Newton』の「プルトニウムの本当の話」(その4)

ブログネタ
エネルギー・環境問題 に参加中!
その3からの続き)



【平和利用技術を核拡散防止に役立てる。】

鈴木―もう一つ申し上げますと、私はむしろここが重要だと思っているのですが、核兵器をかくれてつくりたいと思っている国があったとします。自分の国で原子力発電を行い、核燃料の再処理工場をつくって、そこからプルトニウムを得ようとすると、時間と労力が非常にかかるのです。お金もいる。ですから、そういう方法はとれないでしょう。秘密に核兵器を開発しているといわれている国では、ごく小さな施設をつくって、そこに別なところから少しずつプルトニウムを持ってきて、核兵器をつくろうとしているようです。そのほうがお金がかからないし、できたプルトニウムも兵器の原料になりやすいのです。そのようなことがおきないようにしていくことが、たいせつなのではないでしょうか。

Newton―プルトニウムの利用計画は核兵器の開発につながるという意見があります。

鈴木―たとえば、日本のプルトニウム利用計画をやめたほうが、世界の人たちが安心するという意見には賛成しかねます。日本がプルトニウムの平和利用をやめても、問題はまったくかわらないでしょう。
 むしろ今後、国際的に核拡散の危険性を最小にしていくためには、プルトニウムを検知したり測定したりする技術が必要なのです。たとえば、プルトニウムをほんのわずかでも検知できるような精度の高い測定法が将来は必要だと思います。核拡散防止のためだけにそれを開発するのはたいへんお金がかかります。しかし平和利用技術で開発されたものを、核不拡散のために使えば、経済的にも効果的です。原子力発電では、プルトニウムを少しでも検知できるような技術開発がつづけられていますから、その技術を使うことができます。そういうことによって、日本が核不拡散に国際的に貢献できるのではないかと、私は最近そのように感じています。



********************



 なぜか鈴木氏は、プルトニウムを作る方法はあたかも原子力発電しかないような言い方をしていますが、別に発電しなくたってプルトニウムは作れます。なぜ、「原子力発電ありき」を前提にしてプルトニウムを作る話をしているのでしょうか。「原子力発電を行う技術があればプルトニウムを入手できる」という言い方なら分かりますけど…。

 …いや、それよりもここの部分で気になるのは、このインタビューの時点(1993年)では、プルトニウムを検知したり測定したりする技術がなかったということです。プルトニウムを検知したり測定したりする技術もないのに、「もんじゅ」を試運転していたなんて…恐ろしすぎます

 「核不拡散」という名目で「プルトニウムを検知したり測定したりする技術」を開発してお金を稼ごうとするのは結構なことですけど、だからといって、なんで原発関係の施設の運営とセットになっているのでしょうか?
 「プルトニウムを検知したり測定したりする技術」を得るために、原発関連の施設を運営する…って、どう考えても順序が逆です。そういう技術をしっかり固めてから、原発関係の施設を作るべきでしょう。
 お金の問題だか国際的な取り決めだか何かで、「プルトニウムを検知したり測定したりする技術」の開発が原発関連の施設の運営とどうしてもセットにしなきゃならないとでもいうのでしょうか? もし、そうなのだとしたら、そんな割に合わない技術の開発になんか手を出さずに、他の技術の開発に取り組むべきです。


その5に続く)

1993年の『Newton』の「プルトニウムの本当の話」(その3)

ブログネタ
エネルギー・環境問題 に参加中!
その2からの続き)


【プルトニウム輸送の安全性】

Newton―プルトニウムに反対するグループは輸送中に事故がおきた場合、大量のプルトニウムが環境中に放出されてしまうといっていますが。

鈴木―たとえば火災事故を問題にされる方がいらっしゃいますが、輸送容器については国際基準があって、火災がおきてもとけないことを確認する必要があります。しかしもともとプルトニウムというのは、海水にとけにくく、環境への影響は少ないようです

Newton―今のお話をうかがっていると、プルトニウムの実態が一般にあまり知られていないという感じがしますけど、いかがでしょうか。

鈴木―プルトニウムは核兵器とのつながりもあって、感覚的に危険なものだといった印象をがあると思います。しかし危険論をとなえている人でプルトニウムを実際にみたり、あつかった人をはほとんどいないようです。そのくらいプルトニウムは通常は入手できません。われわれも大学でプルトニウムをあつかうことはできません。

Newton―すると先生はどこで研究されたのですか。

鈴木―日本においてプルトニウムをあつかうことができるのは、主に動力炉・核燃料開発事業団です。そこへ行ってみせてもらったり、共同研究などを通じて知っているわけです。

Newton―この前の「あかつき丸」でのプルトニウム輸送に関して懸念されたのは、核ジャックされて原爆に使われるのではないかということでした、核燃料のプルトニウムで原爆をつくることは可能ですか。

鈴木―原爆でつかわれているプルトニウムの純度は、90数%だといわれています。それに対して原子炉でできるプルトニウムは、核兵器の材料にすることが目的ではありませんので純度が低く、プルトニウム以外のほかの物質もかなり入っているのです。ですから、原子炉でできたプルトニウムを核兵器用の材料にしようと思っても、実際には非常にむずかしいと思います。原爆をつくるのには何キロ必要かということを正確に把握しようとすると、非常に高度なデータとコンピューターを使って解析しなければなりません。そのようなことは、普通の人にはきわめてむずかしいでしょう。



********************


 ここで私が気になった点は以下の3点です。


●「環境への影響は少ないようです」 という表現。

 なぜここはこんなに自信なさげな言い方をしているのでしょうか? 断言できないということは、プルトニウムが環境へ与える影響をこの時点ではまだ具体的には分かっていなかったということでは…?


●大学だけではプルトニウムの研究ができず、研究したかったら動力炉・核燃料開発事業団を通すしかない。


 これって、言い方は悪いですけど、動力炉・核燃料開発事業団に媚びを売らなければプルトニウムの研究ができないということでは…?
 こんなことでは、必然的に「原発賛成派の研究者しかプルトニウムの研究ができない」ということになってしまいます。
 原発反対派もプルトニウムの研究ができる環境がなければ、フェアじゃないのでは…?

