2017年02月27日

「世界にひとつのプレイブック」家族、愛情、心の病⭐️⭐️⭐️(⭐️)




監督・脚本デヴィッド・O・ラッセル
原作マシュー・クイック英語版
製作ブルース・コーエン
ドナ・ジグリオッティ
ジョナサン・ゴードン
製作総指揮ブラッドレイ・クーパー
ジョージ・パーラ
ボブ・ワインスタイン
ハーヴェイ・ワインスタイン
出演者ブラッドレイ・クーパー
ジェニファー・ローレンス
ロバート・デ・ニーロ
ジャッキー・ウィーヴァー
クリス・タッカー
音楽ダニー・エルフマン[1]
配給アメリカ合衆国の旗 ワインスタイン・カンパニー
日本の旗 ギャガ
公開カナダの旗 2012年9月8日TIFF
アメリカ合衆国の旗 2012年11月21日
日本の旗 2013年2月22日
上映時間122分[2]
製作国アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語英語
製作費$21,000,000[3]
興行収入$159,357,638[3]
2億6400万円[4] 日本の旗


yahoo.映画レビュー 3.7
2017/2/28時点

私の総合評価 ⭐️⭐️⭐️(⭐️)
脚本 ⭐️⭐️⭐️⭐️
配役 ⭐️⭐️⭐️⭐️
演出 ⭐️⭐️⭐️
映像 ⭐️⭐️⭐️
音楽 ⭐️⭐️⭐️⭐️

世界に一つのプレイブックは、silver linings playbookという英題でヒットした作品です。

プレイブックは台本。Silver liningsは「Every cloud has silver lining」という諺の一節で、どんな雲の背後にも太陽はあり光の輪郭ができるものだ、すなわち、どんな困難な状況にも幸福はあるという意味です。この格好よい英題を日本語に翻訳するのは至難の技だろうと思います。



さて、この映画は、今まで余り題材にされることがなかったかもしれない精神障害を抱える2人の恋愛がテーマです。小説を映画化した映画のようですが、精神障害者がいる家族の苦悩も素直に描かれていて、オリジナリティが高い脚本だと思いました。

精神障害はサスペンスでシリアスに描くか、ドラマとして描かれることが多いかもしれず、現実の話は暗くなりがちで、病を患う方へ健常者が目を向け難いかもしれず、コメディでも伝えやすいのかと考え直しました。

偏見を招かないようコメディで表現するには当事者でなければ勇気がいる分野かもしれません。自身も精神障害を抱えていると公表しているウディ・アレン監督やジム・キャリーの作品では、描かれることがあったかもしれませんが、珍しいと思いました。

テーマの重さを考えると、あまりにもカラッと明るくラブコメで表現しているように私は捉えたため、楽しめる作品の仕上がりに好感がもてました。自分や家族が精神障害を患ったとしても、その状況にも幸福はあると希望を与えるような映画の意図を素晴らしいと感じました。



この映画の主演は、依存症をコメディとして描いてしまったハング・オーバーに出演していたフィル役のブラッドリー・クーパーで、製作総指揮にも入っていますが、彼にも精神障害に思いいれがあるのでしょうか。

彼が双極性障害の患者を熱演する努力は虚ろな視線などで伝わりました。ただ、脚本の課題もあるかもしれませんが、周りからみた精神障害というような色々な病のゴチャマゼのような演技に見えて、ゴミ袋を被って分かりやすく表現して近づけようとしている意図に反して、どうも距離を感じました。

一方、アカデミー賞をとったのは、主人公の相手役だったジェニファー・ローレンス。ゴッドファーザーで有名なロバート・デニーロに怯まない肝っ玉、片思いで振られた可憐な表情から主人公家族を支配する図々しい表情という表現の豊かさ、若さ溢れるふくよかでセクシーな体型に目を奪われました。

失礼かもしれませんが、ヒロインは素で性依存症の女性ではないかと思うほどハマリ役でした。今までの出演作でも、あの日欲望の果てにや早熟のアイオワなど思春期に性的虐待を受ける少女役を演じていたから役柄を掴みやすかったのでしょうか。

