2017年10月29日

「燃えよドラゴン」マインドフルネス⭐️⭐️⭐️⭐️





総合評価 ⭐️⭐️⭐️⭐️
脚本 ⭐️⭐️⭐️⭐️
配役 ⭐️⭐️⭐️⭐️
演出 ⭐️⭐︎⭐︎⭐️
映像 ⭐️⭐️⭐︎⭐︎⭐︎
音楽 ⭐️⭐️⭐︎⭐️⭐️



燃えよドラゴンは、ブルース・リーの遺作。

正直なところ、脚本も演出も他のキャストも。。筋肉隆々で所作の美しすぎる実力派ブルース・リーが実は負傷し傷つきながらも身体を張って戦っている、その姿を楽しめる映画かもしれません。

特に音楽が耳に残る名曲で素晴らしく、彼の生まれ故郷、当時の香港の雰囲気を懐かしさと共に描かれているような映像美にも惹きつけられました。

ブルース・リーは俳優の父親の元育ち、子役をして育ち、イップマンのもとで修行し、香港で喧嘩に明け暮れ暴力沙汰で問題になった際、父親にアメリカへ送られて大学進学し、哲学を学んでいたそうです。

その彼の名言「考えるな、感じろ」と語るシーンを初めてみて、怒りにもとらわれず、敵の攻撃反応を感じて適切な反応を返すというのは、心理学や仏教が語るマインドフルネスに似ていると思いました。

逆輸入されて仏教から生まれたマインドフルネスが最近話題になりましたが、1970年代の欧米向けの映画の背景に思想が紹介されていて驚きました。



自意識や理想の高さと現実の評価のギャップに怒りや悲しみを感じたかもしれないなか、成功し続けるなかで争う他者からのプレッシャーを孤独のなかで、麻薬に癒されるようになったブルース・リー。

哲学を学び、ノートに成功した自分の姿を期限と共に書き出され、当時の常識を打ち破り目標を達成されていくことは、周りや自分との戦いの日々。とても有意義な命の燃やし方のはずでした。

しかし、成功と共に、権力が大きくなるにつれ、暴力のレベルが高くなるにつれて、権力依存を起こした人を家族や友人、師匠ですら制止できなくなったのかもしれません。

他者から見れば十分な成功でも、際限なく限界を定めない人は、薬物に手を出している時点で限界を迎えていたことに最中には気付けないものかもしれません。

哲学より心理学について学ぶ機会があれば、長生きされたのかもしれません。 しかし、そうなると、この作品は生まれなかったはずで、複雑な思いがします。

ブルース・リーが強みを存分に活かした本作は、今後も強さに憧れる青少年達を惹きつけるのだろうと思いますが、美しい虚、理想だと思いました。



確かに素晴らしいブルース・リーの強みを詰め込まれたかのような映画です。

香港や中国の方々は、欧米人や日本人を打ち負かす、彼の自意識や肉体的な強さやストーリーに同化して自信を取り戻し癒されたのではないか、と国家的に時代に必要な映画だったのではないかと感じました。

夭折したから神格化した部分もあるのでしょう。永遠に若く逞しいブルース・リーしか観客は目にしないのです。



それでも、女性の立場から見ると、この映画のために夫を失うことを妻は喜べない気もしました。

子供や家族のために長生きして欲しい方だったと思ってしまいましたが、作品の成功がもたらした経済・社会的成功が唯一の慰めになるかのような結果かもしれません。

軍人のような職業の方々にそんなことを言っても、異国の言語で伝わらないものでしょう。普通の人が至上の喜びとする家庭以上の魅力を仕事に見出してしまう人もいて、沢山の人の人生に責任を負う立場の人々には、家庭に価値を払えなくなるものなのでしょう。

映画では母親や妹は暴力により命を失っていましたが、暴力により戦う軍人と共に生きる女性達は、生き延びたとしても、亡くなる前から家族を失うような部分があるのかもしれません。経済・社会的成功を必要とする女性には理想的伴侶なのかもしれませんが、普通の女性が連れ添うには大変なことです。

映画を観ながら、ふとそんなことを考えてしまうのは、女性が男性とは違うからでしょうか。

余計なことを、考えるな、感じろ、と今一瞬、楽しむことに集中します。

sasa320 at 23:31|PermalinkComments(0)アジア 

2017年10月28日

「マンハッタン」未熟な大人の街⭐️⭐️⭐️⭐️





総合評価 ⭐️⭐️⭐️⭐️
脚本 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
配役 ⭐️⭐️⭐️⭐️
演出 ⭐️⭐︎⭐︎⭐️
映像 ⭐️⭐️⭐︎⭐︎⭐︎
音楽 ⭐️⭐️⭐︎⭐️⭐️



