March 29, 2005

休暇 

3月28日

3月18日から28日までの11日間、メキシコの首都メキシコシティに行ってきました。ちょうどセマナサンタ(イースターのこと)で学校が休みであったこともあり、メキシコに来て初めての大型休暇にあたります。
シティに行った目的は、大学の先生に紹介いただいたメキシコ人の方で、以前大統領府の障害者オフィスでお仕事をなさっていた方を訪ねるのと、2月の終わりからシティに留学している日本人の友達に会うこと。
本当は5泊ほどの滞在のつもりが、たくさんの素敵な出会いの連続によって、結局学校を一日休んでしまうほど長く休暇を楽しんできました。

まず一番の収穫は、先生のお知り合いのメキシコ人の方と実際お会いして、たくさんのお話をして、とても素敵な繋がりができたこと。一日市内を一緒にめぐりながら、そしてご自宅にまでお邪魔させていただきながら、疑問に思ってきたたくさんの質問を投げることができた。ご自身が電動車椅子を使われていて、市内を一緒に少し見て回ったことで、行く先々にあるたくさんの段差と人々の視線を感じる。メキシコ国内の大学で、障害者の問題に関して専門的に勉強できる学部といったものがまだないことも分かった。あれだけたくさんのバリアが目で見て明らかに分かる程に存在するこの国で、学問としてまだ取り上げられる状況にないことは、ごく自然のことに感じた。でも、数は少ないけれども障害者の問題に関して取り上げられた本を調べていただいて、これから手にとっていく課題ができた。また、お知り合いのNGOの方をご紹介いただけた。メキシコ国内でここ数年行われてきている障害を持つ人たちのためのキャンペーンの存在を知れ、自分なりに追ってみたいと思った。
私が興味を持った問題へのメキシコへの第一歩が進めたから、あとはここから開けた新しいいくつかの方向を、自分なりに進んでみるだけ。

さらに新しいたくさんの出会い。
メキシコと日本の政府間で実施されている奨学金のプロジェクトを使ってメキシコで勉強している友達のつてを頼って、公務員枠でシティにいらしている方のお宅に長くお邪魔させていただいていた。
久しぶりに接する社会人の方とその奥様と色々なお話をできたこと。大家さんのメキシコ人ご一家が見ず知らずの私を暖かく迎えてくださったこと。シティ内の色々な素敵な場所を毎日ものすごい密度で回ることができたこと。久しぶりにたくさん飛び交う日本語の間と笑いの連続。世界遺産の水路を回りながら暖かな日差しの中で流れた時間。居心地の良いたくさんのカフェと顔の大きさくらいある朝食のクロワッサン。ラテンアメリカタワーという建物から見た360度のシティの大夜景。友達とシティ近郊の小都市プエブラを訪ねて過ごした時間。名物であるプエブラ焼きのエスプレッソカップたち。一つの町くらいの大きさがあるUNAMという大学の探検。メキシコ壁画運動を支えた壁画家たちの作品。メキシコのプロレス、ルチャリブレの会場の熱い空気。『星の王子様』と『キッチン』のスペイン語の本との出会い。伝説のカップル、フリーダ・カーロとディエゴ・リベラが結婚式を挙げたカフェで楽団のおじさまたちが友達と私のために『川の流れのように』を熱唱してくださったこと。12万人の観衆の中で見たメキシコ代表対アメリカ代表のワールドカップ予選の試合。
一人でなく、たくさんの人たちと一緒にその時間を過ごせたからこそ何倍もの濃さと強さで私の体に響く。

言葉にしてしまうととても味気なくなるけれど、あまりに幸せな時間と空間との出会いの連続で、私は正直どうしていいのかわからなくなるような日々でした。たくさんのきらきらに目がくらんでしまった。本当に心から息を抜いて休んで楽しむということを教えてもらった気がする。
ここまで楽しみぬいたら、そして全力でそこにいられたこと、そこで感じられたことの全てを幸せと思っていられたら、もうあとは自分が進みたい方向に進んでみるだけ。飽きるくらいに日本語を浴びた今だから、たくさんのスペイン語にまた触れてスペイン語で吸収できるものをたくさん吸収していきたい。映画も、貴重な本たちも探して触れて言葉を浴びていく。新しくできた人間関係を暖めていく。そして今その他にたくさん感じている自分自身の課題とも少しずつきちんと向き合っていきたい。

