ヤング≒アダルト (字幕版)
シャーリーズ・セロン
2013-11-26




総合評価 ⭐️⭐️⭐️(⭐️)
脚本 ⭐️⭐️⭐️⭐️
配役 ⭐️⭐️⭐️⭐️
演出 ⭐️⭐️⭐️
映像 ⭐️⭐️⭐️⭐️
音楽 ⭐️⭐️⭐️



「Juno」の監督ジェイソン・ライトマンと脚本家ディアブロ・コーディが再びタッグを組んだ映画でした。

ディアブロ・コーディは、元ストリッパーの経歴も持つ美しい女性。彼女は「Juno」の脚本でアカデミー脚本賞を受賞しています。どちらの映画の主人公も、家族と折り合いが悪く早くに妊娠する恋多き女性。

私とは違うキャラクターで、近くにいたらきっと疲れるタイプだと思いましたが、沢山の人に批難されたとしても、クレイジーなほど自分の気持ちを誠実に伝えた彼女の告白に魅力を感じてしまいました。



元恋人に子供が出来たら、普通は誰もが諦めるかもしれませんが、この主人公は、なんと赤ん坊と妻に自由を束縛された元彼を救ってやろう、と考えて久々に帰郷します。

高校時代、主人公はプロムクイーンでした。誰からもチヤホヤされ高飛車で、都会に出てゴーストライターとしてキャリアをおさめ、結婚。何も語らなければ、絵に描いたような成功を手にしているかのように見えました。

37歳を迎え、離婚した今でも、一晩限りの相手はいくらでもいるようです。ただ、高層マンションで犬を飼う子供のいないキャリアウーマンは孤独で虚しかったのかもしれません。キャリアの終わりも見え始めた矢先、元彼から赤ちゃんの写真付きメールが届きます。

30代後半の子供のいない女性は、子持ちの女性と距離が出来るものかもしれません。子供のいる家族と話題があわなくなり、子供のいない女性が集いがちです。子供を持った女性は、子供のいない女性を憐れむ価値観もあり、一定の距離を置いた付き合いになりがちです。

しかし、主人公は、彼らと距離をとるのではなく、むしろ田舎に帰り元彼を呼び出し、子連れパーティに一人で乗り込んでまで元彼に復縁を迫ります。現状が辛い時、楽しい記憶や人生の分岐点を懐かしみ、戻りたいと願う気持ちを理解できますが、過去は幻と理解し、現状の課題に取り組むのが健康的でしょう。

それでも、風と共に去りぬのスカーレット・オハラ、あなたのことはそれほどの不倫妻のように、このストーリーの主人公も、過去の成功に惹かれて現実の課題から逃避してしまうのてした。そんな痛々しくすら見える女性の話でした。



主人公のキャラクターは、病的で共感をえられ難い、と感じました。

高飛車で、自分をセレブで特権階級と信じていて、田舎者を見下し、赤ん坊の生まれた妻帯者を不自由で可哀想な男性と決めつけ、元彼を救い出そうとする女性に共感できる人は皆無でしょう。主人公の元同級生も、話を聞いて、精神科受診を勧めたほどでした。

歳を重ねたシャーリーズ・セロンとはいえ美しく、ツメや身体を磨いて、化粧をして、ヌードブラをつけて華やかなドレスに身を包めば、昔は、誰でも支配できたはず、と十分に感じられる配役でした。

若い頃の元彼との思い出の曲をカセットテープで聴きながら、お洒落な車で、ホテルの予約もとらず帰郷する、いつまでも気の若い主人公。退屈な一夜限りの男性達との退廃的な暮らしに飽きていたのかもしれません。

元彼は、私が誘えばいつでも取り戻せる、と信じている主人公の過剰な自信は、自己愛性人格障害のようにすらみえました。実家がありながらホテルをとることから機能不全家族を疑いましたが、映画では過干渉な母親以外、描かれていません。Junoもそうですが、彼らの映画に親を批判する描写はありません。

高校時代に元彼と見下してホモ扱いしていたオタクで障害者の同級生が作る偽造酒に惹かれ、自分を崇める男性をすぐ支配してしまう姿をみると、ますます主人公が人格障害のようにみえてきました。

過去の栄光とキャリアがすぼみ始めた厳しい現状とは違う、とツッコミを入れてしまうでしょう。また、自分が幸福でなければ、赤ん坊と母親から父親を奪いにいく女性に、共感し難いのではないでしょうか。



しかし、ストーリー展開と共に彼女の痛みを理解できるようになる人も現れるかもしれません。

初めの、「赤ん坊と妻を愛している元彼を救い出す」という過去の成功に基づいた現実を無視した誇大妄想は、本人のみ自覚がないので、病的で痛々しいものでした。ここは共感されがたいはずです。

次の、誰より美しかった彼女は誰より幸福でいたかった、という主人公が特権意識や幻想に囚われ、生き難くなり傷つき落ち込む構図は、理解できました。

きっと幸福が続きすぎれば、快楽物質の受容体が耐性をえて快楽を感じ難くなくなるので、常に幸福であることなど絵空事ではないか、と私は勝手に考えているからです。だから、自分だけ不幸だと周囲と比較する主人公の自己を客観視できない悲劇を理解できました。