因みに、デイビッド・O・ラッセル監督や、父親役のロバート・デニーロは、実際に子供が精神障害を患っていることを告白されているようです。

息子からの暴力を制止する力強い父親像と共に、なぜ息子が病んだのかを内省するデニーロを見ていると、当事者の家族が抱える苦悩に理解を促される部分もあるかもしれない映画かもしれないとも思いました。



主人公は、妻からのDVに巻き込まれストーカーになってしまった触法患者です。

主人公は、ショックで我を忘れて、裸でニッキと抱き合っていた不倫相手をボコボコにして警察に捕まり刑務所に入った後、精神鑑定で双極性感情障害と診断されたため治療目的に精神科病院へ移送され、薬を飲まず反抗し続けていました。

母親が裁判所へ掛け合ったことにより、8ヶ月の入院生活を終え主人公が退院する場面から映画は始まります。

ジャッキー・ウィーバー演じる母親は、車を運転中ハンドルを主人公に取られるとさすがに怒っていましたが、それくらいでは再入院させす、子供への強いかもしれない愛情を感じ、味がありました。

帰宅途中、精神科病院を脱走して同乗した友人が病院へ連れ戻されてしまうなど型破りなエピソードが続きますが、僅かな脱走時間で主人公の家族と友好を深めていく明るいキャラクターの友人も主人公は、入院中に出会えたようでした。



なんとか退院できた主人公でしたが、薬を飲まないので不眠で明け方に探し物をして両親を起こしたり、大声を出して窓ガラスを割り近所に通報されたり、接近禁止命令を破って元職場の学校へ出かけて校長に再就職を願い出て警察を呼ばれたりすることを繰り返しています。

一時は、妻が自宅バスルームで不倫していた時にかかっていたマイ・シェリー・アモールを耳にしてフラッシュバックを起こし、主人公が母親や父親へ暴力をふるう危ない夜もありました。

それでも、再入院にされず、家族や友人の理解のもと主人公はどうにか薬を飲み始め社会で暮らしていました。



日本では犯罪ですがアメフトのノミ屋をしている父親は賭け事に熱心です。しかし、退院後、父親は無関心ではなく、お前と一緒にテレビ観戦をすると運が良くなるという口実を使って一緒に息子と過ごす時間を作ることに苦心しています。

主人公は自室にこもって誰とも関わろうとしません。過去には観戦中に暴れてスタジアム出禁とされたり散々家族に迷惑をかけたのは父親のようで、主人公は巻き込まれないよう近付こうとしないようにも見えました。

主人公は、目前の両親からの愛情を拒絶しているのか、ニッキという妻と復縁できるという非現実的で身勝手な夢を自室で一人で信じていて、ニッキのストーカーに成り果てている状況でした。映画のなかでは、誰もニッキを非難せず焦点が外されていますが、妻こそルール違反で主人公こそ実は被害者です。



主人公や家族は、近所からは白い目で見られて、近所の物好きな学生から精神障害者という理由で研究対象にされインタビューをされたり写真を撮られたりしています。

本当は主人公が何も悪いことをしておらず健康な若者の方が悪くても、警察から疑惑をかけられたりするのが、主人公や家族の日常なのでしょうか。

それならば、周囲の目を気にしないかのような格好、すなわち発汗目的にゴミ袋をジャージにまとい、近所を毎日ランニングできる主人公は、そんな社会に反抗して、健気に心身の健康を取り戻そうとしているようになった結果の姿にも見えてきました。



ある日、ニッキや主人公と共通の友人が主人公を夕食に招き、新しい出会いに繋げます。

友人が奥さんの妹ティファニーを主人公へ紹介してくれるのです。主人公とティファニーは、お互いを精神障害者同士だと直ぐに察して、今まで飲んだ向精神薬の話で盛り上がります。

出会った当日、自宅へ招き性行為に誘う彼女を主人公は毅然と断ります。健康な男性達は、夫の同僚だったかもしれない警察官も含めて彼女の身体目当てに病へ付け入ろうとしてしまいました。ニッキを思い過ぎて精神を病んだ彼だけが彼女の誘いを断るというのは皮肉でした。彼女は彼に一目惚れします。



