映画や小説を分析する

約230作、映画や小説に対する感想を書いています。漫画、音楽、絵画についての感想もあります。日本、英語圏、アジアの映画やTVドラマをゆったり楽しんで一休みしています。

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ソフトシェル グッド・ドクター 名医の条件 シーズン2(5枚組) [DVD]
フィオナ・グーベルマン
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2021-02-03




「The Good Doctor」を観ました。

フレディ・ハイモアはイギリスの俳優で、ドラマのBGMがイギリスドラマのCall the midwifeに似ていたので、イギリスの病院の話かと思いきや、アメリカのTVドラマでした。オリジナルは、韓国のテレビドラマで、日本でもドラマを製作されていました。

フレディ・ハイモア自体が、ケンブリッジ大学を語学分野の卒業試験で2科目一位だったという知的な方のようです。

主人公が、自閉症とサヴァン症候群を抱えている障害者というのは、ドラマのなかでも珍しい設定でした。

ドラマの作りが、Dr. Houseに似ていました。主人公がアスペルガー症候群というのも似ていました。Houseは、ダーティな役柄でしたが、今回の主人公はピュアで清潔感があります。自閉症の症状はショーンの方がより重度。Dr. Houseはシリーズ全作観ましたから、同じ製作者で少し懐かしくなりました。



小学生の頃、ショーンは父親に虐待されウサギを殺されたことを機に弟と家を飛び出します。

家出した先で、弟は不慮の事故で亡くなり、グラスマンがウサギと弟の主治医を勤めていたためショーンを一時期は引き取ります。行政関係者は主人公を精神科病院へ入院させようとしましたが、グラスマンが止めており、2人は主治医と患者のような身内のような関係でした。

成長して医師になったショーンの天才的才能をグラスマンが知ると、自身が院長を勤める病院のレジデントにしようとします。

何度か退職にされそうな危機を迎えますが、事故を説明し内省し再発防止に向き合う責任感を眺めていると、この人は医療の責任を負えている、と考えました。

周りの医師にも助けられており、必要な人材なのだと理解できました。



的外れかもしれませんが、このストーリーで私が一番考えさせられたのはショーンの採用シーンでした。

身内の採用、主治医が患者を採用、障害者の雇用という課題がありました。

敏腕院長のグラスマンは理事会で他の医療職や法律関係者から猛反発を受けていましたが、それを通してしまうところに凄みを感じました。



身内の採用は前例も多数ありますが、権威を着る身内の増長による不正などに繋がることも少なくないでしょう。

日本にも、医師ではない院長の子供が理事長になれる法律があります。理事長が医師でない病院全てがそうでなくても、法律では理事長は経営責任のみを求められているため、現場の実情を考えないビジネスライクなブラック病院が多数生まれているかもしれません。

資格もないのに工場監査のように外来を観察させるよう命じていた親族事務長を目にしたことがあります。もっと酷い例では、医師免許のない理事長が外科医に手術をさせるよう命じて生じた医療事故も新聞報道であったかもしれません。

もちろん、皆が皆、身内の採用で権威を切る訳ではなく、ショーンはむしろグラスマンの介護もしていたり権力だけでない繋がりを好ましく思いました。

身内の採用をしても、真摯に仕事へ取り組まれる方もいてショーンのように優しい人もいるはずですが、ある程度の批判はありうるだろう、と考えました。



ショーンの主治医のような存在のグラスマンに対する批判はなかったかもしれませんが、障害者を特にリスクが高い外科医へ雇用することについての反発は激しいものがありました。

たしかに、よほど優れた才能がなければ、よほど人手のいない病院でなければ、競争の激しい病院では医療事故も懸念し患者の採用は厳しいと思います。

夜間パニックを起こしたショーンに院長のグラスマンが呼び出されている驚愕のシーンがありましたが、介護が必要なレベルの障害だと大変です。

患者への無礼な物言いはクレームになりえます。クレームやレビュー評価が落ちれば、病院側が困ります。その尻拭いをし続ける上司は短期雇用が終わるのを指折り数えることになるかもしれません。

どの程度、患者と接する責任ある仕事に障害者が就くかという課題もあるでしょう。

日本でも、掃除やパン屋などの職種であれば、患者に職を与えようとする病院もありますが、医師、さらには外科医となると術前の説明やトラブル発生時の説明など、一人では難しいかもしれず、サポート体制も鍵になるはずです。

