映画や小説を分析する

約220作、映画や小説に対する感想を書いています。漫画、音楽、絵画についての感想もあります。日本、英語圏、アジアの映画やTVドラマをゆったり楽しんで一休みしています。

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2016年09月

君の名は。(通常盤)
RADWIMPS
Universal Music =music=
2016-08-24


総合評価 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
脚本 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
配役 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
演出 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
映像 ⭐️⭐️⭐︎⭐︎⭐︎
音楽 ⭐️⭐️⭐️⭐︎

新海誠監督の最新作、大ヒットということで、映画館へ観に行きました。

たしかに名作で、やはり背景の景色が実写には出せない美しさ、素敵でした。RADWIMPSの音楽も映画に合っていました。ただ私には情報量が多く刺激的で少し疲れました。

日本文化、時間、場所、人、性別という結びが絡まったり離れたりするような切ない縁結びのラブストーリーに感動しました。



主人公は2人。

1人は東京で父親と暮らすバイトに励む高校男子。バイト先の年上の女性に恋して仲間と暮らしています。

1人は飛騨で神社や組紐づくりを営む祖母、妹と暮らす女子高生。父親は母親の死後、家を出て市長に就任しています。地域では目立つ存在で同世代の高校生からからかわれたりしながらも、健気に家の役割を果たす主人公は、田舎を飛び出したがっています。



そんな見知らぬ二人が、なぜか、ある時から急に、時間も場所も人も性別も隔てを失い、眼が覚めると入れ替わり過ごすようになります。

お互いの友人からは、狐憑きのように人が変わると指摘されます。

週に2-3回不定期に入れ替わるため予測がつかず、当初2人は困惑します。二人はお互いの携帯に日記をつけたりすることで少しずつ連絡を取り始め生活に慣れ始めます。そして徐々に二人は惹かれあうようになります。



しかしある日を境に、突然、彼女の身体と交代することがなくなります。

入れ替わった夢で見た景色が飛騨の風景だと気付いた主人公は、憧れの女性の先輩や男友達と名前も分からない場所を探して、夢で見た景色のスケッチを片手に東京を発ちます。

日も暮れて場所が分からず諦めかけた夕暮れに入ったラーメン屋のご主人が、スケッチをよく描けていると褒めてくれます。なぜなら、三年前、美しい彗星が砕け、隕石として落下して、その町は破壊されて町民が多数死亡していて、ご主人は失った自分の故郷を偲んでいたのでした。

日暮れにも関わらず、ご主人は町へ車で連れて行ってくれます。町は変わり果てた姿になっていて立ち入り禁止区域。害を免れた校舎には誰もおらず、荒れ果てていました。しかも図書館で資料を調べると彼女の名前は3年前の災害の死亡者リストに載っていました。



主人公は、神社を営む祖母が死の世界とつながりがあると語っていた山頂を思い出して、宿から一人抜け出して登山を始めます。登頂して祠に入ると、彼女の魂を半分がこめたいう神に備えたお酒が、三年の月日を感じさせるコケに覆われていました。主人公はコケをぬぐって、お酒を飲んでみるのです。

すると主人公は足を滑らせて山頂の祠の天井に彗星が描かれていることに気付き、不思議な空間に飲み込まれてしまいます。

目を覚ますと彼女と入れ替わっていて、彗星の破片が落ちる当日でした。



主人公は、友人を巻き込み、町の人を助けようと画策します。

しかし誰も信じてくれません。友人だけが同調してくれますが、発電所を爆破して停電を起こし、町内放送を乗っ取って避難指示を出す計画は、普段は犯罪です。

市長の父親は協力を拒み、主人公に病院を受診するよう勧めます。



最後の前日、主人公の男性が入れ替わりを経験する前に、主人公の女性は上京してあてもなく相手の男性を探していました。そして未だ彼女のことを知らない主人公の男性に出会い、髪結いの紐を渡していたことに気付きます。山頂に登れば入れ替わった彼女に会えると信じて主人公はまた山を登り始めます。

