1月21日(日)

 親族の年祝い=厄払い(花巻市上根子、熊野神社)に出席

 

1月22日(月)

 午後、岩手県議会へ。

 午後3時、県議会事務局職員に対する議長講和。

午後5時、一般社団法人・岩手県浄化槽協会平成30年新春懇話会(ホテルメトロボリンニューウィング)に出席。

 

1月23日(火)

事務所内において書類の整理及び来客対応

 

1月24日()

午前、要望処理のため花巻行政センターへ。

午後、免許証更新のため盛岡市のアイーナへ。

 

1月25日(水)

地方自治を考える。

 昨年は地方自治法施行70年の節目の年であった。

地方自治法は昭和22年5月3日施行であり、日本国憲法と同じ日に施行されている。

自治をめぐる問題は今でも多岐にわたっているが、地方自治なくして民主主義が成立しないことは自明である。

トックビル(仏国の思想家)は、「地方自治が自由に対して有する関係は、小学校が学問に対して持つそれである」=樫の木のデモクラシーを、ブライス(英国)も「地方自治は民主政治の最良の学校、その成功の最良の保証人」であると説いている。

一方、第一章=天皇から第十一章=補則まで103の条文で構成されている日本国憲法には、第八章に「地方自治」が明記されており、下記の4つの条文が設けられている。

すなわち、

92条=地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める。

93条=地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接選挙する。

94条=地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

95条=一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会はこれを制定することができない。

明治憲法には地方自治の規定は全くなかった。

それでは、日本国憲法92条の「地方自治の本旨」とは何を意味するのだろうか?。

あまりに抽象的であるが、「国の関与を廃止し、地域住民の意思に基づいて処理するという原則」と解釈すべきと思う。

また、同条には「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、法律でこれを定める」とあるが、一口に言えば「自治体の自由にはさせない」ということではないか?。

例えば、1991年に廃止されるまで、自治法には県庁にどういう組織を置くかという条文が組織名を例示までして残っていた。その後も局や部の数が規定され続け2003年の改正で廃止、それでも県が組織条例を改正した時には、総務大臣に届けるという国の関与が2011年まで残っていた。国の関与がいかにしつこいかこれでお分かりになるのではないか。

それでも地方自治に対する国の関与は巧妙になってきていることは確かである。

 一方において、国は、95条を恣意的に解釈し運用している。

日本国憲法制定直後には、広島平和記念都市建設法など15件が住民投票に付されている。

当時は、素直に額面通り解釈してきた。

しかし、1951年以降、95条に基づく住民投票は皆無である。2012年に制定された「福島復興再生特別措置法」。一つの自治体に適用される法律であることは明白であるが,福島復興再生特別措置法住民投票は行われていない。その理由は「適用される」という解釈が「自治体の組織、運営、権限などに関わるもの」という限定解釈に変わってきた。

つまり国は「国の事務としての財政援助を定めるものは該当しない」という一方的な解釈を取っている。

もう一つの抜け道は、あたかも特定の自治体に関することを決めているかのように見えるが、法律上は全国に適用されるものとなっているものである。

例えば、2006年に制定された道州制特区法。明らかに北海道だけにしか適用されないものであるが、「北海道地方その他の地方」という表現で抜け道をつくっている。

少なくとも国が憲法解釈を変えたのであれば、こう変えましたという表明がまず最初にあるべきではないか。

 「地方自治は民主主義の学校」ということであるならば、「議会」は民主主義の支柱であり基盤である。

しかし、議会が機能不全に陥った場合どうなるかということは、戦前の昭和史、あるいはヒトラーの台頭に伴う「全権委任法」を成立させたドイツの歴史が雄弁に物語っている。

 議会制民主主義を形骸化させてはならない。そのためにも地方自治は国の言いなりになってはいけない。