サソウクニタケのアンテナ

世界のあちこちで、人を見つめ、光を探し、学び、光を見つけ、言の葉をつむぐ観光學游誌

あの、人気の、Perfumeのライブに参戦。

Perfume Fes2017ということで、電気グルーヴとPerfumeの対バンと言いつつ、永遠の厨二病電気グルーヴのこだわり?により対バンなしという「オチ」つき。

音楽の分野では全然違う世界のように見えて、ステージのパフォーマンスでいうと、
舞台総合芸術を感じに来ているという意味でとても統一感の取れたステージだった。

Perfumeは、音と光の演出が有名だけど、会場で生で感じると三人のダンスと光の当て方の動きが素晴らしく、同じものを色々な角度から何度見ても楽しめるように作られているように感じる。一方、初体験の電気グルーブは、振動と独特の異世界に攫われてしまうようなPVで表現された世界観。低音のリズムが全身に襲いかかって来て、このまま心臓発作を起こしてしまうのでは、というちょっとした怖さが、ドキドキ感を煽る演出。

いずれも、映像であるYoutubeと、体験であるライブが音楽の体験のコアになった時代らしいアーティストの創業芸術が表現の場という意味でとても似ている、実は相性の良い盛り付け。

そして、Perfumeである。いくまでは、ライゾマの舞台演出の中でパフォーマンスしている新たなメディアを取り込んだグループという印象だったが、行って感じたのは個人個人の朴訥とした洗練されていないキャラ作り。どこでもいそうないい人。

美しいデジタルと光の芸術の融合した舞台芸術という作り込まれた世界観が明らかに尖っている。
それだけに、逆に個人のキャラクターは、作り込みすぎずむしろありのまま、親近感を感じるキャラ設定がされている。いや、無理やり作り込まなくていい、と思っているだけかもしれないが。

昔のアーティストは立ち振る舞いも含めてある程度カリスマ的にしていた方がよかった時代があったけど、今は、表現の世界観を作り込めてしまう時代なので、作り込みすぎると息苦しくなるし人間っぽくなくなってしまう。

デジタル時代の音楽と芸能の構図を見れた気がしてとてもよかった。

ワークショップも一種のパフォーマンス。あの世界の作り込みや、キャラ設定、観客の巻き込みの仕方などから学べることは多いし、何より単なる中年オヤジ、単なる田舎娘たちがオーラをまとっていくまでの分岐点が見えた感じがしてとても刺激的な1日だった。

こんなにWorkしなかったのはいつ以来だろう。

頭の中には、突っ込んだら面白そうなこと、まとめて見たいことはたくさん浮かんでくるが、
なぜかやる気がしなくてずっと休んでいた。

でも、それでいいのだと思う。

僕は、機械じゃない。 

世の中では生産性という言葉が大流行りだけど、
むしろ、常にWorkし続ける機械と張り合えるはずもない。 
一見正しそうで、明後日の方向に頑張ろうとしているようにも思える。

会社というものは、どんなにちっぽけなものだとしてもなかなか解けない魔法のようなもので、
売り上げが大きくなったりし始めると、それを続けないといけないような気がしてくる。

別に数字で目標を設定していないし対してそういう意味で優等生になろうとも思っていないけれど、
翌年は、その前よりはもうちょっと頑張ろう。そうしないといけないような気がしてくるものなのだ。

気づけば、モモばりに時間を盗まれているのではないか、と錯覚するほどに
あっという間に埋まっていくスケジュール帳に慣れてしまった最近、
いつの間にか目的のないことをするという習慣が無くなっていた。

そんな中の、海外出張も含めた長い休み。
海外出張もギリシャのロードス島の限界集落で、町に3件しかレストランがない、
はっきり言ってど田舎だったし、ちょうどゴールデンウィーク前だったこともあって、
いい気分転換になった。

