更紗のタペストリー(L)

auoneblogから引っ越してきました。 主に、アート・書籍・音楽・映画などについて語ってるブログです。 もうひとつのブログ(http://sarasata.seesaa.net/)では、日経新聞の連載小説の感想を綴っています。

学年誌

『ぼくらの翼―国境なき路上の子供たち』(姫川明・著)

 以前、学年誌絡みの記事をまだ書いていた頃、姫川明先生の『556(ココロ)ラボ』という漫画を一年間追っていたことがあり、当時、同じ著者による『ぼくらの翼―国境なき路上の子供たち』という単行本がすごく気になっていたのですが、当時は絶版本だったため、読むのを諦めていました。(2002年に出版された本なのに、6年しか経っていない2008年には絶版で入手困難になっていたところに、いかに小学館が学年誌漫画のマーケティングに力を入れていないか分かりますね…。)




 …ところが最近、電子書籍化され、「漫画図書館Z(旧・Jコミ)」(http://www.mangaz.com/)やauブックパス(https://bookpass.auone.jp/)で読むことができるようになりました。


「漫画図書館Z」内の『ぼくらの翼―国境なき路上の子供たち』のページ→http://www.mangaz.com/book/detail/121661
(※無料)

「auブックパス」内の『ぼくらの翼―国境なき路上の子供たち』のページ→
https://bookpass.auone.jp/pack/detail/?iid=LT000090311000733815&skip_flag=true
(※有料(この記事を書いている段階では読み放題プランの対象になっています)


 なぜこの本が気になっていたのかというと、私は元々は姫川先生の漫画には悪い印象を全く持っていなかったのに、『556(ココロ)ラボ』の内容が「小学生の読者を舐めている」&「本来読者として想定されていない“ネットユーザーのおっさん”に媚びている(『ないしょのつぼみ』のように)」としか思えない内容だったためにものすごく印象が悪くなり、たまたま『556(ココロ)ラボ』の出来が酷かっただけなのか、あるいは「子供の読者」の方向に意識を向けないで漫画を描いている方なのか、見極めたいと思っていたからです。

 …で、『ぼくらの翼』を読んでみた感想ですが…。
 テーマが「フィリピンとベトナムのストリート・チルドレンと、アフガニスタンの戦乱の中で生きる子供たち」という、とても社会性が高いものとなっており、「ためになる作品を作ろう」という作者の編集部の意気込みがとても伝わってきて、「この頃はまだまともな編集方針が残っていたんだなぁ」と思わせられる内容になっています。

 …ですが、「子供に分かりやすく&共感しやすく」という方針があだとなり、貧困や戦争が生じる社会システムや、当事国や関連国の政治的な責任がまるきり見えないストーリーになっている上に、「本来なら関心を持たなければいけないのは大人の方」という前提も見えてこないため、元々問題意識の高い子供や、色々な本を読み慣れている子供なら、モヤモヤしたりムッしたりするであろうことが容易に想像できる内容となってしまっています。

 敢えて厳しい言い方をすれば、子供の読者を舐めています。(作者の方と、当時の編集の方には申し訳なく思いますが、子供の読者を想定とした漫画であり、テーマが重いからこそ、敢えて厳しい意見を書かせていただきます。)
 学年誌という性質上、高い要求は酷だという意見もあるでしょうが、仮に私が小学五年生の時にこの漫画を読んだらモヤモヤしたことは確実ですし(そのモヤモヤを言葉で説明することは小学生の自分には到底無理ですが)、これが学年誌の限界なのだとしたら、廃刊への道を辿ったのは必然だったと考えるよりほかありません。

 物語の構成上、主人公の男の子を海外に連れて行くシチュエーションが「お父さんが連れて行く」以外になく、そのお父さんを「立派な人」という設定にしなければならないという事情は分かるのですが、その「立派なお父さん」の描写がかなりのくせものとなってしまっています。

 「息子に父親がやっていることを理解させるためにろくに知識も与えないままいきなり現場(外国)に連れていく」などという行動は、パターナリズムに他なりません。(注:パターナリズムとは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして干渉することです。マンネリという意味ではありません。)
 しかも、お父さんが「自分のやりたいことを」を思う存分やれるのは妻のサポート(特に収入面)があってのことですから、「息子をいきなり現場(外国)に連れて行く」という行動と相まって、よりパターナリズムを補強する形になってしまっています。