ウディアレン監督のマンハッタンを観ました。

素晴らしい作品でした。ゴッド・ファザーの撮影監督としても知られるゴードン・ウィリスの撮る美しいマンハッタン、ガーシュウィンのラプソディ・イン・ブルーという名曲。

アメリカの文豪ヘミングウェイの孫、アメリカの素晴らしい撮影監督ゴードン・ウィリス、アメリカの音楽家ガーシュウィンというアメリカ人やアメリカに憧れる世界中の人達を話題性だけでも惹きつけてしまいます。元・妻役にはメリル・ストリープという強烈な女優がキラっと存在感を放っていたり豪華です。

監督が自分のお気に入り映画選に入れない気持ちを理解できるほど、ヒットするように人材を固められたものの、主演や監督が挑戦されていて、後悔しそうな地に足が着かないような浮き足立った作品に思えましたが、観客は楽しめるでしょう。



脚本や演技が優れていないわけではなく、狡猾で魅力的でした。

失業中という時期は、大人にとって自分の人生に向き合いやすい時だと思います。
仕事や家族を失った主人公には、マンハッタンが全て。まるで東京と私だと感じました。
そうして生き延びている家族を失った孤独な大人は多いと思うので、共感を呼びそうです。

主人公のテレビ脚本家は正義感に則り思ったことを口にして失業者になります。本当に、よくある話。
インテリ失業者の場合、マンハッタンという環境だからこそ許容される動物のような恋愛を楽しみます。よくわからないアートを批評してみたり、インテリを気取りたい庶民心を突かれているのでしょう。

傷つけられると人は恨んだり傷ついたり複雑ですが、恋愛に夢中な主人公は気付かず本能に従い、初めは似たような薬物依存の女性と出会い破局して、次の結婚では好きな人に自分勝手な恋愛スタイルを許容されることなく弾き出され、居場所を失いながら、離れた家庭は増えていました。

大人になれない中年男性が夢中だったのはこのマンハッタンの恋愛スタイルだったのか。田舎の従来型の大人が踏襲すべき家庭図に従わない、都会の生き方を愛する人も多いもので、共感を呼びそうです。

最初は高慢で嫌な奴だと思ったダイアン・キートンと恋に落ちるのは、前作の2人の雰囲気に惹かれたファンを喜ばせそうですし、ツンデレの恋愛を楽しめ共感を呼べるのか。

17歳の美少女にも惚れられる主演ウディアレン。その設定に、自己愛の強さを感じ呆れるばかりですが、監督には自分自身を激しく批判する厳しさがあり、シニカルな笑いもあるからバランスが取れている気がします。

完璧で健康な美男子を描くのもよいかもしれません。日本では17歳女子と付き合う芸能人達は連日批難を受けており、確かアメリカでは日本以上に幼児性愛に対する偏見は強いはずで、主人公も少女との関係を辞めないとと語っていました。不倫する教授とパートナーだから、共感を呼び、許容されていました。

それ程までに心身ともに美しくない最低かもしれない中年男性を描くことで、監督は観客の私もこういう経験がある、というような親近感や同情やリアリティを期待されていたのでしょうか。

大人は社会的役割を課せられているだけで中身は子供のままルールを破りたいものだよね、特に都会に集う人はそうでしょう、そういう経験あるよね、と問われているような気がしました。



後年、映画の内容より人は街にのみ興味をもつような予言をウディアレン監督はインタビューで語っておられましたが、どういう意味なのかな、と不思議に思いました。

40年以上経った今、離婚を繰り返す中年、レズビアンの妻、大学教授の不倫、17歳の恋人は普通になりつつあり、当時ほどストーリーの奇抜さや斬新さは無くなってきたでしょうか。そういう意味の自虐だったのか。

多くの孤独な人達が宿り木のように都会へ依存する世界では、時間と共に飛び去る鳥のように人は移ろいやすいけれども宿り木は変わらず存在し続け、こうした都会の建築やシステム、時代による変化だけは、将来の人々の憧れをひきつづけているのだろうね、という意味なのか。



この脚本やキャストで、私が印象的だと感じたのは、助演女優賞にノミネートされたヘミングウェイの孫マリエル・ヘミングウェイが駄々をこねる40代ウディアレンを子供のようにあやすシーン。

監督は妻の養女と再婚するという恋を体現した人。歳をとっても男性は可愛い女性に寛容にあやされたいよね、という社会的に不都合な本音が強烈で、真に迫ったのかもしれず、女性の胸すら打ちました。

