9月28日()

 明日から九月定例県議会が開催されることから議案等調査のため岩手県庁へ。

 

9月29日()

 岩手県議会へ。九月定例県議会招集日。

 午後1時本会議、県から総額20億円余を増額する一般会計補正予算案など39議案、2019年度一般会計決算など認定15件、報告8件が提案された。午後1時18分散会。

 本会議終了後、県議会議員定数等検討会議に出席。

 

9月30日()

 わが国初の「立憲」を冠した政党は

  今月11日に立憲民主党岩手県総支部連合会が結成されることになっている。

 さて「立憲」を冠する政党のそもそもの原点は何時であったのだろうか?。それは明治維新まで遡る。幕末末期、嘉永6年(1853)ペリー艦隊が浦賀沖に来航、その翌年、再び来航し「黒船」の威力を借りて開港を実現させた。さらに圧倒的軍事力、経済力を備えたロシア、イギリス、フランス等も進出してきた。わが国は国家独立を守りうるか否かの岐路に立たされた。

 この国運を左右する危機的状況に伴い、民衆の側にも深刻な危機感が強まり、この気運は日本の政治に能動的、積極的に参加しようと志す者を増やすことになった。やがて志を同じくする者たちが集まり「党派」が結成され、次第に公然化しかつ正当性を獲得していった。

 そして明治7年(1874)征韓論で下野した板垣退助らは「愛国党」を結成、民選議院の設立建白書を左院に提出した。これが日本における最初の政党といわれている。

 その後、政府は民主運動政策の一環として各府県に公選の府県会を設置し、さらに国会の開設を宣言することになった。

 こうして在野の党派が直接政治に参加できる条件が整うとともに、地方の有力者、知識人、失意の士族などによる結社が各地に誕生し、その連合体として明治14年(1881)「自由党」(板垣退助)と明治15年(18821896)「立憲改進党」(大隈重信)が結成された。この両党は、政権の獲得を目標として掲げ、全国規模の組織を持った日本で最初の政党となった。

 両党は後に憲政党(1898)としていったん統一されるが、再び分裂、大正末期から昭和初期にかけての二大政党である立憲政友会と立憲民政党へとつながっていく。

 ということで、最初に「立憲」を掲げたのは明治15年(1882)に大隈重信らによって結成された「立憲改進党」である。

 参考までに立憲改進党は、立憲君主制(君主はいるが権限が憲法で制限されている)、二院制議会、制限選挙などの英国のような議会政治を主張した。

 一方の自由党は主権在民(君主はいない)、一院制議会、普通選挙などの仏国の民権思想の影響を受けた政党であった。

 「大日本帝国憲法」が制定・公布されたのは明治22年(1889)、国会開設は翌23年(1890)であったる。したがって「政党」はその前から存在していた。また、国会開設前から府県会も設けられていた。

 

 県議会は議案調査のため休会、再開は10月6日の一般質問から。九月定例県議会は10月27日まで29日間開かれる。

 

10月1日()

 県議会は議案調査日のため休会。

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