2017年05月07日

「ウンベルトD」ネオレアリズモ⭐️⭐️⭐️(⭐️)

ウンベルトD [DVD]
カルロ・バティスティ
紀伊國屋書店
2011-01-29



総合評価 ⭐️⭐️⭐️(⭐︎)
脚本 ⭐️⭐️⭐️⭐️
配役 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
演出 ⭐️⭐️⭐️
映像 ⭐️⭐️⭐️⭐︎
音楽 ⭐️⭐️⭐️

自分がいつか年老いて頼れる家族を失った時、どうすれば尊厳を保ち生きることができるのでしょうか。

ネオレアリズモの極限と呼ばれる
ウンベルトDを観ました。

同監督による「自転車泥棒」という作品は、ネオレアリズモの代表作。貧しい親子が新しい自転車を買い職につくと初日に自転車を盗まれてしまいます。警察は犯人を見つけられず職を失いかけた父親は自転車を盗んでしまいます。父親が警察に捕まるところを息子が目撃。情状酌量され親子で帰宅する悲しい話。

ネオレアリズモは、1930年代のイタリアで生まれた、知識人は歴史的責任を引き受け、大衆の代弁をしなければならないという、ファシズムに対抗した文学や映画における表現主義だといいます。

1952年、カンヌ映画祭グランプリにヴィットリオ·デ·シーカ監督が選ばれ、1957年には、この映画の脚本家チェーザレ・ザバッティーニがアカデミー賞脚本賞に入選。2005年にすら、タイム誌のオールタイム100作品に選ばれた作品なので、内容に期待しました。

ウンベルトDは、監督が父親に捧げたお気に入りの映画だったようです。しかしその内容は凄まじく現実的描写で暗いものでした。厳しい時代を成す術もなく生きている何処にでもリアルに居そうな孤独な老人の悲劇。可愛らしい犬だけが癒しでした。

戦後のイタリアにはこんな老人が沢山いるという目前の現実を伝えられても、誰が夢のない現実なんて見たいのだろうか、と思ってしまいましたが、意外と心に残りました。

作り手が素直に現実を易しく語り、社会を変えようとしたところに敬意を抱き、現実だけでも名作になるものなのか、と驚きました。



戦後のインフレ、労働者が集まりデモを起こしても直ぐに鎮圧され、法律も資産家の味方という社会情勢。

老人が身寄りを失い、年金が少ないために家賃と生活費を賄えず、住み慣れた家を追われていました。

元公務員の男性が国に尽くしたにもかかわらず、悲惨な老後を送る姿を描くことで、国が役割を果たさず国民を裏切ったことに対する国民の失意を主人公に負わせていたのでしょうか。



一方、労働者を権力で押さえつける権力、ファシズムを負っているかもしれない若い女性管理人は、将来に向けて子供部屋を作りたいがためだけに、老人の部屋をラブホテルのように若い男女に貸し出したり、家賃の値上げをしたり、入院中に壁紙を剥がし壁に穴を開け破壊したり老人に立退きを迫っていました。

華やかな若い女性管理人は、オペラを楽しみ、映画館の支配人と婚約して、益々勢いがついていきます。華やかなパーティに毎晩集まる外向的な人々からも主人公は冷たい視線を送られていると感じています。

街中で、女管理人と婚約者に主人公が直訴する場面もありました。街の人は皆、好奇心から立ち止まりはしても、同情して支援する余裕をもちません。

誰もファシズムを非難できなくなり、権力者がやりたい放題という為す術もない人々の諦めを哀しく感じました。



真面目で誇り高い老人が、友人に金策して回り、周りの人達に疎まれ、誇りを傷つけられ虐げられていましたが、努力の甲斐などない哀しい現実が描かれていました。

お金が集まらず、主人公は犬のフランクに帽子を加えさせて物乞いをさせてみたりしました。

主人公は、家賃が払えず入院を選んだり、信仰を捨てキリスト教のシスターに入院延長をしてもらえないかと頼んだり、やりたくもないことをしたり、下げたくない頭を下げたり、欲しくないものを買わされたりして生き延びていました。