 お父さんのやっている活動がどんなに人道的に立派であっても、家族に迷惑をかけていい理由にはなりません。このお父さんは確かに立派ですが、その立派なお父さんを、日本という社会は一体どのくらい評価し、支援しているというのでしょうか?
 まずはお父さんを評価すべきなのは、息子ではなく「日本という社会」であるべきなのに、ストーリーを「父親に対する息子の理解」から始めて「子供同士の友情」でオチをつけてしまっているため、本質的なテーマが完全にぶれてしまっており、結果的に社会や国家の責任から読者の目を逸らさせる結果に繋がっています。

 おそらく、姫川先生にも編集部にもそんな意図はなく、単に、子供向けの「ためになる話」のテンプレを守ったら自動的にそうなってしまっただけだと思われますが、社会問題を扱っておきながら「社会や国家の責任を問う」という目的がごっそり抜け落ちているような物語がテンプレ化しているという状況が日本の出版業界の現状なのだとしたら、その間違った状況に対してクリエイターや編集部が疑問を持てないのは大問題です。
 もちろん、疑問を持ってもそれを創作物に活かせなければ意味がないですし、その創作物に込められた意図を読み取れるだけの読者側のリテラシーも必要です。

 昭和の時代から連綿と続いてきた子供向けの「ためになる話」のテンプレが、出版社・クリエイター・読者を麻痺させてしまい、「そのテンプレはそもそも間違っているのでは…?」との疑問を持たせないようにしてしまっているのだとしたら、その問題は「個人の読書」のレベルではなく「日本の教育」というレベルにまで及びます。

 姫川先生の創作スタンスとして、『556(ココロ)ラボ』の酷さだけが特別なものだったのか、あるいはそもそも「子供の読者」の方向に意識を向けないで漫画を描いている(厳しい言い方をすれば、読者を舐めている)のか…という私の疑問の結論は、「子供にとって“ためになる話”を描こうという意思はそれなりに感じるけれど、社会問題を描く力量はない」というものです。
 その力量のなさは、姫川先生個人の問題に帰結するのではなく、日本の教育の在り方にまで繋がっているのであり、小学館の学年誌が『小学一年生』を残して廃刊になってしまったことを「ニーズの多様化」と「少子化」だけで済ますことに、私は強い危機感を覚えます。それは、「日本の教育の在り方」の問題点を隠すことに繋がってしまうのですから…。


科学技術館の『アトミックステーション ジオ・ラボ』(その1)

ブログネタ
博物館の展示イベント に参加中!

 6月下旬に、東京国立近代美術館の『吉川霊華展』と、東京国立近代美術館工芸館の『越境する日本人 工芸家が夢みたアジア1910s-1945』を見てきたのですが、そのついでに科学技術館にも寄って、「アトミックステーション ジオ・ラボ」の原発推進っぷりを確認してきました。


科学技術館_ごあんない_リーフレット(新).pdf


 古いリーフレットはこちらです。→
科学技術館_ごあんない_リーフレット(旧).pdf
 昔は今より大人の入場料金が100円安かったことが分かります。あと、原子力コーナーは昔は2階にありますが、現在は3階です。(昔の原子力コーナーの名称は「アトモス」。)


 2011年4月6日の記事に、科学技術館のHPで紹介で紹介されている原子力コーナーが、自分が5年前に見た時と比べると「若干違っている」と書きましたが、若干どころか、このコーナー全体がリニューアルされていました。(フロアが違っているので全体がリニューアルされているのは当たり前なのですが、古いリーフレットを見るまで、以前のフロアが2階だったことは忘れていました
 
 私が5年前に見た時は、明らかに昭和の頃に作ったと分かるような古臭い内容で、原子力そのものに関する展示…例えば、放射線の利便性を解説している展示が中心でした。


科学技術館_アトモス_展示解説.pdf
(↑ずっとしまいっぱなしになっていたのを探し出しました。この展示解説については別途で詳しく記事を書きます。)