そして、主人公のランニングコースを母親に尋ねて、主人公が行く先々に現れるようになり、自分の趣味のダンスを一緒にしようと主人公を誘い、まずは同じ精神障害者として仲良くなりたいと望みます。主人公は、デートも彼女も拒みつつティファニーの関わりによりフラッシュバックで爆発しなくなります。

しかし、妻のニッキを主人公は大事にしていて、変態趣味をもつ彼女とは付き合えないなどと主人公なりの正論を語ります。彼女は彼女で傷つくとレストラン内で主人公が悪いとわめき散らし、警察沙汰にします。主人公が不利になるとティファニーは助けに入るなど破茶滅茶な展開です。

精神科主治医は、なぜか主人公へニッキの信頼を取り戻すためにも彼女と仲良くするよう諭します。

そこから関係が変化し始めます。



一見、ニッキで主人公の行動を精神科医が操作するように見えましたが、そうでもなく、主人公は人を見ていて繊細な役柄のようでした。病院でマガジンラックを蹴散らし嫌々通院する主人公を許容し続けた主治医との間に信頼関係が生まれたのかもしれないと思いました。

他にも、ニッキに手紙を渡すからと主人公を彼女が操作してダンスを練習させようとしたことも主人公は見抜いていて、彼女が主人公のためを思う気持ちに気付いていました。

実は、彼女は、性欲が合わず自分のために下着を買いに出かけてくれた警察官の夫を無残にも交通事故で亡くした後、罪責感から誰彼かまわず性的関係を持っていて自暴自棄に女性へ性的関係を広げ、対人関係の距離や境界を見失ってしまう悪循環を起こしていました。

繊細で現実全てを拒否していた主人公は、仲が深まるに連れてティファニーのそんなトラウマも知り、ティファニーとダンスの練習をする時間を安心して穏やかに過ごせる大事な時間だと感じ始めます。

2人は現実の世界で感情や妄想に左右されて問題行動をとらなくても暮らせるように落ち着きを取り戻していきます。



そんななか、主人公は、家族のトラブルに巻き込まれてしまいます。

彼女とのダンスの練習を断り、父親に強引に頼まれて大事なアメフトの試合の応援に出かけた主人公は、兄を助けようとして暴力沙汰で警察に捕まってしまい、チームも負けてしまいます。

賭け事に夢中になる父親は、批判的な主人公の兄と共同経営でアメフトのノミ屋をしていましたが、新規にレストランを開業する資金を主人公の復帰を願掛けして、スってしまったのでした。

ダンスの練習に来ない主人公の家にティファニーが現れると、父親は息子には優しいですが、ティファニーには運を下げる女性だなどと八つ当たりして非難しました。



しかし、彼女は、主人公に接するたび贔屓のチームが試合に勝っているから私は運を上げる女性だと父親の視点に添いティファニーは父親を説得しました。

さらに、ティファニーは、なぜ暴力をふるう恐れのある息子を試合観戦など暴力が生じやすい場所へ誘い出したのかと父親の弱みを突き畳みかけ、父親の考えを変えてしまいます。

父親は、主人公のためと言いながら、つい自分の賭け事を正当化するため主人公のことを利用して主人公へ愛情を注ぐことを忘れる癖があることが浮かび上がります。

ただ、映画はそんな問題を掘り下げず、この父親が負けを取り返すためティファニーの助言に乗り、試合に勝ち、ダンス大会で2人が5点獲得できたら負けを帳消しにするという大博打に主人公や家族の反対を押し切り打って出るという展開に繋げるのでした。



