2017年05月06日

「コール・ザ・ミッドワイフ」愛のための仕事 ⭐️⭐️⭐️⭐︎



Call the Midwife
Jennifer Worth
Phoenix
2008-01-01


総合評価 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
脚本 ⭐️⭐️⭐️⭐️
配役 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
演出 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
映像 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
音楽 ⭐️⭐️⭐️⭐︎

コール・ザ・ミッドワイフは、1950年代のロンドンの下町を舞台に、尼僧達とノンナートゥスハウスで働く助産婦の活躍を描いた2012年制作のイギリスドラマです。

ノンナートゥスは、レイモンドという出産や助産師、子供や妊婦、聖職者の守り神のあだ名で、「産まれざる」という意味があるようです。この神が、1200年代に亡くなった母親の胎内から帝王切開で産まれたことに由来するそうです。

この聖人はアフリカへ赴き奴隷解放に努め、奴隷を解放するためのお金が尽きると、身代金目的に囚われてしまい、口を針で縫われるなどの拷問を受け、救出されましたが、帰国途中で亡くなります。言葉よりも行動を大事にした聖人でした。

それが、このドラマの登場人物達が共通して崇める理念なのでしょう。寝る時間以外、クタクタになるまで働き、アフリカへ支援に行きたがる登場人物達の言動を理解できる気がしました。



当初は、このドラマでMidwifeが助産婦なのか、と初めて知るくらい、自分とは縁のない話のように感じましたが、誕生から人生の終焉までをサポートする助産婦や看護師の愛のための仕事に惹き込まれていきました。

愛は誰もに関わりがあるものだから、このドラマが響かない人は居ないのかもしれません。人情味あふれる古き良き時代の理想的な医療と信仰を眺める思いがしました。

2011年に亡くなった実在した助産婦で看護師のJennifer Worthの手記を基につくられた、リアリティがある戦後の貧民街で生き抜く人達の人生には、新たな家族を生み出す沢山のヒロインがいて、様々な愛の形がありました。



貧民街は、子沢山。

愛情を注げる相手を探し、相手と同じ形をした分身を得ようとして、出産育児を楽しみとして、厳しい労働に励む労働者の姿をみて、これが普通の生活だと思いました。

ジェニーの同僚には裕福な家の出身のチャミーがいました。貴族のような母親に身分差婚を反対され修道女として誇り高く生きるよう説得され、恐怖心から母親に従ったチャミーは交際相手に別れを切り出しましたが、どうにか反発して結婚。お金や社会的地位、名誉を大事にしすぎると何かを失うものなのか。

親を早くに亡くし孤児院で引き裂かれた兄弟が再開して2人で離れずに愛情を注いで支えあうことに生き甲斐を見出していましたが、子供がいない人生もありました。

沢山の出産には、一定の割合で胎児の臓器が発育不全で産後すぐに亡 くなったり、障害を負って産まれてきたりすることもあり、受け止められない家族は医療者を責めたり、自分を責めたり、他人の批判に混乱したりという苦しみを伴うことがありましたが、出産を契機に変わるセレンディピティもありました。

様々な家庭事情や困難はあるものの、貧しい生活のなかでの楽しみは、出産育児。それこそ生物として人が重視することなのだと、優雅に着飾って気取ることを夢見る登場人物やそれが出来ない貧しい女性を眺めると、私も仕事に生きていて忘れていたことなので、当然のことかもしれませんが、ハッとしました。

子沢山の妊婦の元へ、受け持った区域を主人公達は自転車で巡回していました。



なかには、愛情と暴力を間違えてしまう人達もいました。

10代の少女が恋愛して妊娠して、妊娠を隠して1人で出産。胎児をを礼拝堂前に遺棄した少女の愛情は暴力なのか。結局、胎盤が胎内に残っていたため少女が高熱を出し倒れてバレてしまいます。両親は、世間を気にして当初は赤ん坊を養子に出そうとしましたが、最後は娘も母親なのだと認めて孫を養育します。

家庭内暴力をふるう父親もいました。妊婦の痣に皆は気付きますが警察へ届け出ません。母親が暴力と向き合わず幻想の欲望の愛に依存すれば子供をネグレクトする側に回るもの。母親はミルクにアルコールを混ぜ火事を起こします。結局、両親は逮捕されて、幸いにも子供は保護されました。

船長の娘が船員達の性欲発散に利用され、避妊すれば大丈夫だと教育されたにも関わらず妊娠した時、トリスティが彼女のために船長を警察に通報するとまで脅しあげ対峙します。結果、出産後に彼女はスウェーデンの陸地で赤ん坊と暮らすことになりました。

犯罪者に怯えることなく毅然と戦える女性達の行動を真似できず大変な善行だと尊敬しました。特にこの時代は、男性からの女性に対する家庭内暴力は許されてきたはずで彼女達も男性の暴力に傷ついてきたのでしょうか。リスクが高い現場で働く彼女達は戦場で働く戦友のように見えました。



このドラマでは、現代なら倫理的に許されない部分や訴訟になりかねないことも愛情で正当化されていました。

例えば、家族を失った退役軍人の患者についてパーティに参加したり、仕事が終わると一緒に過ごしたり、家を追い出されたら調べて施設を訪問したり、遺品にお酒をもらったりすることは、今の時代なら個人情報保護法や倫理違反で責任を問われるでしょうし、医療従事者はモノを貰ってはならないはずです。

兄が亡くなった日、鎮痛薬のモルヒネを回収し損ね、妹がモルヒネで後追い自殺。今の時代なら、見たこともない親族が後から現れて医療従事者のモルヒネ管理責任を追求する訴訟になりそうです。貧民街で身寄りがない患者が相手で、おおらかな時代に許容される部分もあったのだろうと思ってしまいました。