統合失調症を発症した医学生は医師免許を取得できない制限があるそうですから、不注意も伴うことが多い発達障害で責任重大な外科医は心配で、行政からも病院側が指導を受けたり、周囲から反発を受けるのは当然かもしれないと思いました。

発達障害を抱える医師や医療職、働くなかで発症した方々は実際には多数存在しているかもしれません。ドラマで注目されるほど花形な存在ではないはずで、オープンに採用すれば批判が生まれるでしょう。



それから仮に、グラスマンとショーンの関係が異性だった場合には、医師と患者関係に近い場合、陽性転移など関係性の課題を批判されるでしょう。

ドラマの中でも、同僚ジャレットが火傷を負った女性患者に好きになられ、自身も好感を持ったため、主治医をショーンに変えてデートに誘っていました。主治医変更後すぐ女性とデートする設定に、もう少し関係性を見直すため時間をおかないのか、と疑問を感じた部分もありました。

一番非難を受けるのは、主治医をしながら患者と性的関係をもつことでしょうから、一応は関係性に配慮したのでしょうか。それだけでなく、理想の親との関係を患者は医師に重ねているのかもしれず、その愛情に応えることは近親相姦のような性的虐待になりうる可能性もあり自粛したいものです。

実際には、親族を雇っていたり、障害を抱える医師を雇用したり、患者と結婚していたりする精神科医もいたとしても、オープンではないかもしれません。

最近も、違法薬物で逮捕歴のある医師が、患者を受付に採用し、性的関係を結び同棲しDVを繰り返し、患者が自殺未遂をする事件が起きていました。対人関係の境界線が依存症で障害されていたのか、と察しました。グラスマンも違法薬物をショーンと楽しむシーンがありました。

ひょっとすると依存症の症状として、患者を利用して癒そうとする誤った孤立への対処法という側面もあるのかもしれない、と考えました。ショーンは、優しいから、恩返しとしてグラスマンにパートナーを探してあげたのかもしれません。

そんな患者のような身内の採用は批判も受けるだろたいと予想しました。



たまたまショーンは、運も味方にしてチャンスをえます。

採用面接に向かいながら空港で外科処置をした画像の再生回数が伸びに伸びてマスコミに注目され、外科医の志望動機に感動した委員会メンバーの支えにより、主人公は短期採用のチャンスを得ます。

ただ、なぜグラスマンはショーンを採用し、許容されたのでしょうか。



まず、優れた能力や才能でしょうか。

主人公にはサヴァン症候群があり、空間認識能力が人より長けており、手術中に損傷した動脈を当てて止血して救命できたりしていました。グラスマンは、この才能が病院に有益だと判断しました。

医師の世界で重宝される皆が仲良くなりたい相手は才能ある医師だとストーリーのなかで語られていました。ショーンはブランド高級スーツで着飾ってパーティに参加しないと恥ずかしいと同僚に教えられて、実践していました。



次に、ショーンが困っていたからグラスマンは支援したのでしょう。

他の病院でも、自閉症を抱えつつ外科医採用は難しかったから、身内で患者に近い存在のショーンを助けたのでしょう。グラスマンが身内の娘を患者として救えなかった身代わりのような存在にも見えました。元・主治医が患者を採用してよいのか、という課題も感じました。

契約上、もう診ていなければok? 実質、夜中に院長はショーンのパニックで呼び出され時間外対応は続いていて、福祉介入を勧めていましたが、ショーンは受け入れないなどの医師患者関係が続きました。医療従事者には共依存のような依存症を抱える人も多い気がしますが、彼はこの関係も拒みました。

確かに一時期、父親と息子のような患者から医師への転移関係に戸惑っていました。ショーンは恩人を非難せず味方で居続ける誠実さを持っており、支配されすぎない芯もありました。途中で、医師患者関係のような関わりではなく、友人になってほしいと要求し始めることができていました。

途中、権力者の父親役に甘え過ぎたのか、無断欠勤や遅刻が目立ったようですが、契約打ち切りにならないところが、アメリカ文化と日本文化の違いなのか。

診療所で働いていると、医師に薬を処方してもらう職員も少なくありませんでした。身内や職員は、一部の医療費請求ができず安くなります。ただ、主治医が患者を雇うということは、病院の掃除や作業所の延長としてのパン販売などではあったとしても、稀です。