[注:「動力炉・核燃料開発事業団」はインタビュー時(1993年)の名称です。ウィキペディアによると、この団体は2005年には日本原子力研究所と統合され、独立行政法人・日本原子力研究開発機構に再編されているようです。2010年に鈴木篤之はここの理事長に就任されています。(「その1」の記事参照。)]


●インタビュアーの「核ジャック」の懸念についての質問に、なぜか鈴木氏は「普通の人にはきわめてむずかしい」などと答えている。

 核ジャックが国際的な規模で行われた場合は一体どうするのでしょうか? なぜ、「非常に高度なデータとコンピュータを使える組織が核ジャックする可能性」を考えないのでしょうか。
 「核ジャック」の実行犯自身には「非常に高度なデータとコンピューターを使って解析する技術」がなくても、「非常に高度なデータとコンピューターを使って解析する技術」を持つ組織に売り渡す可能性というのもあります。
 …というか、わざわざ核兵器にしなくても、「核ジャック」そのものが既にテロ行為と言えるので、これが成功するだけで相当なパニックになるはずです。
 「どうせ核兵器なんて作れっこないから大丈夫」と言わんばかりの論調はいかがなものでしょうか?

 


その4に続く)

1993年の『Newton』の「プルトニウムの本当の話」(その2)

ブログネタ
エネルギー・環境問題 に参加中!
その1からの続き)


 念のために書いておきますが、このインタビューは1993年に行われたものであるということを念頭に読んで下さい。
 今回、私がこのインタビューをブログで紹介する目的は、「いかに原発事業が見切り発車か」ということや、「微妙な言い方やはぐらかしの多さからくる不信感」や、「プルトニウムの研究の不透明さ」などを分かっていただきたい、ということです。


Newton1993-8-2

[現在、プルトニウムをめぐってさまざまな議論が展開されている。今年秋には、プルトニウムを燃料とする高速増殖炉「もんじゅ」が臨界に達する予定である。プルトニウムの平和利用の必要性を東京大学工学部システム量子工学科の鈴木篤之教授に語っていただいた。]
(注:ここでいう「現在」「今年」は1993年。) 

Newton―最近、高速増殖炉などの燃料として使用するプルトニウムをめぐってさまざまな議論があります。まず簡単にプルトニウムとはどのような物質なのか、お話してください。

鈴木―プルトニウムは原子番号でいうとウランより二つ重い物質です。原子炉では燃料としてウランを使いますが、ウランが中性子を吸収するとプルトニウムになります。現在でも原子力発電所で生みだされるエネルギーの約3分の1は、プルトニウムの核分裂エネルギーによるものです。

Newton―核燃料中に含まれていたウランが、反応している間にプルトニウムにかわり、さらにそのプルトニウムが核分裂をおこしているということですね。

鈴木―そういうことです。

Newton―プルトニウムは猛毒な物質で、危険だという意見がありますが。

鈴木―プルトニウムはウランより放射能が5万倍ぐらい強いので、そのように思われていることが多いようです。しかし放射能だけが問題になるのであれば、温泉でなじみがあるラジウムはプルトニウムのさらに20倍も放射能が強いのです。放射能だけをくらべると、ラジウムのほうがプルトニウムよりも危険な物質だということになります。しかし実際には、ラジウム温泉に入って受けるくらいの放射線量は自然界に広く存在します。だから健康に害をおよぼすことはないのです。プルトニウムについても、わずかな量であれば心配はありません。
 ところが工場などで比較的たくさんあつかう場合は、ちがうのです。そういう場合には、ラジウムもそうですが、安全に気をつけなければいけません。われわれは自然界の放射能と同程度であれば心配する必要はないと思っていますが、工場であつかうような場合には、気をつけてほしいと思います。


Newton―ラジウム温泉で浴びるくらいの量の放射線が、プルトニウムをあつかう工場からもれてくることはあるのですか。

鈴木―そういうことはまずありえません。プルトニウムからの放射線はアルファ線といって、工場からもれるようなことはありません。またプルトニウムはほとんど個体状か液体状になっており、しっかりとした容器に入れてあります。ですからプルトニウム自身がもれることもまずありえません。たいせつなことは、浮遊性の粒子になって飛んでいかないようにすることで、そのために工場では空気がつねに外から内に流れるようにコントロールしています。


********************



 この部分で私が気になったのは、4年前にも書いた通り、「放射能と放射線、外部被爆と内部被爆をごっちゃにしていないか?」ということです。「ラジウムはプルトニウムのさらに20倍の放射能」と言っていますが、だからといって、人体への影響も20倍違う保証などありません。体内に蓄積されやすいかどうか、排出されやすいかどうかは物質によって違いますし、半減期も違うのですから。
 プルトニウム特有の「人体に与える影響」を考慮しないで、放射線量だけでラジウムと比較するなんて、おかしな話です。


その3に続く)

1993年の『Newton』の「プルトニウムの本当の話」(その1)

ブログネタ
エネルギー・環境問題 に参加中!

 本当は、1988年の『Newton』11月号の「Newton徹底取材 原発は安全か?」を先にご紹介するつもりだったのですが、「福島第一原子力発電所の敷地からプルトニウムが検出された」というニュースが昨日(28日)に流れたので、もう一度、1993年の『Newton』8月号に掲載されていた「プルトニウムの本当の話」というインタビューをご紹介することにしました。
 4年前はほんの一部しかご紹介しなかったのですが、今回は頑張って全文アップします。



Newton1993-8

 
 前もって書いておきますが、『Newton』という雑誌自体は、原発に対しては反対という立場にも賛成という立場にも立っていません。インタビュアーは、疑問点があればちゃんと質問しています。
 編集側としてはプルトニウムの安全性も危険性もアピールしておらず、あくまでも「情報提供」といった感じです。このインタビューを読んでどう判断するのかは読者次第、ということなのではないでしょうか。
 編集後記では、竹内均氏は、以下のように述べています。


