4月1日()

 県議会事務局へ。議長室において事務処理。

 

4月2日()

 知人の葬儀に出席

 

4月3日()

午後、石鳥谷町大瀬川地区戦没者慰霊祭(大瀬川振興センター、夕方、石鳥谷町八日市後援会役員会・県政報告会に出席

 

4月4日()

議長公務=岩手県立大学・大学院入学式(滝沢市アピオ)、議会事務職員への訓示(議会棟)、議会夕方、事務局転入者歓迎会(ホテル・カリーナ)にそれぞれ出席

 

4月5日()

議長公務=岩手県警察官初任科第94期、一般職員初任科第32期入校式(盛岡市青山・県警察学校)に出席。

夕方、「元文部事務次官・前川喜平さん時局講演会」(北上市さくらホール)に参加、テーマ=「森友・加計学園問題から見える安倍政治の真相」の講演を聴く。

 

4月6日()

 元号と「令和」

日本国憲法下において二回目の改元が行われた。「令和」は今上陛下の「退位」というご意向を踏まえて行われたことから憲政史上初めてである。

そもそも元号は古代中国で用いられ皇帝の支配の象徴であった。日本はこれを取り入れ、改元は天皇の代替わりのほか慶事や凶事などで人心一新の手段として用いられてきた。

明治時代に入り「一世一元」になったが「天皇主権」であった。

国民主権の現憲法下にあって「元号」の位置づけは宙に浮いた状態になっていたことから、「元号は政令で定め、皇位の継承があった場合に限り改めることを規定した」元号法が昭和54年に制定、法的根拠を得た。

「令和」は七世紀の「大化」から数えて248となる。

首相は「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ、という意味が込められている」と元号の「令和」の意味を説明した。出典は万葉集。「国書」を典拠とした改元は初めてであり異例である。

「明治」の典拠は「易経」。「聖人が北極星のように顔を南に向けてとどまることを知れば、天下は明るい方向に向かって治まる」という意味である。

「大正」の典拠も「易経」。その意味は「政治が正しく行われる」ということであり、「昭和」は「書経」から。「皆で平和を目指す」という意味である。「平成」は「史記」と「書経」からで「内外が安定し、天地とも平和になる」という意味が込められたという。

明治」から「平成」の時代を振り返って見ると、残念ながら元号に込められた意味と現実とはかけ離れたものになっているが、国民生活の基層をなす文化として完全に定着していることは確かである。

「令和」は果たしてどんな時代になるのだろうか。一にも二にも国民一人ひとりの心掛け次第である。

それにしても権力者たる首相が国民とともにそういう時代を築き上げて行きたいと語ったことに違和感を覚えたのは私だけではないと思う。

 

4月7日()

花巻商工会議所名誉会頭・故、宮澤啓祐氏葬儀(花巻文化会館)に参列