治療契約があろうとなかろうと、雇用責任者には障害者の心身の状況をみながら勤務継続を判断する責任があるはずです。通常、こうした大病院では産業医を雇い責任分散しますが、反対を押し切り採用したグラスマンの責任感を感じました。50人未満の職員を雇う診療所などではグラスマン化しそうです。

そんな問題をもろともせず、逞しく健気に働くショーンの健全さに驚くばかりでした。



最後に、院長のグラスマンが孤独だったから仲の良いビジネスパートナーが欲しかったのでしょう。

周りのレジデントはショーンを院長のペットだと批判していました。脳腫瘍を隠していた院長がショーンを選んだのは、死ぬ前に自閉症患者を助ける名目なら良いだろう、と考えたなら批判されうるでしょう。

しかし、シーズンが進むと、脳腫瘍を患うグラスマンをショーンが介護したり医師患者のように管理したり立場は逆転し、ショーンはペットではないことを証明していきます。グラスマン自体、彼女がショーンをペット扱いしていないかと懸念して批判していました。

採用自体、意義があり批判されたとしても、グラスマンの善意を私は信じます。

ただ、この話が拗れなかったのは、重責を与えられた時、一時は女性と逃げ出すなど葛藤を抱えながらも、責任感をもち応え、周囲を気遣うことのできたショーンの力量が凄いな、と思いました。

一般化は難しいかもしれませんが、経済面の苦境、虐待的な家族からの保護など個別の事情に合わせ、主治医の患者採用は起こりうる話だと考えました。

ただ、その契約を更新するかは、雇用者と被雇用者の努力や倫理観が求められるのかもしれません。



なお、メンタルの描写が弱く、恋愛や友情といった登場人物同志の関係性を描くことに医学的題材からシフトしていく点が、前作の傾向と似ていました。

外科医のドラマだから仕方ないかもしれませんが、主人公の同僚の母親が違法薬物中毒でシェルターでボランティアをしたことがある程度のメンタル研鑽。母親がアルコール依存と知りつつ、自宅からお酒を排除できず、断酒の重要性を理解できず、母親にお酒を飲まれて死なれてしまい荒れていました。

グラスマンが、ショーンを子供のように面倒を見てしまうのは、違法薬物依存に陥っていた娘をリハビリ施設に入れず、自分の力を過信して自殺された経験があるからなのかもしれません。しかし、その後も、治療を精神科に任せるシーンなどは一切なく、現実に向き合えないのだな、と感じました。

統合失調症を疑っても脳腫瘍だったり、難治性の摂食障害を患えばDBSを埋め込み治したり、メンタルの病や治療を評価される機会は殆どありませんでした。脚本家はメンタル方面を学びにくかったのか、と察していました。いつもシーズンが進むと登場人物同志の恋愛沙汰で誤魔化すので見応えがなくなります。

依存症についての描写は得意でも、治療を描写するのが苦手なのかもしれません。



久々に懐かしいドラマが観れて夢中になれました。




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コロナ禍、オミクロンは最後の波でしょうか。

なかなか故郷に戻れず、誰にも会えない孤独な冬に働き続けていたら、昭和の歌謡曲が懐かしくなりました。年末から少し疲れることが続いて、頭のなかで歌が止まりません。

きっと子守唄のようなもので、自分を癒そうとしているのかな、と捉えています。ただ、走馬燈のように、歌の時代がどんどん過去に戻っていきました。退行しているのかもしれません。



学生時代はラルクアンシエルのファンでした。当初は、「the Forth Avenue Cafe」の「季節は穏やかに終わりを告げたね」などまだ1990年代の曲のフレーズが頭のなかで流れていました。

次に、前回もブログで書いた1980年代の「ロマンチックが止まらない」の「止めてロマンチック」に取り憑かれましたが、これは少し自暴自棄な曲だと思います。

今は、1970年代近くに戻ってきたのか、季節のためか、「氷雨」のメロディが聞こえています。以前、ラルクのkenさんが、音楽番組で歌って紹介されていて、私も好きになりました。

