October 18, 2005

El nuevo diario

日本に帰国して、約2週間が経とうとしています。
メキシコという遠い国にいる間、どうしているかなと気にかけてくださる大切な人達のために、自分のことを伝えたい。
そういう思いから日記を書き続けてきました。

もう、書くのをやめようかなと思ったけれど、今、メキシコにいた時と同じくらい、私にとってはいろいろなことが起こっていることを自覚した結果、また、拙い思いを、文字に乗っけることにしました。

日本語が読めない私の大切な友達、そして日本にいる私の大切な人達へ☆

気が向いたら遊びにいらしてください☆

Hola,yo cambie del lugar de mi diario. Mi diario va a mudarse!
Constantemente voy a escribir en esonyol y japones.
Cuando tengan tiempo espero que lo visiten!

Saludos,
Hitomi

http://blog.livedoor.jp/jitomi/  
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October 03, 2005

別れ 

10月3日

今、テキサスのダラスに来ています。
ここで一泊して、成田に、5日の午後に帰ります。

ここ数週間、色々なことがめまぐるしくものすごいスピードで通り過ぎていった。
別れを直視するのがあまりに怖くて、なるべく考えずに、なるべく笑って過ごしました。
メキシコでの滞在は、最初の半年間は自分としては相当しんどく、その時色々苦しんだことで、かえってたくさんの大切なことに、気づかせてもらえた。
帰国前、本当にたくさんの友達が私に会おうとしてくれた。
全然友達ができなくて、できたと思っても信頼することが難しくて、だからこそ、たくさんの時間を使ってやっと築き上げてきた本当に心の底から信頼し、一緒にいることを心から悦べる人たち。
私にとって、彼らの存在はあまりに特別すぎて、私には贅沢すぎて、大きすぎて、それなのに私をみんな惜しみなく愛してくれた。

別れの朝、私は最後に会いたい人たちと、贅沢にも一緒にいさせてもらって、でも自分がメキシコからいなくなることが全く実感できず、本当にいつものように、たくさんの笑顔で、またねと言って別れました。
泣き虫の自分が、簡単に涙を流さないのが、自分でもびっくりだった。
それくらい、今の私には自分がメキシコで暮らしているということがあまりに自然すぎ、そこから居なくなることが実感できなかったんだと思う。

今一人になって、そうか、もうメキシコは私から物理的にとても遠い国に再びなろうとしているんだなと実感する。
テキサスはメキシコからの移民も多く、スペイン語が比較的通じるし、テレビでもスペイン語の番組がまだやっているから、そんなに距離感は感じないけれど、今まで当たり前にあったたくさんの風景が、もう自分の手の届くところにないことが、とても痛い。

メールを打てばすぐに返してくれた友達が、なんだか遠いところにいってしまった。たくさん抱きしめてくれた人たちに、私は会いたい時に会える場所にいない。

あんなに素敵な人たちに、私はたくさん愛されて、本当に幸せでした。

本当に大切な人とは、地球のどこにいても、必ずまた会える。
だから今は、また一人になってしまったけど、自分が生まれ育った国、日本にまた、少しわくわくしながら帰ろうと思います。

連絡先等、出発前と一切変わっていないので、気が向いたら、また連絡を下さい。

今まで、私の拙いたくさんの思いを、一緒に感じてくださった人たちに、たくさんたくさん、たくさんたくさんありがとうを込めて。


  
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September 29, 2005

私のお気に入り

7c36e6f7.今日で、6月から続けてきたCRITという障害を持つ子供たちのためのリハビリテーション施設でのボランティアが終わりました。
そして偶然にも、今日はグアダラハラにこの施設ができてちょうど5周年の日。
5歳の誕生日を迎える、とても大切な日に、私は幸せなことに最後のボランティアに行くことができました。

いつの間にか私のお気に入りとなったこの場所について、今更ながら書いておくと、もともと南米チリで始まった運動がメキシコにも波及してできたのが起源。
毎年12月に24時間にわたって各地で大々的に行われる募金を集める運動を通し資金を集め、今現在メキシコ国内に6ヶ所の施設があります。
目標は、各州に一つのCRIT(Centro de Rihabilitacion infantil de teletonの略)をつくること。
対象となるのは肢体、知的等の障害を持つ子供たち(赤ちゃんから18歳くらいまで)でダウン症等は含まれていません。
施設内は主に2のエリアに分かれ、子供たちがリハビリテーションに向けて医療的な助けを受けるエリアが一つ、もう一つは心理学的な助けを受けるエリアが一つです。

8月にNYに行ったときも、障害者の権利条約の会議の期間中、メキシコ政府が主催してCRITの活動を紹介するイベントもありました。
その時私は、実はCRITでボランティアをしているんですと、たくさんの人とお話できたのを覚えています。

私が素敵だなと思ったのは、これらの施設がさきがけとなって、現在メキシコ国内にある他の障害を持つ人への関心が大きく生まれ、彼らを対象とした施設等が出来始めたこと。
テーマが、「子供たちがリハビリテーションの旅に出かける」ことなので、内装も子供が親しみやすいよう、本当に工夫がなされていました。
そして何より、とても素敵な居心地の良い空間を、スタッフ等が作り上げていた。
育児のストレス等で大変であろう親御さんたちが、気持ちよく過ごせる、そして前向きに子供たちに向かい合う手助けをしている場所でした。
不思議だけれど、本当に明るくて、全くしめっぽさがなく、みんなが微笑んでいられる、そういう場所。
そして私は、親御さんたちが心理カウンセラーと面談をしている間に子供を預かるお部屋で、子供たちのお世話を担当してきました。


日本人であり、スペイン語もままならなかった私を、本当に温かく、包み込んでくれた場所。
たくさんの大切なスタッフに温かく迎えられ、私は大切なことを本当にたくさんたくさん教えてもらった。
そして自分のこれからの理想像を、抱かせてくれた場所でした。
だからお別れの時は、やっぱり涙が出てしまった。

私がささやかながら作った千羽鶴に込めた思いが、いつか届きますように☆

  
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September 20, 2005

私の中の日本

b18f0c41.jpg9月19日

先日、メキシコ人の友達と「ラストサムライ」を見ていた時のこと。
映画が終わって何だか冴えない顔をしている私を見て、友達が心配そうに尋ねる。
「ヒトミ、映画あんまり好きじゃなかった?日本人の描き方とか、おかしい所でもあった?」
「ううん逆だよ。私は、とってもよく日本の過渡期の頃のこと、描けていると思った。でもね。」