山頂で片割れ時を迎えると、2人が再開を果たします。

そして自分の気持ちを伝えるのですが、一瞬で2人は入れ替わり、お互いの記憶を失います。



主人公の女性は町の危機に気付き、主人公の男性の計画を引き継ぎます。

校舎に逃げるよう伝える町内放送を市役所職員に見つかり、自宅待機に変更された放送が流れてしまいます。

一時はどうなることかと思いつつ、父親に避難訓練として学校への町民の避難を認めさせ、奇跡的に死傷者は殆ど出なかったというニュースになり、時が経ちます。



最後は、記憶を失った2人が社会人となり東京ですれ違い、ある日、君の名前は?と街中で声をかけあうハッピーエンドでした。



この話は解離性障害に似ている、と思いました。なぜなら、時間や場所、人などの同一性を失っています。体験している二人以外は了解が難しい思考に左右されて2人が犯罪行為を起こしているのは、父親が疑ったように精神病に近いかもしれません。

ただ、精神病は夢のような世界によって回復しようとする部分もあるわけで、映画というのはそうした娯楽なのだろうと思ったりもしています。自己の同一性に混乱が起きるのは、隕石墜落という危機的状況を知らせて解決しようとしている回復を目指す生命力を示すようなストーリーに納得しました。

現実では解決しない問題を映画のなかでは時を巻き戻して、あの時の災害を防げたら、という切ない願いに思えて、夢のある映画に癒しも感じました。



現実の世界で解離するということも、無力感を感じるほどの圧倒的な災害などトラウマをおこすイベントに出会い、別人格を作り出しても警報が鳴り止まず解決できず、誰かに助けを求めている危機的状況に遭遇した人の正常な反応なのか、とも思いました。

人類共通の遺伝子に刻まれた性質を文化と絡めて描いているので、きっと多くの人に響く作品になったのではないでしょうか。

東日本大震災を彷彿とさせる部分もあり、今の日本に必要な癒しのある面白い邦画アニメでした。  



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リリーのすべて (字幕版)
エディ・レッドメイン
2016-08-24

監督トム・フーパー
脚本ルシンダ・コクソン英語版
原作デヴィッド・エバーショフ
世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語英語版
出演者エディ・レッドメイン
アリシア・ヴィキャンデル
マティアス・スーナールツ
ベン・ウィショー
セバスチャン・コッホ
アンバー・ハード
音楽アレクサンドル・デスプラ
公開イタリアの旗 2015年9月5日
ヴェネツィア国際映画祭
アメリカ合衆国の旗 2015年11月27日
イギリスの旗 2016年1月1日
日本の旗 2016年3月18日
上映時間119分[1]
製作国イギリスの旗 イギリス
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ドイツの旗 ドイツ
言語英語
製作費$15,000,000[2]
興行収入$64,200,000[3]
テンプレートを表示
wikipediaより引用)


yahoo映画レビュー
3.8(1,529)
 2016/12/25時点
 
 
私の総合評価 ⭐️⭐️⭐️⭐️
脚本 ⭐️⭐️⭐️⭐️
配役 ⭐️⭐️⭐️⭐️
演出 ⭐️⭐️⭐️⭐️
映像 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
音楽 ⭐️⭐️⭐️

リリーのすべては、博士と彼女のセオリーに出演していたアカデミー賞俳優であり、イギリスの皇太子とイートン校で同級生でケンブリッジの芸術史を専攻していた俳優エディ・レッドメインが主役の話題作。

13人に1人はLGBTと言われています。今は同性婚が日本でも認められている地域がありますが、この映画の舞台は、カミングアウトが今よりずっと困難だった1926年のデンマーク。LGBTの性適合手術を初めて受けて亡くなった男性の実話を基にした作品です。

地方では公演されず、私がLGBTでないためなのか性転換手術の必要性を理解しきれない部分が残りました。

フロイトによると、思春期には同性愛的な友情や情熱がどちらの性にあってもありがちな発達の形であるかもしれず、潜在的・無意識的な同性愛は正常な人にもあるそうで、惹きつけられる部分もありました。