それから、都会と田舎の価値観の違いも理解できました。都会に出た主人公は、都会の価値観に添いキャリアとして働き、離婚してシングルでも都会では普通に暮らせます。しかし。田舎によくある価値観からみれば、可哀想な人と捉えられてしまいます。

田舎に残った元彼は、田舎の価値観に添い結婚して子供を作り賞賛されていました。しかし、可哀想に思い元彼女を呼び出す元彼と元彼の妻の思慮の無さを私は感じとりました。それどころか、帰郷したお洒落な主人公は、田舎ではママ友達や元彼から案の定、排除され始め、妬まれていました。

元彼との思い出ソングは、下手なママ友バンドが演奏して台無しにされました。田舎の赤ちゃん行事にも、似合わないプレゼントをもち出席し元彼に告白すれば振られます。美しいドレスに
は、元彼の妻に飲み物をかけられます。

社会的地位が高く、高収入、美人、30代後半の女性は、キャリアでは勝ち組だとしても、恋愛偏差値は低いことを日本のドラマ「わたし、結婚できないんじゃなくてしないんです」では伝えていました。確かに、彼女も恋愛偏差値の低い可哀想な人、という社会的カテゴリに入ってしまったのかもしれません。

だからといって、田舎の社会的マジョリティがマイノリティを見下す扱いを、圧倒的人数差があったとしても、彼女が許容する必要はないかもしれません。

「故郷は遠くにありて想うもの」という古い歌と同じ心情に共感できた人もいたのではないでしょうか。成功者が故郷に錦を飾ることを許さない田舎の平凡な同級生達の低い自尊心が生み出す新参者の排除は、どこの国でも共通なのか、と気付きました。



そんな支配型のアダルトチルドレンに似た彼女が、自分の弱みを隠さず田舎の人達の前で告白する流れは、アダルトチルドレンの回復を描いていたのかもしれません。

地元の赤ちゃん命名パーティで酒を飲みすぎた彼女が、元彼の妻に怒りをぶちまけ戦う姿には、感動すら覚えました。

なぜなら、20歳の頃に身ごもったけれど流産した、そこにいたのは自分だった、と元彼の妻や地域住民を前に、プライドの高すぎる主人公が堂々と被害を訴えることができたからです。あなたのため戻ってきた、と自分の気持ちも素直に表現していました。

「ララランド」の主人公のラストシーンで、他の男性と結婚し子供のいる彼女と再開して、彼女と結婚していたら、という妄想をした主人公の悲しみに似たシーンでした。都会に出て結婚した彼女が向き合えなかったのは、このトラウマかと察すると、向き合うための帰郷が必要だったのか、と理解できました。

そこで社会的に語るのはタブーな真実を皆の前で語るのを母親が制止しようとして、父親が母親の介入を止めて両親で娘を見守る姿に親の愛情も感じました。しかし直後に、肥満オタクの同級生に承認されたくて、すぐ寝てしまうのは、低い自尊心を感じてしまいました。

理解し難い行動の裏に、表現されなかった流産の悲しみが隠れていたことに納得しました。彼女の古傷をえぐる元彼と妻の陰湿なメールに反発し、落ち目の彼女は戦いたくなったのか、と気付くと、苦手なタイプの彼女を理解できる気がしました。

偽りだらけのなか酒を飲んでばかりの歪んだキャラクターに共感できなくても、彼女の主張は、悲しいほどに誠実で勇敢で、トラウマに向き合い成長したようで好感がもてました。



主人公に共感はできないけれども、にくめない人として描かれたところに現実味を感じました。

失恋後、同級生の妹に賛辞を述べられ、都会で暮らせば解決する課題で、都会に自分も連れて行って欲しいと頼まれると、彼女は冷淡にその妹を放置します。

ボロボロになった車を運転して、一人で都会に戻り、故郷や過去の幻想に彼女はようやくお別れできたようでした。しかし、経験一つで全てが変わるわけでもなく、ボロボロの車のような自分を彼女は操縦していかなければならないのだな、と察しました。

田舎者、と蔑むことで自尊心を保ち、失恋を乗り越える彼女に反省はありません。彼女のキャラクターは病的で共感できる人ばかりではないでしょう。ただ、子供がいなければ負け犬という、一つの価値観を押し付ける田舎の暴力に、都会で暮らす子供がいない女性は共感できるかもしれない、と察しました。

彼女ほどでなくても不完全な部分は誰しもあるはずです。社会的価値観の押し付けをうければ、戸惑うこともあり、負け犬のように感じてしまうかもしれません。だから、多様性を尊重できる思想を沢山の人に批判されても持ち続け、戦える彼女の姿勢に私は好感を持ちました。



ジェイソン・ライトマンの映画は、虐待されたトラウマをもつアダルトチルドレンでワーカホリックな子供達の、うまくいかない恋愛関係を繰り返し描いているように見えます。自信の無さに対しては、自分が信じるモノや人を少しずつ探し、自信を育んでいく他ないのだろう、と思いました。

飼い犬をホテルに放置して恋愛に夢中になり失恋すると戻ってきて犬に謝る彼女。この犬が子供ならネグレクトでしょう。彼女は、自分を理解していたから子供を持つ自信がなかったのか、と推測すると、悲しく感じました。

この監督や脚本家は、いくつになっても未熟なヤングアダルトの苦しみを繰り返し描いているのかもしれず、そんな子供達がトラウマを乗り越え生き延びていけるよう祈るばかりです。
 


 
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