私がしっくりこなかったのは、日本人である自分が、あの映画を見るまで、過去に自分が生まれる前の時代に日本で起きていたことを、まるで他人事のようにしか知らなかったことに、はっとしたからだった。
一つの時代が終わり、それまで生活を支配していた価値観がガラッと変わったあの時代。
「私は教科書でしか知らない時代のことだけど、サムライの時代が終わって、日本がその大変化を経験した日本人の中には、きっとあの映画みたいな葛藤が本当にたくさんあったんだと思うの。でも悔しいのは、アメリカの映画に、それをうまく描かれていることなの。どうして日本人の手で、これを描けなかったのかなって。」

こちらに来てしばらく経ってから、今までいた日本を、遠くから眺めるチャンスをもらいました。
たくさんのメキシコ人が持つ、サムライへのイメージ。
私は日本人=サムライがいた国から来た人。
よって、自分のことのように、サムライの説明をせねばならない。

この小さな頭で私が感じるのは、彼らが生きた時代は今私が生きる時代と比べて、はるかに生と死がまわりに溢れていて、その緊張感の中でとても日本人が潔かった時代だったのかなって。
今の感覚からすれば、簡単に人の命が奪われたし、映画にもあったように、女性が表舞台に立つことはほとんどなく、全く違う世界に見えるけれども、己の誇りを、ずっと各々が大切にしていた時代に映る。
そういう時代を経て、その後に自分がいるのだと思うと、とても不思議で。
自分の精神的な軟弱さが恥ずかしくなる。


また別の日、Diferencias Culturares(経営やマーケティングの視点において、文化の差異がどう関わるかについての授業)の中で、日本とメキシコに関するプレゼンをした。プレゼンの後、先生からの質問。
私が話の中で、日本人の自殺率が世界一だと言われていることに触れたことに関して。
「ヒトミ、日本ではハラキリとかカミカゼっていうものがあったよね。それって、今の日本人が自殺することと、関係があると思う?」

先生は、かつて日本人が経験した2つの死の形に、日本人が抱くある種の死への美意識を感じたらしい。
まず、混同されていたので説明をする。
「ハラキリ、切腹というのは、サムライの時代の話です。切腹には名誉の死という意味合いがありました。作家の三島由紀夫が割腹自殺をしたのは、その時代にしては異例のことでした。そしてカミカゼは、大戦中にアメリカや他国のように十分な兵力を持たなかった日本が選択した、一つの攻撃の形でした。人命を犠牲にしてまで攻撃せざるを得なかったのです。そして現代の自殺は、過度の仕事やストレス、経済的問題、心の問題を多く抱えているからだと言われています。」

ただもしかすると、自らの命を絶つということに対して日本人が抱く感情は、先生の思う通りどこか特別なものがあるのかもしれないなとも説明していて思った。
ただ私には、現代の日本であまりに簡単に死が語られる状況と、サムライの時代や戦時中に命を自ら絶たねばならなかった状況とを一緒にすることがためらわれた。
何だか命の重さがあまりに違いすぎる気がしたから。


話を戻すと、映画の後、友達が私の話に共感して言った。
「メキシコにも、ピラミッドや、先住民のたくさんの豊かな文化があるのに、大抵その研究をするのはアメリカとか他の国なの。それを見るたび、私も悔しいなって思っていたの。」

日本を離れてかえって日本のことが違う視点で見られるように、当事者より第三者の方がより客観的に物事を眺められるというのはあると思う。でもそこに浮かぶ感情は、やはり少し屈辱に近いというのもよく分かる。

現時点の未熟な私の夢。
どうして日本はこうなんだろう。
メキシコが私に気づかせてくれた、そして私の中に生まれた新しい自分の国の像を、これから温めていから、幸せだと思う。

あともう少し、心を裸にしたままで、どんなことを感じていけるだろう。



  
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September 10, 2005

PADDLE

41ac9ed0.jpg9月9日

雨期のグアダラハラ。
日本の梅雨のように雨が比較的まとまって降るけれど、ほぼ毎日決まった時間に、バケツをひっくり返したような雨が、短時間続く季節。
夕方から降り出した雨が全く止む気配を見せずに、授業の後クラスの友達と雨宿りをしていた。

廊下の隅で、とてもよくしてくれる仲間と外を眺めながら座っていた。
出会ってまもないし、ひどいスペイン語を話す私を、本当に温かく囲ってくれる人たち。
私の友達は、本当に明るくて、心がとても健全で、飾らず素朴で、人間としてとても素敵です。

みんなには上手く伝えられていないけれど、私は今、ああして他愛のない時間を素敵な人たちと一緒に過ごせること、それが何にも換えがたく大切でたまりません。
どうして私の傍にいてくれるの?
とても幸せで、ただ一緒にいられることそれだけで、幸せの涙が流れる。

そして先日、私がメキシコに来て初めて授業を受け持ってもらった先生Rosaが言った。
彼女は、私のたくさんの浮き沈みを近くで見守ってくれて、よく泣くことを許してくれた人。
「あと残された時間が3週間ちょっとなの」
「ヒトミ。日本のご両親たちに会うまで、あと3週間なのね。でもあと3週間も、私たちとここで過ごせるわ」
 
―時々誰かが僕の人生を操ってるうな気がする
 誰に感謝していいのかは分からないけれど
 僕は今日も生きている まだもう少し君を愛していれる

今の私は、うまく自分や周りのことを整理しきれずに、ただ感じることで精一杯だけれど、まだもう少し、とても大切な人たちの傍にいられる。
目の前で彼らの息遣いを感じることを許されている。

別れが近づくから、明日がくるのが怖いけど、みんなの素敵な表情をもっと見られると思うと、明日が少し、楽しみになるのかな。

写真は、Relaciones publicas y comunicacion (Public relations and communication)というクラスで、毎回たくさん動きのある作業でいっぱいの3時間より。
お花は、先生の遊び心で授業の最後にクラスメイトの男の子の誰かが贈ってくれました。
「女の子は全員目をつぶるように」との指令だったため、誰が贈ってくれたのかは謎のまま。こんな遊び心も、メキシコならではです☆  
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September 06, 2005