そして、ゴールデンウィークは、家族で葉山に行った。
そこでは、ヨットをやっている前職の先輩にヨットハーバーの前でぼーっと歩いているところを偶然出くわし、 気合い入れてご自身で設計したという葉山のご自宅にお邪魔する。

自作の庭で七輪でお肉を焼いたり、部屋の中のハンモックに寝っ転がってみたり、
ご家族で47都道府県全て回っている夏休みの自由研究の旅日記を見せてもらったり、
それはそれは、豊かな時間だった。

そして、次の日は、魂の同志とも言える逗子在住の先生とご一緒。
葉山の海に突き出す富士山が大きく見える森戸神社で待ち合わせ、
佐山という美味しい魚のお店で刺身に舌鼓を打ち、エメラルドグリーンの浜辺で体育座りをしながら
ただ娘が浜辺の石を何度も何度も掬っては落とす大人には作業にしか見えない姿をみながら「今、これが彼女にとっての遊びで、最高の学びになっているんですよねー」なんて素敵な言葉をかけてもらう。

それで、終わりになるわけではなく、
そのまま葉山のレコードがかかり、陶器のギャラリーのあるオシャレなカフェに潜りこみ、
彼が今手がけている翻訳や単著の書き方の話や、俳諧と時代の話で盛り上がる。

それで、さすがにもう終わりかと思いきや、
そのまま逗子映画祭が開かれるという逗子海岸にベビーカーを押し押し散歩。
娘が予想外に砂が嫌いで泣き出すハプニングがあれど、海岸通りのフェアトレードカフェに入り、
日替わりのシェフがインドのケララで修行(と行ってもヨガの修行に行ってついでに少し学んだだけらしいが)した本格インドカレープレートを食べながら、みんなでゆっくりと日の入りを拝む。

ほぼ丸一日、娘を視界の中心に置きながら、
ただ散歩をして、ただ話す、という豊潤で、贅沢な時間を共有した一日。

ギリシャに旅行中、たまたま行ったエーゲ海クルーズで、
その近くのスペシャス島に村上春樹が住んでいたことを知り、
WiFiが繋がるタイミングでたまたま彼が『ノルウェイの森』や『ダンスダンス』を書いた3年間のギリシャ・イタリアでの生活を書いたエッセー『遠い太鼓』を読んだ。

あっという間に過ぎていく日々の中で、
僕の心が求めているのは、
シリアスな世の中の情勢を読み解くことでも、
仕事に役立つ新たなメソドロジーを発掘することでもなく、
日常を豊かに過ごしていくための心持ちにさせてくれるものなのだと思ったし、
どうせ読むならちょっと力の抜いたエッセーを読みたいのだと思った。
(そして、そんな力の抜けた文章は、僕のフェイスブックのタイムラインには全く出てこない)

葉山の浜辺で海を眺めがら、Instagramを使った俳句の話を聞いた。
ハッシュタグ俳句と呼ぶらしい。

これも、情景を短い言葉で描写しながら、その時の気分をただ読む、旅の呟きのようなものが俳句だったということだ。そこにはその人の感情は入る余地がない。

俳句は575、和歌は57577。たった77、14文字の違いで、
感情を詠むものになるのが和歌らしい。

いずれも、これらは、マクロでメッシュの荒くみて、新幹線のように過ぎていく世の中を、虫眼鏡で拡大して見て、鈍行列車の中の手持ち無沙汰な時間を潰すために情景を使って、言葉遊びをするような、そういう心持ちになるということを、今の僕が心から求めていたのかもしれないし、それに出会わせてくれたのが今回の長いサボりの果実だったのかもしれない。


 

 宮崎駿さんの過去のインタビュー集を読みながら、手塚治虫の漫画に影響を受け、手塚治虫をアニメーションという世界で越えようとした男の原点を考える週末。

 彼は、人間に絶望しながら人間の可能性を、フィクションであるとわかっていても肯定的に描こうとした人。それが、ナウシカで世界観に表れている。その背景には、子供の頃の人間の純粋さに対する強烈な憧れがあるように感じる。 そして、彼は大学時代は全共闘で体制を壊す側に立っていた時代もある。昔でいう、赤とかリベラルと呼ばれる人。