ただ、その価値が、映像や音楽を凌駕するかといえば、私には十分に理解できない作品でした。全体的には素晴らしい作品のはずで、確かに私にも当てはまり共感できる部分がありましたが、好きな作品ではありませんでした。

sasa320 at 14:57|PermalinkComments(0)洋画 | 恋愛

2017年10月24日

「乱」愛情に飢える⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

乱
仲代達矢
2015-03-27


総合評価 ⭐️⭐️⭐️⭐️
脚本 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
配役 ⭐️⭐️⭐️⭐️
演出 ⭐️⭐︎⭐︎⭐️
映像 ⭐️⭐️⭐︎⭐︎⭐︎
音楽 ⭐️⭐️⭐︎⭐️



乱は、シェイクスピアのリア王をベースに制作された黒澤明監督作品です。

1000人のエキストラ。お城の炎上。アメリカから拘りの馬を数百頭買い付け調教。製作費用は1985年に約11.5億円と豪華でした。

映画の成功により権力と名声を手に入れた黒澤明監督が「明」の字を陽と月に分け家紋にし、一代で成り上がった戦国時代の武将が家督継承を機に没落する悲劇を描いていました。初めの脚本は、監督の身に起きた裏切りを推察できる内容だったといいますから傷つかれたご自身を反映された話かもしれません。

人は幸福より悲しみに惹かれるものだという台詞があったかもしれず、パッケージはゾンビのように死の欲求を描いている様子です。私は、パッケージが暗すぎて今日まで手をつけられず。。

初めて鑑賞しましたが、アカデミー賞を受賞したワダ・エミさんの衣装も美しかったです。



演技は舞台芸術のようで大袈裟で、リア王の台詞を意識しすぎた日本語訳に歪みを感じ、監督が脚本家と喧嘩して途中で降りたためか内容にまとまりを欠き、162分でやや冗長でしたが、涙が溢れるような印象に残るシーンもあり、秀虎に滅ぼされた城主の嫡男が奏でる笛の音が綺麗でした。

どうやら音楽担当者にも監督が支配力を発揮されすぎたようで、音楽担当者もクレジットから外して下さいと申し出たとか。良い作品を作ろうと拘られたからトラブルが増えたのかもしれません。

常人が11.5億円を使って作品を創るようなことは生涯に一度もないはずで、成功に導かなければならない責任を想像すると、重圧のかかる立場はまるで大借金に追われたかのような焦燥感で、軽い躁状態に似た状況だったのかなどと推察したりしました。興行収入は16.7億円。黒字に導かれ流石です。

そんなお金や権力が集まる堅気ではない世界の悲劇が描かれていました。



一城秀虎は、一代で城主となり、地域を制し権力を掌握していました。

彼には三人の息子がいました。戦い続けて疲れたのか、ふいに秀虎は、甘言を弄する長男に家督を譲り、息子達に3つの城を与え、三人で協力して領地を守るよう諭します。

近隣の城主も招いた客席で、三男だけが、兄弟三人で協力するなどというのは現実的ではなく、すぐに権力争いになるだろう、と本気で父親を揶揄します。

それに対し、面目を潰された秀虎は怒り狂い、誠実な三男を追放してしまいます。その場にいた隣国の城主が三男を気に入り婿に迎えました。



長男が家督を継ぐと、秀虎が滅ぼした城主の娘である楓が妻となり、一城家に復讐を始めてしまいます。この原田美枝子さんの演技は、女性の狂気や恨みを表現されていて存在感を放っていました。

秀虎は家督を継ぐや否や長男に無下にあしらわれたため、次男の城を尋ねます。しかし、長男から次男へ手が回されており、部下から引き離し無力化を狙われるなど無下に扱われます。三男を訪問するよう部下に進言されますが、合わせる顔がないと語り秀虎は踏み出せずにいました。

すると、長男と次男の連帯軍勢に秀虎の城は攻めいられ、家来も側室も殺されて城を焼き払われ、自身もいつ殺されてもおかしくない状況が続きます。戦いの最中、部下達の権力争いのためか偶然か長男は流れ弾で戦死し、弱気な次男が部下達に担ぎ出されてしまいます。

秀虎軍勢で生き残ったのは秀虎のみ。皮肉にも、あまりのショックで狂ってしまった秀虎は、次男や部下達から脅威とみなされなくなり、生き延びることになるのです。



狂言師と部下が生き延びていて、秀虎を保護します。

シェイクスピア作品によく出てくる道化師を若き日のピーターさんが演じておられて驚きました。綺麗な中性的魅力で、大殿に可愛いがられる狂言師として説得力がありました。ピエロのような役を和風に翻訳されなければならない役柄で、難しそうでした。