9月

eaded9ec.jpg9月5日

9月のグアダラハラは、何だか今まで以上にとても美しく映る。
16日の独立記念日に向け、町中がメキシコの国旗グッズでいっぱい。
個人的にメキシコの国旗が好きな私には、とても嬉しい光景。

大学での授業が始まって、たくさんの出会いや宿題に囲まれ、時間がどんどん経っていく。
限られた時間、できるだけ、辛い時に一緒にいてくれた大切な人たちと過ごしたい。
どうしてもっと長く居られないの?
何でもっと早く知り合えなかったんだろう?
いつまた、ここに戻ってくる?
問われる度に、胸が痛い。
私が生まれ育った国は日本であり、家族も友達も、大切な人たちをたくさん日本残してきた。
でも数ヶ月、一生懸命同化しようともがいたグアダラハラは、いつの間にか、
町のあらゆる場所に色々な思いが宿った町となり、私を温かく迎えてくれるたくさんの人たちの住む唯一無二の空間となった。

さよならを言うには、自分という存在を再びハサミで切り取ってしまうには、今の私にはあまりにこたえる。
出発前の一ヶ月、大荒れだった頃のごとく、何だか落ち着かなくてそわそわする。
再び訪れる環境の変化が、少し怖い。
大切な人たちと離れることが、そして日本語で再び体が満ちていくことが怖いです。


だからこそ、今がこんなにも大切で美しい。
体全部で色々なものに染まりながら、でも自分を見失わずにいたい。

そして今日も、そわそわと一人闘う夜。
写真は、メキシコ料理には欠かせないチリ、唐辛子のグッズたち。
いわゆる、メキシコ、という感じでとてもかわいい☆

The picture shows the goods of peppers for the independent day in Mexico.
Now the streets are full of small shops for these kind of stuffs and they are so cute ☆

La foto muestra las cosas de chiles para el dia de independencia en Mexico.Ahorita las calles estan llenas de las tienditas para esas cosas y me da mucho gusto verlas ☆

  
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August 27, 2005

光の射す方へ

482bae26.jpg8月26日

プールの、跳びこみ台の上。
台から思い切って足を離したら、冷たい水に体をうずめられるのが分かっているのに、どうしてもその一動作が出来ない。恐れの感情が、支配する。
ただ、力を抜いて体を投げ出すだけなのに、どうしてそれができないんだろう。
もういいや、考えるのやめて、いっちゃえ。

日々の中でたくさんの新しいことに出会うとき、いつも似たような小さな闘いが、自分の中で起きている。

大学で、メキシコ人の学生と一緒に授業を受けてみたい。
メキシコに来てから、私のひそかな夢でした。

着いたばかりの頃は、日常で人が自分に何を言っているのかも理解できないのに、授業なんて恐れ多くて無理かなって思っていた。
私が身を置いてきたのは、大学の中でも特に外国人留学生が集められるセクション。
そこである時間を過ごし、メキシコ人の日常と、自分が交われる限りは必死に交わってきて、8月になった。

今、描いてきた夢が叶い始めている。大きな大きな大学のキャンパスで。

初めて教室に入って行ったとき、「この子何人だろう?」という目がどっと自分に向いた。
にこっと笑顔でいよう。小心者だから、外見は平然としているつもりでも、本当はその場から逃げたくて仕方ない。
授業が始まる。先生の温かいはからいで、「この子何人?」が、「日本から来たんだ。珍しい!どんな子だろう」に、みんなの考えが変わっていく。
自分に投げかけられる視線が、すごく優しくなった。

たくさん、たくさんスペイン語を浴びた。
母国語と違って、まだ私には何となく聞いていたら全く意味が頭の中で成されない言葉たち。五感全部でスペイン語を浴びていた2時間だった。
先生はとてもフォローして下さるし、初対面の私に、信じられないくらい学生は温かい。
力が抜けて教室を出たら、待ち伏せしてくれている子たちがいた。
「自己紹介するね。何かあったら何でも言ってね」
うれしかった。ごめんなさい。みんなの名前、実は私には一度で覚えられないくらい難しいんだけど、だから失礼なことに何度も繰り返し聞いちゃうだろうけど、でもとにかくうれしい。ありがとう、ありがとう。

あんなに一人で苦しかった時間が、今は人と会うので足りないくらいの大切な時間になり、
他人の顔をしていた町が、大好きな人たちの生の場に見え、
ここに家族がいない自分には居場所のなかった「家族の日曜日」が、大切な人たちと時間を過ごす日に変わった。

異物だったスペイン語は、大切な人たちと言葉を紡ぐ大切な共通の道具になった。
まだ私の体には染み込みきれていないけど、日本語の次に、大切な言葉になった。
相手の話していることが理解できないのが申し訳なくて人に会うのに臆病だったのに、言葉を、たくさん浴びたいと思うようになった。
大切な人たちが思っていることが分かりたい。そして自分のことを伝えたい。

どうして今になって、こんなに物事がうまくまわり出すんだろう。
どうして今が、こんなにきれいでいとおしいんだろう。
でも、外国に住んで暮らすことって、こういうものなのだろうか。
それだけ、生きている物を相手にするだけ、時間がかかって当然なのかもしれない。

これからの数週間、また新しいものとの出会いだらけで、正直なんだかぞくぞくする。
恐れと不安と期待と、今を悦ぶ気持ち。
今は惹かれるままに、進んでみようと思います。

写真は、最近本当に仲が良くてたまらない、Yuriria。通称Yuri。
とっても可愛らしいけれど、20歳にして、実はきちんと家庭を切り盛りするしっかりものの人妻です☆  
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August 26, 2005

Golbol

0a00eab8.jpg8月25日

「Hitomi。視覚障害を持つ人たちのサッカー、見に行ってみない?きっと君は気に入ると思うんだ。」

知り合いを通じて紹介していただいて以来、ずっとずっとよくしていただいているサッカーリーグCordicaの事務所。メキシコは、日本と違って個人所有のサッカーリーグがたくさん存在し、その各リーグにチームが加盟して、試合を組んでいる仕組みになっている。