主人公はティファニーとプロダンサーのなかに混じり踊ると5点を獲得し家族の期待に応えます。

プロダンサーからすれば、5点という低い点数をとり狂喜乱舞する主人公やその家族の言動を理解できません。

賭けが絡み、各自の価値観が違うことを観客は理解できます。2人が目標を達成したところに意義があるのだと伝わりました。



ニッキもダンスを観に来ていて、彼女はニッキと主人公の復縁に怯えて逃げ出しましたが、その時に主人公は父親から諭されます。

今のニッキにはお前への愛情がない、お前を愛してくれているのはティファニーだ、と。

大変なところもある父親ですが、主人公のことを考えた父親の愛ある助言に主人公は従います。



ダンス後、ニッキと何かを話し合った主人公は、姿をくらませた彼女を追いかけます。

最後に、気付くのが遅れたけど僕は君を愛している、と主人公はティファニーへ告白します。

そして、主人公と彼女は家族と幸せに過ごすというハッピーエンドでした。さらっとしています。



私の妄想かもしれませんが、描かれていない2人のその後はなかなか働けず障害を抱えたままでしょう。

健康な人は、仕事に追われていたり、競技では優勝に価値を置き、自分の目標や価値を考えることを忘れていて、気付いたら家族も友人も大事にする時間を失っていたりするかもしれません。

そんな効率重視の厳しい社会のなかでは、彼らが恋愛して働かず暮らすことを許せない人もいるかもしれません。恋愛だけでなく出産が絡めば、病や薬による催奇形性、育児能力の課題をつく人もいるかもしれませんし、福祉コストが増えるのではないかと批判する人もいるかもしれません。

映画の作り手は、経済的に困らない方々かもしれず、誰が障害者同士の恋愛を支援するために税金を出すのだと批判する人もいるかもしれず、先進国ではなかなか認められ難い部分もありそうです。

ただ、厳しい社会で働くなか愛情を失い精神障害を負い、再就職先もなかなか見つからず、見つかっても長続きせず苦しむ人も、労働者を使い捨てる社会が続く限り増えるかもしれません。

働き過ぎたり、パートナーに浮気されたり、突然にパートナーが事故で亡くなった時、当事者や家族が悲観しすぎず、精神障害者同士でパートナーを見つけて安心して暮らす時間も大事なのではないか、と問うような作品は大事な視点だと思いました。



特に、失業者やDV加害者が日本より蔑まれるかもしれない格差の激しすぎるアメリカに、この映画は提案しているようにも私には感じられました。

大麻を使う人が多いかもしれないアメリカでは、若い頃から精神障害を負い、薬を飲んでいる人も多いかもしれません。

競争が激しすぎて被害者が多いはずのアメリカでは、障害者が支えあい家族と共生することを力づけるような映画が必要だったのだろうと考えてしまいましたが、考えすぎでしょうか。



この映画には、沢山のメッセージが表現されていたと思いました。

第一に、愛情を失い傷ついた2人が最後に取り戻した愛情が心の病の回復に何より大事なのだと伝えていてました。しかし、映画にしては珍しく精神科医を悪者にしておらず薬を飲むことの大切さや対等な信頼関係を表現しているところに新しさを覚えました。

第二に、精神障害を抱える子供が暮らす家には未治療の精神障害や依存症を抱える親がいる場合も少ないかもしれず、主人公の母親は父親を制止し怒りますが止められず、主人公が病で家庭病理を表現するのも誤りでした。この家にはティファニーの存在が必要で、対人交流のバランスも魅力的でした。

第三に、スポーツ観戦のサポーターが騒ぎを起こすこともありますが、彼らは警察にも精神科病院にも送られない普通の人で、彼らと主人公の暴力は似たようなものかもしれません。触法患者は恐ろしい存在ではなく身の回りにいる普通の人だから許容していこうというような薄っすらとした主張に驚きました。

最後に、障害を抱えたとしても、その状況で助けてくれる良い友人が明らかになりますし、家族との繋がりを感じることができたり好きな人と一緒に生きていけたりするもので、そこで自殺するほど人生は捨てたものではないと私は信じたいです。

障害を負っても働きたいと願い働ける国に住みたいものですし、それが実現不可能な国では特に、障害者
同士で支えあえる繋がりやコミュニティにもっと力を与えたり働けない存在を許すことも大事かもしれないと私は思いました。



sasa320 at 14:25│Comments(0)洋画 | コメディ

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