2017年05月16日

「恋がヘタでも生きてます」恋とトラウマ ⭐︎⭐︎⭐︎





Girl(初回限定盤)(DVD付)
秦基博
Universal Music =music=
2017-05-03




社長になりたい主人公が社長の座を奪った男性と付き合うという「恋がヘタでも生きてます」にはまってしまいました。

なぜ恋がヘタな人がいるのかを理解できるストーリーが面白く、フワリ羽根のような女性は登場人物の誰を示しているのか、少し考えてしまいましたが、秦さんの主題歌も感傷的で耳に残り、深夜枠というのが意外でした。

「生きています」という言葉が、まず生死、安全を求めるトラウマからのサバイバーが使いそうな言葉遣いだという印象を受け釣られて第1話を見ました。

メインストーリーは主人公美沙の不器用な恋愛。美紗は、美人でスタイルもよく服装が派手でギャンギャンわめきつつも仕事のできる女王蜂のような女性で、複数の男性にキスを迫られてしまいます。恋愛経験が豊富なニューヨーク帰りの社長司も過去の恋に囚われていましたが、恋愛だけ奥手な美紗に惹かれていきます。

実は、この話は派手なメインストーリーも良いのですが、サイドストーリーの方がオリジナリティは高いかもしれません。清楚な受付嬢、千尋と主人公と同じ会社で働き恋愛はセフレで十分だと語る橋本の純愛に惹かれます。

登場人物達はそれぞれ恋愛の失敗を味わっています。ただ過去の失敗から生じた後遺症のような今の恋愛に戸惑う登場人物のなか、無垢な千尋だけが現在進行中で傷ついていくので、支配欲を満たされるような心地で、不健康かもしれませんが癒されます。



しつけの厳しい家で大事に育てられたホンワカとした専業主婦になりそうな千尋は、両親から束縛されすぎたのか、自分を見失っている恋ヘタ女性でした。

婚約者にマグロと評され、隣の受付嬢と浮気されたことを苦にして、千尋は婚約指輪を池に投げ、婚約指輪を無くしてはならないと考えて自ら指輪を探そうとして池に入水し溺れてしまいます。

事故のはずですが、無意識の自傷のような行動に、ホンワカとした彼女が厳しい環境で表現できずにいる深い悲しみを察してしまいます。

1人暮らしを今まで見守ってくれていた親友は、社長に求愛されて、社長に夢中になり自分の頼りにならなくなってしまうという、千尋にとって共同生活をしながらも辛い時期だったのだろうと感じました。



運が悪いことに池で千尋を救命したのは主人公の会社でも女性関係では悪名高い橋本。何らかのトラウマにより感情を失い、性の快感だけを求め複数の女性と付き合っているかのような破滅的人生を橋本は生き延びています。そんな危険な橋本に巻き込まれて、また千尋が被害をうけないかヒヤヒヤしてしまいます。

ヒヨコのような千尋は橋本に接近して悩みを打ち明けてしまい、婚約者や友人を失いかけた千尋の拠り所に橋本の存在が変化していきます。橋本は、セックスを教えることを約束して都合よく千尋をセフレにしてしまいます。

意外と千尋はたくましく、橋本の教えをうけてマグロから自ら意志をもち発進するセックスができるカツオへと成長したようで、婚約者の気持ちを取り戻すのでした。もちろん、それでハッピーエンドとはならず、千尋は婚約を破棄します。そこまでは、浮気を繰り返す婚約者とは毅然と別れるのも正解だと思えました。

しかし、千尋は橋本のセフレに志願して、結婚退職後に水商売へ走ります。過剰適応してきたかもしれない彼女の社会的地位の堕落や自暴自棄さにハラハラしました。



追い討ちをかけるように、婚約者を寝とった受付嬢は、千尋に妬みを感じていて千尋の好きになった橋本まで寝取ってしまい、また千尋の心を傷つけて楽しむことを予感してしまいます。

しかし意外にも、感情が麻痺していたかのような現実の恋愛を回避していた橋本が千尋に恋をするのでした。支配して油断していた千尋が、婚約者とヨリを戻し、意外にも傷つけられた橋本はイラつきを覚え始めます。主人公が橋本のセフレはビッチだと侮辱すると、橋本は彼女はビッチではない、成長しているのだと主張します。

橋本が千尋を捨て難くなったのは、千尋の同居人である主人公による第三者介入を受け正当化したからなのかもしれませんが、氷のような心をもつ橋本が示し始める人間味に惹かれます。千尋の性の育ての親になった橋本は、純粋な千尋が遭遇した不幸に同情するなかで、感情を取り戻し純愛に目覚めます。