そう思うと、保守とかリベラルという手垢のついた軸を別の軸で切ってみたくなる。 保守というのは、人間の業をありのままに現実として捉える人。性悪説が根底にあり、現実的で、過度な期待をしない。 それに対してリベラルというのは、人間の可能性を信じ、現実よりも理想の世界を現実と捉えたくなる人。性善説が根底にあり、理想主義で、夢を見る。

そういう人の性質から、人を強欲にさせていく資本主義の限界に対してみた夢が、マルクスの資本論だったような気がする。 はたまた、現実的な政治という場での理想対現実の戦いに絶望を感じた宮崎駿は、アニメーションという理想を堂々と語れるフォーマットで勝負しようとした人でもあると思う。

理想主義は、今の時代流行らない。むしろ、時代の空気的には、現実的な目を持つヒーローやヒロインをもてはやす時代の空気。もう少しすると理想を堂々と言うことが、社会的に問題になる時代が来ないとも限らない。

リベラルは、今ないものを実現した上で、初めて現実を見ている保守と議論ができる立場にあるから、確率論でいうと負ける確率が高い。ただ、時々超大勝ちする。そういうゲームをしている。

新聞報道でよく聞く保守とかリベラルとか、父世代の遺物であり、言葉的に言うと死んでる概念だと思うけど、理想と現実のバランスは時代によって違っていいし、その中で、自分がどういう立ち位置で生きるのかも変わってくる。

ただひとつ言えるのは、僕は理想主義で、夢を見たい。人間の可能性を信じている性善説側に立つ人だし、その思想を現実の世界で広げるという、とても困難なことに生涯を通じて取り組み続けたいと思っていることだけ。

同世代の本当に尊敬する友人との貴重なランチの時間。
今の時代を考える。

ネットワークで繋がってしまい、すべてがアクセス可能になってしまったことで、やり場がなくなった男性的な冒険心や開拓精神。しばらく女性性が強くなっていた世界の流れに対して、押しとどめられていた男性性の回復の兆し。
あるアメリカ人の友人は、『sexistよりracistの方が「マシ」な選択だったのだ』と言っていたけど、ずっと弱くなって押し込められていた男性性がこれから復活していく流れが来るような気がしている。(最低でもある程度の反動としての動きが始まったところかもしれない)

フロンティアを作れば、内向きの破壊にならないという意味で、宇宙というフロンティアを作るのは、まず大事になる。
また、日々のエンターテイメントがより身体性を実感できたり、ガス抜きになるようなものを流行らせるのが重要。実践としてのスポーツの可能性はさらに広がっていく。

マッチョなものの価値が見直され始める。ボクシングや、ムエタイなどのマーシャルアーツに加え、武道は現代風にリブランディングできたら広がってくるような
気がする。

これから膨大に余っていく時間とエネルギーを、内向きな破壊に向かわせないことがより大きな課題になる。

彼は、宇宙のフロンティアを突っ走る男性性。
僕は、創造性によるフローによる自己肯定感を作る女性性。

どちらの方向にしても、僕らは何かしらの形で、本気で考えないといけないと思う。

世の中の未来は予測するものではないと思っている。

人類は次第に進化してきているけど、その肉体や精神としての進化は遅い。

結果的に、理にかなった形に流れていくもの。その大河の流れがどちらに向かい始めているかだけを感じれば良い。 この数年くらい考えていた時代の流れの見方を少し、形にしてみようと思う。

今僕が仮説として持っている世界の構造を見る上での大きな変数は、1.活用可能な外部資源とそれを規定するテクノロジー、2.地政学とその結果としてのその民族や社会のメンタルモデルに起因する行動習慣、3.人の流れに影響するメディアとその結果として人々の感情。 言ってみれば、これは、株式投資でいうとファンダメンタル投資の領域。