DirectorのPepeさんは、500ものサッカーチームが加盟する、メキシコでも恐らく最も力のあるリーグCordicaを、築きあげた人。
でも昔から周りで機会に恵まれない人を助けずにはいられず、ダウン症の子供たちの学校や、市民病院、視覚障害を持つ人たち、金銭的に恵まれない子供たち、その他たくさんの人たちと関わり続けてきた。人間として懐が本当に深い人で、一緒にいて、教えてもらうことが本当に多い。
メキシコ人だからとか、日本人だからとか、そういう国籍を超えて、人として、心から尊敬できる、そういう人。
私に、私しかできない笑顔がどれだけ大切かを、教えてくれた人でもある。

そのPepeさんが、忙しい時間の合間に、私に声をかけてくださったのが、視覚障害を持つ人たちのサッカー。
どうやって、サッカーをするんだろう。あんなに広いグラウンドで、あんなにたくさんの空間を使って展開されるサッカーというスポーツを、視覚抜きにやったらどうなるんだろう。全然想像がつかなかった。

メキシコでは、彼らのサッカーをGolbol(ゴルボル)と言う。3人対3人編成で、音が出て通常のボールより重いものを地面を転がして使う。
視覚障害といっても、全盲の人から光の陰影が分かる人まで様々であるため、ハンディがないように、少しでも見える人は目をかくして行う。
相手に向かってボールを投げ、転がし、それが相手側の人たちに止めてしまわれたら失敗。うまく合間をぬえばゴールになる。

ボール拾いをさせてもらいながら、私は目を閉じてみた。
ボールがこちらに向かってくる音がする。でも、自分に近づくにつれ音が大きくなる程度にしか、ボールの位置を認知できなかった。
自分がいつもどれだけ視覚に頼って物事を認知しているのか、よく分かる。

後で聞いた話。
視覚障害を持っている人たちは、視覚に頼らない分、聴覚をたくさん使って外界を認知する。でもだからといって、私たち視覚に障害を持たない人たちよりも、聴覚が優れているとか、そういうことではないんだって。
彼らは、ただ、聴覚を100パーセント使えるだけ使っている。
私たちは、視覚に大部分を頼るから、聴覚がもつ100パーセントの力を、使いきっていないだけなのだと。

人間の体って、本当に不思議。

  
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August 23, 2005

リレー

8月22日

私がメキシコにいるうちで、悲しい気持ちで見送らなければいけない最後の友達が、先日帰国していきました。
共通言語はスペイン語だったけど、あんなにも一緒に過ごせたことが嬉しくてたまらなかった、アメリカ人の学生、Samuel。
メキシコを私が離れていたために、実質数週間しか同じ屋根の下にはいなかったけれど、本当に色々な話をして、たくさん笑った時間だった。
出会えたことが、とても幸せだった。

メキシコでは夏休みが終わって、学校が新学期ムードに包まれている。
新しい学生が私の家にも到着して、前通っていた学校へも留学生もたくさんやってきた。
これから数週間、数ヶ月、1年ここでの生活をスタートさせる人たち。
私はといえば、ここにいられる時間はそう長くはなくなってきたけれど、
大学で授業を聴講生として受けることが決まり、また新しい場所で、新生活がスタートする。

そして、メキシコ料理を学ぶ毎日★

たくさん悩んで歩いた道が、メキシコに来てから山のようにあった。
辛いときは、本当にあった。
でも、今は、悲しくない。孤独感も感じない。
毎日、とても、元気。
大好きな人に囲まれて、大好きな空気に囲まれて。
好きなことが、自分の中にあって。

日本に帰ってから、やりたいことがたくさんある。
でもまだ、ここでやり残した事もたくさんある。

私、この数ヶ月で、ちっとも変わっていないし、たくさん進んだ周りの、
日本や、違う国でがんばっている人たちに比べたらちっとも前に進めていないかもしれません。

でも、胸を張って、みんなにまた会うことができる自分でありますように。  
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August 13, 2005

機会

8月12日

今日で、約2週間の国連における障害者の権利条約の特別会議が終わりました。
「私たちのことを、私たち抜きに決めないで」
この思いから、各国の政府代表団に加えて世界各地の障害者団体の人々が、一つの条約をつくるに当たって、委員会に積極的に参加していた。

学生の私は、本当に不勉強で、世界各地からの専門家の方々の中でただただ圧倒され続けた2週間。
これまで、条約って、出来上がった、文章になった形でしか目にする事はなく、どのような過程を経て一つの条約が出来ていくのか、全く想像もつかなかった。
たくさんの専門家の方たちが、議論に議論を重ね、各国の見解に耳を傾けて言葉を慎重に討議しながら、本当に少しずつ、形ができていく。
毎日計6時間の会議場での議論の他に、NGOによるサイドイベントが行われたり、地域ごとの会議があったり、各条項ごとに設けられたファシリテーターによる会議もあったり。
世界中からやってきた障害者の方々の発言もあって、ああやって一つの場所に、色々な思いを抱えて運動を行っている人達が一堂に会することに、ただただ驚いて、圧倒されていた。

これから更に議論が重ねられて、条約として実を結ぶにはまだ時間がかかるようだけれど、条約って、あんなにたくさんの人達の膨大な尽力で成り立っている、生き物なんだなというのが率直な感想でした。

私は、この2週間の間に、たくさんの、各分野で世界で活躍していらっしゃる大人の人達に囲まれ、ただただたじろぎ、自分には何ができるだろうかと問うばかりだった。でもNYに来て、そういう場所に身を置かせていただいた中で、自分が進んでいきたい方向性が、実は少し見えてきました。
これは、日本を離れて自分なりに考え続けた末の、実は一つの大きな変化でした。
だから、とても、とてもうれしかった。

学生の私にこんなに素晴らしい機会を与えて下さった大学の先生に、私はどう感謝していいのか分らないくらいの気持ちでいっぱいになる。
「若いうちにこういう世界を見た事が、どういう風につながるのか楽しみだね」
直接的に何かにつながらなくとも、いつか何十年後かに、巡り巡って、きっとまたここにいられたことを心から感謝する日が来る気がするし、そういう自分でいたいと思う。