気付かないながら彼女は人生で一番厳しい苦境の一つを乗り切ろうとしているのかもしれず、橋本の悪影響を受けて傷つきが癖になっていくかのようにみえますが、そんな不安定な時期に妊娠することも少なくないかもしれず、この傷つきも二人の人生で大事な1ページに収束していくのでしょうか。



原作とはストーリーが違う部分もあるのかもしれず、この先のストーリーは予測できません。

原作では、司が美紗にプロポーズをすると、橋本が怒りを顕にして制止するという展開が待っているようです。

実は、ニューヨークへ留学中、橋本と司は中国人留学生の女性に恋をしていましたが、友情を大事にして三人とも本心を語れず過ごしていたようです。ある日、彼女は、待ち合わせの時間になっても二人の前に現れませんでした。その日、彼女は強盗に襲われ暴行を受けていて、後日に川から水死体として発見されたのでした。

このトラウマが橋本や司の愛情を麻痺させて死者の幻や破壊的欲求に束縛させてしまったのでしょう。トラウマ記憶に束縛されて彼らは恋ヘタなったようです。失った理想や愛情への囚われが、また失うことへの予期不安を生み出したのでしょうか。

当時の司は休学するほど滅入ってしまい、自分の人生を生きることが彼女への償いになると彼女の祖母に諭されて復学したようです。それでも司は街で彼女に似た女性を見かけては追いかけて彷徨い、死んだ彼女の幻影に囚われ続けていたかもしれません。

それから何年も月日が流れ、恋した相手に賭けの対象とされて傷ついて以降、男性不信となり2ヶ月しか恋愛がもたなくなった美沙と司が出会います。美沙は元彼女の存在に戸惑い、不器用に司に反発するなかで司のプライドをメタメタに破壊しました。新しい傷がトラウマとの繋がりを断ち切り、司を主人公へ夢中にさせたのでしょう。

徐々に負ける快感に美沙が酔い恋愛関係を深める初々しさも魅力的なメインストーリーではありました。



ただ、橋本と千尋のラブストーリーはもっと魅力的なのかもしれません。

橋本は、職を失った千尋を同じ会社にスカウトしましたが、妊娠を機に千尋へ退職届を渡します。そしてその下には婚姻届。千尋すらどちらかの子供か分からず戸惑うなか、この子は俺の子だと橋本が千尋にプロポーズするようです。いつもクールで「こんな性格だから一度しか言わない」と語るシャイな橋本が可愛らしく見えます。

千尋の人生の危機を救ったのは、そんな橋本の身勝手さと寛容性でしょう。

感情を表現できない地味で穏やかな2人の成長には、サブストーリーながら惹きつけられました。



生き残るということは、かつて愛して失った理想に囚われる痛みが続いていても、理想とは違う現実の世界で全く違う人生を過ごすことかもしれません。

同情して助けてあげる役割をえることで自身の空虚な心を満たしたり、スケジュールを守る責任に束縛されて働いてみたり、失う怖さに怯えながら誰かを愛せるようになる恋愛を探すことが、生きるということなのか。

生き残るということは、現実の世界で過去の痛みよりもっと強烈な痛みに囚われ夢中になるなかで過去の束縛から解き放たれ、前に進めることではないか、と私は個人的に思ったりしています。

トラウマの治療では、トラウマに向き合うことを求められるかもしれませんが、全てのトラウマに向き合うことなどしないはずで、強烈なトラウマであっても健康な人はこうして自然と回復するのかもしれないと思えました。

生きている人には愛し合える人に巡り合えるチャンスがあり、束縛から自由になれる恋愛はいいと草食系現代人は思うのでしょうか。

今期の「あなたのことはそれほど」というドラマでも自由に恋愛をしすぎれば、社会的に失うものもあるかもしれないと考えさせられ、月並みな言葉にまとまりますが、自由と責任を制御するバランスが大事なのでしょう。


sasa320 at 20:19|PermalinkComments(0)恋愛 | tvドラマ

2017年05月07日

「ウンベルトD」ネオレアリズモ⭐️⭐️⭐️(⭐️)

ウンベルトD [DVD]
カルロ・バティスティ
紀伊國屋書店
2011-01-29



総合評価 ⭐️⭐️⭐️(⭐︎)
脚本 ⭐️⭐️⭐️⭐️
配役 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
演出 ⭐️⭐️⭐️
映像 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
音楽 ⭐️⭐️⭐️