だから、この映画に多くの人が惹かれるのかもしれません。



主人公は美しい妻と結婚します。夫婦関係は順調で、画業も成功していました。夫妻は友人も多く幸福な家庭を築いていました。

才気あるやや支配的な妻は、優雅で優しく才能ある夫を誇りに思っていました。ただ子供が出来ないことと自分の絵が売れないことに妻は悩んでいました。

そんななか夫妻の関係が深まるにつれ、その時代の夫を演じているだけかもしれない夫の人格のなかに女性が隠れていることを妻は見抜きます。



モデルのバレリーナが休んだ時、妻は遊び心で夫に女装させてリリーと名付けモデルにします。

悪ふざけで主人公の従姉妹として女装したリリーは、妻とパーティに出席します。

そこでリリーは男性に言い寄られてキスをされてしまいます。すると、主人公の性同一性が揺らぎ始め、妻と夜の営みが全くできなくなってしまい、女性の下着や衣類に興味を示し始めます。



そこから一人で女装してリリーは街に出て、男性の恋人に会いに行くようになってしまいます。

相手の男性は、主人公を女性としてではなく、男性として愛している同性愛者だと知り、主人公は戸惑います。

婚外の恋愛関係が深まるほど、リリーは女性としての自分の身体が男性であることに悩むようになります。



身体だけでなく、精神も揺らぎます。

夫の役割を演じていた表面上の人格がリリーと交代して乗っ取られていくのは解離性障害に似ていると思いましたが、私にはどうもリアリティーを感じられない描き方で、LGBT特有のキャラクターなのか、単に演技に支障があるのか理解できませんでした。

リリーになった夫は、家に引きこもり仕事をしなくなります。妻は夫を病気だと考えて精神科病院へ連れて行くと、夫は統合失調症と診断されて放射線治療をされ、収容されそうになります。昔は社会不適応を起こせば、すぐ統合失調症と診断されていたという批判もあるのでしょうか。

ひょっとすると良い精神分析家にたどり着ければリリーが変わる可能性もあったのかもしれませんが、この話では、妻が夫を連れ帰り、妻の仕事の都合としてパリに移住します。

転地療養を考えたのか、同性愛の恋人から離れさせることで、夫の回復を妻は目指したようでした。



しかし、覆水盆に返らず。

刺激から距離をとっても、環境を変えても、目の前にいる夫は妻の指示に従いますが、以前の夫には戻らないことに妻は気付くのです。

主人公は幼少期の故郷の景色を繰り返し描いてきました。その景色を共に眺めて育ち 主人公にふざけてキスをして主人公の父親に激しく叱られた少年は、成人してパリで画商をしていました。

妻は才能があるもののチャンスに恵まれない画家でしたが、奇遇にも女装した夫リリーを描いた絵を展示した展覧会で妻は人気を博し、パリの画商に見出されます。

そこで妻は夫の幼なじみの画商を尋ね夫への支援を頼みます。そしてハンスはリリーと再会します。

ただ妻は仕事をせず引きこもり女装する夫を支え続けながらも、じわじわと傷ついていて、やがて耐えきれなくなり、妻がハンスと恋愛関係に陥ります。2人の加害者は罪悪感や悲しみを共有して、支えあい恋に落ちたのでしょうか。それで漸く夫を失った悲しみにバランスが保てたのかもしれません。

遊び心で性別の枠を超えてしまうのは簡単ですが、刺激をうけてしまった人の心が容易には戻らないことには注意が必要だと思います。



妻は夫が病なのではなく外見が男性でも中身は女性なのだと理解していて、性同一性障害に詳しい産婦人科医の教授を友人に勧められたので、夫に産婦人科受診を勧めます。

性転換手術は未だ行われておらず危険だという説明を医師から受けますが、主人公は性転換を強く希望しました。

第一段階は男性器切除、第二段階は膣形成。妻が付き添い初めの手術を受け、主人公は香水売り場の店員として沢山の女性職員と働き、充実した暮らしを手に入れます。

しかし妻を女性として妬んでしまう、ペニス羨望のように膣をもつことを切望する女性であるリリーには当然の欲求を、夫を愛してしまったからこそ妻には理解できたのかもしれません。

主人公は、パリの精神科を受診して、また統合失調症と診断され収容されかけたので逃げ出します。そして妻と元の街に戻り仕事を見つけると、やはり主人公は同性愛者の元恋人と交際を始めます。