今は、そんな未熟で不安定で自暴自棄な気分にすら共感できますが、中年で依存症医療に携わってきたので、依存物質なしに文章を書いて乗り切れそうです。若い女性の儚さや不安定さが、男と女のラブゲームになるのね、と考えている時点で、そんな時代は終わったな、と感じられます。

今は、大事にできて尊敬できるような愛しあえる関係に憧れておりますが、そんな理想的な関係を常に築けるとも限りません。何とか支え合い生きのびられる縁があれば良い気もします。



氷雨の歌詞の意味を改めて考えてみました。

この曲は、スナックを経営しながら作曲活動をしていた、とまりれんさんが、実際に仕事のなかで目にした女性を歌にしたそうです。女性の描写にリアルさを感じます。

昭和では、今よりも堅気の女性のお一人様は珍しかったのかもしれず、スナックで働いていて、女性一人の侘しいお酒で泥酔しようとする、丁寧の口調の客が印象に残ったのかもしれません。しかも、彼女が酔い潰れたら介抱するのはオーナー。危うい場面な気もします。

ただ、この曲に登場する女性は、失恋したのですが、その対処の仕方からパーソナリティ障害や依存症があるようで、少し大変な環境で育ったのだろうな、と勝手に捉えてしまいました。

大変な恋愛になりそうですが、相手の男性も同程度に病んでおられるなら釣り合いそうです。共依存を繰り返すから苦しくなり別れを迎えることも少なく、なかなか巡り合わせは難しいものだと感じます。



彼女が境界性パーソナリティ障害をもつのではと考えた理由は、直接会っていないので間違いだと思いますが、いくつかあります。

男性に見捨てられたと延べており、1回会っただけのスナックオーナーに失恋を打ち明ける対人関係の不安定さ、失恋後だからかもしれませんが涙もろい情動不安定、深夜に女性一人で過度の飲酒をして周囲に動揺を与えていたからです。心配しないでと余計に同情をひき周りを振り回しているようにも見えます。

感情は冬の氷雨として表現されるほど振れ幅が激しいようです。女性一人の侘しい酒からは虚無感を感じます。

彼女は見捨てた男性のことを責めていません。しおらしい女性と捉えられるかもしれません。ただ、おそらく彼女が振り回し、相手の男性が逃げ出した可能性もありそうだと考えてしまいました。

歳を重ねれば重ねるほど、このパーソナリティ障害は治るようですから、こうした女性がいるのも、その女性に振り回される男性がいるのも、若さの象徴でもあるのかな、と考えたりします。



依存症を疑った理由も、直接会っていないので間違いだと思いますが、いくつかあります。

依存物質のアルコールを自暴自棄に飲んでいました。深夜に女性一人で失恋を忘れようとして泥酔するまで飲めば、自分の身が危険かもしれないなか飲んでいます。しかも、少し飲んだくらいでは酔えないところに耐性を感じ、飲ませてください、もう少し、などと語りコントロール出来ていないのでしょう。

涙を流しても、タバコの煙のせいだ、と否認して虚栄をはっているのが、男性目線だと可愛いらしいのかもしれません。依存症的に愛情を求めすぎたからこれだけ傷ついているのだろう、と依存症的行動を察してしまいました。

こんなあたし許してください、など自身に罪の意識を感じながら飲んでいます。

若いうちから飲み続ければ、ビタミンやミネラル不足になり、早くに肌が痛み、メンタルを病みやすく、認知症にもなりやすくなるので、出来れば早く酒と距離がとれるといい、と祈る他ありません。



失恋のトラウマを飲酒で癒そうとする女性。

同棲していた男性が家を出てしまい、自分の家を回避しています。男性が好きだった曲まで回避しています。そこに強い不安と不安が様々な対象に広がり避けてしまう般化を感じます。

覚醒しすぎて、フラッシュバックして辛いからお酒で忘れようとセルフメディケーションを試みているようですが、誤って勢いで関係が続きにくい男性との過ちを繰り返しそうな雰囲気を感じます。

誤ったセルフメディケーションをするからお酒をいくら飲んでも癒えないことに彼女は気付く余裕がありません。

自分の過ちに向き合い、解決しない部分は受容を目指し、解決できる部分を改める。そんなリフレクティブファンクションが働いていて、極端でないバランスのとれた思考がもてるなら、トラウマは脱出できるでしょうけれど、人生には悲しみに溺れる時期もあるでしょう。

