無事、12日間の南米訪問を終え帰国

8月18日(土)

 移動日。羽田空港からドイツ・フランクフルトへ。日本時間8月19日(午前1時45分)着。

 

8月19日(日)
 ドイツ・フランクフルト空港(日本時間8月19日、午前4時55分)発、アルゼンチン・ブエノスアイレス・エセイサ国際空港(日本時間8月19日、午後6時45分)着。

夕方(日本時間8月20日、午前6時)「アルゼンチン岩手県人会との懇談会=会長・佐々木晴己、会員50人」に紺野企画理事らとともに出席。達増知事は明後日から合流。ブエノスアイレス泊。

 
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8月20日(月
)

 日本庭園など市内視察。ブエノスアイレス泊。

 

8月21日(火)

アルゼンチン・ブエノスアイレス・エセイサ国際空港(日本時間8月21日、午後9時)発。パラグアイ・アスンシオン・シルビオぺッティロッシ空港(日本時間8月21日、午後9時55分)着。

在パラグアイ大使館、JICAパラグアイ事務所を表敬訪問。夕方(日本時間8月22日、午前8時)「アスンシオン岩手県人会との懇談会=会長・長沢聖太郎、会員192人」に達増知事とともに出席。アスンシオン泊。

 
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8月22日(水
)

 午前、パラグアイ日本人連合会表敬訪問、その後、ピラポに向け陸路移動。

夕方(日本時間8月23日、午前6時頃)ベヤ・ビスタ着。ベヤ・ビスタ泊。

 

8月23日(木)

 午前、世界遺産トリニーダ遺跡視察。

 昼過ぎ「ピラポ共同霊園慰霊碑参拝」、その後、ピラポ市役所、同農協など市内施設を表敬訪問。夕方(日本時間8月24日、午前6時)「ピラポ岩手県人会との懇談会=会長・佐藤豊、会員215人」に出席。ベヤ・ビスタ泊。

 
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8月24日(金
)

 陸路でイグアスへ。
 昼前(日本時間8月25日、午前0時頃)イグアス移住地日本人墓地内慰霊碑参拝、 その後、「岩手の森」において記念植樹。
 昼過ぎ(日本時間8月25日、午前2時頃)「イグアス岩手県人会との懇談会=会長・小原和子、会員127人」に出席。 終了後、陸路で国境越え。フォス・ド・イグアス(ブラジル)泊。


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8月25日(土
)

 午前、世界遺産イグアスの滝視察。昼過ぎ(日本時間8月26日、午前1時半過ぎ)フォス・ド・イグアス国際空港発。現地時間、午後3時ブラジル・サンパウロ・コンゴー二ャス国際空港着。

日本移民開拓先没者慰霊碑参拝、夕方(日本時間8月26日、午前6時)「ブラジル岩手県人会創立60周年記念式典前夜祭」に出席。サンパウロ泊。

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8月26日(日
)

 

現地時間午前10時(日本時間8月26日、午後10時)「ブラジル岩手県人会創立60周年記念式典」(会長・千田暁、会員199人=各家庭の家長のみ登録)、祝賀会に出席。
 終了後、ジャパンハウス(外務省事業)を視察。サンパウロ泊。

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8月27日(月
)

 午前、在サンパウロ日本国総領事館、サンパウロ州議会を表敬訪問。

現地時間午後4時前(日本時間8月27日、午前4時前)サンパウロ・グアルーリョス空港発、ドイツ・フランクフルトへ。

 

8月28日(火)

移動日。ドイツ・フランクフルト空港(日本時間8月29日、午前1時過ぎ)発。 羽田空港へ。

 

8月29日(水)

 移動日。午後12時15分羽田空港着。午後6時過ぎ帰宅。

 

県では5年ごとに南米訪問を行っている。今回、県議会を代表し訪問する機会を得たが、今年はブラジル日本人移民110周年、県人が初めて南米に移住して100年、プラジル県人会創立60周年の節目の年である。これまで戦前2685人、戦後849人、合計3534人の賢人が南米に移り住んでいる。

移住された方々は、気候、風土、言語、習慣など全く異なる新天地において幾多の困難を乗り越え今日の地位を築かれたところであるが、ここに至る道のりはまさに筆舌に尽くしがたい苦労の連続であったことは言うまでもない。
 しかし、移住者の方々に接して改めて感じたことは、苦労というものをみじんも感じさせないということであり、押しなべて寛容で穏やかな方々ばかりであった。
 本物の苦労を重ねた人は、スケールの大きさ、心の深さが違うといわれているが、このことを身をもって感じたところである。達観の域に達した人格者といっても決して言い過ぎではない。

また、南米と我が国との外交が良好な関係にあることは知られているところであるが、この背景には移住者の毎日の生活を通じ、少しずつ築かれてきた住民との信頼関係の蓄積が寄与していることも見逃してはならないと思う。いわば日本全国の移住者がこの基盤をつくったといえるのではないか。

生まれて初めての貴重な体験であったが、今や移住者の活動の中心も一世から二世、三世に世代交代している。
 母県(岩手)と各海外県人会との交流をこれからも衰退することなく維持していくために議会として何ができるのか、また今後何をすべきなのか、このことを強く感じた南米訪問であった。
 同時に、なぜ移民しなければならなかったのか。戦前の満洲への開拓者の移民を含め、冷静に歴史を振り返る必要も感じたところである。少なくとも当時のポルトガルやスペインとは目的も手段も違うことだけは明確にしておかなければならないことを強く感じたところである。

 

8月30日(木)~31日(金)

 北海道・東北ブロック道県議会議長会議(山形県)に出席。

 

9月1日(土)

議会民主政治とは

最近「政治」とはいったい何だろうかと思う。

「人間とは矛盾した存在である。人間は変化を嫌う自然的保守性を持つ半面で、新奇なものを求め変化を好み古いものに飽きる自然的進歩性を持っている」と説いたのは、英国の政治家・政治学者、保守主義の論理的支柱といわれるエドモンド・バークである。さらにエドモンド・バークは「保守したければ、改革せよ」という言葉を残している。

「戦争は別の手段をもってする政治の継続にすぎない」。独国のクラウゼビッツの言葉であるが「戦争は政治の道具」であると喝破した。

また「政治はあくまでも現実と権力の上に立たなければならない。しかし、理想と正義を忘れた政治は、もはや政治とは言えない」。これは前尾繁三郎氏の言葉である。

もとより、議会や行政は、人々の社会的経済的権利や利害を争ったり調整する厳しい場であり、権力をめぐる争いや人間の生きる現実の処理の場であるが、権力闘争、権謀術数だけのものではないことは自明である。

一方、「議会政治」というと「多数決」、これは人類の知恵による最高の制度であると一般的には義務教育で教えられるが、その限界も当然ある。議会政治が多数決によって決定することは、「絶対的正義」ではなく、あくまで「相対的正義」あるということを肝に銘じておかなければならない。また、多数決を使う条件を十分に保証しなければならない。すなわち、議会活動で虚偽の表現はあってはならないことであり、少数者の意見表示権や法規によって認められた抵抗権を尊重しなければならないことも大事な要素である。

国民の多数意思によって、つくられた政権に問題があれば、次の選挙で国民の意思によって政権交代を可能にする。「議会民主政治」には腐敗した権力を浄化するためには絶対不可欠なものである。このような認識に立って今後も政治に携わっていきたいと思うこのごろである。