一度、火がついた欲望は、制御できなくなるものなのか。それから主人公は命がけで第二段階の性転換手術に挑みます。そして妻や友人に見守られながら、ありのままの女性の姿を手に入れたことを主人公は喜び、自由を尊重されながら手術後に命を落とします。

妻とハンスは、リリーにスカーフを手向けます。二人は支えあい生きたのかもしれません。



ジェンダー・アイデンティティー、自分が男であるか女であるかということにかかわる基本的な感覚は、どの時期が影響するのでしょう。一定の時期に同性からのキスをされるなど性的な誘惑は罪深い結果になるのでしょうか。

セクシャル・アイデンティティーを考えれば女性も愛せていて、男性の仮面を被っていた主人公がリリーになったのは、妻が彼女を見つけただけではなく、実は幼児期にすでに決まっていたのかもしれません。もちろんリリーが生まれながらに女性性器も持っていたかどうかは分かりませんし詳細は不明です。

精神分析の発達段階にも不明な点があり、成熟を完全な善のように強要する価値観もどうなのかと私は悩みますし、原因が分かれば解決策が分かるとも限りません。



人権を尊重するということは、失敗や危険性を選ぶことも自己責任として許すことであり、危険性を選ぶ本人に本当に判断能力がある状況だったかどうかというところを大事だと思うのですが、この映画では安定した生活のなか、本人が性転換手術を選んだように描かれていました。

私が気になるのは、リリーには別の生き方がなかったのか、という点です。リリーは自分の死によって2人へ当てつけたり、2人を罪悪感で支配した対人関係の課題が隠れていた部分はないのか、と疑ってしまいました。結局、逃げ出したものの、なぜリリーは自ら繰り返し精神科を受診したのでしょう。

両親との関係を二人の関係への当てつけをしたのではないと信じたいですが、そうであっても恋愛至上主義の人からすれば美しい人生なのかもしれません。

ただ、リリーが克服できれば生き延びれたかもしれない課題は、過去の両親からの強すぎる支配という部分はないのでしょうか。誰かの支配を受けながら生きるものかもしれませんが、自分を支配できる感覚が女性器を手術で作ることによってのみ得られるという強迫に囚われたのなら、残念な話です。

そんな人生を終える人も多いのかもしれませんが、自分を傷つけなくても、支配など必要なく誠実に誰かを愛せる関係に気づけたら、と思いました。未熟なまま亡くなるのも自由かもしれませんが、違う人生もあったかもしれず、リリーは苦痛を軽減して生きたかったのかもしれないと考えると、残念でした。

マイノリティー全てを未熟と扱うべきでもなく、多様な存在がいて不変な性質として受け止めると、ひょっとするとマイノリティーを回復しえる病として支援するという考えすら傲慢かもしれません。

一人一人の判別を誰もが完全につけることができないから、精神医療に関わらず性転換をして後悔する人と、精神医療に関わって治らず不要だったと後悔する人が生まれるのだろうと考えました。



この話は、LGBTに生まれた方々の自由や人権に対する蹂躙と尊重の話だと思いました。

なんども昔の社会不適応者を病者にしたて強制収容する精神医療を批判していました。

同時に、誰もが社会に適応するために自由を抑制していて、その本音を理解することは人間の深い理解であるはずです。

しかし枠組みが外れるときは、ささいなきっかけだというのに、外れた後、社会に適応することは困難になってしまうという、よくある残酷な事実を描いていると思いました。

自分の思い通りに生きることが自由かもしれませんが、周りの人や自分を思い通りにしすぎると起こる暴力の一種にも見えてしまい、支配権を巡る夫婦関係の戦いの末の一つの悲劇にも見えました。

LGBTに対する差別が強い時代背景を考えると、妻が夫を人として理解して相手の人生を尊重した姿は先進的と表現するのが正当な見方だと思います。それが出来たのは、妻は芸術家で真実を見いだしたい欲求や支配欲があったからかもしれません。



LGBTへの差別に私は反対します。

LGBTであることを本人の意向を無視してカミングアウトしてしまうことは日本でもあり、好感度が高い俳優を引退に追い詰めるマスコミの報道は暴力だと思います。その報道の真偽も不明ですから抗議もしにくいのかもしれません。