 現在は「原子力そのものに関する展示」というよりも、「核燃料サイクルに関する展示」が中心になっています。


科学技術館_ジオラボ_リーフレット.pdf



 以前の展示との大きな違いは、
放射性廃棄物に関する展示があること(ガラス固化技術や地層処分など)と、地球温暖化の危機感を煽る展示があることです。以前の展示にはこの2つはありませんでした。

 逆に、以前の展示と完全に共通している点があり、それは、温排水問題に関する展示が全くないということです。
 2007年4月4月の記事でも書きましたが、原発を動かすと、放射性廃棄物と熱が必ず発生します。発生した熱は「温排水」として海に捨てられているのですが、この、「原発から発生した熱が温排水として海に捨てられている」という重要な事実が、展示では全く触れられていないのです。この事実は完全に無視しておきながら、「原発はCO2を出さない」という点をアピールして、あたかも「原発は地球温暖化対策になる」かのような印象を与える展示をするのは、あきらかに「事実の隠蔽」であるし、「印象操作」でもあります。

 ちなみに、「事実の隠蔽」と「印象操作」は、放射性廃棄物に関する展示にもありました。昔は放射性廃棄物に関する展示は全くなかったのに、今はあるわけですから、少しは評価をしたいところですが、「事実の隠蔽」と「印象操作」が台無しにしているため、全く評価するに値しません。隠蔽に隠蔽を重ね、印象操作に印象操作を重ねている分、昔よりもタチが悪いです。子供騙ししも甚だしいです。(この件については「その2」の記事で詳しく書きます。)
 子供騙しの展示に子供が騙されてしまうのは仕方がないことですけど、大人が騙されてしまうのはただの勉強不足ですから、科学技術館の展示を見て、隠蔽されている事に気付けるかどうかによって、その人の原発問題に関する理解度を判定することに使えるかもしれません。「アトミックステーション ジオ・ラボ」に利用価値があるとすれば、それだけです。



 ジオ・ラボ1
↑アトミック・ステーション ジオ・ラボの入口付近

 人がいなくなったタイミングを見計らって写メしたので誰も写っていませんが、この日は都内の某小学校の生徒が団体で来ていました。(うちの上の娘も小4の時に社会科見学で科学技術館に来ていますが、当時はまだ古い展示でした。)
 「この子たち、この原発関連の展示をどう思っているんだろう…」と思い、子供たちの様子を見てみたのですが、キャッキャしているだけで、展示内容を理解している風には全然見えませんでした。ここは大人としては憂慮しなければならないところなのでしょうけど、「原発に対して偏った知識が半端に身に付かないで良かった」と、ちょっとホッとしました。
 きっと、秀才タイプの真面目な子に限って、博物館のこういう展示をそのまま真に受けてしまい、「原発は絶対に必要なものだ」と思い込んでしまうんだろうなぁ…と思うと、科学技術館に対する怒りが更に湧きあがってきました。私の中の、科学技術館に対する怒りは、学年誌に対する怒りと全く同じものです。科学技術館と学年誌の共通点…それは、お客さん(この場合は小学生)の無知につけこんでいるということです。
 このブログで過去に何度も書いていることですけど、私が怒りを持って激しく突っ込みを入れる一番のポイントは、「無知につけこんでいること」に対してです。(私が『甘苦上海』の突っ込みで一番強調したかったのも、結局はこれでした。ただし、『甘苦上海』は対象としている読者が大人でしたから、悪質さで言えば学年誌の方が数段上です。)

 科学技術館にしても、学年誌にしても、ただ単に「つまらない内容」であるだけなら、私は怒ったりなんかしません。単なる「つまらない内容」には、時間が無駄になる以外の害はないわけですから。でも、「無知につけこんだ内容」というのは、百害あって一利なしです。これが大人であるのなら「騙される方も悪い」という考え方もありますが、その考え方は子供には通じません。
 私が子供向けコンテンツに常に厳しい評価をしているのはこのためです。


出店協力

 ↑「アトミックステーション ジオ・ラボ」の出展協力一覧。
 画像が小さくて見えにくいかと思いますが、次のような団体や企業が出展しています。

電気事業連合会
原子力発電環境整備機構
日立グループ
東芝グループ
第一原子力産業グループ
北海道電力株式会社
東北電力株式会社
東京電力株式会社
中部電力株式会社
北陸電力株式会社
関西電力株式会社
中国電力株式会社
四国電力株式会社
九州電力株式会社
日本原子力発電株式会社