長い時間をかけてたくさんの人の思いで一つの物をつくりあげる。それがこれから続いていくにしろ、一つの区切りを迎える。
その時の高揚感を、感じて止まない夜。

またメキシコに帰ります。帰国まであと1ヶ月半。
  
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August 01, 2005

7月31日

ニューヨークより。

久しぶりに体がびっくりしている。
約7ヶ月ぶりに降り立った、アメリカ、ダラスの空港。
7ヶ月前、スペイン語はもちろんのこと英語もあまり話せぬ状態のまま、これから始まる留学生活へ向かうべく降り立ったのが、ダラスだった。
アメリカ人は多いし、表示も全部英語だし、マクドナルドでやっとの思いでハンバーガーを一つ頼んでお腹を満たしたのを覚えている。

その場所へ、再び。

今年メキシコに来てから、海外に旅行するのがすごく恐くなってしまった。
言葉の違いと、目や耳から入ってくる情報が自分の思うように処理できなくて自分が閉ざされた空間にいるように感じるからだと思う。
メキシコも海外だけれど、「住んでいる」感覚があるから全然体が無理な反応はしない。
スペイン語で満ちていた空間が早速恋しい。入国管理の人とも英語が通じずスペイン語で話してもらった。

緊張状態の今日、私の気持ちを和らげてくれた出来事が2つある。
1つは、メキシコの家に今同居しているトロントからの留学生サムエル。彼はアメリカ人だけれどカナダの大学に通っていて中国人の彼女がいる20歳。
私がNYに行くことを知ってから、時々英語の相手をしてくれていた。
そして今朝5時すぎに起きたら、私より先に洗面所で歯を磨くサムエルの姿。
「何してるの?もしや私とNYに行くつもり?」
「笑。お別れを言うために早起きしたんだ。」
こんな早朝に、お別れを言うために一緒に早起きをしてくれたことが私は本当に本当に嬉しかった。眠気を覚ますために、ドラムをたたく練習を始めた音が壁ごしに聞こえてきたとき、こんなに暖かい人がいるんだなって、他の人の気持ちが、こんなに体に響くことがあるんだなってびっくりしてたまらなかった。

その後グアダラハラの空港で。
2週間程前に友達と映画を観た帰り、お気に入りのクレープ屋さんで知り合ったカナダ人の学生がいた。ベルギー系カナダ人の彼は、7年前大阪で1年程勉強していたこともある医学生で、7月にグアダラハラへ留学しにやって来た。
その時は会話を交わした程度で名前すら知らなかったけど、何とダラス行きの飛行機が一緒だった。搭乗口で姿を見かけて駆け寄った。これからモントリオールに帰るのだという。
何たる偶然。
ダラスの空港で戸惑う私に色々説明してくれて、お互いの出発時間までご飯を食べながら過ごした。
12月に東京を訪れるという彼。再会を約束した。
今日会っていなかったら、きっと二度と会うことはなかったと思う。

人の優しい気持ちに助けられ、人との出会いの不思議さに魅せられた今日。
そしてやってきたNYは、ネオンがまぶしくてとにかく大きな街で、都会育ちのはずの自分がすっかりひよっています。
明日からどんなことが体中をめぐるんだろう。今日はゆっくり休みます☆  
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July 30, 2005

歩み

aef38bc3.jpg7月29日

前の学期が終わってから、少しスピードを落として、ゆっくり休む時間を作ったり、でも人と会うことには体を向けて過ごしている。
自分で自分の殻を少しだけ破る勇気を出したら、想像していた以上に広い世界が広がっていたのに今になって気づいて、これまでうまく使えなかった時間を一生懸命埋め合わせるかのように、人と会う時間を大切にするようになった。
今は、友達と、他愛のない会話や少し入り組んだ会話を、伝えよう伝えようとすること、している時間が何より大切になりました。
新しくまたうまく話せるようになった日は、興奮して夜眠れなかったりする。

ずっと半年抱えてきた一人であることの孤独感が、やっと少し薄れて、それだけに支配されずに生活する術が身についたのかもしれない。
半年もかかりました。今はメキシコにいられることが、とてもいとおしく、感謝の気持ちでいっぱいになる。
きらきらしていて、時々直視することがためらわれるほどまぶしい時間と出会いの連続で。

そして今週末から、ニューヨークに行ってきます。
とても幸運なことに、国連の障害者の権利条約の特別委員会を傍聴させていただける機会に恵まれました。
忘れ去った英語がとっても不安、そして大都会に身をおくことがちょっと心細いけれど、ラテンアメリカからの参加者の方にスペイン語でお話を伺うこと、それがこれからの2週間のささやかな私の目標です。

この旅のため、日本に帰国する友人達との別れが早まり、久しぶりにとっても感傷的な気分にもなりました。
なるべく日本語を使うことは避けてきたけど、時にはやはり母国語を話すことが息抜きにもなったのも事実。
昨年の夏から来ていた彼らはいつも私の前を走っていて、本当にたくさんのことを身をもって教えてもらった人たちだった。
アメリカから帰ってきたら、もうここにはいないと思うと、やっぱり心に穴があきそうな気分になる。同じ国からメキシコに来ている人がいるという、ただそれだけだけど、私の中ではちょっとした心の、がんばる支えになっていたんだなって今になって強く感じます。

こんなにいろいろな気持ちで体中がいっぱいになって、それでも出会えたことに感謝して、歩みを止めてはいけないんだね。
この前届いたミスチルの and I love you という曲の中に、
もう一人きりじゃ飛べない 君が僕を軽くしてるから
ってあったけど、気づかぬうちに周りの人が自分を支えて、たくさん助けてくれていたこと、失う今になって痛いほど感じます。

でも沈んでいても仕方ないから、また人の気配がする場所を探して、新しい気持ちになりながら、笑いながら、前に進もうと思います。

写真は、先日訪れたGuanajuatoの口づけの小道にて。
家々が隣接していて、バルコニーで恋人たちが口づけできた伝説からそう名づけられたのだそう。
思い出は、本当に痛いほどとってもきれいです。  
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July 19, 2005

美しい朝に

7月16日

別れの朝。
6月からやって来たアメリカからの留学生たちが自分の国へ帰っていく。
こうして友達を見送るのは何度目だろう。
昔、とても仲の良かった友達が帰国するのを見送った時、
出会えたことや一緒に時間を過ごせたことを感謝して、彼らの不在をとても悲しく思った。