ただ映画のようにLGBTと主張する人や男女が、目覚めていない人を目覚めさせていくことや、求婚して相手が恋を望んでいなければ、性暴力の一種になりうるかもしれないと戸惑う部分もあります。

健常者にも犯罪者がいるようにLGBTと呼ばれる人のなかにも犯罪者がいるというだけなのでしょう。共存する側の注意が必要なリスク社会だと考えて私がブログを書く言論の自由と同じだと考えます。普通ではない犯罪を私が恐ろしいと感じるだけなのでしょう。

収容されることを拒み、同じ性質を持つ仲間が集うコミュニティーをLGBTを抱える方が作り恋愛活動に励むことができると、会社や社会でも支障なく暮らせそうですが、日本でもLGBTを抱える方々の人権を尊重するためには戦いが必要なのかもしれません。



ただ女性になるだけで全ての問題が解決すると考えて性転換することが妥当かどうかについては、今後も時代や環境により意見が割れることもあるかもしれず、言うまでもなく慎重な検討が必要だと思います。

傷つけ合うリスクも理解したうえで傷つけあっても交流して共生していくのが今の社会かもしれません。

地方は排他的なので、マイノリティーを描いた映画は観客が望めないためなのか、公開されませんでしたが、漸くDVDで目にすることができました。


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N.Y.式ハッピー・セラピー [DVD]
ジャック・ニコルソン
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2013-04-12


総合評価 ⭐️⭐️⭐️(⭐︎)
脚本 ⭐️⭐️⭐️⭐︎⭐︎
配役 ⭐️⭐️⭐️
演出 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
映像 ⭐️⭐️⭐︎
音楽 ⭐️⭐️⭐️

ニューヨーク式ハッピーセラピーを観ました。邦題とは違い原題は、ANGER MANAGEMENT。

アメリカでは1970年代あたりから、アンガーマネジメントプログラムが開発されて、精神科病院や矯正施設、依存症リハビリ施設で盛んに取り組まれていると耳にしたことがあります。

かくいう私自身がお酒を飲みすぎて怒り大失敗を繰り返した時期がありました。このままではいけないと考えて、2009年頃に本を探して行動を変えようと取り組み始めて、3年ほどかかりましたが、自分で変わり始めた手ごたえを感じた経験があります。だから日本でなぜ広まらないのかと首をひねっていました。

近年、感染症や喫煙の予防の次に怒りの感情をコントロールすることで社会から暴力を減らすという予防概念が注目されているといいます。2000年にこのテーマを扱うというのは新しかったのではないかと思うのですが、なぜヒットしないのかについては理解しかねたため、私はビデオを手に取りました。



いくつかの課題が目に付きました。

第一に、カッコーの巣の上でという映画では、ジャック・ニコルソンはアンチ精神医学を叫んでいました。この映画では彼が精神科医役で、失礼ながら精神科医役が似合わないのです。配役は本当に彼が適役だったのか。主人公とヒロインの魅力も、彼の圧倒的存在感で打ち消されているようで、残念でした。

第二に、脚本と観客の設定にも課題があるかもしれません。怒りの課題を抱える観客の多くは、中流〜下流階級を対象と考えられたのかもしれず、下ネタ狙いが多く下品でした。しかし、そうした怒りの問題を抱える男性陣が惹きつけられるかといえば、裁判所で命令されない限り向き合わない対象のような気も。

第三に、邦題のタイトル。ニューヨーク式ハッピーセラピーという柔らかい名前に、ジャック・ニコルソンの笑顔というミスマッチ。すっと見たい気がしないかもしれません。



ただ内容は面白いと思います。

小さな頃に、馬鹿にしていた女の子やその兄弟に皆の前で、女の子に求愛したところ、悪ガキにズボンを降ろされてしまいました。多数の前で自尊心を傷つけられ対処のしようもなく羞恥心を感じた主人公は、あまりのショックで怒ることすら忘れ、求婚することや誰かと戦うことを回避するようになります。