《今月号の特別インタビューでは、東京大学工学部システム量子工学研究の鈴木篤之さんにご登場いただき、このところ話題になっているプルトニウムの問題についてお話をうかがった。鈴木さんとは昔からの知り合いであり、その鈴木さんが最近おまとめになった『THE ぷるとにうむ』(日本電気協会 新聞部)という本の監修を私が務めている。プルトニウムの問題についてより深い理解を得たい方は、どうかこの本をお読みいただきたい。日本の将来にとって、原子力の問題は重要な問題であり、それは原子力についての正確な知識が必要である。わが国の議論には、とにかくそれが不足しているように思われるのが残念である。》

 
 さりげなく本の宣伝を入れているのがちょっとアレですが、「原子力についての正確な知識が必要」「わが国の議論には、とにかくそれが不足しているように思われる」という言葉には、耳が痛いです。恐らく、原子力に対する関心や議論は、18年前の方がまだ活発だったのではないでしょうか…。

 ちなみに、インタビューに答えている鈴木篤之氏は、1993年の時点では以下のようなプロフィールになっています。


《東京大学工学部システム量子工学科教授。工学博士。1942年、東京都生まれ。東京大学工学部原子力工学科卒業。1974年から1年有余、オーストリアの国際応用システム分析研究所で世界エネルギーモデルの製作に参画する。1978年にはアメリカでプルトニウムの利用技術を調査し、原子力技術の多面性と特異性を研究する。現在、原子力委員会、総合エネルギー調査会などの各専門部会・小委員会の委員を務める。》


 ネットで検索してみたら、2002年には内閣府原子力安全委員会委員(非常勤)、2004年には同委員(常勤)、2005年には同委員長代理、2007年には同委員長に就任されていて、2010年8月11日には日本原子力研究開発機構の理事長に就任されているようです。


その2に続く)

『ROCKIN'ON JAPAN VOL.350』の「エレカシ3万字インタヴュー」(その4)

ブログネタ
音楽いいたい放題!! に参加中!
その3からの続き)


宮本「俺、池袋の本屋で立ち読みしてたら、前からのファンの女の子に『宮本さん、ちょっと言いたいことがあるんですけど。宮本さんのエピック時代に感じられたあの風が、”悲しみの果て”からは感じられません』って言われたんだよね。でもそれ、俺、ほんとに嬉しかったんだよね。要するにそういうふうにしたかったから。エピックのことを好きだったみんなが、これでがっかりするんだろうなって。直接そうやって俺、言われたでしょ。結構嬉しかったですよ。してやったりじゃないけど、ようやくそういうこと言われるまでになったか(笑)って思いました」
(『ROCKIN'ON JAPAN VOL.350』58ページ)


●ところが売上っていうのは、宮本くんが決意して行こうとした方向を俄然支持するわけだよね。それでもどっかにしこりが残ってんの?
宮本「いやいや。それはもう嬉しくてしょうがなかった。目黒のスタジオでレコーディングしてる時にさ、『宮本くん、出荷が5万になったよ!』『次は7万になったよ!』。で、『ココロに花を』がタワーレコードで1位になったの。ものすげえ嬉しかった。(略)」
(『ROCKIN'ON JAPAN VOL.350』60ページ)


《当時、宮本浩次と会うたびに互いに話していたことは、いかにこの世界観を極めるかということであり、いかに妥協のない独自で本物のロックを叩きつけるかということだけだった。売れる、売れないなどどうでもよかったのだ。たが、いつか完全に勝利することを疑いもせず信じきっていたのである。》
(ライナーノーツ40行目のあたり)



 ポニーキャニオン時代のヒットを嬉しそうに語る宮本氏のインタビューを読んだ後に、ライナーノーツの「売れる、売れないなどどうでもよかったのだ」の部分を読むと、「本当かよ?」と疑いたくなります。もしかしたら、当時のROCKIN'ONの対談か何かで本当にそういう風に語っていたのかもしれませんが、当時のEPICの上の人が「イメージ作りのために対談ではこれこれこういう風に語ってくれ」と宮本氏に頼んでいたのかもしれませんし、宮本氏が気を遣って、山崎氏の期待通りの言葉を口にしていたのかもしれません。
 ・・・しかし、いずれにしても、プロでミュージシャンをやっている以上、本心から「売れる、売れないなどどうでもいい」なんて思って音楽を作っていたとは、ちょっと考えにくいことです。

 ライナーノーツの中では、「売れる、売れないなどどうでもよかった」と宮本氏が語っていたその理由を、「いかにこの世界観を極めるか」「いかに妥協のない独自で本物のロックを叩きつけるか」という”こだわり”のせいにしていますが、インタビューでは、宮本氏は「いかにこの世界観を極めるか」にも「いかに妥協のない独自で本物のロックを叩きつけるか」にもこだわっていません。ライナーノーツで山崎氏が記述している、「いかにこの世界観を極めるか」「いかに妥協のない独自で本物のロックを叩きつけるか」という”こだわり”が嘘だったのだとしたら、それを根拠とした「売れる、売れないなどどうでもよかった」という記述も、当然、嘘ということになります。

 インタビューには編集が入るでしょうから、語ったことがそのまま紙面に載るわけではないですけど、それにしても、それほど時間を開けて執筆されたとは思えないライナーノーツと比較して、「なんか矛盾してないか?」と思われてしまうような内容なのは、いかがなものでしょうか…。しかも、解釈によっては、宮本氏が嘘をついている(あるいは、かつては嘘をついていた)と取られてしまうような内容とあっては、一体、誰が得をするというのでしょうか。エレファントカシマシのメンバーも、古参のファンも、新参のファンも、ROCKIN'ONという雑誌も、全然得をしていません。
 唯一、得をしているのは、「エレファントカシマシとの仲良しっぷり」をアピールすることによって、自己顕示欲を満足させている山崎氏です。こうまで個人的な欲望をおおっぴらにしてしまうような人物では、ライターとしてもエディターとしても、問題ありだと思います。

 


ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2009年 05月号 [雑誌]ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2009年 05月号 [雑誌]
ロッキング・オン(2009-04-20)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る