一方、これらの関数に落ち着くまでに、その歪みを埋める様々なテクノロジートレンドが、啓明(春:エンジニアの時代ハイテク・ポジティブ)、普及(夏:デザイナーの時代:ハイタッチ・ポジティブ)、拡大(秋:ビジネスマンの時代:ハイタッチ・ネガティブ)、浸透(冬:アーティストとサイエンティストの時代:ハイテク・ネガティブ)という4つの段階を螺旋階段的にサイクルを繰り返しながら落ち着くところに落ち着くような動きが起こる。

図1






インターネットによる情報革命はすでに冬の段階に来ていて、次の螺旋階段を待つ段階にあるみたいな。 これがテクニカル投資的な波動の動き。

これの組み合わせで世の中を見たいと思っている。

先日お会いした創業者の方は、変数としての政策と、テクノロジー、不変のものとして土地(文化や気質)と言ってたっけ。 だいたい経営者にこう言う話をぶつけるとすごく盛り上がる。やっぱり経営者は時代を見るのが一番の本質的な仕事だとみんな思っているのだと思う。 歴史的な視点を持って、どんどんブラッシュアップしていきたい。

今なんの仕事をして、なんの価値を出してるのかよくわからないながらどんどん仕事が増えているんだけど、

大前さんが企業参謀だとしたら、乱世の変革者の参謀になりたいと思っているような気がした。

企業ではなくて、変革者に仕える。

劉備に使えた諸葛亮孔明に小学生の時になりたいと思っていたけど、結局人間の本質は大して変わらないのかもしれない。

組織がうまくいかなくなるときは、そのリーダーの器の成長と事業の大きさのバランスが崩れていたり、その人自身の心と頭とのズレなどによる迷いが現れているのではないかと見立てている。

組織の相談をされたから、逆にそのリーダーの内面の深掘りから始めた。そしたら予想通り、心の奥底のホンネと、周囲との関係で惰性で残っている行動とのギャップが見えてくる。

組織の話をするのにまさか個人の話を聞かれると思わなかったのでびっくりした、ということだけど、むしろ感謝して頂けた。

個人のビジョンと、組織と、事業デザインの間をつなぐ醍醐味のような動き方で、自分「らしい」価値が産めたようで良かった!

事業デザインや組織デザインの漢方薬的存在を目指して。

今年は、Brexitとアメリカにおけるトランプの当選という動きがあった。個人的にはどうも、これが歴史的な転換点にしか思えない。なぜそう思うのか、どういう変化が何が起こりうるのか、もやもやして色々考えていた。

この動きを読み解くには、歴史的な視点に加え、地政学や地理学的な視点と、文化人類学的な視点が特に大事になってくると思う。ジャックアタリ、マッキンダー、エマニュエルトッドなどの(不思議にもこの時代に必要な視点を提供してくれる論客は全員フランス人なのはなぜ?単に俺が好きなだけ?)本を読みながら、改めて今の時点での自分の視点を整理してみたい。

1.歴史的な視点:海洋国家の孤立主義への回帰
トランプの当選によっておそらく間違いなく、一番大きく変わること、それはアメリカが建国以来の伝統で合った「孤立主義」に戻ること。これは、1941年に日本の真珠湾攻撃によって、覇権主義に変わった75年の流れの転換点となる。トランプは、世界の警察にならないことを明言しているし、実際ブッシューオバマと戦線を拡大してきた疲労感もあるだろう。オバマの後期から見えていた軍事的な覇権主義を明確に縮小することが大きな変化。

アメリカの軍事的覇権は、シーレーンをグローバルで押さえていたこととセットだった。南インド航路は、アメリカの、そして日本の給油ルートでもあったため、中東や東アジアへの覇権は欠かせなかったが、エネルギー自給の観点から見るとシェールガスによってアメリカがそこまで軍事的覇権を持ち続ける必然が薄くなっている。アメリカはもともと、戦後、地域覇権国になりそうな国同士を戦わせて叩くという方針があったが、その方針がどう変わるかも。