あと一週間あまりでこちらに来て3ヶ月になります。私にとってのちょっとした区切り。
今回の休暇は自分に与えられて抱えきれないくらいの幸せな瞬間の連続だったから、たくさんのきらきらを出来るだけ自分の中に打ち込みながら、もっとメキシコの中に入り込んで3ヶ月目を迎えたい。

  

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March 17, 2005

誰も知らない

3月16日

Nadie lo sabe
邦題『誰も知らない』。
グアダラハラで行われている国際映画祭のようなものがあって、
久しぶりに日本の映画に出会うことができました。
日本語に、スペイン語の字幕がつく。本当に贅沢な機会。
日本語を勉強しているメキシコ人の友達を誘って、本当に楽しみに映画館に足を運ぶ。
各国からの映画に混じって邦画がここメキシコまで遥々海を越えて来てくれたことがとてもうれしかった。

柳楽君が賞をとったことくらいしか知らず、まさかああいうお話が展開されているとは想像もしていなかったから、また驚きだった。
本当に久しぶりに見る日本のどことない日常の風景。
がらがらかと思っていたのに、意外なことにお客さんがいっぱいで、
メキシコ人の人たちは、こういった敢えて外国の人向けに作られた日本像でない日本の風景や人の生活の有様を、一体どんな風に受け止めるのか、
興味津々だった。
小さな一家族の中の子供たちという、ある意味限定された枠の中で展開される小さいようでとても重みのあるお話。
ハリウッドのたくさんお金をかけた作品とも違うし、ドラマチックに物語が繰り広げられるわけでもない。
本当にささやかな波風が立つような細かい出来事の積み重ねでできているお話を、彼らはどう捉えるのかな。うまく良さが伝わるのかなと思っていた。

観ていて感じたのは、子供にとって家庭、両親の存在がどれだけ大きなものを占めるのかということ。
家庭を放棄した母親は許せないけれど、全く彼女のような人でないにしろ、
たくさんああいった親は実際に存在していると思って。
大人のある意味身勝手な選択によって、どれだけ子供が多大なる影響を受けるのかというのが、そして親の前では子供がどれだけ弱い存在なのか、痛いほどに子供の視点からよく描かれているように私は感じて。
私はもう成人しているし自活もできる年齢になったから、映画の中の子供たちのような、子供の立場的な脆弱さは忘れかけていたけれど、
子供は親に守られている一方で、その守りが適切でないタイミングで一方的に外されると、あんなにも脆くなってしまうんだなって思う。
これから大人になっていくたくさんの人、そしてもう家庭をもっている人のたくさんの目に、あの映画が触れてくれたら素敵だなと思いました。

びっくりしたのは、映画が終わったときに、映画館が拍手で包まれたこと。
今までメキシコでも何度か映画を観る機会があったけれど、拍手が湧き起こったのを目にしたのは初めてだった。
どういう思いで拍手をしていたのか彼らの気持ちにはなれないけど、
何だかすごくすごくうれしかった。
日本の映画が、メキシコの人たちに受け入れられている、評価されていたことが何だかすごくうれしくて。別に私がつくったものでもないのにな。

そして、一緒にいた友達が一番驚いていたこと。
「じゃあ、日本にも生活に困っている人がいるってこと?日本人はみんながみんなお金持ちなのかと思っていたの。」
よく授業でも聞かれる。
日本ではどのくらいの人が学校に行けないの?
どのくらいの人が食べられなくて道端で亡くなるの?
多少いるけれど、メキシコほどはたくさんでないよね。
メキシコでは、たくさんの人が学校に行けないし、貧しい人は本当に貧しい。