いつからか、別れるのが辛くて、人と深く関わることから逃げていた。
言葉が違うから、本当に分かり合えるまでには時間がかかるし、傷つくのが怖い。
そうやって自分に言い訳して、勝手に自分で壁を作ってしまってた。
自分の殻に閉じこもって、自分の狭い頭だけでうんうん考えて、勝手に納得していた。

私、まだこのままじゃ帰れない。情けない。
できないんじゃなくて、やろうとしなかっただけ。
もう自分には、失う物なんてほとんどないのに。
自分を甘やかせて、守りに入ってしまってた。
失敗や恥が何だろう。もっと自分が伝えたいこと、外に出さなくちゃ。
相手のこと、もっと知りたい。

人と関わることが、こんなに痛みと喜びを伴うものだと教えてもらったメキシコで、私がやり残した自分への宿題。
友人の言葉を借りるなら、世界が自分に閉じていたんじゃなくて、自分が勝手に世界に閉じていただけだった。

あと2ヶ月半しかないけど、一歩踏み出してみたいな。
また人に、気づかせてもらった本当に美しい朝。  
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July 09, 2005

メキシコ人女性の美

7月8日

いつもの授業後、モデルの勉強をしているメキシコ人の友達がモデル学校に連れて行ってくれる。
今日はメイクの授業。
勝手に遊びに行っただけなのに、入学希望なのかと勘違いされ、メイクのモデルをさせてもらった。
日本人の顔つきと、メキシコ人の女の子たちの顔つきは大分違うから、全然お手本にならないんじゃないかと思いつつ、たくさんの色が私の肌にのせられていく。

友達が通うモデルの学校では、メイクの授業、ウォーキング、立ち振る舞いなど色々な授業が毎週組まれている。生徒は10人くらいで、10代の子から20代の始めくらいの子達がたくさん。
メキシコの女の子たちは、外見がとても大人びていて、20才くらいかなと思って聞いてみると、15才だったりする。
私が日本人だとわかると、みんなとってもフレンドリーに話しかけてくれて、メイクをしつつ日本語の授業が始まった。
でも、私をのぞいてみんな真剣に仕事としてモデルを目指すプロ。自分の顔の特徴を捉えたり、自分をより美しく見せることに余念がないなと思った。
それだけ、自分が人に見られているということを意識している。
日々の絶え間ない努力が、彼女たちの細く美しい体を支えているんだなと思わずにはいられなかった。

印象に残ったこと。
メイク指導をしてくれた先生の言葉。
美しさは自分の内面からにじみ出るもの。メイクは表情を豊かにするものであって、大切なのは内面が美しくあること。
食べるもの、飲むもの、見るもの、感じるもの全てが自分の内面や外見をつくるもとになる。それを選ぶのも自分であること。
それぞれがもつ顔立ちは、他とは比較のできないそれぞれの美しさがあること。
自分が色々なものを楽しめること。幸せであること。

美を作り出すって、メキシコでも日本でも共通なんだなと思った。
私は最近どのくらい心から笑えていただろう。毎日を楽しめていただろう。
自分の内面に、どのくらい気を遣えていただろう。

自分がもともともっているものを大事にしていくこと、磨いていくことの大切さを、久しぶりに思い出した。  
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July 05, 2005

大切な人たちへ

f9aabe40.jpg7月4日

先週の土曜日に、幸い22歳の誕生日を迎えることができました。
時差の関係で、もう生まれてから22年経っているのに、メキシコではまだ誕生日が来ないというちょっと不思議な時間差を体験しました。
でも、とても幸せな時間でした。
そして今日、ボランティアに行った時、上司の方が私を抱きしめてくれた。
私がボランティアを始めてから、いつも大して働けない私をずっと気にかけてくださる人たち。
わざわざ私にメッセージを書いて、仕事中渡しに来てくれた。

「あなたは、自分の国や家族から遠く離れて住んでいてどんな気持ちでいる?」
「時々、すごく難しいなって思う。だから時々泣いてしまうの。」
「今度私のオフィスにいらっしゃいね。そうしたら一緒に泣こうね。」
言葉にならない感謝の気持ちでいっぱいになった。
そして私を強く抱きしめてくれた。


あの日思ったこと。

メキシコに来てから、私は一人に弱くなった。
一人でいることが怖い。一人にしないでといつもどこかで願っている。

でも時々、誰かと、本当に心地よい人たちと過ごせる時間を、私はものすごく感謝できるようになった。
いつか消えてしまう、散ってしまう、二度と戻らない瞬間だと知っていて。
どうしてこんなにも儚くも、輝く時間があるのに、一緒に共有することを許されるのに、私はこの人たちの前から離れなければいけないんだろう。
何て残酷なんだろう。この人たちのために、私は何が出来るだろう。

ものすごく愛しい人たちがいる。
でも、彼らの持っている色々な日常に、私は完全には入り込めないことを、どこかで私は知っている。
その消えることのない寂しさと、彼らと交われる一瞬の輝きがいつも自分に同居している。
その2つを目の前に、私はいつも戸惑う。
人と向かい合うことって、本気で向かい合った分だけ、その人の不在は自分にこたえるんだと思う。
それだけ、自分に欠かせない人だったから。自分が心を許して、一緒にいられることを心から喜べたから。
その人がいなかったら、自分が消えてしまいそうだったから。

22歳になった。
大切な人に、大切だと伝えられる自分に。
素直にありがとうを言える自分に。
自分の大切なものを、あたためていける自分に。
苦しくても、できるだけ笑顔を絶やさずにいられる自分で、ありますように。

私を生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。
たくさんの機会を与えてくれてありがとう。
私に、たくさんの人たちと出会わせてくれて、
色々なことを感じさせてくれて、本当に本当にありがとう。

  
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July 01, 2005

泣き虫

84afb818.jpg7月1日

今年も早いもので、7月になりました。
21歳のこの一年、本当に色々なことがありました。
環境が大きく変わり、それに付随して自分の中でも外からでは見てとれないくらい微妙な変化がたくさん起きている。

自分にとって大切なもの、大事にしたいものが前よりずっと分かりやすくなった一年。
そしてメキシコに来てから、こんなに一人であることに苦しんだ数ヶ月は今までなかった。
別に頼る人がいないとかそういうことではなくて、自分が所詮は一人なのだということ。自分のことを自分で負うこと。
2週間苦しくて毎日吐きそうな日が続くと、1日、2日だけ、ものすごく気持ちが晴れる日がある。その繰り返し。
どうしてこんなにろくでもないことばかりが起こるのだろう。
苦しい苦しいともがく。
そのサイクルに大分慣れ、私は図太くなったけれども、
何度も倒れそうになる自分を自分で少しずつコントロールしては、
一日一日を終えている。