歴史的に見ると、覇権国によって世界のシーレーンが抑えられている時に自由貿易が広がる。逆に言うと、過去数十年の自由貿易は、覇権国であったアメリカのインフラに乗った形のアメリカのプラットフォームでの自由貿易だった。これが引いていくということは、必然的に地域覇権による地域ブロック経済への方向に次第にシフトしていくだろう。

東アジアだけをとってみると、国内の安定に常に悩まされてきた歴史を持つ中国が、海洋国家になるかどうか、というのが次の覇権国として中国が歴史を作るか、地域覇権による無極化状態が続くかの一番大きな変化点だろう。

そのためには、今中国が進める農家→地方都市へ流すことで地方の経済活性化策で国内のガス抜きをできるかと、イスラム国が中央アジアに出て行くことでウイグルや、チベットなどの国内の不安定がどのくらい起こるかによって、国内の軍事リソースをどこに割くことになるのか注視したい。

トランプ大統領になって、南シナ海や、台湾への「様子見進出」がおそらくあるので、その時にアメリカがどう出るか?というキューバ危機の再来のようなこともあるかもしれない。

2.文化人類学的な視点:地域にあった政治体制への回帰
この2世紀は、英米の啓蒙主義による資本主義、グローバリゼーション、民主主義という3つのソフトウェアを覇権のインフラの上に乗っけて啓蒙してきた歴史だった。

しかし、アラブの春を見るまでもなく、この3つは世界のあらゆる国に有効な施策でもなければ、ベストの施策でもない。英米覇権の終わりとともに、地域覇権を持ちうる国を中心に、アイデンティティの再発見とローカル独自の体制作りが行われていくだろう。

文化人類学者エマニュエルトッドの研究だと、世界の国の政治体制は、その文化の家族形態と相続のあり方で7つのパターンに分かれる。その中で特に先進国に代表的な形が以下の通り。

外婚制共同体的:ロシア、中国、ユーゴスラビア、フィンランド、イタリア中部、ベトナム(共産主義化した国)

平等主義核家族:フランス、スペイン、ギリシャ、ラテンアメリカ(弱い不安定な政府、場合によっては無政府主義や、軍事政権的なシステムに変わることも)

権威主義的家族:ドイツ、日本、スウェーデン、ノルウェー
韓国、ユダヤ(社会福祉的、かつ強い政党ができやすい国)

絶対核家族:アメリカ、イギリスなどアングロサクソン、オランダ、デンマーク(自由主義的、二大政党制になりやすい)

日本は、もともと持ってる家父長的な伝統と、絶対核家族の合いの子のような形になっていて、都市と地方でこの価値観も異なるが、文化の風土に合わせて、より集団としてまとまりやすい形でのリーダーシップの発揮のされ方を開発していく動きが起こっていくるのではないかと思う。(これは憲法改正を考える上でとても重要な切り口だと思う)

3.社会学的な視点:オープンでリベラルな都市と、伝統的な価値観を大事にする地方の二極化
バラバラになったものを国家が一時的に束ねる必要性から、国家の力が相対的に強くなっていくが、一方で、主にITによって情報処理能力と人脈による収入格差が広がっていく構造は世界的に変わらず、都市型の価値観と、地方の価値観の差は大きくなっていく中で、統治の仕方、マネジメントの仕方についてはこの二つを使い分ける、もしくは、包含するための考え方が必要になってくる。

都市型自治体同士のグローバルな連合も起こってくるし、中には都市が独立したり特別自治区になるような動きも起こってくんじゃないかと思う。逆に、都市から地方への流れや、地方での自治を強くする動きも大事になるし、企業経営的にはこういう格差を包含するような動きをできたら強いだろう。