メキシコにいると、私たち日本人はお金持ちの国からやって来たと思われている。そして質問を投げかけられると、日本はやっぱり経済的に豊かな国なのかなと思う。総じて。私の錯覚。
でも日本にも、確かに経済的に苦しい環境に置かれている人たちだっている。映画の中の子供たちのように、家庭の事情で学校に行けない子たちもたくさんいるのかもしれない。
ただ私が知らないだけで、表には出てこないところで。
そういうことを気づけたことと、そういう表に出てこない日本の一つの日常の切り取り方を、メキシコ人の友達にも知ってもらえる機会になって、
私はよかったなと思った。
ぴかぴかとして性能の良いたくさんの電化製品からでは伝わらない日本の一つの側面を知ってもらえて。

今週から、また新しい学期が始まって、
私はメキシコの映画論とスペイン語の文法授業を受けている。 
大学でも映画に関する授業を少し受けたことがあったし、やっぱり映画という
メディアが私は大好きなこともあって、
ちょっと専門的だけれどやりがいのある授業。
新学期の滑り出し、授業も人間関係も、良好です。

この調子、この調子★  
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March 10, 2005

ピアノを弾きながら

2441fd5e.jpg3月9日 

いつも通りごはんを済ませてベッドに転がり込んで少し眠り始めた頃、部屋をノックする音。
聞けば、お家の真正面のお宅でピアノを弾かせてくれるらしい。
睡眠がちょうどいい所だったから、一瞬迷ったけれど、せっかくの恵まれた機会。楽譜を持って、喜び勇んで訪ねた。
調律も長いことされていないし、少し弾けば指先が真っ黒になるようなピアノだったけれど、音が出る愛しい楽器がそこにあった。巨大なる楽器。
久しぶりすぎて肩がこったけれど、来る前に練習していた何曲かを、繰り返し、繰り返し弾いた。
ピアノを弾いていると、私はよく考え事をしてしまう。色々な、頑張っている人の顔が浮かんだり、自分がうまく処理しきれなかった感情が、不思議なことによみがえってきたりする。
音を奏でているうちに、そういうもやもやした気持ちを、自分なりに処理したいと思える元気が沸いてきて、弾き終えた後、スタバに向かった。

最近、すごく苦しい日々が続いている。一日前に書いた日記、書いたときは心からの本心だったけど、自分を頑張らせるために無理やり鼓舞しているだけだった。だから強がっているけど、本当は全然自分の実際の状況とは違う。
そうやって繕って、元気な振りをして、そしてすぐまた折れそうになる。実はずっとそんな繰り返しだった。
辛かった、と言えるのだから、まだ軽い方なのかもしれない。でも時々、他人にSOSを飛ばせないくらい気持ちが落ち込んでしまって、このまま自分が消えてしまいそうになる時が多々あった。
このまま無理やり自分を立たせて闘わせていたら、ちょっと心がおかしくなりそうだった。

自分に、自分をほめることを許そう。
せめて今まで、自分が少しでもできるようになったことを確認して、それができるようになった部分は自分なりにほめてあげようと思った。
それと同時に、できないことがたくさんある自分のだめな部分も、自分の立派な一部として認めてあげてもいいのかなって。

私はよく、自分が答えのない世界で生きていることを忘れてしまう。
人との関わり合いも、自分の生活の仕方、あらゆるものが答えの出ない曖昧な状態で本当はあふれているのに、これはこう、だからこうなる、と、きちっとした形を求めてしまう。
それで答えが出ないから、いつも苦しくなってしまう。

人間関係や、留学一つをとってもそう。
日本にいる時、少なからずどこか生きにくさを感じていた。
私の周りには、とてもきらきらした人が多かった。モチベーションがすごく高くて、自分が進みたい方向へ努力して、でもうまく楽しみながら進んでいる人がたくさんいた。
そういう人と出会うたび、いつも自分はそのままじゃだめなんだ、もっともっと色々な伸び方ができるんだ。ぬるま湯につかっていてはいけない。
私も自分なりにきちんと歩いて、私にたくさん刺激を与えてくれるその人たちに、少しでも追いつけるようになりたい。
自分にその人たちがたくさんのものを与えてくれるように、私も私が出せる精一杯のものをぶつけられる位置にありたい、そう思っていた。
でもそうなるためには、怠惰な自分にムチ打たねばならない。安定を望む自分にとって、時にそれは多大なエネルギーを必要とすることでもあった。