 他のコーナーの出展協力が気になる方は、科学技術館HPhttp://www.jsf.or.jp/)の「展示出展団体・企業」のページをご覧下さい。

その2に続く)

 

小学館の『小学三・四年生』が休刊に


 本日の日経新聞朝刊に、『「小学三・四年生」休刊へ』という記事が載っていました。  

学年誌休刊

《 「小学三・四年生」休刊へ

■小学館
大手出版社の小学館は1日、子ども向けの学年別学習雑誌「小学三年生」「小学四年生」を「成長と変化が著しい小学生世代のニーズに必ずしも合致しなくなった」などとして、2012年3月号で休刊すると発表した。》


 いやいや、ニーズもへったくれもないでしょ
 あの雑誌のどこが小学生のニーズに合わせてたっていうんですか
 オッサン向けのロリエロ漫画を「性教育漫画」という建前で載せるやら(やぶうち優センセの『ないしょのつぼみ』)、盗作をやらかした漫画家がしょうこりもなくまたパクリ漫画描いてるやら…。(池田多恵子センセの『空色のおんぷ』)
 「子ども騙し以下」の誌面だったじゃないですか


 2009年に「小学五年生」「小学六年生」が休刊になった時、日経新聞は、『春秋』で ↓ こんなことを書いていました。

《これも時代の流れだろうか。87年の伝統を持つ小学館の学年別学習誌「小学五年生」「六年生」が休刊することになった。今や小さな読者もゲームにアニメにスポーツにと興味は様々。昔ながらの中身がニーズに合わなくなったという。
 たしかに子どもだってやりたいことは色々とある。おとなしく勉強ばかりでは「つまんなーい」のだろう。ところが政界の小学生となるとそうもいかないらしい。行政刷新会議のもとで不要不急の予算を削る「事業仕分け人」チームに民主党の新人議員が14人も入っていると知り、校長先生が「待った」をかけた。
 新人はイロハを学ぶ研修が最優先、というのが剛椀幹事長が束ねる「小沢小学校」の校則だ。分からないでもないが、その気になっていた新人はどんな気持ちだろう。根回しも不十分なままにメンバーを決めたから小沢さんが機嫌を損ねた、ともいわれている。「二重権力」などという言葉が浮かんで外聞も悪い。
 「事業の仕分け」そのものは政治主導で無駄に切り込む試みだから大いに期待したいのに、こんなゴタゴタが起きると先が心配だ。それにしてもこの校長、子どもを鋳型にはめすぎのきらいがある。いつまでも素直な小学生でもなかろう。ニーズをくみ取ってもらえないとすれば心は離れていくかもしれない。》



 …で、私はブログで、この『春秋』に、次のような突っ込みを入れました。


《日経新聞の編集者さんは、「小学五年生」がターゲットにしているのは「大きな読者」だということを、ご存知ないんですね…


証拠①
『小五』ガールズの本音”胸きゅん”リポート2007・リアルないしょのつぼみ白書
証拠②『恋するオトメ心アンケート第2弾 みんなの「ナイショなラブ話」教えて~!!』

 学年誌は、私が小学生の頃からとっくにニーズに合わなくなっていて、小学校高学年で学年誌を買っている子なんてそうそういませんでしたけれど、少なくとも、当時はただ「つまらない」だけでした。
 今は、「つまらない」上に、ロリオタに媚を売っている内容なんですよ。こんなんで本当の「小さな読者」が喜ぶわけがありません。(もちろん、「小さな読者」の親も。)

 それにしても、この社説、「学年誌の休刊」と「政治」を絡めるつもりが、大失敗していますね。「校長」だの、「子どもを鋳型にはめる」だのって、学年誌とは何の関係もない話です。
 最後に「ニーズ」という言葉を出して無理矢理まとめようとしていますけれど、校長先生が学校の校則を「子供のニーズ」に合わせる必要は別にありませんよね。》

2009年10月28日の記事より)



 
学年誌は、子どものニーズになんかこっぽっちも合わせようとしていません。「スポンサーと、一部のロリオタに媚びていればいい」というスタンスで編集していたのは明らかです。こんな雑誌が休刊(ていうか廃刊ね)になるのは当然です。読者をバカにしている雑誌が生き残れるわけがありません。