自分がいつか年老いて頼れる家族を失った時、どうすればプライドを保ち生きることができるのでしょうか。ネオレアリズモの極限と呼ばれるウンベルトDを観ました。

同監督による「自転車泥棒」という作品は、ネオレアリズモの代表作。貧しい親子が新しい自転車を買い職につくと初日に自転車を盗まれてしまいます。警察は犯人を見つけられず職を失いかけた父親は自転車を盗んでしまいます。父親が警察に捕まるところを息子が目撃。情状酌量され親子で帰宅する悲しい話。

ネオレアリズモは、1930年代のイタリアで生まれた、知識人は歴史的責任を引き受け、大衆の代弁をしなければならないという、ファシズムに対抗した文学や映画における表現主義だといいます。

1952年、カンヌ映画祭グランプリにヴィットリオ·デ·シーカ監督が選ばれ、1957年には、この映画の脚本家チェーザレ・ザバッティーニがアカデミー賞脚本賞に入選。2005年にすら、タイム誌のオールタイム100作品に選ばれた作品なので、内容に期待しました。

ウンベルトDは、監督が父親に捧げたお気に入りの映画だったようですが、内容は凄まじく現実的描写で暗いものでした。厳しい時代を成す術もなく生きている何処にでもリアルに居そうな孤独な老人の悲劇。可愛らしい犬だけが癒しでした。

戦後のイタリアにはこんな老人が沢山いるという目前の現実を伝えられても、誰が夢のない現実なんて見たいのだろうか、と思ってしまいましたが、意外と心に残りました。作り手が素直に現実を易しく語り、社会を変えようとしたところに敬意を抱き、現実だけでも名作になるものなのか、と驚きました。



戦後のインフレ、労働者が集まりデモを起こしても直ぐに鎮圧され、法律も資産家の味方という社会情勢。

老人が身寄りを失い、年金が少ないために家賃と生活費を賄えず、住み慣れた家を追われていました。

元公務員の男性が国に尽くしたにもかかわらず、悲惨な老後を送る姿を描くことで、国が役割を果たさず国民を裏切ったことに対する国民の失意を主人公に負わせていたのでしょうか。



一方、労働者を権力で押さえつける権力、ファシズムを負っているかもしれない若い女性管理人は、将来に向けて子供部屋を作りたいがためだけに、老人の部屋をラブホテルのように貸し出したり、家賃の値上げをしたり、入院中に壁紙を剥がし壁に穴を開け破壊して、老人に立退きを迫っていました。

華やかな若い女性管理人は、オペラを楽しみ、映画館の支配人と婚約して、益々勢いがついていきます。華やかなパーティに毎晩集まる外向的な人々からも主人公は冷たい視線を送られていると感じています。

街中で、女管理人と婚約者に主人公が直訴する場面もありました。街の人は皆、好奇心から立ち止まりはしても、同情して支援する余裕をもちません。

誰もファシズムを非難できなくなり、権力者がやりたい放題という為す術もない人々の諦めを哀しく感じました。



真面目で誇り高い老人が、友人に金策して回り、周りの人達に疎まれ、誇りを傷つけられ虐げられていましたが、努力の甲斐などない哀しい現実が描かれていました。

お金が集まらず、主人公は犬のフランクに帽子を加えさせて物乞いをさせてみたりしました。

主人公は、家賃が払えず入院を選んだり、信仰を捨てキリスト教のシスターに入院延長をしてもらえないかと頼んだり、やりたくもないことをしたり、下げたくない頭を下げたり、欲しくないものを買わされたりして生き延びていました。

そうまでしても結局、主人公は古巣を追われました。

家を失うと、貧しさのなか誰の子供か分からない子供を妊娠したことがバレれば女管理人に首を切られることに怯える女中と、可愛らしい飼い犬フランクとの心もとない信頼関係の他、主人公には救いがありません。



貧しさと孤独のなか主人公が入院したとき、飼い犬が自宅を飛び出してしまったのでした。

退院後、主人公は、なけなしのお金で保健所にフランクを探しに行き、救い出す優しさを見せます。

しかし、家を追われると救護院に犬を連れていけないからか、追い詰められた主人公はフランクを業者に預けようとして躊躇い、子供に飼わせようとして女中に退けられ、置き去りにしようとするなど、老人は正義感や倫理感すら失いかけてしまいます。