大きな視点としてはこのような動きがかかっていくだろうけど、個別に誰がどういう動きをするかは、むしろ戦国時代のような、局面が急激に変わり、陣営が日々変わっていくことも起こるだろう。これから一番大事なのは、蘇秦や張儀のような優秀な外交家人材になると思う。

完全に私見であり、時間軸もイメージとしては30年くらいの動きなので、今すぐに起こっていく変化ではないけど、変化していく時代には、「その変化を読み解く視点」と、「変化を柔軟に受け入れる姿勢」が必要だと思うので、一度アウトプットしてみることにする。

博多織の勉強をする職人の卵のみなさんと過ごした一ヶ月。

何より嬉しかったのは、最年少18歳のトワちゃんに、「佐宗さんは目がキラキラしています!」と言われたこと。

下の世代から、大人になることも悪いことじゃない。いや、楽しいことだ、と思われるような生き方をする。何よりもそれだけで、一ヶ月頑張った甲斐があったというものだ。

最初は伏し目がちだった彼女が、最後のプレゼンでやり取りをした時の彼女の人懐っこく力のある眼が忘れられない。

自分は先生ではないけど、教育者っぽいと言われるのはこのあたりに1番喜びを覚えるからかもしれない。

らしさをプロデュースし、世の中に唯一無二の価値として伝えていくことで価値を大きくしていく。そのらしさを生んだ原点の想いを掘り起こし世に出して周りの行動を変えていく。

それは、その人だから作れる新しい意味を創り、表現し、行動を促すこと。それがプロダクトに乗ろうがサービスに乗ろうがコンテンツに乗ろうが全て本質的には何も変わらない。

僕が1番大事にしたいのは、その人だから作れるらしさであり、意味なのだ。それが、人間中心ならぬ、人中心主義の根源なのだ。

そこにその人だからこその意味がないのであれば、そんなことに興味はないのだ。

文脈というフレームをうまく設定することで、その人らしい意味はストーリーという形でうまく世の中と接合する。その接合点をうまく作るのが腕の見せ所。

過去やって来たブランディング、マーケティング、デザイン、組織開発の分野が融合した姿が見えつつある気がする今日この頃。

この話自体は会社始めた時から変わってないけど、水路の繋がりがより腹で感じられた気がする。

勇気を持って、信じて進みたい。

今年も残すところ後少し。 振り返ってみると、今年は「定」という漢字がぴったりくる一年でした。 留学中の様々な経験や、出会い、そして、帰国後頂いた機会や出会いを通じて、 「大人の創造性を最大限に発揮させる環境を創ることで、子供が創造力を発揮するのを阻害しない環境、ひいては社会を作る」 というミッションが自分の中で腹落ちし、その理想をイメージしながら、日々出来ることをする、という形で過ごすようになりました。 おそらく、一生実現はしない理想だとは思いますが、自分の周りから、少しずつ、出来ることをしていきたいと思います。 そして、もう一つの振り返りは、本当に尊敬するべき素晴らしい人たちに囲まれた一年間だったと思います。日々の出会いから、会話から、とても多くの学びがありました。そして、ワクワクを頂きました。そういう人に囲まれているというのは何より一番の贅沢ですよね。ただただ、そういうご縁と時間を頂いて感謝です。 来年は、今までの人生で一番大きな変化が訪れるように思います。そういう時期だからこそ、粛々と、地固めをしながらゆっくり歩いていく、そういう一年に出来たらいいな、と思います。今年以上に、いろいろ仲間の力に身をゆだねる、という感覚を大事にして日々を過ごしていきたいと思います。 本年度お世話になりました。そして、来年も、今年以上に宜しくお願いします! 皆様、良いお年を! P.S.11月にスタンフォードD schoolの創業者デビットケリーの新刊の書評を書かせていただいたのも、このミッションに一番感覚が近い本だったから、です。2013年の自分の考えをもっとも凝縮して表す文章ということでを改めて近況報告代わりに共有させていただます。 http://enterprisezine.jp/bizgene/detail/5318

