9月5日()~6日()

 事務所において要望・陳情対応および来客対応。

 

9月7日()

 横澤参議院議員、伊藤勢至県議とともに立憲民主党県連主催の市町村要望聴取活動に出席。

普代村、田野畑村、岩泉町、山田町の4自治体を訪れ各首長などと面会し、抱えている課題について説明・要望を受けた。

この活動は、県内33市町村すべてで行われることになっている。

 

9月8日()

 政務調査のため岩手県庁へ。

 

9月9日()

 石鳥谷熊野神社秋季例大祭祭儀・直会に出席

 

9月10日()

 たっそ拓也後援会連合会1区拡大役員会(盛岡市内サンセ盛岡)に出席

 

9月11日()

 故原敬元首相の葬儀と今の国葬論議

 1967年の吉田茂氏の国葬を行うにあたって、超法規的措置によって行われるなど問題点が整理されていたことがわかってきた。その認識が自民党で共有されていたので、以降の総理大臣現職、元職の葬儀は例外なく国葬ではなく「内閣・自民党葬」の方法をとってきたのが何よりの証左である。

 岸田首相は、2001年施行の内閣府設置法の第4条3項33号の「国の儀式並びに内閣の行う儀式および行事」を根拠としていると強調するが、これまで行われた「国の儀式」は天皇の国事行為だけである。すなわち、2019年

の天皇退位に伴う一連の儀式や新年祝賀の儀など、いずれも憲法7条で定められている国事行為だけである。今回安部元首相の国葬が行われると「天王の儀式」と並ぶことになり、違和感を禁じえない。

 そもそも国家元首ではない、しかも政治家が国葬にふさわしいのだろうか。  

 思わず、約100年前、凶刃に倒れた内閣総理大臣・原敬の「遺言」と「浅夫人」の対応を下記の書籍で検証してみた。

「凶報を聞いて東京駅に駆けつけると、遺体を政友会本部に運ぶという党幹部に、原はもう総理大臣ではない一個人だと伝え、夫の着衣を整え芝公園の自宅に連れ帰った」。中略、「原の遺言通りに盛岡の大慈寺で葬儀を終えた浅は、一周忌から四ヵ月後、役目を終えたように亡くなった」(原敬、清水唯一朗著、295p)。これは原敬の夫人=浅の様子を描いたものである。「」内は原文のまま。

 考えさせられる一文である。