中絶を希望する妊婦に手術でもしない限り無理だと主人公が警告すると、偽医者の手術を受けて昏睡状態になった貧しい高齢の妊婦もいました。望まない妊娠への支援は、今も昔も難しいと思いました。今なら精神科への紹介を怠った等責任追求されそうですが、当時は教会の基金で患者家族を補償していました。

シスターモニカが活躍した時代には、出生時に障害が残り長生きできない病を赤ん坊が抱えていると医療者が赤ん坊を安楽死させていたようです。主人公達が活躍していた時代には、障害児を施設に預けるか、家族は悩んでいました。現代は、生涯に渡り障害者を施設に預けることのほうが少ないかもしれません。

ドラマのなかでは、妊婦や看護婦、シスターがタバコを吸っている場面もあったかもしれませんが、タバコ自体が赤ん坊に有害だと言われるようになったのも最近の話。昔は、多くの医療従事者がタバコを吸っていて、受動喫煙が許されていた時代だったのでしょう。

その時代、その状況だから許された、今だから時効とされる愛情で正当化された罪を告白されているかのように、私は感じました。著者は罪を許されたかったのでしょうか。寝る間を惜しんで沢山の仕事を人一倍とりくめば、意図しなかった罪も人一倍に著者は抱えられることになったのかもしれません。



キリスト教らしい罪と許しについても描かれていました。

不遇な家庭環境から家出をして、男に騙されて売春をするようになり、子供を堕胎されないよう保護を求めた少女がジェニーに助けを求めることもありました。司教に社会復帰できるよう配慮され、赤ん坊は養子に。赤ん坊との別れを受容できなかった少女は街に戻り、自分の子として新生児を誘拐して育てます。

ジェニーが少女の罪に気付き、警察に伝え、少女は警察に拘留されてしまいます。その後、シスター達で被害女性に少女の悲しみを伝え掛け合って、その罪を軽減しようとしたエピソードもありました。

また、シスターのモニカが認知症にかかり窃盗を繰り返し店主達が警察に相談したため、裁判にかけられることもありました。シスターといえど、病にはかなわないわけで、その描写がリアルだと思いました。

そんなシスターが美しく見えると語る著者の主張にもうなづけました。認知症にかかると、どんな犯罪も抑制の効かない清らかな瞳でなしてしまう業だから、咎めることができなくなってしまうのでしょう。

愛した人が以前の人とは違っていく、そんな介護は辛いものですが、なぜそう感じるのかよくわからないながら、認知症や亡くなりつつある高齢者に美しさを感じてしまうこともある気がしてうなづけました。



実は、ジェニー自身、不倫関係から逃げ出したという罪を抱えていました。

不倫相手への思いを断ち切れず、不倫相手に連絡し妻に電話を受けられたり、自分を好んでくれる幼馴染ジミーを拒絶したり、苦しみながら不倫の愛から離れる勇気をジェニーは持ちました。自分の空っぽな人生を人の人生で埋めて、愛情のための仕事と信じて取り組むことでジェニーは生き延びていました。

若かったのだから、美人だったのだから、もっと着飾って人生を楽しむことも出来た、と著者は後悔されていました。ただ、人手不足の診療所で忙しく仲間と働くなかで、出さない手紙を元交際相手に書いては捨てて、ジェニーが不倫という暴力に巻き込まれたトラウマから抜け出せない限り無理だったでしょう。

ショウペンハウエルの言葉を借りれば、人は何らかの欲求が叶ったとしても、苦痛がないというだけの状態に過ぎず、ジェニーの不倫が成功したとしても、また退屈の虜になったのかもしれません。

人は空虚な存在だから、誰かの人生で自分の人生を埋めようとするのでしょう。



登場人物達の生き方にも励まされました。

ジミーが言う通り、仕事が私達を愛してくれるわけではなく、他人ではなく家族や恋人を愛して生きるということも大事だと思いました。

シンシアが医療ミスを疑われて責められた時に辿り着いた答えを大事だと思いました。患者や家族からの信頼を得ることを自信にするのではなく、周りの人から疑われたとしても自分が信じる仕事にプライドを持つことは、信仰に近い不確かな部分もあるのかもしれませんが、勇気だと思い共感しました。

自分の夢を信じリスクを負って人生を拓いていたチャミーの決断にも憧れてしまいます。



希望を示して誰かを支えようとする愛情ある古典的医療にすっかり魅せられてしまいました。

西洋医学的な希望は確かに生きる力を与える信仰に近いものでした。東洋の思想では、希望は価値がなく、人生には苦悩が連続するため、報われない希望を抱くことで絶望するくらいなら、初めから希望などない方が楽に過ごせるといいます。

確かに叶わなくなった従来の希望にしがみついて現実とのギャップに苦しむくらいなら、妥協した新しい希望を変化した対象と共に見出す方が楽に暮らせるでしょう。



現代の医療は、神でもない、国でもない、医師でもない資産家による経営かもしれません。

そうでなければ成り立たない部分と、愛情や使命感との狭間で、今は今で大変かもしれません。

戻らない昔を理想的に輝いていますが、昔の過ちを改善したはずの今、今なりの愛情のための仕事を考えていくことが今を生きる人の権利であり使命のようなものかもしれないとも思いました。

それでも、きっと私達も死を前にすれば、著者のように自分の人生の過ちに気付き後悔するものなのかもしれません。



最近は、高校生に人気ある職業の上位に看護師がランクインしているようです。

以前は、看護師や助産婦は大変でリスクも高く、人気はなかったかもしれません。

このように看護師の魅力を伝えるドラマでイメージが改善されたのでしょうか。




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sasa320 at 22:53│Comments(0)ドラマ | 洋画

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