2月以来の一連の薄煕来騒動を、私がどのように見ているか。これまでのエントリーでも、小出しに言及してきたが、ここでまとめてみたい。そして、この騒動が第18回党大会にどのような影響を与えるか。今の段階での私の見方を紹介したい。
●薄煕来騒動をどうとらえているか
第18回党大会を控え、その人事をめぐり、党中央内で権力闘争が繰り広げられていることは間違いない。それが表面化した1つのケースが、昨年2011年2月の鉄道部党組書記の解任である。そこには胡錦濤グループと江沢民グループの対立が見られた。その後も、いくつものグループがとりわけ中央政治局常務委員、同局委員のポストをめぐって、熾烈な戦いを繰り広げている。
私が考える権力闘争の構図は、胡錦濤グループ、江沢民・曾慶紅グループ、温家宝、石油派、政法派などさまざまなアクターが自らの既得権益を守る、または拡大するために、相互にけん制し合っているというものである。共青団や太子党は、個人の出身母体というか、属性というものであって、決してグループなど形成はしていない。
この薄煕来騒動も、権力闘争の一環ではあるものの、「共青団vs.上海閥」、「共青団vs.太子党」、「胡錦濤vs.江沢民」「胡錦濤vs.習近平」などという単純な二項対立の権力闘争の図式で語ることができない。少なくとも胡錦濤が江沢民や習近平を貶めるために、薄煕来を「切った」のではない、という見方に今も変わりはない。
上記のような二項対立で見ることができない理由は、私が薄煕来と江沢民、薄煕来と習近平がつながっている、関係がいい、と確信できる、またはそう説得される情報を持ち合わせていないからだ。もちろん、関係が悪い、という情報を持っている訳でもない。しかし、2月以降のさまざまな状況、ウワサからは、江沢民も習近平も薄煕来の存在を煙たく思っていた、という見方に説得力があるように思われる。
現在に至って、私の中での最大の疑問は、なぜここまで党中央は薄煕来を追い込まなければならないのかということである。次期総書記は習近平で、それを李克強が支えるという大きな流れは5年前の2007年の第17回党大会ですでに決まっており、そのことは周知の事実である。しかも薄煕来は、所詮、党中央政治局委員で重慶市の党委員会書記にすぎず、第18回党大会での中央政治局常務委員入りを私は無理だと思っていたが、よく見ても入れるかどうかのボーダーライン上にいるぐらいの「小物」に過ぎない。
そんな「小物」である薄煕来を党中央がなぜここまで追い込まなければならないのか。結論から言えば、薄煕来は「小物」ではなかったということである。つまり、党中央が、薄煕来を追い落とさなければならないほどの脅威と認識していたからである。そうでなければ、ここまで追い込む必要はない。それは極めて異常な事態であると考えるのである。それでは、その脅威とは何だったのか。
一言で言えば薄煕来の「野心」である。薄煕来は、中央政治局常務委員になるかならないかのボーダーライン上の器にもかかわらず、次期習近平政権を脅かすような、序列か、ポストを露骨に求めていた、そして胡錦濤政権に対する批判をしていた、と党中央に受けとめられていたものと思われる。その点では、薄煕来が、習近平が総書記と兼務するはずの国家主席のポストを分離し狙っていたとか、権力を振るうことのできる宣伝担当や中央政法委員会書記のポストを狙っていたといったウワサには説得力がある。そのように考えるのは、中央政治局委員である1995年の陳希同北京市党委書記、2006年の陳良宇上海市党委書記が失脚した背景に、薄煕来同様の「野心」があったからである。
次期習近平政権への平和的な移行は、党中央のコンセンサスである。私は最近これを「人事の既得権益」と考えるようになった。つまり、党中央の人事については、習近平政権の人事では既存のグループがバランスをとって、ある程度満足を得ることでコンセンサスがとれており、具体的な配置や人選で闘争があるというイメージである。しかし、薄煕来の「野心」は、「人事の既得権益」に水を差すもので、これから述べるとおり、薄煕来のこれまでの活動実績は、大衆の間で一定の支持を受けており、党中央、とりわけ「人事の既得権益」受益者にとっては、大きな脅威と映ったのだろう。胡錦濤も習近平も江沢民も受益者なのであり、少なくとも薄煕来を失脚させることについては一致していたと考える。