他の人のきらきらを、素直な気持ちで受け入れられなかったこともたくさんある。ねたみ、嫉妬、劣等感、そういうマイナスの気持ちを持って受け入れて、ずっと後になって素直に受け入れられるということも多かった。
本当は、もっと素直に他の人が持つきらきらに触れられるようになりたい。自分も、自分もって、他の人にも自分を認めてもらいたいと張り合って、小さな競争で頭がいっぱいになる前に、本当は他の人の素晴らしい所を、素直に素敵だと言える自分になりたかった。もっと謙虚でありたかった。

日本にいた時、そんな毎日を送りながら、それでも更なる環境の変化を求めていた。
念願叶って飛び出してきたメキシコで、私は今度もまた嘆く。
身の回りのものが異物だと。人や物が変化しすぎて戸惑うのだと。
日本の慣れ親しんだ環境もだめ、かといってガラっと違いすぎるのもだめなの?
結局、無いものねだりをしているだけなのだ。
そして日本で自分がしてきた習慣を、メキシコまで来て求め続けることが滑稽に思えてもいた。強く欲していても、一方でどこか滑稽で仕方なかった。
ピアノを弾きたい、スタバに行きたい、着飾りたい、友達が欲しい、情報が欲しい、その他日本を恋しく思う気持ち。
どうしてそういう風に感じるんだろう。そこにあるのは、環境だけが変わって、中身は何ら変わらない自分だった。
今この環境が辛いからといつか日本に帰っても、またたくさんのきらきらと刺激とで、目がくらむだろう。私はやっぱりここでも居にくいと嘆くのだろうと思った。
情けないでしょう。でも私はそういう人間なの。

考えたのは、そういう自分が間違っているとかではなくて、事実としてそういう自分がここに明らかに居るのだということ。
私はこんな人間だし、できないことだらけだけれど、そのくせ少しでも自分をよく見せようという気持ちを捨てられなくてどうしようもないけれど、それでも私は息を吸って、前に進みたいと願う。
白黒つけられない、こんな渦巻いた感情をドロドロと内面に抱えて、それでも必死に生きたいと願っている体がある。

これを、事実として認めてあげようかと思って。
そういう部分を持ち合わせていると認識した上で、そしてそれを消そう、直そうとして、またできなくて動けなくなるのではなくて、自分のできない部分をきちんと受け入れて、それでも動きたいのなら、前に進みたい時には頑張ってみようかなと思った。

自分の認めたくない部分、自分の好きでない部分を、そうして自分の一部として認めて、答えの出ないどうしようもない曖昧な部分があることを頭だけでなく体でこうして納得し始めたから、それはここに来た進歩かなと思う。
自分がここでできるようになった数少ないことかなって。
だから、そう思えた自分を、ほめてあげようかと思った。

毎日答えの出ない日々が続いていっても、こうやって一つ一つ自分の中に取り込んで納得していけるなら、少しずつでも進んでいける気がするから。

今日は、本当に素直な気持ちで久しぶりに感情を文字にできました。自分をただひたすらに鼓舞して、虚勢を張っているのとは違います。
写真は、私に束の間恋していた子犬。
家の近所から道路を越え、スタバの前までずっと後をついてきてくれました。
スタバのドアが閉まっても、外で私を待っていて。
おかげでいつものモカが、何だかいつもより優しかった。