エレカシ 自選作品集 EPIC 創世記エレカシ 自選作品集 EPIC 創世記
アーティスト:エレファントカシマシ
ソニー・ミュージックダイレクト(2009-09-16)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

『ROCKIN'ON JAPAN VOL.350』の「エレカシ3万字インタヴュー」(その3)

ブログネタ
音楽いいたい放題!! に参加中!
その2からの続き)


●当時は、実はそういう無謀なことばっかりやってたんだよね。客電つけたままのライヴとか。
宮本「僕はそれは好きじゃないです。もちろん武道館3千席だって、反対したんですから」
●でもそんなことばっかりやってたわけでしょう。
宮本「そう。だから神出鬼没って山崎さんに言われたけど。スライダーズとかかっこいいバンドはいたし、最初からもっと普通にやりたかったんですね。ナショナルの電池のコマーシャルのタイアップが決まったのになんで出ないんだろうとか、なんで『夜のヒットスタジオ』断るんだろうとか、僕は思ってた。だから当時は、武道館3千席っていうのは、『またそういうことやってる!』って冷めてたし、観に来てくれた人たちには悪いんだけれども、腹が減ってたのしか覚えてない。”夢のちまた”っていう曲を1曲目にやってると思うんだけど、単に腹が減って、メシ食っときゃよかったなと思ってやってたんだよ。まあ、僕のことだから、そう思いながらも武道館でやるっていうのは喜んでるはずだよ。ただ、とはいえ、まあしょうがない。それはバンド云々とは別で、世の中に生きてれば、みんなあることだと思う。ここ自分の居場所じゃないじゃないかなあ、でもがんばらなきゃ、仕事だし、って思う場面ていっぱいあるじゃん?」
(『ROCKIN'ON JAPAN VOL.350』53ページ)


 2月15日の記事で私が書いた、

《当時のEPICソニーは、コアなロックファンにだけターゲットを絞って、エレファントカシマシを売り出していました。…というか、むしろ、私にしてみれば、コアなロックファン以外の耳には入らないように努力していたようにすら見えました。》

 …という文章を裏付けるような事を宮本氏は言っています。『夜のヒットスタジオ』のオファーをEPICの人が断った、とか、「普通のライブ」をやりたかったのにやらせてもらえなかった、とか…。
 宮本氏は当時のそういう戦略を明らかに不満に思っていますが、「とはいえ、まあしょうがない。それはバンド云々は別で、世の中に生きてれば、みんなあること」と自分に言い聞かせています。これが妥協じゃなければ一体何だというのでしょうか? 山崎氏の言うところの「妥協のないロック」とやらは一体何なのでしょうか?

 ちなみに、宮本氏はこの後で、当時の境遇に対して不満ばかり持っていたわけではないことをアピールしています。


宮本「(略)俺、実際言ったの覚えてんだけど、3千人しか入んないから3千人で、それが面白いみたいな。『よっしゃあ!』みたいになってんのは、そりゃもうアホかと思うよね。でも、今こうやって持続してやってみると、それもひとつの面白さでもあるじゃん。伝説。エピック・ソニー時代のああいったものの積み重ねが、ポニーキャニオン時代の大キャンペーン作戦に流れが行ってるから。今思うとわかるけど」
(『ROCKIN'ON JAPAN VOL.350』53~54ページ)


 色々積み重ねた結果としての「現在の成功」があるから、当時のEPICの戦略を「伝説」扱いにできますけど、「成功した現在」がなかったらそんなものは「ただの失敗」でしかありません。
 …まあ、この場合は、宮本氏はEPICをフォローするために敢えてこういう言い方をしているのであって、決して自分達の過去を「武勇伝」扱いしているわけではないわけですけど。

 これの数ページ後では、宮本氏は、EPICソニー、及び、EPICとの契約が切れた後もファンでいてくれた人たち両方を気遣うような発言をしています。


●(略)ポニーキャニオンに決まって、そこから大ブレイク。
宮本「そん時って夢中だからね、わからないんですよ。でもバンドの頂点なんですよ、ある種の。僕はなにしろこのバンドで売れてやると思ったし。なんかの雑誌で、『一部の熱狂的なファンを呼んで、シーンから去った』みたいなことが書いてあったの。それをまたいい具合にコンビニとかで俺が目につけちゃって。『なんだこの野郎! 絶対4人で売れてやる!』みたいなのがあったんですよ。ほんとは『東京の空』ぐらいから、ちょっと『うわ、大変だこれから』って思ってるとこに、いい具合に契約が切れたんだよ。だからエピックの人がチャンスをくれたぐらいに僕は思ったね。僕はそう解釈した。でも、世間のみんなはわりとエピックを悪者にしてくれたんだよ。それもありがたかった。下北で『エピック馬鹿野郎! 俺の契約切りやがって!』って言うと盛り上がるみたいな。面白いもんですよ、世の中って」
(『ROCKIN'ON JAPAN VOL.350』57ページ)


 レーベルに気遣いするあまりに、リスナーを悪者扱いした山崎氏とは全然違いますね。




その4に続く)



ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2009年 05月号 [雑誌]ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2009年 05月号 [雑誌]
ロッキング・オン(2009-04-20)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る



エレカシ 自選作品集 EPIC 創世記エレカシ 自選作品集 EPIC 創世記
アーティスト:エレファントカシマシ
ソニー・ミュージックダイレクト(2009-09-16)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

『ROCKIN'ON JAPAN VOL.350』の「エレカシ3万字インタヴュー」(その2)

ブログネタ
音楽いいたい放題!! に参加中!
その1からの続き)