以降、怒りを適度に表現できず溜め込みすぎて爆発してしまう大人に主人公は成長してしまいます。プロポーズしたい美人で優しい彼女もいますが、トラウマが恐怖心を呼び起こすのか、主人公は自信をもってプロポーズできません。

彼女の元彼が職場にいて、主人公はライバルです。部長職を目指していて、上司から仕事を押し付けられてもコツコツと励んでいました。彼女から昇進の希望を上司へ主張するよう勧められていますが、主人公はやられっぱなしで常に被害者でした。

怒りの表現がうまくいかなくなるということは、羞恥心を味わうような圧倒的に抵抗できない攻撃を受けて傷つき、自己実現を妨げられたということなのでしょう。怒りをマネジメントすることは、外敵に抵抗し、傷ついた自尊心を癒し、現実の世界で自己表現するということではないかと思いました。



ある時、出張で飛行機に乗ると、強そうな乗客に席を取られて、主人公は戸惑ってしまいます。

するとジャック・ニコルソンが自分の席の隣へ移るよう主人公を誘います。しかし席を移れば、隣のジャック・ニコルソンが大騒ぎをするため眠れません。主人公は何も主張できず、寝不足でイライラします。

ヘッドフォンがないので欲しいとフライトアテンダントに頼んでも無視されてしまいますが、主人公はヘッドフォンを繰り返し頼み上手くいきません。思い通りにいかず、主人公は怒りを募らせていきます。

遂に、フライトアテンダントが「リラックス」と呼びかける頃には、主人公が怒りをコントロールできなくなっており、他の乗客も絡めた喧嘩へと発展するのでした。

その結果、主人公は訴訟されて負け、賠償金をとられてアンガーマネジメント受講を義務付けられます。

なお、受講しなければ刑務所へ収監されるという医療と司法の連携がアメリカでは行われているようでした。日本では多少の暴力では弁護士が勧めることはあっても強制力のある司法医療の対象にはならないかもしれず、日本とは司法-医療-警察の関係が違う印象をうけました。



プログラムを担当する精神科医がジャック・ニコルソンだと分かると、主人公は参加免除を希望します。

しかし、ジャック・ニコルソンは妖しい魅力で誘いかけ、主人公は受講する羽目になります。

そこでは、意外とまともに深呼吸をしたり、楽しいミュージカルを思い出したりするリラクゼーションなどを学びます。

早々にバディも決められました。主人公のバディには、些細なことで激しく興奮して喧嘩を繰り返すパートナーが当たりました。主人公のように被害を受け続けストレスを溜め込むタイプではなく、反対に、常に怒りを抑制できないタイプの男性でした。

早速、イライラしたから助けて欲しいとバディは主人公の自宅へ連絡を入れてきます。人の良い主人公がバーへ向かうと、バディは誰かに眼をつけられていると被害妄想を語り一方的に誰かを殴り始めます。

制止しようとした主人公は、巻き込まれてしまいます。主人公経由で物が飛び、ウェイトレスが怪我をします。

そしてまた訴訟され、主人公はアンガーマネジメントを集中的に受けることになります。

なお、私はこのバディ制度を理解しきれず。。怒りを常に制止できないタイプと怒りを制止し続けて切れるタイプの人が一緒にいるとバランスが取れるクライエント間の相互作用でもあるのでしょうか。怒りの問題を抱えるタイプにも色々なタイプがあるということを示したかっただけなのか分かりませんでした。



そうした経緯から、精神科医は主人公の自宅や会社に現れるようになり、主人公は自分のペースを奪われてしまいます。

精神科医のせいで会社に遅刻したり散々です。職場でも、元彼を名乗る嫌味な男に対して主人公は怒りを表現しないので、すぐに付け入られてしまいます。

そこで精神科医は、通常では有りえないことでしょうけれど、車にニューハーフを呼び、ニューハーフに主人公を襲わせるという荒療治を試みます。危機的状況に対して、主人公が怒りを表現して拒絶して立ち去る姿を確認すると、ジャックニコルソンは第一段階をクリアだと判断します。

