8月24日()

 令和2年度魅力ある道づくり懇話会(ホテル・グランシェール花巻)に出席


8月25日()

 国民民主党岩手県連主催の明年度国・県予算編成に対する市町村要望聴取に参加。

 木戸口、横澤両参議院議員らとともに遠野市役所を訪れ、本田市長はじめ市の幹部から要望内容を聴取した後、意見交換。


8月26日()~27日()

 事務所において来客対応・資料整理などに当たる。


8月28日()

 令和2年花巻温泉若藤会「ゆかた会」に出席。


8月29日()     

 安倍首相退陣、その総括は

 昨日、安倍首相が退陣表明を行った。原因は第1次安倍内閣の時と同じ「持病再発により職務遂行が困難」と判断したことによるものである。
 危機管理に長けた安倍政権というイメージが強かったがずさんなコロナ対策でこのことは幻想であったと国民は再認識したのではないだろうか。

 2012年12月の第2次安倍内閣発足から7年8か月、2006年の第1次安倍内閣(平成18年9月26日発足)を加えると8年以上に及ぶ歴代最長政権が幕を閉じることになる。

 13年前の出来事の再来である。平成19年の夏に参院選挙で民主党が勝利をおさめた。安倍首相は再起をかけ内閣改造(平成19年8月27日)を行い9月10日の臨時国会で所信表明演説を行ったが同月12日突然の辞意表明となった。そして翌日入院、その後24日に記者会見を再度開き自身の体調について謝罪し説明を行っている。9月26日に後を継ぐ福田内閣が発足した。

 第一次安倍、後継の福田両内閣に民主党を率いて全面対決した当時の民主党代表は小沢一郎氏であった。民主党の躍進期であった。

 例えば平成19年の岩手では知事選で達増拓也氏が初当選、衆議院岩手1区の補欠選挙も勝利、夏の参院選挙では全市町村で民主党現職が完勝した。

4月の県議選で3選を果たした私も民主党県連の幹事長に初めて就任、これら三つの選挙に携わった。その後、安倍首相の突然の辞任に驚くとともに岩手日報などから幹事長コメントを求められたことを覚えている。

 安倍政権が7年8か月続いた要因は様々あるが、最大の理由は6回行われた国政選挙ですべて勝利をおさめたことである。逆に言うと野党がまったく歯が立たなかったことである。それもそのはず民主党の分裂後、小党分立の野党の状態であったことから無理もない。確実に言えることは安倍首相が選挙に強かったわけではなく、あまりにも野党が無力であっただけである。6回の国政選挙の投票率は平成24年12月の総選挙の61.68%を除き50%代であったことがすべてを物語っている。

 参考までに2009年の民主党が政権奪還を果たしたときの衆院選の投票率は73%(岩手県の投票率)であった。

 それでは政策的に国民から高い評価を得ていたのだろうか。

「アベノミクス」に代表される「三本の矢」。この中身は①大胆な経済政策②機動的な財政政策③民間投資を喚起する成長戦略であるが、実際は①の異次元緩和だけ、②も⓷も旧来型のもで機能したとはとても言えない。単純に言えば「金を刷ってばらまく」だけであった。

 2015年になると「新三本の矢」を打ち出した。すなわち①希望を生み出す強い経済②夢を紡ぐ子育て支援⓷安心につながる社会保障であるが強い経済は戻っていない。保育所は増えたが幼児教育の無償化は低所得者だけ、社会保障も消費是巣を増税したにもかかわらず支給額は削られるだけである。

 スローガン的政策目標も数多く打ち出した。例えば一億総活躍社会、地方創成、IR(統合型リゾート)による経済成長、女性が輝く社会、待機児童ゼロ、幼児教育の無償化、介護離職ゼロ、規制改革、働き方改革、非正規という言葉をなくす、人生100年、人づくり革命、生産性革命etcでとても覚えきれない数である。

 良し悪しは別にして改憲に取り組んだが、改憲後の国際社会における日本やあるべきわが国の安全保障をどう描いているのかを含め日本社会の将来像についてははまったく触れずじまいである。

 このように政策的テーマはすべて中途半端である。

 政治手法も異常である。反対者を説得するとこともない。立憲主義と民主主義をまったく軽視した国会運営、モリ・カケ問題などで明らかとなった公文書の偽造、河井夫妻などの政治的不祥事に対しては説明責任をまったく果たさないことなど負の遺産の積み上げばかりである。

 一言で言うならば責任は取らない、すべて選挙で決着させる、これが安倍政治の実態である。

「民主党時代」が「悪夢」であるなら「安倍政治時代」は「暗黒」といわざるを得ない。

 いずれにしろ安倍退陣により、国政は新たなステージに突入した。


8月30日
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 知人の火葬・葬儀に参列