狂言師は大殿が不機嫌になると、しばかれるなど虐められることもありました。しかし、大殿が狂うと他の部下がいないところで狂言師が老人虐待を始めかけてしまう対比が効いていました。

自分の名前を秀虎に忘れられても、怯えて逃げ出されても、認知症患者のように狂ってしまっても、秀虎を親のように慕うピーターさんの演技に胸を締め付けられました。ピーターさんは父親の愛情に飢えていたと語っていたことがあるそうでリアルな感情に似ている役柄だったのか、印象に残りました。

また、鳥が卵を産んで、まだらな卵や白い卵のなかから白い卵だけ選んで育てたら、白い卵はヘビの卵で、鳥は育てたヘビに食べられてしまった、バカな親鳥、という台詞は、秀虎の育児を示すのと同時に、人を育てる怖さも描いているのではないかと感じ取りました。



三男が気の触れた父親を保護するため、義親の支援を受け軍勢を連れて次男の領地を訪問します。

次男は許可を出しますが、恨みを抱く元長男の妻にそそのかされて、三男に対して戦を仕掛けてしまいます。

三男と再会した秀虎は正気を取り戻し、二人で親子の語らいが出来ればと夢見ながら一緒に馬に乗っていました。

無残にも、三男は次男の刺客が放った銃弾により失命します。ショックを受けた秀虎も後を追うように失命します。親子の幸せは、そんな立場の家族には、それほど有り難いものなのでしょうか。このシーンも胸に迫るものがありました。

隣国の綾部も戦に紛れており、富士山麓の稜線に控えていましたが、実はおとりで、別の軍が城を陥落しかけていたので、次男も一城家も滅亡するようでした。

隣国の城主が隣国の王子を養子にとるのは、侵略の口実を作るためでもあったのか。関係なかったのか。たしかに家庭内不和で三男は厳しい立場に置かれ他に機会はなかったはずですが、美味い話ほど裏があるかもしれず、侵略されにくい少し離れた国と交流する賢さに欠けたのかもしれません。



楓は、一城家に恨みを果たせたと喜んでいると、次男の重鎮に斬り殺されました。

楓は長男から次男に乗り換え権力を手にすると、次男の正室だった心優しく美しい末の方の首を所望して、次男の重鎮に末の方を殺すよう脅していました。

重鎮はキツネの石像を持参してキツネが女性に化け国政に関わることもあるとやり返すなど、楓に反抗して戦っていました。

権力者の周りには、どこでも容姿の美しい異性が取り巻き、彼らが虎の威を借る狐のように権威を振るうのは、部下にとってはストレスで、上司が管理している感覚を持たせる役割なのかもしれません。

早い時期に、そんな取り巻きに支配されずに距離を取れると良いのでしょうけれど、権力者も煽てられたり脅されたり誘惑されたり大変ななか、気付けば彼らに足元をすくわれて没落しうるのかもしれません。



盲目の弟を連れて従者と逃げていた美しい末の方は、残酷なことに、弟が忘れてきた笛を取りに戻った途中で次男の部下に首をはねられてしまいました。

こうした恐ろしい世界に、権力者が美しさに惹かれてしまい、権力を乱用しない心優しい人が巻き込まれると、他者の嫉妬や暴力の末、逃げて生き延びる他ないのかもしれず、命取りになることもある現実の残酷さを存分に描いていました。

殺された姉の帰りを待つ盲目の弟だけが、彼らの奪われた城の焼け跡に立ち、今にも石垣から誤って転落しそうになりながら生き延びるシーンを眺めると、何も見えない方が幸福なのかもしれず、権力争いに巻き込まれないのかもしれないと気付けました。



天皇家や徳川家は違いましたが、この作品の秀虎や歴史上の秀吉、多くの一世一代で成り上がった成功者は権力継承に失敗することが多いかもしれません。

原因を考えるとシステムの違いもあるでしょうし、この作品のように、身内での不信感、権力争いによる一族の仲違えを隣国が狙っていたり、内部で部下が操ったり、上司と部下を操る虎の威を借る狐に恨まれて滅ぼされていたりするのでしょうか。

勝者は、沢山の敗者の恨みに足を取られないよう生きるものかもしれず、手にした権力や財力に目が眩む周りの人達も甘言を弄し群がるものかもしれず、誠実さや心の平安、愛情に疎くなりがちかもしれない悲劇に普遍性を私は感じました。


sasa320 at 17:24|PermalinkComments(0)邦画 | ドラマ