自殺を躊躇った主人公のもとに置き去りにされたフランクが駆けつけます。しかし、主人公はフランクを連れて列車に投身自殺を図ろうとするのです。フランクが怯えて逃げ出して、主人公は自殺し損ない正気を取り戻します。そして、犬の機嫌をとり、公園で犬と無邪気に遊んでラストを迎えます。

公園を無邪気に駆け回る子供達の明るさとの対比。犬の存在だけで、辛うじて生き延びる主人公。自殺をするかしないかは、一瞬の闇に引き込まれるか、たまたま何かが自分を連れ戻してくれるか。本当に些細なきっかけに人は生を見いだすものかもしれません。それが生命力かもしれない、と思います。



日本の円も全くの信頼が置けなくなるかもしれない時代。

年金問題は、他人事に思えません。老後に向けて貯蓄をしよう、家族を作ろう、資産を増やしておこう、ということは、不安の強い私だけでなく、誰もが多少なりとも考えることかもしれません。

しかし、現実として、自分が何歳まで生きるのか、家族はいつまで一緒に生きていてくれるのか、友人は頼りになるのか、資産をどのくらいの値で売れるのか、インフラが起きないか、そうしたリスクを完璧に見積もり備えることのできる人なんて居ないのではないでしょうか。

老後に備えて、お金があるうちに家の購入と税金対策の貯蓄や金銭に変えるための財産が必要かもしれないと気付けますが、先行きを読み切れず、備えても不十分に終わる予感が拭えません。

このような戦争という過ちを国が犯さないよう見守る国民の責任もあるのかと思いますが、時代の流れに庶民は、この老人と同じように為す術がない気もします。

老後にプライドを保つには何が必要なのか、何にプライドを持てば乗り切れるのか、国が生活を保障しないかもしれない時代に、どう死を迎えるかを考えさせられる作品でした。 終活に励んでおく責任もあるのかもしれませんが、余裕を失えば後は野となれ山となれと考えてしまうことも、理解できそうで。

他者評価に依存して社会に適応してきた老人にとって孤独や蔑みのなか暮らすことは痛み以外の何物でもないはずでした。しかし、自分が愛する犬や趣味のような存在があれば、辛うじて生き延びることが出来たのかもしれないと考えました。 

国家を信用して老後の人生設計をするだけでは裏切られた時代もあったということだけは、覚えておこうと思いました。




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sasa320 at 00:59|PermalinkComments(0)洋画 | ドラマ

2017年05月06日

「コール・ザ・ミッドワイフ」愛のための仕事 ⭐️⭐️⭐️⭐︎



Call the Midwife
Jennifer Worth
Phoenix
2008-01-01


総合評価 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
脚本 ⭐️⭐️⭐️⭐️
配役 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
演出 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
映像 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
音楽 ⭐️⭐️⭐️⭐︎

コール・ザ・ミッドワイフは、1950年代のロンドンの下町を舞台に、尼僧達とノンナートゥスハウスで働く助産婦の活躍を描いた2012年制作のイギリスドラマです。

ノンナートゥスは、レイモンドという出産や助産師、子供や妊婦、聖職者の守り神のあだ名で、「産まれざる」という意味があるようです。この神が、1200年代に亡くなった母親の胎内から帝王切開で産まれたことに由来するそうです。

この聖人はアフリカへ赴き奴隷解放に努め、奴隷を解放するためのお金が尽きると、身代金目的に囚われてしまい、口を針で縫われるなどの拷問を受け、救出されましたが、帰国途中で亡くなります。言葉よりも行動を大事にした聖人でした。

それが、このドラマの登場人物達が共通して崇める理念なのでしょう。寝る時間以外、クタクタになるまで働き、アフリカへ支援に行きたがる登場人物達の言動を理解できる気がしました。



当初は、このドラマでMidwifeが助産婦なのか、と初めて知るくらい、自分とは縁のない話のように感じましたが、誕生から人生の終焉までをサポートする助産婦や看護師の愛のための仕事に惹き込まれていきました。

愛は誰もに関わりがあるものだから、このドラマが響かない人は居ないのかもしれません。人情味あふれる古き良き時代の理想的な医療と信仰を眺める思いがしました。

2011年に亡くなった実在した助産婦で看護師のJennifer Worthの手記を基につくられた、リアリティがある戦後の貧民街で生き抜く人達の人生には、新たな家族を生み出す沢山のヒロインがいて、様々な愛の形がありました。