 それでは、インタビューの一部を引用しながら、具体的に何が『エレカシ 自選作品集 EPIC 創世記』のライナーノーツの内容と食い違っているのか、挙げていきます。


●(略)で、サードアルバムの『浮世の夢』で、いきなり歌詞が変わるじゃん。文語調のような作風に。
宮本「はい」
●その次の『生活』なんて、それの最たるものになってるけど。
宮本「ファーストアルバムとセカンドアルバムっていうのは、デビュー前からの流れでやってたんですね。要するに……僕は当時、レッド・ツェッペリンみたいなバンドになりたかったの。で、歌詞は太宰治みたいにしたかったんだよ。わかりやすく言っちゃうと。で、1枚目と2枚目はバンドサウンドでやったんだけど、でも僕は音がうるせえって思ったわけ。”待つ男”っていう曲の最後で、『長い』って僕は言ったんです。昔やった”ゴクロウサン”や、”やさしさ”や”ファイティングマン”には、もっとストレートな、無理してないよさがあった。それがすごく練習しちゃったり、いろんな評価が生まれたり、それぞれが力んだりしたことで、ドーピングされたって感じがあって。山崎さんとのインタヴューで、ファーストアルバムは何点ですかって訊かれて、僕は60点ぐらいって言ったんだけど、それはなぜかっていったら、”やさしさ”が全然違う。もっとデリケートな音だったの。だから、(『浮世の夢』では)もう一回自分の歌を取り戻したくなったんです。それがすごく出たんだと思います」
●で、歌詞も含めて変わったってこと?
宮本「そう。温度が自分の温度に近くなった。『そっちじゃない。俺はこれだ』っていう感じかなあ。(略)」
(『ROCKIN'ON JAPAN VOL.350』52ページ~53ページ)


《そしてEPIC時代の6年間に残した7枚のアルバムには、ロック・アーティストが純粋にその破格の才能と衝動と志だけでどこまで行けるのか、そのロックの臨界点が鮮烈に刻み付けられている》
(ライナーノーツ8行目のあたり)


 
 インタビューを読めば、いかに宮本氏が「自分のやりたい音楽」と「アルバムの音楽」の違いを気にしているか分かりますね? 決して、「破格の才能と衝動と志だけ」で突き進んでいこうとなんかしていません。


《売れる、売れないなどどうでもよかったのだ。だが、いつか完全に勝利することを疑いもせず信じ切っていたのである。
その純粋さと情熱があったからこそ、EPIC時代の孤高の傑作群は生まれた。》  
(ライナーノーツ43行目のあたり)



 宮本氏はファーストアルバムを「60点」としていますから、このアルバムに関しては「傑作」とは思っていません。セカンドアルバムも、「音がうるせえ」って言ってますから、満足の出来というわけではありません。アルバム全てをベタ褒めしている山崎氏とは随分評価が違いますね。


その3に続く)



ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2009年 05月号 [雑誌]ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2009年 05月号 [雑誌]
ロッキング・オン(2009-04-20)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る



エレカシ 自選作品集 EPIC 創世記エレカシ 自選作品集 EPIC 創世記
アーティスト:エレファントカシマシ
ソニー・ミュージックダイレクト(2009-09-16)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

『ROCKIN'ON JAPAN VOL.350』の「エレカシ3万字インタヴュー」(その1)

ブログネタ
音楽いいたい放題!! に参加中!

 近所のブックオフに行ったら、『ROCKIN'ON』が大量に置かれていたので、「ああ、これが、山崎洋一郎氏が編集長をしている『ROCKIN'ON』かぁ…」と思いながら分厚い背表紙を見ていたら、「エレカシ」と書かれている号(MAY 2009 VOL.350)を発見しました。
 表紙には「エレカシは行く! 3万字インタヴュー! 結成から28年間の全てを語る!」と書かれていて、面白そうなので買ってみました。
 amazonで調べてみたら、この号が発売された日は2009年4月20日でした。(裏表紙に書かれている発行日は「平成21年5月20日」。)


ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2009年 05月号 [雑誌]ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2009年 05月号 [雑誌]
ロッキング・オン(2009-04-20)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る




 一方、先日、私がこのブログでライナーノーツへの疑問を長々と書いた『エレカシ 自選作品集 EPIC 創世記』の発売日は、2009年9月16日です。
 『ROCKIN'ON』の発売日の方がCDより5ヶ月ほど早かった、ということになります。


エレカシ 自選作品集 EPIC 創世記エレカシ 自選作品集 EPIC 創世記
アーティスト:エレファントカシマシ
ソニー・ミュージックダイレクト(2009-09-16)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


 『ROCKIN'ON』のインタビューを読んで思ったのは、「ライナーノーツに書いてある事と全然違うじゃん!」ということでした。
 『ROCKIN'ON』のインタビューのページには、インタビュアーが誰なのか明記されていないのですが、インタビューの「前書き」にあたるページには「山崎洋一郎」と書かれているので、恐らく、インタビュアーも山崎氏で間違いないと思います。

 細かい部分は別途で記事にするとして、まず、インタビューの内容を大まかにご説明します。
 まずは、「エレファントカシマシ」というバンドの成り立ちについての話から始まっているのですが、これは、ウィキペディアに書いてあることとか、『扉の向こう』というドキュメンタリーで語られていることを、もっと詳しく説明している、という感じです。
 オーディションからデビューまでの流れの話は、かなり面白いです。オーディションではユニコーンや槇原敬之と一緒だった、とか。

 問題は、アルバムのリリース以降の話。これが、ライナーノーツの内容と相当矛盾しているんです。ライナーノーツでは、あたかも「エレカシはロックを極めるために妥協しないで頑張っていた!」みたいな説明になっていましたけど、インタビューには「ロックを極める」なんていう野望なんかこれっぽっちも出てきません。宮本氏の話から受ける印象だと、「ロックは手段」という感じです。「自分がやりたい(作りたい)音楽」のビジョンが既に頭の中にあって、それをどう表現するかで試行錯誤していた…みたいな感じです。ロックという「ジャンル」にこだわっている様子は全くありません。
 ライナーノーツでは「EPIC時代のエレカシは妥協しなかった」みたいに書かれていましたけど、インタビューの中で宮本氏は当時のEPICのやり方には納得していなかった、とはっきり語っています。納得していなかったけど、「仕事だから」ということで従っていたんだそうです。これって、完全に「妥協」していますよね…。