彼女は、許してと語り自責を続けています。相手が許すより先に過ちを自分が許せれば楽になるでしょう。他者に自己評価を依存する方なのか。解決できる点は改善し、難しい課題はそのまま受け止めて、早く手放せると良いな、と祈るばかりです。

残酷ですが、彼女は家には早く帰り避けているものに晒す暴露をしていくか、暴露できないなら早く越せばいい、と現実的に中年女性は考えてしまいます。解決策を伝えたら、感情的な女性はキレるはずです。実際には口に出さず見守るのみですが、中年女性になると手厳しい考えが頭をよぎります。



氷雨の降る季節は寒いので人肌寂しくなり、寂しさをこうした曲が癒すのでしょう。

寂しさを感じる時に体温が下がっているという研究もあり、人肌恋しくなるのでしょうけれど、貼るホッカイロでも買うか、と中年女性は季節に動じなくなりつつあり残念かもしれません。

孤立すると愛情ホルモンのオキシトシン不足になりますが、大丈夫。モフモフな猫やぬいぐるみがあれば、オキシトシンも出せます。大変な相手に引っかからず、冷静でいられます。

朝方の光が減ると、睡眠ホルモンのメラトニンが減り、睡眠リズムが乱れ時差ぼけのような怠さやうつが生じます。中年女性の財力があれば、暗いなら朝、光目覚ましを使うこともできます。

鬱っぽいなら、セロトニンが減っているのかもしれません。何か暖かいセロトニンが含まれる味噌汁や鍋などをよく噛んで食べれば良いのではないか、と考えてしまいます。

こう考えてみると、中年女性は若い女性よりスキがなくなっており恋しにくい世代なのでしょう。




昭和はこんな時代だったのかな、としみじみ思いました。

大人ぶっているのですが、未熟な愛情を大人の恋愛として憧れているように感じています。

現実の仕事に向き合いつつ、たまには、逃げ出したくなったりすることもあっていいのではないか、と捉えています。こうした実はちょっと困った女性の面倒をみるヒーローになりたい、振り回されたい男心も感じます。共依存と正常の境界線にたまに戸惑う人も少なくないのかな、と仲間意識を感じます。

小さな頃に聞くと意味不明だった歌謡曲の歌詞を幼く感じるほど歳を重ねてしまいました。昭和は依存症文化が特に顕著で、飲酒喫煙業界がTVや有線のスポンサーなら、依存物質に因んだ題材が曲になりやすかったのか。ため息しかでません。

辛い時に明るい曲を聴いても、余計に辛くなるので、悲しみに共感してもらえるような歌を聴きたくなる日もあるだろう、と考えつつ今日も曲に癒され乗り切れそうです。

私にもこんな未熟で魅惑的な20代があったのかもしれませんが、年齢を重ねると、自立してセルフケアを行い、現実的に逞しくなってきている気もします。




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1980年代、様々なアーチストが現れましたが、80年代というと、中毒になりそうな、この曲を思い出してしまいます。

中山美穂さんが若かった時代の「毎度おさわがせします」という衝撃的な性教育ドラマの主題歌に採用されていました。

今になって歌詞を振り返ると、誤った解釈かもしれませんが、恋愛依存らしさが出ている気がしました。



C-C-Bというバンドのファンではなく詳しくありません。チェッカーズの雰囲気に似ていたので、彼らの曲かと最近まで勘違いしていたくらいですが、最近よく聞いています。

ミュージックビデオを見直すと、まずボーカルがドラムを叩いている姿を見て驚きました。インタビューを読むと、プロデューサーにドラムの声を気に入られてしまい、他にヴォーカルがいるなか、メインヴォーカルをドラムの青年が任されていたようでした。

メインヴォーカルが学校の先輩らしく、メンバー同士は従わねばならない役割分担ながら、気まずそうだな、と推測してしまいました。

大人の事情に従い若い彼らは演奏しなければならず、アーチスト名もcoconut boysから変更させられて、メジャーデビューして続けていくのは大変だったのかな、と察しました。ベースラインも綺麗ですが、シンセのメロディが印象に残る曲でした。この部分は彼らのデモテープの音源が残されたようでした。