貧民街は、子沢山。

愛情を注げる相手を探し、相手と同じ形をした分身を得ようとして、出産育児を楽しみとして、厳しい労働に励む労働者の姿をみて、これが普通の生活だと思いました。

ジェニーの同僚には裕福な家の出身のチャミーがいました。貴族のような母親に身分差婚を反対され修道女として誇り高く生きるよう説得され、恐怖心から母親に従ったチャミーは交際相手に別れを切り出しましたが、どうにか反発して結婚。お金や社会的地位、名誉を大事にしすぎると何かを失うものなのか。

親を早くに亡くし孤児院で引き裂かれた兄弟が再開して2人で離れずに愛情を注いで支えあうことに生き甲斐を見出していましたが、子供がいない人生もありました。

沢山の出産には、一定の割合で胎児の臓器が発育不全で産後すぐに亡 くなったり、障害を負って産まれてきたりすることもあり、受け止められない家族は医療者を責めたり、自分を責めたり、他人の批判に混乱したりという苦しみを伴うことがありましたが、出産を契機に変わるテレンディピティもありました。

様々な家庭事情や困難はあるものの、貧しい生活のなかでの楽しみは、出産育児。それこそ生物として人が重視することなのだと、優雅に着飾って気取ることを夢見る登場人物やそれが出来ない貧しい女性を眺めると、私も仕事に生きていて忘れていたことなので、当然のことかもしれませんが、ハッとしました。

子沢山の妊婦の元へ、受け持った区域を主人公達は自転車で巡回していました。



なかには、愛情と暴力を間違えてしまう人達もいました。

10代の少女が恋愛して妊娠して、妊娠を隠して1人で出産。胎児をを礼拝堂前に遺棄した少女の愛情は暴力なのか。結局、胎盤が胎内に残っていたため少女が高熱を出し倒れてバレてしまいます。両親は、世間を気にして当初は赤ん坊を養子に出そうとしましたが、最後は娘も母親なのだと認めて孫を養育します。

家庭内暴力をふるう父親もいました。妊婦の痣に皆は気付きますが警察へ届け出ません。母親が暴力と向き合わず幻想の欲望の愛に依存すれば子供をネグレクトする側に回るもの。母親はミルクにアルコールを混ぜ火事を起こします。結局、両親は逮捕されて、幸いにも子供は保護されました。

船長の娘が船員達の性欲発散に利用され、避妊すれば大丈夫だと教育されたにも関わらず妊娠した時、トリスティが彼女のために船長を警察に通報するとまで脅しあげ対峙します。結果、出産後に彼女はスウェーデンの陸地で赤ん坊と暮らすことになりました。

犯罪者に怯えることなく毅然と戦える女性達の行動を真似できず大変な善行だと尊敬しました。特にこの時代は、男性からの女性に対する家庭内暴力は許されてきたはずで彼女達も男性の暴力に傷ついてきたのでしょうか。リスクが高い現場で働く彼女達は戦場で働く戦友のように見えました。



このドラマでは、現代なら倫理的に許されない部分や訴訟になりかねないことも愛情で正当化されていました。

例えば、家族を失った退役軍人の患者についてパーティに参加したり、仕事が終わると一緒に過ごしたり、家を追い出されたら調べて施設を訪問したり、遺品にお酒をもらったりすることは、今の時代なら個人情報保護法や倫理違反で責任を問われるでしょうし、医療従事者はモノを貰ってはならないはずです。

兄が亡くなった日、鎮痛薬のモルヒネを回収し損ね、妹がモルヒネで後追い自殺。今の時代なら、見たこともない親族が後から現れて医療従事者のモルヒネ管理責任を追求する訴訟になりそうです。貧民街で身寄りがない患者が相手で、おおらかな時代に許容される部分もあったのだろうと思ってしまいました。

中絶を希望する妊婦に手術でもしない限り無理だと主人公が警告すると、偽医者の手術を受けて昏睡状態になった貧しい高齢の妊婦もいました。望まない妊娠への支援は、今も昔も難しいと思いました。今なら精神科への紹介を怠った等責任追求されそうですが、当時は教会の基金で患者家族を補償していました。

シスターモニカが活躍した時代には、出生時に障害が残り長生きできない病を赤ん坊が抱えていると医療者が赤ん坊を安楽死させていたようです。主人公達が活躍していた時代には、障害児を施設に預けるか、家族は悩んでいました。現代は、生涯に渡り障害者を施設に預けることのほうが少ないかもしれません。