 興味深いのは、山崎氏が、EPICソニーに対して批判的なことを全く言わない、という点です。冗談交じりの皮肉さえ言っていません。
 宮本氏は、EPIC時代の不満をインタビューで語っているので、遠回しに批判しているような雰囲気になってしまっている部分があるのですが、後々、ちゃんとフォローが入っていて、EPICへの感謝をにじませています。
 一方、山崎氏は、宮本氏の「EPIC時代の不満」に同意する様子は微塵も見せず、さらっと受け流しています。おそらく、同意してしまうと、EPICを批判しているも同然になってしまうので、わざと当たり障りのない受け答えをしている、ということなのでしょう。(あるいは、実際のインタビューでは好き勝手言っていたけど、編集の際に手直ししたとか。)

 音楽雑誌の編集長をしているからには、音楽業界を敵に回すわけにはいかないでしょうから、レーベルに対する批判的な言動を慎むのは当然のことです。ライナーノーツでは、尚更レーベルの批判なんてできないでしょうし。
 ですから、私は、山崎氏がエレファントカシマシ在籍時のEPICのやり方に対して何も言わない事に関しては、特に不満はありません。音楽業界に携わる人間としては、それは当然だと思います。
 ですが、レーベルを悪く言えないからといって、「悪いのはリスナー」ということにしてしまうのは、許せません。私が『エレカシ 自選作品集 EPIC 創世記』のライナーノーツに関して長々と批判を書いていた理由は、これなんです。EPIC在籍時のエレファントカシマシが売れなかった理由をレーベルのせいにはできないから、じゃあ、責任を「当時のリスナー」になすりつけてしまえ…という卑怯なやり方に、私は不満を覚えたんです。

 音楽は所詮は「好き/嫌い」の世界です。特定の音楽を好きになれないリスナーがいたとして、それが「悪い事」なわけではありません。嫌いな対象に対して何らかの批判的な表明をすれば、その表明に対する「責任」は生じますけど、嫌いであることそのものには何の責任も生じません。

 要するに、山崎氏は、リスナーを舐めている、ということなのでしょう。業界に対する配慮はあっても、リスナーに対する配慮がないんですから。
 …というか、正確に言えば、山崎氏が配慮していないのは「昔のリスナー」に対して、ですね。ライナーノーツで「ロックを聴く耳を持たない」とみなしたのは「昔のリスナー」に対してなんですから。
 しかし、エレファントカシマシがEPICに在籍して活動していたのは、20年かそこら前の話です。50年も60年も間が開いているのならともかく、たかが20年かそこらの期間では、リスナーは丸々入れ替わっているわけではありません。当時高校生や大学生だったリスナーは今はアラフォーですけど、「音楽の趣味が昔のまま」なんていう人はたくさんいます。
 山崎氏の頭の中に、「昔のリスナー」と「今のリスナー」はある程度被っている、という認識がないため、配慮のないライナーノーツを書いてしまう結果になってしまったのでしょうね。「20年前のリスナーを馬鹿にすれば、それは、現在のリスナーの一部を馬鹿にすることに繋がる」ということに、考えが及ばなかったのでしょう。





その2に続く)

日経新聞夕刊に掲載されていた高樹のぶ子先生のインタビュー(その4)

ブログネタ
考えてみたらアカデミックでもなんでもない日常 に参加中!
その3からの続き)


[アジア体験は日本文学の特質を再考するきっかけにもなった。]
《昨年末に出した書下ろしの中篇『飛水』は「トモスイ」などと同じ手法で生まれたといえる。日本のある秘境に行き、帰りの新幹線でばーっと書いた。(略)アジアを巡った後で日本を再発見した思いもした。》



 わざわざアジアと対比させて日本を再発見したんですか? それって「頭」を使ってますよね? 日本の「秘境」に行く場合は、「頭ではなく全身のアプローチ」とやらは実行しないんでしょうか。「未体験ゾーン」であることに変わりはないはずなんですけど。

 結局のところ、アジアでの体験をもとして日本を「再発見」して、それをインタビューで話しているわけですから、「小説家に知識なんて必要ない」なんて言いつつも、ちゃっかりとご自分が得た「知識」を利用しちゃってますよね。言ってることとやってることが矛盾しちゃってますね。


《日本文学の特異性についても考えるようになった。アジアの作家は現実や歴史に対してファイティングポーズをとっている。しかし日本の作家は言葉が社会に与える影響をあまり感じていない。》

 
 「アジアの作家は現実や歴史に対してファイティングポーズをとっている」←えっ? それって、アジアの作家だけの話じゃありませんけど…。ラテン・アメリカ文学なんか特に顕著ですよね。現実や歴史に対して攻撃的な姿勢をとっている小説がたくさんあります。

 「アジアの作家」でひとくくりにしちゃってますけど、中国だって韓国だってベトナムだってモンゴルだって、それぞれに特徴があるはずですよね? みんながみんな、社会に対して攻撃的な姿勢で小説を書いているとでもいうのでしょうか。それぞれの国に、歴史的・政治的・地理的・文化的な事情がありますし、作家ひとりひとりにだって個人的な事情があります。

 そもそも、高樹先生ご自身だって、別段、社会に対して攻撃的な小説なんて書いていませんよね。今時、セッ●ス描写があけすけな程度の小説ごときで、社会に影響なんか与えられやしないんですから。
 高樹先生は、『甘苦上海』の評判の悪さはセッ●ス描写の過激さってことにしたがっていますけど、あの程度のエロ描写、私にはヌルくて仕方がありませんでした。真摯にセッ●スを描写している小説だったらポルノ小説として評価しますけど、あの程度のエロ描写の小説をポルノ小説扱いしたら、本物のポルノ小説に失礼です。


《自分たちを外から眺めず、限られた範囲で縮小再生産しているように映る。他方、権力や政治から遊離しているからこそ、抹殺されずに営々とつながってきたところもある。(略)》


 日本の文学界がせせこましいのは、「文壇」でのさばっている人たちのせいだと思うんですけどねぇ…。
 あたかも高樹先生は「日本の作家が自分たちを客観視できないこと」を批難している風な口調ですけれど、その日本の作家には、もちろん御自分も含まれているんですよね?
 まさか、『婦人公論』での渡辺淳一先生との対談の時みたいな「上から目線」じゃないですよねぇ?
  