調べれば調べるほどアーチストの苦痛を察してしまいました。



作詞・作曲は彼らかと思いきや違いました。

この曲の作曲は、筒美京平。作詞は松本隆。いずれも昭和の名曲を多数残している大御所音楽家。

こうした支配体制があったのだな、と当たり前かもしれない管理システムに改めて驚きました。



ラブソングを作る人に恋愛依存を抱える方をよく見かけます。

彼らの恋愛妄想が曲として実を結ぶ芸術をラブソングのように感じられることがよくあります。

この曲や作詞にも、そんな情熱を感じてしまい、昭和は依存症文化かな、と頷いてしまいました。



歌詞の始まりで、長いキスにたどり着いていましたが、起承転結の転から始まるストーリーが劇的だと感じます。

それでは、起承は何が起きていたの?という疑問と共に曲が始まります。

2人は今まで友達だったことがわかります。



さて、Romanticが止まらない、のRοmanticはどういう意味なのか調べました。

日本語でいうロマンチックという意味の他、空想にふける、恋愛に夢中の、ファンタジーの、非現実的な、実現しがたい、架空の、という意味があります。

恋愛に夢中になることが止まらなくても別によいのでは、と傍から見ればツッコミたくなるかもしれず、なぜ止まらず彼は困っているのだろう、と考えました。



彼が恋愛依存気味の青年で幻覚妄想のような恋愛妄想に惹かれすぎるのを止められなくて困ったのではないか、と私は考えました。

恋愛依存症を抱えていると、女性を落とす瞬間の快感、ファンタジーに一番興奮してしまい、その次の肉体関係などにさほど興奮しないといいます。そうした男性は、賢者タイムに、また強迫的に女の子と遊んでしまった罪責感や女の子ではらそうとしたストレスに直面化して絶望感に襲われるといいます。

だから、大事だったかもしれない女友達を彼は情熱的に恋をしながら飽きて失おうとする瞬間を止めたいのか、と考えました。戸惑う瞳を支配する喜びは、お酒のように女性を性のシンボルとして利用して消費してしまっている最中だから甘く溺れているのかな、と捉えてしまいました。

性のシンボルとして、おっぱいが見たいだけ、ホテルに連れ込みたいだけ、落としたいだけ様々なことを語る性依存を抱えているかもしれない方々のお話を伺うことがあります。どこに拘るかは、人それぞれでしょう。要は所有欲、支配したいだけのはずです。

彼はファンタジーに夢中になり関係を持った後、絶望感に襲われると、また次の刺激的な女性に惹かれ、ファンタジーを抱き、絶望して、という恋愛依存症サイクルに囚われていると気づいているのでしょう。だから、この女性との関係は終わりになるはずで、それが切ないのかもしれません。

ただ、ひょっとしたら、何か女性と遊んで晴らそうとしたストレスが蘇り内側で傷ついているのか。胸が胸が苦しくなる、というのは、きっとそんな恋の切なさを表しているはずですが、ひょっとすると、恋の苦しみは、そうした解消されない人生の苦しみそのものなのかな、とも考えました。

昭和という時代、男性は弱さを表現し難い時代でしたから、こうして酒でも飲むように恋愛で苦しみを発散してしまっていて、誤ったストレス解消を反復的に繰り返す強迫症状が辛いのかな、と察しました。

遊びなの、と尋ねたくなるようなこの雰囲気を女性が感じたのは、同じ孤独を感じている似たような女性だから分かったことなのかもしれません。2人とも、遊びの関係を繰り返しているから孤独なのか。

今夜1人では眠れないらしいので、お別れが近づいていることを彼は勘付いていて、hold me tightと歌って孤独を癒したいのか。もしくは、現実離れして解離する感覚も味わうはずなので、強く抱きしめて現実の世界に戻して、幻想に囚われるサイクルから現実に抜け出させて、と助けを求めているのでしょうか。



恋の歌というのは、子供の不安で強迫的な気持ちを叫んでいるように今の私には聞こえてしまいます。

これは、愛情とは違います。

こうしたセックスシンボルとして物の消費される関係に巻き込まれたくないものだ、中身を見て付き合える関係性を選びたいな、育児ではない関係性を築きたい、と考えてしまうほど、私は大人になったのかもしれません。




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