ドラマのなかでは、妊婦や看護婦、シスターがタバコを吸っている場面もあったかもしれませんが、タバコ自体が赤ん坊に有害だと言われるようになったのも最近の話。昔は、多くの医療従事者がタバコを吸っていて、受動喫煙が許されていた時代だったのでしょう。

その時代、その状況だから許された、今だから時効とされる愛情で正当化された罪を告白されているかのように、私は感じました。著者は罪を許されたかったのでしょうか。寝る間を惜しんで沢山の仕事を人一倍とりくめば、意図しなかった罪も人一倍に著者は抱えられることになったのかもしれません。



キリスト教らしい罪と許しについても描かれていました。

不遇な家庭環境から家出をして、男に騙されて売春をするようになり、子供を堕胎されないよう保護を求めた少女がジェニーに助けを求めることもありました。司教に社会復帰できるよう配慮され、赤ん坊は養子に。赤ん坊との別れを受容できなかった少女は街に戻り、自分の子として新生児を誘拐して育てます。

ジェニーが少女の罪に気付き、警察に伝え、少女は警察に拘留されてしまいます。その後、シスター達で被害女性に少女の悲しみを伝え掛け合って、その罪を軽減しようとしたエピソードもありました。

また、シスターのモニカが認知症にかかり窃盗を繰り返し店主達が警察に相談したため、裁判にかけられることもありました。シスターといえど、病にはかなわないわけで、その描写がリアルだと思いました。

そんなシスターが美しく見えると語る著者の主張にもうなづけました。認知症にかかると、どんな犯罪も抑制の効かない清らかな瞳でなしてしまう業だから、咎めることができなくなってしまうのでしょう。

愛した人が以前の人とは違っていく、そんな介護は辛いものですが、なぜそう感じるのかよくわからないながら、認知症や亡くなりつつある高齢者に美しさを感じてしまうこともある気がしてうなづけました。



実は、ジェニー自身、不倫関係から逃げ出したという罪を抱えていました。

不倫相手への思いを断ち切れず、不倫相手に連絡し妻に電話を受けられたり、自分を好んでくれる幼馴染ジミーを拒絶したり、苦しみながら不倫の愛から離れる勇気をジェニーは持ちました。自分の空っぽな人生を人の人生で埋めて、愛情のための仕事と信じて取り組むことでジェニーは生き延びていました。

若かったのだから、美人だったのだから、もっと着飾って人生を楽しむことも出来た、と著者は後悔されていました。ただ、人手不足の診療所で忙しく仲間と働くなかで、出さない手紙を元交際相手に書いては捨てて、ジェニーが不倫という暴力に巻き込まれたトラウマから抜け出せない限り無理だったでしょう。

ショウペンハウエルの言葉を借りれば、人は何らかの欲求が叶ったとしても、苦痛がないというだけの状態に過ぎず、ジェニーの不倫が成功したとしても、また退屈の虜になったのかもしれません。

人は空虚な存在だから、誰かの人生で自分の人生を埋めようとするのでしょう。



登場人物達の生き方にも励まされました。

ジミーが言う通り、仕事が私達を愛してくれるわけではなく、他人ではなく家族や恋人を愛して生きるということも大事だと思いました。

シンシアが医療ミスを疑われて責められた時に辿り着いた答えを大事だと思いました。患者や家族からの信頼を得ることを自信にするのではなく、周りの人から疑われたとしても自分が信じる仕事にプライドを持つことは、信仰に近い不確かな部分もあるのかもしれませんが、勇気だと思い共感しました。

自分の夢を信じリスクを負って人生を拓いていたチャミーの決断にも憧れてしまいます。



現代の医療は、神でもない、国でもない、医師でもない資産家による経営かもしれません。

そうでなければ成り立たない部分と、愛情や使命感との狭間で、今は今で大変かもしれません。

最近は、高校生に人気ある職業の上位に看護師がランクインしているようです。以前は、看護師や助産婦は大変でリスクも高く、人気はなかったかもしれません。このように魅力ある仕事だと伝える、こうしたドラマでイメージが改善されたのでしょうか。

希望を示して誰かを支えようとする愛情ある古典的医療にすっかり魅せられてしまいました。

戻らない昔は、理想的に輝いていますが、昔の過ちを改善したはずの今、今なりの愛情のための仕事を考えていくことが今を生きる人の権利であり使命のようなものかもしれないとも思いました。

それでも、きっと私達も死を前にすれば、著者のように自分の人生の過ちに気付き後悔するものなのかもしれません。




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sasa320 at 22:53|PermalinkComments(0)ドラマ | 洋画