甘苦上海IV
甘苦上海IV
著者:髙樹 のぶ子
日本経済新聞出版社(2009-11-03)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

日経新聞夕刊に掲載されていた高樹のぶ子先生のインタビュー(その3)

ブログネタ
アジア に参加中!
その2からの続き)


[プロジェクトから生まれた自身の短編集『トモスイ』の表題作が昨年川端康成賞を受賞するなど、5年の実りは大きい。(略)]
《5年の間に変化もあった。作家としての書き方もそうだ。私はどちらかといえば長編作家と思われていた。しかし短編の「トモスイ」で賞をいただけた。変わったところをみてもらえたのではないか。》


 
 「変わったところをみてもらえた」…? その賞っていうのは、作家の「変化」が、受賞するための条件なんですか? このインタビューの内容だと、「トモスイ」という作品の、一体何が、どう評価されたのか、さっぱり分かりません。
 おそらく、この、「賞を貰った」という部分が、このインタビューのキモなんでしょうね。これをアピールするのがこの記事の目的なのではないでしょうか。


《文明からかけ離れていると思い込んでいたモンゴルのゲルにパラボラアンテナやソーラー発電パネルがついていたことなど、目の当たりにして初めて分かることが多い。現場で感性が揺り動かされる。あちこち巡るうちに、小説についての考え方も溶け、ほどけた。》


 「文明からかけ離れていると思い込んでいたモンゴルのゲル」

 ↑ これ、「文明からかけ離れていると思い込んでいたモンゴル」の「ゲル」なんでしょうか?
 それとも、「文明からかけ離れていると思い込んでいた」「モンゴルのゲル」?
  どちらに解釈するかによって、かなりニュアンスが変わりますよね。仮に前者だったら、モンゴルという国に対して滅茶苦茶失礼な書き方です。ウランバートルの写真なり映像なりを見たことがあれば、「文明からかけ離れていると思い込んでいたモンゴル」なんて言葉は出てこないはずです。
 『紅子さんへの別れの手紙』でも、どう解釈すればいいのか分からない文章がありましたし、高樹先生って何でわざわざこういう風に誤解を招くような表現をするのでしょうか?

「目の当たりにして初めて分かることが多い」

 ↑ もちろん、現地に行かなければ分からないこともありますけど、現地に行かなくたって分かることはたくさんあります。なんで前もって、「現地に行かなくても分かること」を下調べする努力をしないんでしょうか。

 「現地で感性が揺り動かされる」

 ↑ これ、要するに、「偏見がなくなった(あるいは少なくなった)」というのを別の言い方で表しているだけですよね。自分の無知からくる偏見を反省するのではなく、「感性が揺り後かされた」ですか。不倫やフタマタを「ふたごころ」と言い換えて美化したテクニックによく似ていますね。


《最初の訪問先のフィリピンから帰ってきた際は時間をかけて懸命に書いた、しかし、だんだん現地で書けてしまうようになってきた。作品もどんどん短くなった。移動の飛行機、あるいは滞在先のホテルで筋書きなどがばーっとメモできてしまう。それを帰国してすぐ小説にまとめる。》


 仕事がお早いのは結構なことですけど、その国の歴史や文化や風土を調べようとしている様子が全く見受けられませんね、この文章からは…。
 「こういうのを見た」「こういうのを食べた」というだけの、一種の「体験記」だったら別にそれでもいいですけど、『甘苦上海』や『ナポリ 魔の風』みたいに、「ただの思い込み」をさも「事実」のように描写したり、「いいがかりをつけている」としか解釈できない文章を書いていたら…と思うと…
 どうか、現地にお住まいの方が目にしませんように…と、祈るばかりです。



その4に続く)










甘苦上海 III
甘苦上海 III
著者:髙樹 のぶ子
日本経済新聞出版社(2009-09-02)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

日経新聞夕刊に掲載されていた高樹のぶ子先生のインタビュー(その2)

ブログネタ
社会人のお勉強。 に参加中!
その1からの続き)



《そもそも小説家(にとって大切なもの)は知識ではない。》


 これ、なんで、「にとって大切なもの」の部分がカッコなんでしょうね…。ちょっと意味不明です。


《知ることなら学者がいいし、調べることなら研究者がいくらでもいる。》

 
 自分なりに知ることや調べることは、誰もができることです。小学生だって、興味のあることや、必要なことは、自分できちんと調べます。「小説家だから知ることも調べることも必要ない」って、一体どういうことなのでしょうか。知識がなきゃ、感じたことを文章にして、正しく読者に伝えることなんてできないはずです。

 そもそも、高樹先生は、九州大学の特任教授のはずです。生徒に知識を与える立場の人間が、「自分は小説家だから知識なんかいらない」とは何たることでしょうか。一体、「特任教授」という肩書きでもって、九州大学で今まで何をしてきたのでしょうか。「若者の感性に触れる」とかいう建前で、学生とお茶でも飲んでいたのでしょうか。
 仮にオブザーバー的な立場だったとしたら、「教授」という肩書きなんかいりませんよね。ただの一作家として「SIA」とかいうプロジェクトに参加していればよかっただけの話です。
 「教授」という肩書きを背負っている自分の立場というものを軽々しく考えすぎです。

 そういえば、高樹先生は、文学賞の選考委員という肩書きもお持ちですけれど、「小説家に知識なんかいらない」と豪語するような人に選評されなければならない立場の作家の気持ちを少しはお考えにならないのでしょうか? 誰もが納得できるような批評をするには、それ相応の知識が必要になるはずではないのでしょうか?
 『恋愛空間』の突っ込み記事でも書きましたけど、高樹先生は、「読む方にそれ相応の読解力が必要とされる作品」を突きつけられた場合、それを理解できないのは「自分の読解力が足りないせい」なのか、それとも「筆者の描写が稚拙なせい」なのか、ちゃんと判断できるのでしょうか? それを判断するのに必要なのは知識ですよね? 決して「感性」などではありません。
 「小説家に知識なんかいらない」なんていう発言をする選考委員にこき下ろされている作家がこの世にいるのかと思うと、同情を禁じえません。