怒りは理不尽な攻撃から身を守り生き延びるために必要な本能だと示したいのでしょうか。LGBTを抱える方々にとっては不快な描写ではないのか、気がかりでした。



次に、これもまた実現し難い治療のはずですが、精神科医は主人公を海外旅行に連れ出します。

二人でバーへ行くと赤いドレスに身を包んだ金髪美女がいました。精神科医は彼女を誘うよう主人公に迫ると、彼女がいるからと真面目な主人公は拒みます。自分には不釣り合いな女性だとも語り、主人公は自分の性欲に従う行動をとらず抑制が効いています。

指示した台詞で彼女を誘って、主人公がフラレたら主人公の前から消えよう、と精神科医がけしかけます。だから、主人公は彼女への求愛に挑むのですが、なんと成功してしまいます。しかも、精神科医は姿をくらまし、旅先で宿もなく困る主人公を美女が自宅に招きます。

しかし、美女と話を深めると、美女は自分が豚だと信じ込んでいました。主人公が美女の誘いを断ると、美女は豚だから拒むのだと繰り返しなじり、チョコレートケーキを主人公めがけて投げつけます。主人公は美女から逃げ出します。

主人公は、女性にもてない自分という信念が誤っていることを実際に検証して理解しました。また美女に対する劣等感についても、人は見目とは違う内面を持ち美女に対するイメージは単なるイメージで、世間一般の美女のイメージを自分は求めていない、という認知の修正がなされたのでしょうか。

そうした異性とのやりとりのなかで、主人公は求愛しても拒絶されず、逆に美女を拒絶するという過去の経験を反証するかのような経験を積み傷ついた自尊心を癒し、自分が相手を評価し選択できるのだという自信を取り戻したかのようにみえました。



その後、主人公は、幼少期に主人公をいじめていた幼馴染の男が僧侶として修行する寺院へ連れて行かれます。

精神科医は過去と決着をつけるよう促します。そうして、なかなか現実には体験し難いことですが、実際に加害者と会って殴り合いの喧嘩をして、主人公は今度は相手を打ち負かし、逃走するのです。

怒りは慢性疼痛のような面もあるかもしれず、過去に傷つけられた記憶が何度も些細なきっかけをもとに浮かび上がってきて身体をすくませてしまう、ただの記憶と現実の刺激が結びつくだけの反応だということを示したかったのか、と私は考えました。

過去に向き合って抵抗できなかった加害者のイメージを実際に戦って克服したということでしょうか。

打ち負かされたら、怯まずに打ち負かせるまで戦えば、スクむ反応は出なくなると伝えたいのでしょうか。現実にはありえないセラピーですが、主人公は精神科医にサポートされながら、過去の加害者によるトラウマに、その瞬間の現実に向き合うことによって、加害者からの支配を脱したのでしょう。

ひょっとすると、これはバーチャルリアリティで再現して暴露を繰り返せば効くのではないかと興味を持ちましたが、検証し難い実験かもしれません。被害者が加害者に回れば治るなら吸血鬼のような話で誤ったメッセージではないかと疑う部分もありました。



内面を見つめる精神科医との旅から帰った主人公は、遂に彼女へプロポーズを試みます。

しかし、トラウマを克服したにもかかわらず、主人公は現実の世界ではやはり未だ自信をもてず、欲求を行動にうつせません。人はそんなに急には変われないものだという展開はリアルでした。

精神科医は主人公に彼女と距離をとるよう命じます。主人公はためらいますが我慢して距離をとります。すると彼女が誰かと食事をすることがわかります。主人公はアンガーマネジメントで出会ったレズビアンカップルに頼み、同じレストランで女性と食事する姿を見せ付けて当てつけようと試みます。

しかし、彼女の相手は精神科医でした。主人公は彼女にヤンキーススタジアムでプロポーズするという夢をもっていることを語っていましたが、精神科医が彼女をスタジアムへ連れ出そうとします。

これも現実には難しいことかもしれませんが、精神科医が彼女を奪うことで、主人公が彼女に強く惹きつけられていることを示し、主人公の競争心をかきたて行動を促したのでしょうか。