 学年誌ネタは過去記事に山ほどありますが、とりあえず、学年誌がいかにダメダメかが分かる記事をいくつかご紹介します。

ないしょのつぼみが気持ち悪い理由(2007年7月3日の記事)

『少林少女』と『空色のおんぷ』の共通点(2008年5月12日の記事)

学年誌の星占いコーナー(2008年7月30日の記事)

学年誌の星占いコーナー(パート2)(2008年10月2日の記事)

学年雑誌のファッションコーナー(2008年6月30日の記事)

(注:auoneブログ時代に書いた記事なので、文章中のリンクはほとんど無効になっています。)

 他にも、学年誌ネタの記事を「発掘」したら、ブログでご紹介していきます。(あまりにも過去記事が多すぎて、どんな記事を書いたのか自分でも忘れています

小学館の『小学四年生』3月号(その2)

ブログネタ
雑誌 に参加中!
(その1からの続き)

 それから幾日か経ち、つぼみは祖母の一周忌にお墓参りに行きます。
 ・・・例の、スッケスケのワンピースを着て。

4年生3月号4

つぼみのモノローグ「今日はおばあちゃんの一周忌。去年…、ちょうど一年前、昴くんとlここで初めて初めて会った…。(桜の木を見上げながら)あの時は満開だったな…」


 去年の段階で既にパンツが見えそうなワンピースだったんだから、いい加減新しいのを買えばいいのに・・・ 一体いつまで、つぼみの両親はパンツが見えそうなワンピースを娘に着させ続けるんでしょうか。誕生日のプレゼントにわざわざにソフトブラを選ぶような家庭ですから、やっぱり、家計が相当貧窮しているんですかねぇ・・・。

 ・・・と、そこへ、とある親子が車で通りかかります。


4年生3月号5


母「あら、ここの桜、今年はまだつぼみなのねー」
子「”つぼ・・・み”。・・・。・・・! 母さんっ! 車止めて・・・ッ!!」(車から降りて走り出す)



 ・・・はい、もう、バレバレですね。この親子は、美奈子と昴です。


4年生3月号6


昴「…つぼみっ…。ごめん! つぼみのこと忘れてて…!
つぼみ「え…? 思い…出したの……?」
昴「今日、そこの病院に検査に来て、今ここ通ったら…、急に思い出して…、ここに来ればつぼみに会えるかも!って思って…っ…」
つぼみ「昴くん…っ(うる目)」


4年生3月号7


 生霊の時は断片的にしか記憶が戻らなかったのに(例:「スイカが好き」「ピアノが得意」)、元の身体に戻ったら、つぼみに関する記憶だけ一気によみがえるとは…なんともご都合主義ですね。

 そういえば、昴って、生霊の時は、母親に関することは一切思い出しませんでしたね。自宅に戻って母親の顔を見ているにも関わらず。
 コイツにとっては、母親はその程度の存在ということですね( ̄3 ̄)


昴「……ずっと、伝えたいことがあったんだ」
つぼみ「あっ…あたしもっ…」

4年生3月号8

つぼみ&昴「好き…」(←手を握り合う)

春は、
出会いとステキな予感にあふれる、
大好きな季節―。(←抱き合う)

つぼみの祖母「めでたしめでたし!」

《ないしょのつぼみ・おわり》



 あ~あ…よせばいいのに、ラストシーンでつぼみの祖母を出しちゃいましたか…。つぼみの祖母が死んだのは、ちょうと一年前なんですよ? つまりは、つぼみが言うところの「出会いとステキな予感にあふれる、大好きな季節」というのは、祖母が死んだ季節でもあります。

 祖母の一周忌でお墓参りに来ているというのに、思い出すのは祖母のことではなく、昴のことばっかり。しかも、祖母のお墓の前で告白して抱き合うとか…もうね・・・一体どういう孫なんだよ、と言いたくなりますね(; ̄□ ̄)
 しかも、この場には、つぼみの母親と昴の母親もいるんですよ? 小学生のガキ同士が告白して抱き合うだけでもイタいんですから、もうちょっとシチュエーションを考えて下さいよ、やぶうちセンセ( ̄3 ̄)

小学館の『小学四年生』3月号(その1)