そうまでしても結局、主人公は古巣を追われました。

家を失うと、貧しさのなか誰の子供か分からない子供を妊娠したことがバレれば女管理人に首を切られることに怯える女中と、可愛らしい飼い犬フランクとの心もとない信頼関係の他、主人公には救いがありません。



貧しさと孤独のなか主人公が入院したとき、飼い犬が自宅を飛び出してしまいます。

退院後、主人公は、なけなしのお金で保健所にフランクを探しに行き、救い出す優しさを見せます。

しかし、家を追われると救護院に犬を連れていけないからか、追い詰められた主人公はフランクを業者に預けようとして躊躇い、子供に飼わせようとして女中に退けられ、置き去りにしようとするなど、老人は正義感や倫理感すら失いかけてしまいます。

追い詰められた主人公が自殺を試みて躊躇うと置き去りにされたフランクが駆けつけます。それでも、主人公はフランクを連れて列車に投身自殺を図ろうとします。フランクが怯えて逃げ出して、主人公は自殺し損ない正気を取り戻します。

そして、犬の機嫌をとり、公園で犬と無邪気に遊んでラストを迎えます。公園を無邪気に駆け回るだけの子供達の明るさとの対比がたまりませんでした。

犬の存在だけで、辛うじて生き延びる主人公。自殺をするかしないかは、一瞬の闇に引き込まれるか、たまたま何かが自分を連れ戻してくれるかどうかだけでした。

本当に些細なきっかけに人は生を見いだすものかもしれません。それが生命力かもしれません。



日本の円も全くの信頼が置けなくなるかもしれない時代。

年金問題は、他人事に思えません。老後に向けて貯蓄をしよう、家族を作ろう、資産を増やしておこう、ということは、不安の強い私だけでなく、誰もが多少なりとも考えることかもしれません。

しかし、現実として、自分が何歳まで生きるのか、家族はいつまで一緒に生きていてくれるのか、友人は頼りになるのか、資産をどのくらいの値で売れるのか、インフラが起きないか、そうしたリスクを完璧に見積もり備えることのできる人なんて居ないのではないでしょうか。

老後に備えて、お金があるうちに家の購入と税金対策の貯蓄や金銭に変えるための財産、他の安定した国のお金を買っておき資産を分割しておくことが必要かもしれないと気付けますが、先行きを読み切れず、備えても不十分に終わる予感が拭えません。

このような戦争という過ちを国が犯さないよう見守る国民の責任もあるのかと思いますが、時代の流れに庶民は、この老人と同じように為す術がない気もします。

先日、親戚一家が長年住み慣れた山手線の駅近賃貸の値上げに直面し急遽引っ越しました。なんと20万円/月に急に家賃が倍増して、入居者の多くが引っ越し準備をしたのだとか。一戸建ては、パブルの影響を受けて5千万円はくだらない費用です。

日本全国に親戚がいることも、生き残った地域の親族は、被害を受けた親族を支援すればよいはずです。



老後にプライドを保つには何が必要なのか、何にプライドを持てば乗り切れるのか、国が生活を保障しないかもしれない時代に、どう死を迎えるかを考えさせられる作品でした。

終活に励んでおく責任もあるのかもしれませんが、余裕を失えば後は野となれ山となれと考えてしまうことも、理解できそうでした。

他者評価に依存して社会に適応してきた老人にとって孤独や蔑みのなか暮らすことは、痛み以外の何物でもないはずでした。しかし、自分が愛する犬や趣味のような存在があれば、辛うじて生き延びることが出来たのかもしれないと考えました。 

国家を信用して老後の人生設計をするだけでは裏切られた時代もあったということだけは、覚えておこうと思いました。




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sasa320 at 00:59│Comments(0)洋画 | ドラマ

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