その後、主人公は誤りながらも、徐々に自分の価値にそって行動をとれるようになっていきました。

彼女や自分のプロポーズの夢を奪われそうになると主人公は精神科医に暴力をふるおうとしたため、訴訟されて刑務所へ行くことがきまります。この映画では、作り手が犯罪者に近いのか、刑務所に入ることや犯罪はどうやら些事のようで偏見を減らし受容できそうで、日本人の私は少し驚きました。

職場では、部長職を約束して主人公をコキ使ってきた上司がライバルを部長として採用したため、主人公はライバルを殴って上司に刑務所から出てきたら復讐すると脅しあげ、上司に昇進を約束させます。

その後、スタジアムに乗り込み、球場司会者のマイクを奪い、主人公は彼女を探します。主人公は摘み出されますが、彼女へのプロポーズをしたいという主張を繰り返します。

ルール違反でも強い主張が認められる場合もあるようで、球場にいた政治家が心を動かされて主人公の発言を許します。そして主人公は周囲の妨害を受けてもプロポーズをして、聴衆の前で恥じらいなく彼女と熱いキスを見せつけるのでした。

最後に、実は、彼女が精神科医に彼の相談をしたため始まったセラピーだと判明します。機内も裁判も主人公を助けるため、役者が演じていたというハッピーエンドにつながるというトンデモナイ落ち。。破茶滅茶な展開についていけない日本人も多かったのかなと考えました。



こうして主人公は現実の世界でも、理不尽な扱いに怒りを表現して自分の要求を通して、自分の価値に基づいて女性にプロポーズすることを自分で選択することができました。

主人公が怒りの課題を克服するにつれ加害者に回り、犯罪や暴力を許容しすぎではないかというところに私は戸惑いましたが、バランスを調整して、自己実現できるようになったことが重要なのでしょうか。

たとえ法を犯して刑務所に入ったとしても、あなたの人生には何が一番大事なのか?という人生の価値観や目標に沿って、実現できるよう抵抗を受けても戦って勝ちとることが大事なのでしょうか。



2000年の映画のためか、フィクションで専門的に取材して作られたというより、個人の経験から作られた脚本に近い印象もうけました。

怒りと攻撃的行動の区別などは殆どついていないようにみえました。攻撃的行動をとることで攻撃的行動が強化されていくという視点もないように見えました。

他者も大事にするアイメッセージ、重要ではない他者の行動には関与しないアサーティブ・コミュニケーションなどといった概念も導入されていないように思いました。

アクセプタンス・コミットメント・セラピーについても微妙で、怒りを空間の脇において怒りはありながら日常生活で出来ることを遂行していくというようなデフュージョン、自分の思い通りにならないことも受容するアクセプタンスについて描写が明瞭ではないと思いました。

さらに相手の役割に対する過剰な期待と現実とのギャップで怒りを感じるため、過剰な期待ではないかという点について検証するという対人関係療法などの視点も描かれていないと思いました。

色々と引っかかる点も多いものの斬新なテーマを扱った映画でした。少々下品で偏見もあるかもしれず、首をひねる部分もありますが、お勧めの映画です。



最近は活発に地域のホールなどで、怒りと付き合う高額なセラピーや研修会が行われているようです。

これで誰しも怒りが全て解決すると期待しすぎてしまうとインチキ商法と批判されかねないかもしれず、注意が必要です。長年の習慣のような性質を人が変えるには、技術を自分の技にしていくには、それなりに時間がかかると思います。

私はアンガーマネージメントを有効な対処法だと信じていますが、今も私は怒りや自信の問題を抱えていて完全に生活で支障が出ないわけではありません。それから単なる怒りのレベルでなく、自分が犯罪に巻き込まれたらNOを伝えますが、その抜け出し方は一つの正解がある訳でもなく多種多様な気がします。

効果には限界があることや、個人差があることに注意して、自分が参考にできる情報を利用する資料のような付き合い方を大事だと思ってます。

誰がこれをうけるかということも大事かもしれず、健康な人によく効くそうです。精神科医が行うからといって暴力を振るう人は全て精神障害を抱える人というわけではないようです。

むしろ精神障害を抱える人の多くは暴力の被害をうけやすく、暴力を振るうのが一番多いのは健康な人だということに注意して、自身の怒りと付き合っていければと思いました。



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