11月16日()

 事務所において資料整理・来客対応

 

11月17日()

立憲民主党県連と岩手県議会希望いわて合同による市町村の要望ヒァリングに参加。木戸口英司参議院議員らとともに花巻市と遠野市を訪問。

 

11月18日()

福島第一原子力発電所処理水の処分説明会(アイーナ)と連合岩手主催の政策・制度要求提言説明会(エスポワールいわて)にそれぞれ出席 

 

 11月19日()

 小沢一郎石鳥谷支部後援会連合会反省会・選対解散式に出席

 

11月20日()

 大迫町落合自治公民館収穫感謝祭に出席

 

 11月21日()
  「ゆ党」のゆくへ

 与党と組むわけでもなく政権与党と対峙するわけでもない。いわゆる「ゆ党」は昔から存在していた。

 古くは1976年のロッキード事件を機に河野洋平らが自民党を出て結成した「新自由クラブ」。近年では自民党を離党した渡辺喜美が2009年に旗揚げした「みんなの党」。「たちあがれ日本」「新党改革」もある。

 「ゆ党」という言葉の生みの親は竹下登元首相であったと伝えられている。

 1993年に非自民勢力による細川連立政権が成立し、自民党が下野した時に竹下氏が「今の与野党は野でも予でもない。ゆ党だね」とたとえたという。

 どちらも「野」と「与」から変われず、中途半端な「ゆ」の状態、この有様を独特の言い回しで表現したものといわれている。

 「ゆ党」は浮かんでは消えた。与党や野党に吸収され、第三極として拡大することはなかった。多くは自民党か野党第一党に収斂していった経緯がある。

 第三極が躍進する要因は野党第一党と与党第一党に票を入れたがらない政治情勢の時におきており、今回の維新と国民民主党が議席を増やした背景は「自公政権はいやだが、共産と組んだ立民にも入れたくない」という中道保守層を取り込んだことによるものではないだろうか。すなわち、消極的選択である。 

 日本維新の会と国民民主党は野党共闘の枠組みから外れて躍進した。維新との連携を強化する国民民主党である。政権与党との明確な対決姿勢を見せず、是々非々の立場をとるというが、政党政治の中にあって、野党は政権与党を目指さなければならない。なぜなら与党にならなければ支持者への公約が実現できないからである。

 日本維新の会と国民民主党は「消滅の歴史」に抗えるのか。それとも自民党の補完勢力で終わるのか。立憲民主党の力不足が日本維新の会と国民民主党の躍進を許したことだけは間違いない。

 

11月22日()

立憲民主党県連と岩手県議会希望いわて合同による市町村の要望ヒァリングに参加。一関市と平泉町を訪問。

 

11月23日()

 石鳥谷町熊野神社新嘗祭に参列