 どうやら高樹先生は「自分は学者や研究者じゃないから」ということを逃げ口実にするおつもりのようですけど、一体どこの誰が、高樹先生に「専門家並の知識」を求めているというのでしょうか?
 『甘苦上海』の336話にも書きましたけど、私は、小説家に「専門的知識」なんか求めていません。私が何度も何度も主張しているのは、「読者に誤解を与えるような描写はダメ」っていうことなんです。50代の女と30代の男のセッ●スシーンが書きたいのであれば、いくらでも書けばいいんです。上海を「魔の都」だの「欲望の町」だの描写したいのであれば、そうすればいいんです。でも、読者の無知につけこむような描写はやっちゃダメなんですよ。
 私が何年もの間、学年誌に突っ込み続けた理由だって、結局のところはこれだったんです。学年誌の漫画や記事が、読者(=小学生)の無知につけこんでいるから、私は怒りを覚えていたんです。


《そうではなく現地の空気に身を浸すこと。そして文学を通して国を見ること。頭ではなく全身のアプローチ。それぞれの場所には人間が存在している。それを伝えるのはデータではなく、人間を描く小説だ。》


 「頭」も全身のうちのひとつなんですけどねぇ…。全身を使ってアプローチをするのであれば、「頭」も使えばいいじゃないですか。なんで頭(を使った知識の吸収)だけを除外する必要があるのでしょうか。
 「文学を通して国を見る」のであれば、どう考えても「頭」を使っていますよね。全くもって矛盾しています。それとも、高樹先生は、文学に接する時は、「感性」とやらだけを頼りにしているのでしょうか。ほとんどオカルトの世界ですね。
 「人間の存在を伝える手段」に、なぜか「データ」を否定していますけど、データは「手段の一つ」ですよね? わざわざ否定する意図が分かりません。
  しかも、高樹先生は、『甘苦上海』においては、キャラクター一人一人の人格の描写が全くできていませんでした。唯一、人格らしきものが描写できていた「紅子」ですら、自己愛が強すぎて、人格障害といっても過言ではないキャラクターでしたし。あれが「人間を描いた小説」だというのなら、片腹痛いです。ただただ、主人公の身勝手さを正当化していただけじゃないですか。(このあたりのことは、385話を参照して下さい。)
 



その3に続く)





甘苦上海 II
甘苦上海 II
著者:高樹 のぶ子
日本経済新聞出版社(2009-06-02)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


日経新聞夕刊に掲載されていた高樹のぶ子先生のインタビュー(その1)

ブログネタ
世の中どうなっているんだ に参加中!

 2月23日の日経新聞の夕刊に、高樹のぶ子先生のインタビューが掲載されていたんですけど、相変わらず、突っ込みどころ満載の内容でした。物事のとらえ方が『紅子さんへの別れの手紙』の掲載時と全くお変わりないようで、これはこれで信念らしきものを感じますが、私の方も突っ込みは信念のようなものなので、以前と同じように突っ込ませていただきます。


日経夕刊2月23日


《アジア巡り得た しなやかな創作》
《感性 現地に浸し 放つ》


 はい、きました、「感性」。高樹先生のお好きな単語ですね。高樹先生の場合、「無知からくる偏見」を感性と称しているだけなんですけどね。

 この記事では、プロフィールに『甘苦上海』のことが書かれているんですけど、インタビューの方では一切言及していません。きっと、「触れたくない(触れられたくない)過去」なんでしょうね。


[アジア10ヵ国・地域を巡り、各地の文学者たちと交流するプロジェクトSIA(サイア)を慣行した作家・高樹のぶ子さん。5年にわたってアジアに浸る濃密な経験は、創作方法の変化をもたらしたという。]


 『甘苦上海』は、その、「SIA」とやらいうプロジェクトの派生物だったはずですけど、あの小説は、作者の「濃密な経験」とやらが活かされているようには全然思えませんでした。「観光客向けのレストランやバーで、ご飯を食べたりお酒を飲んだりしてきた」ということだけはひしひしと伝わってきましたけど。


《私はもともとアジアに詳しいとか、アジアを好きとかいうことは一切ない。(略)》



 はい、それは充分に分かっています。『甘苦上海』からは、上海に対するリスペクトがこれっぽっちも伝わってきませんでしたから。チベット人やチベット仏教に対する無知や偏見も凄かったですし。
 …ていうか、アジアだけでなく、薩摩切子にも興味がないですし、戦後の日本の経済にも興味がないのが明らかでしたよね。(『甘苦上海』の239話198話を参照)
 むしろ、何に対して興味があるのかを教えていただきたいです。恋愛とセッ●スを抜きにして。


《だからこそ自分の感性を開け放って、白紙になることができた。先に何か知識があればプロジェクトの組み立ても変わったかもしれないが、私には何もなかった。》


 『ナポリ 魔の風』の突っ込みの時にも書きましたけど、人間、長く生きていわばいるほど、偏見が蓄積していくんですから、「頭の中を白紙にする」なんてことはできません。
 「無知」を「純粋・素直」と看做せるのなんて、子供のうちだけです。大人になってから、偏見なしで物事に接しようと思ったら、知識をためるしかないんです。

 上海の観光スポットで売られているお土産屋レベルの密教画を「チベット仏教の僧侶が描いたもの」と思い込む(226話)のは純粋でも何でもありませんし、道端で二束三文で売られている仏像を「ラオスやカンボジアから盗まれたものかもしれない」と想像する(272話)のも純粋ではありません。ただの無知と偏見です。




その2に続く)







甘苦上海〈1〉夏から秋へ甘苦上海〈1〉夏から秋へ
著者:高樹 のぶ子
日本経済新聞出版社(2009-03)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

記事検索
月別アーカイブ
最新コメント
プロフィール

さらさ

読書メーター
更紗蝦さんの読書メーター

更紗蝦さんの読書メーター
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