時の政権は脅威に敏感である。薄煕来が提唱した「重慶モデル」も、胡錦濤政権にとっては脅威と映っただろう。鄧小平時代の改革・開放、江沢民時代の市場経済化の負の遺産、例えば経済格差や腐敗に取り組むことがこの10年間の胡錦濤政権の課題だった。そして、胡錦濤政権は、「科学的発展観」、「調和社会」といったスローガンを掲げたのである。「重慶モデル」も表面上は胡錦濤政権の方針となんら変わるものではない。もちろん、薄煕来が失脚した今では、「重慶モデル」は、財政赤字の問題や大企業からの利益の強奪といった強引な手法が批判されている。胡錦濤政権にとっては、この「重慶モデル」が脅威に映った。つまり、科学的発展観や調和社会を「何の成果も上げていない」「改革が進んでいない」と右派や新「左」派から批判される中で、「重慶モデル」の成功が宣伝されることは、薄煕来が胡錦濤政権の政策を批判していると映ってもおかしくない。それは、陳希同や陳良宇が党中央の経済引き締め政策を批判したのと同じである。
しかし、2月までは「重慶モデル」は重慶市民をはじめ、他の地方で称賛されることはあっても、表だって批判されてはいなかったように思われる。そのことを考えると、先に「野心」ありきである。地方の財政赤字の問題は今ではどこの地方にも大なり小なりある。もし「野心」がなければ、「重慶モデル」批判が表沙汰になることはなかったかもしれない。
「打黒(社会)」(裏社会取り締まり)も同じである。「打黒」はいいことだし、その成果は、概ね重慶市民に好意的に受け取られていた。冤罪などそのやり方の問題が言われているが、私の理解では、そのような取り締まりは他の地方でもあるはずで重慶だけ特別だとは思わないし、人権問題を含めれば国家レベルでも起きていると言えなくもない。「唱紅歌」(革命歌を唱うこと)も、2011年7月の中国共産党創立90周年をピークに全国的に盛り上がっていたことは確かである。
もちろん、胡錦濤や温家宝、李克強が薄煕来の重慶市を一度も訪問していないという事実や、2011年に重慶市主催の北京市での「唱紅歌」イベントで、胡錦濤らが国家施設の利用や国家指導者の出席を認めなかったなどのウワサもあるため、個々に薄煕来を嫌いだったことは間違いないだろう。しかし、そのことを即薄煕来失脚の原因とするには、事態が軽すぎるし、後付けに過ぎないように思われる。
また、3月14日の全人代での温家宝の「文革」発言だが、その時は薄煕来の問題との関連は分からなかったが、今となっては関連での発言だったのだろう。これは上記に挙げたような薄煕来の施策、そしてその手法が「文革」的だという批判である。薄煕来が次期党大会で党中央政治局常務委員にって、メディアや公安分野で重慶での「文革」的なやり方が全国規模で展開されては国家が不安定になるという脅威が党中央内あったことも考えられる。
この「文革」批判については、文革を同時代的に生きていない私には正直理解しづらい点もある。しかし、文革を経験している中国人には、薄煕来のやっていることは、当初より即「文革」と映っていたそうだ。だとしたら、どうしてもっと早くから薄煕来の施策を「文革」的と批判しなかったのだろうか。だからこそ温家宝を含め、今頃になって「文革」的、と批判するのは後付けにすら思えるのである。そして、温家宝の発言以後、マスコミや知識人の間では思ったほど「文革」批判が展開しなかったように思われる。だとすれば、温家宝の「文革」発言は、いつもの彼特有のパフォーマンス、暴言にすぎず、他の指導者の支持を得ているものではないようにすら思える。つまり、党中央指導者の間では薄煕来を失脚させることにはコンセンサスはとれていたが、具体的な処分などそれ以外のことは権力闘争まっしぐらの中ではコンセンサスがとれていなかったのではないか。温家宝の「文革」発言は浮いているし、他の多くの指導者は「胡錦濤同志を総書記とする党中央と高度な一致」と言わない。ただしこのことが、薄煕来騒動を権力闘争の二項対立と見る証拠になるとは思わない。むしろ、権力闘争はバラバラに展開しているのである。
しかし、いくら薄煕来に「野心」があったからといって、党中央がそもそも薄煕来を失脚させようと企んでいたかどうかは分からない。「野心」があるから、早くから失脚を目論んでいたがチャンスがなかっただけなのかもしれないし、第18回党大会の人事調整で中央政治局常務委員に抜擢しなければいいだけと考えていたかもしれない。いずれにしても、このタイミングで失脚したことは、単なる偶然で、王立軍事件(在成都米国総領事館駆け込み事件のこと)が発生したことで、党中央はこれを絶好のチャンスととらえ、薄煕来失脚を実行したからに過ぎない。王立軍事件がなければ、今薄煕来騒動は起こっていなかっただろう。