この生活の中で、苦しさや悲しさの中で時々一瞬だけとてつもなく輝く喜びや幸せに、気づかせてもらえた。
7月2日、明日は一年のちょうど真ん中の日。2005年の折り返し地点。

私の大事な人たちが、幸せに過ごせる日でありますように。
写真は、大事な友達。
サッカーリーグ コルディカの事務所にて☆  
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June 21, 2005

耳を、塞ぎたい

6月20日

こちらに来てから、しばらく意識をしてやめていたことがある。
自分の部屋を一歩出たら、歩きながら音楽を聴かないこと。
日本にいた時は、電車に乗るほんの少しの時間でも、気分転換によく音楽を聴いていた。
聴覚って、五感の中で唯一自分の意志ではその働きを止められないものだと聞いたことがある。
両手で耳を塞がないかぎり。

メキシコで音楽を聴かなかったのは、街中で聞こえてくる世間話や些細な会話を聞くためだった。
授業では教えてくれない生の言葉が行き交っていたから。
そういうことから学ぶことが多かったから。

でも。
メキシコでは、男性が女性にひやかしで声をかけることが普通になっている。
ピロポと呼ばれるもので、かわいいねとかそういう類のもの。
わざわざ音を立てて注意を引いて、何か言ってくるときもある。
すれ違うとき、大げさにチュっと音をたててキスをする真似をしたり。

先日、ある初対面のメキシコ人に、本当に頭にくる質問をされた。
正直セクハラ以外の何物でもない質問。
好奇心で私に話しかけてくれるのはよくわかる。
スペイン語の練習にもなるからありがとうとも思う。
でも、だからと言って、相手を不快にさせることを外国人だからといって聞いてもいいというのは違うと思った。
他人には、踏み込まれたくない領域が、きっと誰にもあるもの。
外国人だという珍しさゆえにその壁は簡単に乗り越えられてしまうのかな。
私は彼の言葉に、とっても傷ついて、数日間悲しい気持ちが抜けなかった。

それ以来、道を歩くとき、冷やかされるのが嫌で、耳を塞ぐようになった。

先週、メキシコと日本がサッカーの試合をした。
メキシコでは、日本人をはじめアジアの人の顔は切れ長の目が特徴だと思われている。だから時々彼らは、目じりを吊り上げる仕草で私たちのことを表現することがある。
でも時としてその動作には、相手を見下す意図が含まれているのも否めない。
試合の日の翌日の新聞のスポーツ面。
メキシコ代表の選手が冗談でカメラに向かって両目を吊り上げる写真が大きく掲載されていた。
代表選手という人の目に多く触れる立場の人が、冗談でもそういう仕草をマスコミの前でしている。正直とっても驚いた。
そしてそれを大々的に載せる新聞社の意図って何だろうと思った。

皆が皆そういうわけではない。
でも、一部の人がそういう配慮を欠く行動をすることで、私の中のメキシコ人への印象は刻々と変わっていく。

懸命に同化しようとしているメキシコなのに、
時々そういう面が見えて、とても、悲しい。

そして思うのは、日本にいる外国人の友達。
日本にいた時に話し、聞かせてくれた差別の視線や孤独感を、今になって思い出す。
あの時は分かったつもりでいた。でも、全然分かってあげられていなかった。
今なら、すごく共感できる。
ただでさえ外国の人に対して閉鎖的な日本の社会で暮らす彼らに、私は知らず知らずのうちにどんな目を向けていただろう。
ごめんねの気持ちで、いっぱいになる。


  
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June 18, 2005

徒然

6月17日

今週から、新学期が始まりました。
夏休みになったアメリカ人学生が大量に学校に押し寄せ、以前は50人足らずだった学生が今はその5倍以上に膨れ上がっている。
大分昔より変化には強くなったけれど、やっぱり人ががらっと変わるその変化は、見た目だけでなく気持ち的に少し影響が大きいなと思う。
5週間だけしかいない彼らと、人間関係を築く。
ちょっと難しいなと思う。

そんなことはさておき、今日になって漸く、授業をとることができました。
本当は、Gramatica avanzada という、文法の応用クラスをとりたかったのだけれど、人数が5人集まらないと何故か開講されないため、
結局希望を変更して、La historia economica y politica de Mexico という、メキシコの経済と政治の歴史を勉強する、ちょっと難しそうなクラスに名前が載ることになりました。

生徒は全部で6人。うち5人はアメリカ人学生。
中には15歳までメキシコに住んでいた、バイリンガルの学生も。
ここでの時間をたくさん過ごしてきて、最近はスペイン語が上達したねとほめてもらえることが増えてきたけれど、
やっぱり相手の人の声やスピード、話している内容次第で、自分の能力がまだまだだと実感させられる。
少し図太くなっている私は、間違えようが、あまり恥ずかしがらずに
「すいません、よく理解できないんでもう一度教えてください」
と言えるようになった。
分かりたい。分かったふりをしたくない。

今の学期は7月中旬まで続きます。
自分の力と比較して、ちょっとハードルが高いものに臨む方が、
たくさん得られることがあると信じて、食いついてみたい。

Para mis amigos,
Hola,como estan?
Esta semana empezo el nuevo curso y ahora tengo una clase que se llama La historia economica y politica de Mexico.
En mi escuela sobre 250 estudiantes nuevos llegaron el domingo pasado y ahora esta llena de los estudiantes.
Como yo tengo casi 4 meses aqui hasta regresar a mi pais,quisiera aprovechar el tiempo en GDL con mis queridos amigos mexicanos.
Espero que todos tengan buen tiempo y que esten bien.
Con muchos besos,
Hitomi  
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June 11, 2005

輝き

1d426ecf.dat6月10日

新学期までの2週間のまとまった休みも今週で終わろうとしている。
キューバでの滞在を終えて、メキシコに帰ってきてから、大分自分が安定して、色々なことに前向きに取り組めるようになってきた。

