2017年03月02日

「アンナ・カレーニナ」過干渉な親への悲しい反発 ⭐︎⭐︎⭐︎

アンナ・カレーニナ [DVD]
キーラ・ナイトレイ
松竹
2015-08-05





私の総合評価 ⭐️⭐️⭐️
脚本 ⭐️⭐️⭐️⭐️
配役 ⭐️⭐️⭐️
演出 ⭐️⭐️⭐️
映像 ⭐️⭐️⭐️⭐️
音楽 ⭐️⭐️⭐️


アンナ・カレーニナは、トルストイ原作の19世紀末のロシア貴族の女性が不倫の末、列車に飛び込み自殺をはかるという衝撃的な内容の作品でした。

主人公の息子は、堕落していく母親が会いにきてくれるたび、またお母さんは美しくなったと感じていたかもしれません。そんなトルストイの文章が印象に残っていますが、私は随分前に読んだこの本を忘れていました。

ソフィー・マルソー主演の映画化を覚えている世代は、品性があって前作を好むと思います。キーラ・ナイトレイ主演の映画は、ミュージカル仕立てで現代に合わせて残酷な物語を遠くで眺めることで軽さを出し、貴族に圧倒的に虐げられてきた農民を賛歌する小説を他人事のように楽しめる演出にしてあります。

この映画を観ていると、ネグレクトとは違う過干渉という虐待の後遺症に苦しむ人達を眺める思いがしました。



最近、プレイボーイや不貞を重ねる妻は、一体どういう人なのかと考えることがありました。

若い頃は、単純に社会的偏見もあり、浮気を軽蔑していました。浮気をする人は、相手を物か何かだと思って利用しているのか、傷つけることに無関心な自分勝手な人で、繰り返すようなので近づかないのが一番だという印象を抱いていました。

ただ、この映画の主人公アンナは両親や社会の期待に応えてきっと自分の欲望を無視して過剰に社会適応した末、些細なきっかけで抑制が効かなくなり爆発して、情動に駆られ不倫をして社会のルールを破ったように見えました。

私は年を取り、周りの知人が不倫にはまり込み、抜け出せるまでじっと見守ることを何度か経験すると、不倫は長期にわたり虐げられた人の反逆のように見えてきた部分もあります。

偏見かもしれませんが、乳児期から虐待され人格に歪みを抱えていたり、性犯罪後に支配されたことを克服しようとして誤って異性関係が増えていたり、1人に依存しすぎて突然見放されないよう交際相手を増やしていたり、トラウマを抱えた双極性障害やアルコール・薬物依存症を患う人に多い印象があります。

アンナと不倫相手のヴロンスキーは、繰り返し悪夢を見ていて、列車事故で若い男性が亡くなる他にも何かトラウマを抱えている印象をもちました。

社交界の華と呼ばれた2人は躁病のようなエネルギーを持ち、情動の激しさ、対人関係の不安定さ、自分は死ぬと他者を脅したりするところから境界性人格障害を抱えているようにも考えられ、痛みを性の快楽で癒しているように見えてしまい、結局、よく分からない人達だと思いました。



義兄がいるアンナの家庭は、支配的な父親中心で複雑な家庭環境だったかもしれません。

アンナは、母親に父親への愛情を制止されることはなかったのしょうか。エディプス・コンプレックスを乗り越えることなく分離がうまくいかず、マザコンやファザコンと呼ばれるようになった人達が不倫をするようにも見えました。裏を返せば、異性の親の欲望が強すぎたということなのか。

アンナの場合、両親の期待に沿い大臣という身分の年が離れた男性と結婚したわけですが、これもファザコンのためだろうと疑います。支配されることに慣れていて望んだとしても、その一方で表現されないアンナの本心が親の目や人目を偲ぶ不倫関係として現れてしまうのではないかと考えました。

それから、百姓に何かをされたというような夢をアンナは何度も見ていましたが、自分の欲望を親から否定され続けたアンナは、犯罪者に付け入られやすい性格で、裕福な美しいアンナを妬んだ百姓から性的虐待を受けた記憶を解離して封じていたのではないかと思いました。

アンナは人権を虐げられるような著しい劣等感を抱え、その虚しさを埋めるには、大臣の妻、社交界の華という他者評価が必要だったのかもしれません。

しかし、記憶を封じ込めても犯罪者に付けいられやすいアンナの脆さは残ったままで、繰り返し犯罪に遭った結果が、今回の不倫関係だと疑いました。ただ、アンナがヴロンスキーと関係を持つ時、貞淑な妻を殺した人殺しだとなじっていて、どこか嬉しそうで自傷の快楽を好む姿にも見えてしまいました。

愛情やお金や権力で甘やかしながら相手の欲望を否定して支配するのは過干渉という虐待だといいますが、不倫した2人は両者に兄がいて過干渉に育てられたように私には見えました。
 


ジュード・ロウ演じるアンナの年の離れた国の重鎮だという大臣を勤める地味な中年男性カレーニンは、一見、人格者でキリスト教の影響からか抑制が効きすぎた窮屈な人物ですが、相手の自由を許すという愛情をアンナへ注ぎ続けます。この愛情は過保護だったかもしれません。

義理の兄が浮気をした際、兄の妻が望まない浮気を許すようアンナは義理の姉へ諭していました。傷ついた義理の姉は、アンナの言葉を受け許しました。この関係性は、アンナが親を見て学んだ過干渉な関わりを繰り返しているかのようにも見えてしまいましたが、夫の宗教的許しの影響もあるのでしょうか。