ブログネタ
つまらない本 に参加中!
 せっかく『おじゃまユーレイくん』をパクったというのに、ロリオタから全く見向きもされなかった2010年度の『ないしょのつぼみ』が、今月でとうとう最終回になりました。
 果たして、2011年度の『小学四年生』でも、この漫画はしょうこりもなく続くんですかねぇ…。まぁ、私は来月からはもう学年誌は買わないので、どうでもいいんですけどね。
 
4年生3月号1


 ↑扉絵では、2人が手を取り合いながら「さよなら昴くん!!」「さよなら―つぼみ!!」なんて言ってますけど、こんなシーン、本編には存在しません。相変わらずいい加減なキャプションですねぇ~


 さて、前回、つぼみは「自分の身体を経由してなら昴の生霊が元の身体に戻れるかもしれない」と思い、昴の身体の手を握りしめて「おねがい、戻って…!!」と念じました。

 すると…結構あっさり、昴の生霊は元の身体に戻りました。


4年生3月号2


 …ところが、元の身体に戻った昴は、生霊だった時の記憶を無くしていました。


4年生3月号3


 昴の意識が戻ったことで、病室内はちょっとしたパニックになり、部外者であるつぼみは看護婦さんから追い出されてしまいます。
 「きっとまだ体に戻ったショックとかで大変だろーから、落ちついた頃にまた…」と思い、一週間待って、つぼみは再び病院に行きますが、昴は既に退院していました。

 前回までずうずうしさ全開だったつぼみですが、さすがに今回は昴の家に行くことに躊躇します。
 …まぁ、昴に「生霊だった時の記憶」がない以上、つぼみは美奈子から見たら「ただの変な子」ですからね。躊躇するのは当然ですね。…てか、美奈子自身も相当変な人ですけどね。


(その2に続く)

小学館の『小学四年生』2月号(その3)

ブログネタ
雑誌 に参加中!
(その2からの続き)


 自分の「肉体」を見つけた昴は、さっそく戻ろうとしますが、なぜかすり抜けてしまい、うまくいきません。

 …それを見ていたつぼみは、あるアイデアを思いつきます。

4年生2月号5


「あたしの体に入って! あたしの体を通してなら入れるかも…。ううん! 絶対入れる! あたしも強く念じるから! そのために、あたしたちは出会って、ここに来たのかもしれないから…!!」


 う~ん…どういう理屈なのでしょうか
 「モノには触れるけど、自分の肉体には触れない」→「つぼみの肉体には憑依できる」→「つぼみ経由でなら元の肉体に戻れる」
 …??? ちょっと意味不明です。

 つぼみは 自分がここ(=病院)に来て「昴の生霊を昴の肉体に戻す」という行為に挑むことになった経緯を、あたかも「運命」のように言っていますけど、それが本当なのだとしたら、つぼみの祖母は、その「運命」のために死んだことになってしまいます。つぼみの祖母が死ななければつぼみが墓地に行くことはなかったわけでだし、そうなると、墓地でじーっとしていた昴に会うこともなかったわけですから。

  …そもそも、なんで昴(の生霊)は、第一話では墓地でじーっとしていたんでしょうか? 昴の肉体が病院にあるのだとしたら、その肉体から出てきた生霊が、なぜ、墓地に行く必要があるのでしょうか。
 アストロツインがどーたらいう話が出てきた時は、あたかも、それが「つぼみと昴が引き寄せられた理由」的な描写になっていましたけど、「アストロツインだから引き寄せられた」という説が本当であるのなら、昴は幽体離脱した直後につぼみの肉体に引き寄せられたはずです。

 もしかしたら、また、ピアノの件みたいに、とってつけたような設定が出てくるのでしょうか? 昴の父親がまだ登場していませんから、「あの墓地には昴の父親のお墓があった」とか何とかいう設定が出てくるのかもしれませんね。


4年生2月号6


 「お願い、戻って…!! ふたりが同じ星のもとに生まれた意味があるのなら…。昴くんがあたしを救ってくれたように、今度はあたしが…、昴くんの力になる…っっ!!」

《3月号につづく》




 と、いうわけで、どうやら昴が元の肉体に戻ってめでたしめでたし、というオチになりそうですね。

 …あ、そうそう、前回の話では、美奈子のお腹が微妙に膨らんでいたのですが、今回の話ではその膨らみがなくなっていました。わずかの時間の間に、美奈子の体に何が起こったのでしょうか…? 謎です。