メキシコからたった5日程度離れただけ。
でも、自分が慣れたと思い込んでいた環境が、全く違うものに見えて、
緊張感と、周りの物や人に対するたくさんの感謝の気持ちが湧き上がってきてたまらない。

キューバ、想像とは全く違った国でした。
カリブ海の真珠といわれるキューバ。
観光客が過ごす高級ホテルと物資に満ちた一つの側面。
一方で、月収8ドルの現地の人々の世界。
スーパーも存在しない。日本に溢れる広告の群れもない。
だから町並みは色がはがれて修理も十分になされないコンクリートむき出しの家々が連なる。
中心部である共産党本部ですら、殺伐とした風景。
日本人だとわかれば、一気に物価が上がる。
ベトナムから来たとうそをつけば、無関心の目が向けられる。
キューバのスペイン語、メキシコのスペイン語とは全然違う。

久しぶりに観光客に自分が戻って気づいた。
観光客ではなく、現地に住む留学生として過ごそうと努めて見てきたメキシコは、自分にとって、とっても大事な国になっていた。
慣れきっていた様々なものが、とても輝いて見える。

最近は毎日、立て続けにメキシコ人の友達に会えている。
サッカーを始めとして、スポーツの大切さを教えてくれているのも彼ら。
日常の中にこれだけサッカーが根付いている光景が、
最初は不思議でたまらなかったけど、今はとっても素敵に見える。
あれだけスポーツを愛して、体を震わせて大切にしている。
本当に素敵。
私の笑顔をとても誉めてくれるのも彼ら。
自分が大切だと思う人にはきちんと態度で表しそれを伝える。
その仕草で、誰かの暖かさに包まれる喜びで、一瞬人はものすごくいい表情をするのだと気づいた。
メキシコの人たちは、相手に愛されること、相手を大事にすることの喜びを、毎日の一瞬一瞬から知っている人たちだと思う。

日本に比べたら、物の溢れ具合とか、便利さとか、時間への正確さとか、そういうものは同じ基準ではないけど、
一瞬一瞬を笑いや幸せで満たすことを惜しまない人たち。
同じ時間を、豊かにすることを知っている人たちだと思う。

ここにいると、私は自分が裸になるように感じる。
これまで守ってくれたものがなくて、まっさらな自分が、じゃあ何をできるのか、どうやって毎日を過ごしていくのか常に決めていかなくてはならないから。
私は、何者でもなく、一人の人間として、所詮何もできない、ただ何かをできたつもりになることが得意でたまらない人なんだって気づけた。
ここでまっさらでいられる間に、自分がどんなことを感じていけるのか、
それがちょっと楽しみです。

今週は、前に書いたCRITという施設でのボランティアが始まって、
すごくすごく緊張していたんだけど、周りのスタッフが本当に歓迎してくれました。
そして自分の心のために、ジムに通いはじめて。
久しぶりにたくさん走って、バスケのシュート練をしたら、自分の体が久しぶりにバランスを取り戻してくれた。
今日は、ここしばらく少しずつ通っている、ダウン症の子供たちの学校を訪れて一緒に時間を過ごした。

自分の周りにいる人たちの、それぞれの、たくさんの笑顔といい表情を見て、
自分が本当に幸せな気持ちになる。
その人だけの輝き。
自分は何者でもないけど、特別でもなんでもないけど、
自分だけがもつ感情や感覚や仕草や表情を、大切にしていけたらいいと思う。

たくさんの人の輝きに、たくさんたくさん、ありがとう。  
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May 27, 2005

ee31dbbe.dat5月26日

何事も気づくのにとってもとっても時間のかかる自分。
この2週間、何だかとても悲しくて、自分のことがさっぱりよくわからずに苦しい苦しいと思っていた。

自分の些細な日常を、うまく外に向けて表せなかった。
そうしたら自分が接するすべてのことが全部自分の体の中に降り積もって、
出口がないまま消化できぬままがんじがらめになっていた。
もう動けなかった。人に優しく声をかけてもらっても、泣くことしかできなくて。
何で生きているのか分からなくなって、消えてしまいたいと思った。

でもこの数日間、私を見守ってくれた人がたくさんいた。
周りのメキシコ人の人たち。
電話をくれたりメールをくれたり、突然泣き出した時には物凄く心配そうな顔で一生懸命私を理解しようとしてくれた。
ホストマザー。
何があったの、いつも心配そうな顔で私を気にかけてくれた。私の前では好きなだけ泣きなさい、と。
先生。
私のよくわからないこんがらがった気持ちを汲み取って、理解しようとしてくださった。たくさんの暖かい言葉を日本から送っていただいた。
友達。
無理やりにでも外に連れ出してくれた。自分の話をたくさん聞かせてくれた。一緒に笑ってくれた。

自分が、今までの守られてきた環境から脱して、先の見えない、歩き方なんて誰も教えてくれない場所で、自分の足で立って歩いていく。
答えはなくて、自分の頭で考えて感じながら、道をつくっていく。
そういうことを少しでもできるようになるために、私は今ここにいる。
甘えさせてくれた感覚をおぼえているから、時々心細くて振り返ってみるけど、自分で決めた以上、そしてこの過程を経ることができたら、
痛みを伴ってももっと素敵な自分になれるんじゃないかなって思う。
そういう過渡期にあることを、自分でよく認識できていなかった。

それでやっと、自分がこういう時期にあるから苦しい、悲しくなるんだということを認知できた。
こちらに来てもうすぐ5ヶ月、遅ればせながらやっと自分がここで何をしたかったのか体で理解できた。
ちょっと笑えるなと思う。このスピードの遅さがまさに私らしい気もする。
自分の頭で考えて、感じて、自分の言葉で話せるようになりたい。

またすごく落ち込むことがあっても、自分を見失いそうになっても、
きっとそういうことが私は絶対あると思うけれども、
過渡期にある自分を認めたうえで、もっと別の悩み方、もがき方ができたらいいなと思う。

友達が今の私にぴったりだと思ってと贈ってくれた歌。鍵。
優しい気持ちで、ちょっとずつ道を歩きたいと思えた。

これからまた新しいことが始まる6月を、うまくスタートが切れますように。
そして気分転換も兼ねて、週末からキューバに行ってきます☆  
Posted by sasohitomi at 03:15Comments(2)TrackBack(0)