8月7日()

 早朝、墓掃除。その後「道の駅 はなまき西南」開所式に出席

 

8月8日()~10日()

  三連休につき夏休暇

 

8月11日()

 理解できない玉木代表の言動

 国民民主党と立憲民主党の合流問題が大詰めを迎えているが、今日の国民民主党の臨時執行役員会終了後、玉木代表が記者会見で「国民民主党を解党し、立憲への合流組みと残留組に分党すること」を表明、自身は合流に参加しない意向を示したという。「理念や基本政策が一致しないまま無理やり党をつくっても、過去の反省を生かせない」というのが主な理由といわれている。

 理屈は様々あるだろうが、理解不能である。

代表権を持つ国民民主党の代表が立憲民主党代表などと合流に向けて幾度となく交渉してきたはずである。

土壇場に来て国民民主党代表が合流不参加ということは、乗客、乗組員を残したまま船長が難破船から下船したようなものである。

考え方が違うためどうしても合流できない人もいるだろう。そういう人は自ら選択した道を歩めばよい。

しかし、立憲民主党との交渉に代表自ら当たるということは合流を前提に個別具体の問題可決に汗を流しながら反対議員を説得し、あるいは疑問を抱く議員の理解を深めることに全力で当たることが代表としての責務であると思う。

最初から合流する意思がないのであれば代表を降りるか、合流の協議につかないことが本来とるべき道ではないだろうか。

報道によると、分党については役員会で賛否を取っていないという。

もしそうであるなら玉木代表は個人見解を述べたことになる。そもそも党の態勢が立憲民主党との合流であるはずであり、代表権の乱用ということになる。

いずれにしろ国民民主党の両院議員総会にも諮っていない事柄を個人見解で述べることは不見識であり組織人として大いに問題である。

政権を取って初めて自ら唱えてきた政策が実行できるものである。政権を取らずにいくら綺麗ごとを言っても、それは絵に描いた餅に過ぎない。

政権奪還こそ野党の使命である。
 2009年に民主党が政権交代を成し遂げた時の衆議院の公示前勢力は115議席、2012年の民主党から政権を奪還した時の自民党の勢力は118議席であった。
 過去の実績を見ると100議席超の合流新党をとりあえずは目指さなければならない。

 

8月12日()

 墓参りなど先祖供養

 

8月13日()

 今年はマックス・ウェーバー没後百年

 今年は19世紀から20世紀初めに活躍したドイツの社会学者マックス・ウェーバーの没後百年に当たるそうだ。

主な著作は「権力と支配」「支配の社会学」など、講演録「職業としての政治」「職業としての学問」も有名である。

政治、経済、宗教社会学など幅広い分野を研究したが病には勝てず、1920年6月14日、スペイン風邪が原因とされる高熱などを発症し56歳で死去した。

 ウェーバーは、官僚組織を合理的な組織と分析しつつも、官僚主義の国家は、国民が議論して物事を決める民主主義の手続きが軽んじられることに着目。政治主導の重要性を訴えている。

 強まるわが国の官僚支配、反比例するかのような弱体化する政治主導。

スペイン風邪で亡くなったマックス・ウェーバーと2020年のコロナ禍の日本政治に思いを巡らせてみると、不思議な因縁を感じざるを得ない。

 

8月14日()

 元石鳥谷町教育委員会委員長=故畠山尚巳氏の火葬に参列

 

8月15日()

 いつの時代も後悔先に立たず

 75年目の終戦記念日である。

コロナ禍により追悼式典も様変わりである。先の大戦を生き延びた方々も超高齢となってきた。悲惨な体験を踏まえた尊い言葉を直接聴く機会も残り少ない。早晩語り部はいなくなるだろう。不戦の誓いが色あせることが心配だ。

 わたくしの親父は満州に出兵、終戦後、即、旧ソ連の捕虜となった。そしてシベリア抑留となり解放され帰還したのは昭和24年。

おふくろも満州国で終戦を迎えている。

両親はすでに鬼籍に入っているが、いずれも「戦争はやってはいけない」と言われた記憶はあまりない。今思えば、いらずもながのこと柄であったに違いない。

悔やまれるのは生前にもっと体験談を聞いていればと思う75年目の終戦記念日である。

いつの時代も後悔先に立たずである。