相手を傷つける浮気を悪として認めず許せたアンナだからこそ不倫関係に陥る自分自身を許したようにも見えました。善悪の判断を自ら行うことなく、親や夫、自分の支配者に従い何でも許してしまうことへの弊害も感じました。時代背景を考えると、うっすら宗教を批判しているようにも感じられました。

カレーニンは、規則や社会に沿って年の離れた美しい若い妻と結婚した政治家です。当時の社会は男性の権利が尊重されていて、妻は夫の帰りを待ち子供を育てる夫にとって支持的な存在で、男性の自由を許すというアンナの元の家族関係に似た支配関係を再現することが普通だったのだと思います。

不倫は、支配者に耐え続けた末に抑制を失い、自分の欲求を表現しすぎてしまう支配者への反発なのかもしれません。抑制が一度外れると自分に誠実に本能に沿って生きられる自由を手にします。ただ、そんな自分のパターンに気づけなければ、この映画のように邪な恋愛を罪責感から繰り返しそうです。

生物として当然の若さを求める本能に従い、若さを失いつつあったアンナは、姪の若さに嫉妬して交際相手の若い男性に脅され言い寄られることを拒めませんでした。息子との分離不安から弾みがついたのかもしれませんし、出産後に仕事人間の夫は不在がちで不倫がアンナの寂しさや退屈を埋めたのでしょう。

アンナは、時代や社会的役割を超えて、不倫関係で夫を支配したかったのでしょうか。過去の過干渉へアンナは復讐したいのかもしれず、夫は過保護なだけで過去に支配された犯罪者ともアンナの親とも違うのですが、カレーニンも気付けず巻き込まれて混乱し、なぜ自分が、と苦しんでいるように見えました。

アンナは夫に触れられることを拒み始めました。それでも、カレーニンは、自然に情愛が覚めれば、妻は子供もいるのだから戻ってくると計算して、そんなアンナの甘えを許して過保護な支配を続けました。

すると、アンナは不倫相手の子供を産み、不倫相手を夫に許すよう自分の自由も認めさせるという、時代や社会背景を考えれば有り得ないほどの残虐な要求を夫に突きつけ反発します。そして、産後に瀕死のアンナに同情した夫はアンナの不倫や主張を許します。

支配者に復讐することで、遅い反抗期を終えて自立したいアンナでしたが、当時の社会ルール上、彼女は不倫相手と結婚できず、不倫相手の愛人という立場に置かれることになってしまいます。

周りの目、他者評価を失うことは、彼女の自信の崩壊でもあり、アンナは不倫相手ヴロンスキーの愛情にすがるようになりました。しかし、過干渉なヴロンスキーの母親がヴロンスキーに勧めた若い花嫁候補は冷笑してアンナの劣等感を刺激し、マザコンのヴロンスキーの愛情をアンナは当てにできませんでした。

アンナの義理の姉は、浮気をされっぱなしの自分も機会があれば不倫してやるが、その器量がないと語りアンナの器量に憧れを示し、周りがアンナを蔑んだ扱いをする苦境に同情して味方していました。しかし、この時点での二人の関係は、もう初めの立場とは逆転しているように見えました。

自己評価の低い性的虐待の被害者に戻った彼女は、痛みを消そうとしてモルヒネや酒に依存するようになり、抑制を失い、嫉妬妄想や幻覚に取り憑かれて自殺します。それほど自己評価が低い女性だったのだと悲しく思いました。

自分の生い立ちに気付き、不信感や罪責感、不安を受容して自立できたなら、アンナは誠実に人を愛し生き続けたのかもしれません。過干渉な親のもと親が望む結婚相手を選んだだけでなく、トラウマが命取りだったのかもしれないと、列車の車輪が火花を散らし止まらないイメージを思い出しました。

カレーニンは、アンナの死後、平安を手にして、2人の子供達を安定して育てます。



不健康な三角関係とは対照的に、アンナの姪キティと素朴な地主リョーヴィンの結婚生活は、華々しくありませんし、病気の兄の介護など苦労もありましたが、健康的な安定した関係でした。

アンナの姪キティは美青年で裕福なヴロンスキーとの結婚に憧れて、初めはリョーヴィンからの結婚の申し出を断ります。しかしヴロンスキーは、叔母のアンナと恋に落ち、キティは病を患います。

病から回復してリョーヴィンから2回目のプロポーズを受けた時、あの時は気づけなかった愛情に今は気付ける、とキティは語りました。

華やかで、格好よい虚栄、お金、社会的地位に若いうちは親も喜んでくれるため惹かれるものですが、自分の価値観を信じるための変化には、うつになる時期も必要なのかもしれないと思うことがあります。

農民の虐げられ抑制された理想的な結婚生活と特権階級の自由奔放で破綻した結婚生活を眺めていると、自分の欲望に夢中になるより誰かのために抑制して生きるほうが幸せな人生なのかもしれないと気付ける気がしました。自分を殺して誰かの理想に添いすぎると爆発するのかもしれず、さじ加減は微妙です。



社会規範や見栄を重んじる依存症のような貴族社会を批判したところを当時としては勇敢な内容だと考え、こうした人間性の本質を突いた内容を描いているから、この小説は名作なのだと思いました。

小説家として社会的に成功して、華やかな社交界で暮らすなか、アンナに似た女性が集まったかもしれない双極性障害を患ったトルストイだから描ける世界だったのでしょうか。

堅実な農民の暮らし、自分で心から望んで誰かのために生きるということは大事かもしれず、何かに依存しすぎて節度を失い自由になりすぎる怖さも感じた作品でした。


sasa320 at 00:09│Comments(0)洋画 | 恋愛

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