  
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March 09, 2005

理想像 

3月8日

最近日本にいる友人たちが、少しずつ卒業後の進路を決め始めている。私は日本での就活が本格化する前の友人たちの様子までしか直接見ることができなかったから、今報告をしてくれるその子たちに、この数ヶ月間どんな時間が流れてどんな気持ちの変化があったのか、残念ながら尋ねることでしかそれを知ることができない。
友達が頑張っている姿を感じて、久しぶりに自分はこれからどうありたいか、考えた。でも残念ながら、今までこちらに来て考え進めた域を大して越えることはなかった。いくつか興味のある仕事がある。でもまだまだ世間知らずの私の頭の中で想像をめぐらすばかり。
当然だろう、だってこちらに来て、私動いていないから。自分の心の弱い部分をたくさん掘り出しながら、私最近過ごしていた。今の自分を考えると、生きている世界がすごく限定されていて、外界からの情報が圧倒的に少ない。少ない情報の中で、小さな人間関係の中で、自分がこれからどうしていきたいか、考えるのはとても厳しい。無理に考え出しても、大していいものは出てこない。

言葉もまだまだな私が、この場所でたくさんの情報に触れていくのは想像以上に厳しいことだとは思う。日本にいたら、たくさんある情報を自分なりにアクセスし、取捨選択し、人間関係を広げ、興味のあることにどんどん進むことは容易だった。メキシコにだってたくさんの情報がある。手を伸ばせば、私がしたいこと、興味のあることが溢れかえっているのかもしれない。でも言葉が分からないことによってその可能性がたくさん断ち切られている。
本屋に行って思う。私が読みたい本はどこにあるんだろう。タイトルを見てもよく分からない。手にとってみる。難しくて何がテーマかすらよく読み取れないことが多々ある。結局たいした収穫もないまま、きっといつかはいい本に出会えたと、読んでやろうと、嬉しい顔で本屋を後にできる日が来るといいなと思う。

私が一番嫌なのは、自分が中途半端になること。今こうしてできないことがまだまだたくさんある状態で、焦りながら、その焦りを解消するように自分が心地よく安心できる適当な場所を見つけてそれに身を委ねることはしたくない。迷い、探している苦しい状態が例え続いたとしても、自分が一度ここでしたいと思ったことがあったのなら、そこから逃げないで自分なりに追い続けたい。ここで逃げたら私、もっと自分を嫌いになる。

敢えて自ら好んで一度外れたレールだから、外れるなら中途半端に外れずに、きちんと外れ切ってみたい。レールの先を、これまでの自分の道の延長に設定し続けていたら、いつまでたっても今の状態を脱せない。
放っておくと私は、悲しいことに卑近な小さな競争に必死になる。その先に掲げていた目標を忘れて。

ここに来て3ヶ月目を迎える日までの目標。今の苦しい状態に踏ん張り耐えること。負けないこと。屈しないこと。その後の下地となる部分をしっかり築くこと。だから変に焦って見失わないこと。でも臆病でいないこと。

いつも堂々巡りで、正直人が見たら滑稽かもしれないけど、これが自分で決めた道なのならば、自分で自分の行動にしっかり責任を持ちたい。今のままじゃ、私自分のしてきたことに納得ができないから。
毎日の積み重ねの中で、いつかもう少し時間が経ったとき、多少もっとはっきりと自分の理想像を思い描ける日がくるまで、踏ん張りたいと思います。
  
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March 05, 2005

久しぶりの太陽

3月4日
せっかく気持ちが上向きになったと思ったのに、ここ数日高熱でずっと寝込んでいた。今は解熱剤で強制的に熱を下げているけれど、薬がきれると38度に体温が戻ってしまう。
毎日りんご一つを食べるのが精一杯で、何とも不健康な痩せ方をしてしまった。
海外で病気になるのはやっぱり辛いものだなと思う。寝込んでいる間、小さい頃のこと、高校生の頃のこと、大学に入りたての頃のこと、年末の出発前のこと、本当に些細なことをたくさん、久しぶりにゆっくりいろいろ思い出していた。日本への恋しさが加速される。
かと思えば、久しぶりに外を歩くと、いつもと変わらないメキシコの光景。

早く体調が元通りになりますように。
そしてみんなも体調管理には気をつけて!  
Posted by sasohitomi at 05:33Comments(7)TrackBack(0)