4年生2月号7











←先月号の美奈子。
(緑の矢印に注目)





4年生2月号8











←今月号の美奈子。
(緑の矢印に注目)






小学館の『小学四年生』2月号(その2)

ブログネタ
雑誌 に参加中!
(その1からの続き)


 一体何がツボにはまったのかはよく分かりませんが、ひとしきり大笑いした美奈子は、「これからあの子に会いに行くんだけど…、一緒に行く?」とつぼみに聞きます。
 で、美奈子の車につぼみが乗るんですけど…


4年生2月号3

 …おもいっきり、後ろの座席で、つぼみは昴と会話しています。美奈子から見たら、つぼみは完全に「独りごとを言っているアブナイ子」ですね。

 ちなみに、このシーンの2人の会話は、↓こんな内容です。


「…ま、いきなり幽霊とか言っても信じてもらえるわけないよな」
「じゃ、昴くんちでピアノ弾いて証明する?」
「つぼみが弾けないこと知らなきゃわかんないでしょ」
「う…。そっか

 
 はい、もう、完全に作者は「昴はモノには触れる」という設定を忘れていますね。

 …それとも、あれですか? 昴は「パンツとボールにだけは触れる」とかいう設定でもあるんですかね?



 …さて、上のシーンの時点では、つぼみは「昴のお墓参り」に行くものだとばかり思っているのですが、美奈子がつぼみを連れていった場所は、つぼみの予想に反して、とある病院の一室でした。
 
 
4年生2月号4


 …はい、昴は生きていました。つまりは、つぼみにひっついているのは「昴の幽霊」ではなく「昴の生霊」だったということですね。

 美奈子曰く、「事故から1年近く経つのに、ずっとあのとおり…。ドクターは、目を覚ます可能性は低いって……」だそうですが、息子がこういう状態だというのに、随分とにこやかですね。
 作者は、「色々あったけど、今はふっきれて穏やかになっている」ということにしたいのかもしれませんが、不自然なバカ笑いの描写があったせいで、単に「ヘラヘラしている軽い人」にしか見えません



(その3に続く)

小学館の『小学四年生』2月号(その1)

ブログネタ
つまらない本 に参加中!

 ただでさえ『韃靼の馬』の記事が溜まっているというのに、YOUTUBEから動画を引っ張ってこれる嬉しさについつい音楽関係の記事をアップしてしまい、学年誌ネタが後回しになってしまいました。

4年生2月号1















←今月の扉絵





 う~ん…なんか…頭と体のバランスが妙なことになっていますね…。
 もしかしたら、顔だけやぶうちセンセぇが描いて、他はアシスタントが描いたんでしょうか?

 キャラの頭身のバランスだけでなく、ポーズも妙です。このイラスト、一見、「つぼみと昴が一緒に歩いているシーン」のように見えますよね? でも、2人の足に注目してください。昴の方は歩いているのに、つぼみは歩いていません。一緒に「並んで」いるのに、一人は歩いていて、もう一人は歩いていないって…なんなんでしょうか、このシチュエーションは…。
 もし、アシスタントが描いたのだとしたら、やぶうちセンセぇはもっとちゃんと監督した方がいいと思いますよ

 さて、前回、つぼみは意を決して、昴の母である「牛島美奈子」に「じつは今、ココに! 昴くんが! いるんですッ…!!」と言ったわけですが…。美奈子は全く信じようとせず、笑い飛ばします。


4年生2月号2













←異様なまでにウケている美奈子





 にも指摘しましたけど、昴は「物には触れる」んですから、昴の「霊」の存在を証明したいのであれば、ポルターガイスト現象を起こせばいいだけの話です。
 一番手っ取り早いのは鉛筆で文字を書くことですけど、つぼみ達が現在いる客間にはピアノがあるんですから、昴の「霊」がピアノを弾くという手もあります。

 …つぼみって、本気で昴の「霊」の存在を美奈子に伝える気があるんでしょうか? 単に、人の家に上がり込むのが好きなだけなんじゃないでしょうか。

(その2に続く)

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