2009年08月
2009年08月31日
小林志保子 展覧会
夏休みの続きでまだ盛岡におります。昨日終わった舞台を反芻しつつ、ちょうど盛岡で開催されているグループ展「多様な表現の中で展」を観に行く。
【多様な表現の中で展】
旧石井県令邸(盛岡市清水町7−51)
019-651-1606
・安藤郁子
・宇田義久
・小林志保子
・近藤克
・さいとうよしとも
近藤克氏はうちのかみさんの大学時代の研究室の先生である。経歴を見ると、20年程前に舟越桂氏と二人展をしたこともあるほどの実力のある方。今回のグループ展は、近藤先生の教え子が会しての展覧会のようである。それにしても素敵な建物。
作品はどれも皆、実力のあるものばかりでしたが、自分が特に気に入ったのは、小林志保子さんの100号の作品(油彩、キャンバス)と、さいとうよしとも氏の映像。特に志保子さんの作品には心を揺り動かされ、涙が出てきそうな程の感動を覚えました。自分の米作りとシンクロしたのかもしれません。制作時間が作品の完成度に比例する訳ではありませんが、それでも一日8時間以上、半年をかけて制作されたそれは、枯れ草の一本一本を慈しんで描いているのが伝わってくるようでした。一枚の風景の中に四季の移ろいという時間軸を、油彩の奥行きと共に見事に描いた一枚だと思います。
【多様な表現の中で展】
旧石井県令邸(盛岡市清水町7−51)
019-651-1606
・安藤郁子
・宇田義久
・小林志保子
・近藤克
・さいとうよしとも
近藤克氏はうちのかみさんの大学時代の研究室の先生である。経歴を見ると、20年程前に舟越桂氏と二人展をしたこともあるほどの実力のある方。今回のグループ展は、近藤先生の教え子が会しての展覧会のようである。それにしても素敵な建物。
作品はどれも皆、実力のあるものばかりでしたが、自分が特に気に入ったのは、小林志保子さんの100号の作品(油彩、キャンバス)と、さいとうよしとも氏の映像。特に志保子さんの作品には心を揺り動かされ、涙が出てきそうな程の感動を覚えました。自分の米作りとシンクロしたのかもしれません。制作時間が作品の完成度に比例する訳ではありませんが、それでも一日8時間以上、半年をかけて制作されたそれは、枯れ草の一本一本を慈しんで描いているのが伝わってくるようでした。一枚の風景の中に四季の移ろいという時間軸を、油彩の奥行きと共に見事に描いた一枚だと思います。
「唇に聴いてみる」公演終了
盛岡での公演、無事3ステージ終了しました。今は秋田に帰ってきてサントラ作りながら舞台のことを反芻しています。
当初、プロデュース公演をするために作られたまめこの会。主催である佐藤八千代ちゃんが楽日のカーテンコールで「次回もいつか、まめこの会で公演したい」という意欲的なお話をしてました。まめこの会がこのままプロデュース演劇集団のまま進むのか、今回集まったうちの何人かを主要メンバーとし、劇団というスタイルで活動していくかは今後の彼女の考え方次第なのですが、何らかの形で、まめこの会が少しずつでも熟成していくことを願っております。
今回の舞台、音については、う〜ん、72点ぐらいかな?及第点はもらえたけど、あまり目新しいことができなかったことと、細かい音の作り込みがいまいちだったことで、良い点はあげられないです。家庭を持ち、子供の世話もしつつ、遠距離で音響する今の状況ではこれが限界なのかもしれません。歳もとってきて、サウンドに対するひらめきのようなものが薄れて来た感覚もあります。自分の劇団ではないので、なかなか自分のやりたいような音ができないというのも閃きが少ない原因の一つかもしれません。当分プロデュース公演や他の劇団の手伝いはやめて、自分の劇団や他のジャンルの公演の音作り、純粋なサウンド制作なんかをしたいと思います。
今回の舞台、ギャラリーの受付から芝居小屋までの間、狭い廊下を通ってもらったんだけど、そこにあるイヤホンに耳を傾けるお客さんが殆どいなかったのが残念でした。七枚の扉と呼応して、7曲のサウンドを作ったのですけどね。作った、という自己満足で終わってしまいました。
いやいや、いつでも挑戦は必要なのだ。常に何か新しいことを試みなければ、お客さんの想像力を超えることなどできないのだ。
当初、プロデュース公演をするために作られたまめこの会。主催である佐藤八千代ちゃんが楽日のカーテンコールで「次回もいつか、まめこの会で公演したい」という意欲的なお話をしてました。まめこの会がこのままプロデュース演劇集団のまま進むのか、今回集まったうちの何人かを主要メンバーとし、劇団というスタイルで活動していくかは今後の彼女の考え方次第なのですが、何らかの形で、まめこの会が少しずつでも熟成していくことを願っております。
今回の舞台、音については、う〜ん、72点ぐらいかな?及第点はもらえたけど、あまり目新しいことができなかったことと、細かい音の作り込みがいまいちだったことで、良い点はあげられないです。家庭を持ち、子供の世話もしつつ、遠距離で音響する今の状況ではこれが限界なのかもしれません。歳もとってきて、サウンドに対するひらめきのようなものが薄れて来た感覚もあります。自分の劇団ではないので、なかなか自分のやりたいような音ができないというのも閃きが少ない原因の一つかもしれません。当分プロデュース公演や他の劇団の手伝いはやめて、自分の劇団や他のジャンルの公演の音作り、純粋なサウンド制作なんかをしたいと思います。
今回の舞台、ギャラリーの受付から芝居小屋までの間、狭い廊下を通ってもらったんだけど、そこにあるイヤホンに耳を傾けるお客さんが殆どいなかったのが残念でした。七枚の扉と呼応して、7曲のサウンドを作ったのですけどね。作った、という自己満足で終わってしまいました。
いやいや、いつでも挑戦は必要なのだ。常に何か新しいことを試みなければ、お客さんの想像力を超えることなどできないのだ。