2017年08月28日

「不染鉄」好きなものを描く

東京駅ステーションギャラリーに初めて行き、不染鉄の展覧会を観ました。

不染鉄が描いた富士山が印象的で、観たい展覧会だと思い帰郷がてら立ち寄ると、どうして今まで知られていない日本の画家だったのだろうと驚いてしまいました。

好きなことを追求し質素に生きる理想的な生き方に心を奪われ、現実の世界をしばし忘れてしまうほどでした。



彼の絵に繰り返し現れるモチーフの1つは、夜の民家の窓の明かりでした。

なぜこの画家は民家にここまでの思い入れがあったのでしょうか。誤りかもしれませんが、不染鉄は普通の民家の明かりの向こうにいる、絵には描かれていない家族が普通に交わしている会話や愛情を理想として憧れていたのではないか、と私は考えたので切なくなりました。

不染鉄は、小石川のお寺の住職と未亡人の間に生まれ、遠方の寺に修行へ出されていたり存在を隠されながら育ったようです。幼くして大人の事情により普通に家族を家族として語れない寂しさを抱えて育った人かもしれない、と私は想像しました。20歳ごろに彼は両親を亡くし身寄りを失っています。

色々とやんちゃなことをしていたためか、絵を描いても不染鉄は自分の絵だと周りから信じてもらえなかったそうでした。強がりな作者が普通の民家の明かりを見て、夜に寂しさを感じ、貧しさのなか生き延びたのではないかと考えると、涙がこぼれそうになりました。



彼の絵に繰り返し現れるモチーフの1つは、海の中でした。

魚達の顔が純朴で、海の底や波の形は澄んだ美しい世界。日本画ですから、まるで竜宮城のようでした。

伊豆半島に大島を描きに出掛けた際の文章によると、貧しくて住むところを失い、病みあがりの妻と静岡に移り住み、漁師として3年間暮らしながら、たまに海を描き東京に戻り絵を出展していたようです。

葛飾北斎は波を描くのに30年かけて、彼は3年かけたわけですが、海を描こうとして表現を考え筆を手にとって混乱したことが私にもあるので、導き出された方程式のような波のラインに感動しました。

写真を見てドットを打つわけでもなく、眼に映る形や質感、様々なものを自分のなかで自分なりのパターンとして抽出するには、時間がかかるはずです。

まるでデザインのような几帳面な曲線の連なりを眺めていると、曼荼羅でも描くかのような地道さを感じました。精神性を示すかのような一本一本の美しい線に気づき、そんや作業に素晴らしい芸術性を感じ、美術に詳しくありませんが、見て学べてしまいました。

生き生きとした水の中や伊豆の思い出には、両親を失った後に妻と出会い生き延びた貧しくても幸福な思い出もあるかもしれず、幸福が溢れ出たかのような生き生きとした描写に好感を持ちました。



彼の絵に繰り返し現れるモチーフの1つは信仰でした。

美術が戦争に巻き込まれ始めた時代、彼は美術界から距離を置き妻を亡くすと住職に転身したそうです。美術教師や校長など色々な仕事もしていたようです。

戦時中は材料不足のなか彼は水墨画を描いていていました。水墨の階調が浅いのですが、そのなかで細かく、見応えがありました。

不染鉄の絵は曼荼羅のように中心に対象を置く力強い飾らない構図で、下手に技巧に走った絵より素直さに好感を持てます。

シンプルに霊山としての富士、三重塔や寺社仏閣、信仰をテーマとして、心のなかの世界を描く時代も素敵でした。真実や善を追求する心の修行こそ絵の修行だという彼の考えを理解できる気がしました。

良い人になりたい、と願っていた画家。早くに亡くした両親や妻との解決できなかったかもしれない葛藤のなか、後悔する部分も少なくなかったのかもしれないと察しました。

澄んだ視点で心の静けさを追求したくなり、欲望や権力争い、戦争や暴力の恐怖から距離をとり、精神を鎮め、内的世界に生きようとしたかもしれない彼の気持ちを理解できる気がしました。

なお、日本画は塗るのではなく「傅彩(ふさい)」と呼ばれる方法を用い色の線で描くのだそうです。傅く(いつく)の意味を考えると、「心身の汚れを去り神に仕える、神に仕えるような気持ちで大事に世話をする」のです。絵の中に霊魂を込めるため、丹念に描かれていたのかもしれません。

美術が美術として宗教から分離されたことは、実は現代に近い話のはずで、圧倒的に長期間、自然に宿る神々が美であったはずです。

不染鉄の出自を考えても納得できますが、絵を追求していくと精神修行、宗教にたどり着くことを理解できる気がしました。



作品のなかには、自分のなかの1番幸せな記憶を絵に残そうと、幼少期に見た大イチョウの木が描かれていましたが、キラキラと輝く世界にひきこまれてしまいました。

現代の東京にも、休日以外ヒトに非ずの労働者として、生き延びることに我を忘れて過ごしている人は少なくないかもしれません。

休日にこんな絵を観ると、自分が好きなものを探して生き延びていくことの尊さに気付かせられました。

論理性も技術も気にしない我が道を行く清貧で自由な絵に時代を超えて癒されました。表現を禁じられた苦しみを絵画として表現し続けることで、ご自身も癒されていたのかもしれません。

きっと少しやり過ぎるところもあるエネルギーの高い方だったのでしょう。すぐ錆びる鉄のように周りの人と比較しがちで染まりやすい自分を戒めるため、不染という名を名乗ったのかもしれません。

自我境界の脆さが美しい幻想を生んだはずで、厳しい環境が磨き上げた人の器を眺める心地に酔いしれました。


sasa320 at 15:12│Comments(0)絵画 

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