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2004年11月18日

「一つの花」を大事にしていきたいと思った

 1日、みっちり授業した。

 国語「一つの花」は、戦争に行く父を見送る場面での登場人物の心情を考える時間だった。

 戦争に出かけるのに、万歳をしたり、大勢の人が見送りに来ているのはなぜか、という子供から出た疑問を考えるところから授業はスタート。死ぬかも知れないのに、万歳で見送られるのは納得がいかない子供たちに、またしても当時の時代背景を説明した上で、当時の人々の心情を考える。
「口では万歳と言っても、内心では行きたくないという気持ちがあるのではないか。」
「こわい気持ちをふりはらうために万歳というのではないか」
といった発言が出る。

 最初に見せたデジタルコンテンツの効果か、戦地や銃後の生活が死と隣り合わせだったことは充分感じているの様子で、それを前提とした話し合いになっていることを感じる。


「ゆみ子父は、家族と離れたくないという思いが強いから、小さな声でしか万歳を言わないのではないか」という発言から、プラットホームのはしに、3人で別れを惜しんでいるゆみ子家族の心情に話題が進む。

 ここで、公開授業で話題になった「プラットホームの画像」を、再度提示し、はしというのはどの辺だったのか、なぜ、そんなはしにいたのかについて考えを話し合う。
 そして、さらに、そのすみにあるゴミ箱の横にひっそり咲くコスモスを、父が一輪だけゆみ子に与えたことから、「なぜコスモスを一輪だけ」渡したのかが問題となる。

・別れ際に、ゆみ子の泣き顔を見たくなかったという思いがあった。
・コスモスはたくさんの花を付けるのに、その中から、一つだけのコスモスを選んだのはどうしてだろう?
・渡した一輪のコスモスは、一番色がきれいで元気なコスモスで、それを渡すことで、ゆみ子にも元気になってほしかった。

といった、発言が続いた後、

・ホームの片隅に、それもごみ箱の近くにあるということは、とても一生懸命咲いているということだから、ゆみ子にもコスモスのように一生懸命生きてほしいという願いがこめられている。
・そういうお父さんのゆみ子に対する、強い思いがあると思う。
・もう会えないかもしれないゆみ子の笑い顔を見て、お父さんは、家族と離れるのはいやなんだけど、最後にその笑い顔を覚えて戦争に行けてよかったと思う。

という発言につながっていった。ちゃんと、叙述に即して読み解いていくと、子供たちはちゃんと、物語の情感を読み取るのだということを、恥ずかしながら国語の授業で初めて実感した。感動した。

「一つの花」はこれまで、苦手な教材だったけど、これからはとても大事にしていきたいと思った。


 6限総合は、少し調べた後、これまでの学習を整理して自己評価。資料を使っての調べはかなり進み、さまざまな工夫が世の中でされていることにかなり気付いてきた。しかし、それらが自分たちのくらしとの結びつきについては、まだあまり目が向いていない。もう一つ、体験もしくは、生の声が必要な感じ。


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この記事へのコメント

1. Posted by Gorotsuky   2004年11月21日 10:34
「一つの花」つい懐かしくて,コメントさせて頂きました。今は中学校の現場にいますが,かつて講師時代に小学校でこの単元を教えたことがありました。まだ残っていたのですね。「ごんぎつね」など良い作品が多かった記憶があります。つまらないコメントで,申し訳ありません。
2. Posted by Sasa   2004年11月22日 19:13
コメントいただきありがとうございます。
とてもうれしいです。

最近は、昔から残る教材が必須でなくなったり
(別の物語と選択して扱うようになっている)、
なくなったり(「石うすの歌」)しています。


時代の流れとはいえ、名文に触れる機会が減るのは
残念な限りです。
3. Posted by Gorotsuky   2004年11月22日 23:47
そうですね、教師はその単元に長くふれているから、良さが解ってるし、だからこそ愛着も沸いてくる。けっして昔が良いとかというんじゃないんですけどね。でも、そんな感じとりかたの年齢になっちゃったのかな(笑)っていう気がしないでもないですけどね。でも、良いものは良いです。

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