今年も残すところ後少し。 振り返ってみると、今年は「定」という漢字がぴったりくる一年でした。 留学中の様々な経験や、出会い、そして、帰国後頂いた機会や出会いを通じて、 「大人の創造性を最大限に発揮させる環境を創ることで、子供が創造力を発揮するのを阻害しない環境、ひいては社会を作る」 というミッションが自分の中で腹落ちし、その理想をイメージしながら、日々出来ることをする、という形で過ごすようになりました。 おそらく、一生実現はしない理想だとは思いますが、自分の周りから、少しずつ、出来ることをしていきたいと思います。 そして、もう一つの振り返りは、本当に尊敬するべき素晴らしい人たちに囲まれた一年間だったと思います。日々の出会いから、会話から、とても多くの学びがありました。そして、ワクワクを頂きました。そういう人に囲まれているというのは何より一番の贅沢ですよね。ただただ、そういうご縁と時間を頂いて感謝です。 来年は、今までの人生で一番大きな変化が訪れるように思います。そういう時期だからこそ、粛々と、地固めをしながらゆっくり歩いていく、そういう一年に出来たらいいな、と思います。今年以上に、いろいろ仲間の力に身をゆだねる、という感覚を大事にして日々を過ごしていきたいと思います。 本年度お世話になりました。そして、来年も、今年以上に宜しくお願いします! 皆様、良いお年を! P.S.11月にスタンフォードD schoolの創業者デビットケリーの新刊の書評を書かせていただいたのも、このミッションに一番感覚が近い本だったから、です。2013年の自分の考えをもっとも凝縮して表す文章ということでを改めて近況報告代わりに共有させていただます。 http://enterprisezine.jp/bizgene/detail/5318

プロフェッショナル仕事の流儀 宮崎駿さん。創り手魂に見てて涙が出てくる。特に震災のあと全スタッフに風立ちぬを作るにあたって寄せたメッセージは鳥肌もの。 アトリエの姿を見ていつも帰宅してマンガを書いていた漫画家だった祖父を思い出した。 ------ 誰もが浮かれていたり、終末に気づかない頃に終末が近いというのはファンタジーになる。ナウシカのように。しかし、その時代は終わった。 もっと物質的にも時間的にも窮迫した中に生きなくならなくなるだろうと思うんです。その時に自分たちは何を作るのか。それが十分に予想される時に、女の子がどうやって、生きるかというふうなことでは済まないだろうと思いました。 風立ちぬというのは、実は激しい時代の風が吹いてくる。吹き荒む。その中で生きようとしなければならない、という意味です。それは時代の変化に対する自分たちの答えでなければならないと思います。 宮崎駿

僕のもっとも尊敬しているグル、MITのオットーシャーマー教授が、今月3回のウェブ講座(はやり言葉でいうとMOOCという世界中でオンラインで見れる講座)をやっています。彼は、MITのスローンスクール(MBA)で、リーダーシップを教えている教授です。留学中に色々な人に出会って対話をしましたが、その中でも圧倒的に素晴らしいな、と影響を受けた思想家です。

あんまり日本語で彼の最新の考え方は紹介されていないので、その内容を少しご紹介っ。

彼は、今の世界が抱えている課題を三つの格差、に凝縮しています。

1.社会的なギャップ(social divide)〜いわゆる貧富の差(SELF≠OTHERS)
2.環境上のギャップ(ecological divide)〜いわゆる環境問題 (SELF≠NATURE)
3.スピリチュアルギャップ(spiritual divide)〜いわゆる精神の病(SELF≠SELF)

貧富の差はよく言われてる話ですが、彼はあのアメリカから「アメリカンドリームの世界の終わり」と言っています。アメリカンドリームは、資本主義市場経済のシステムにおけるエンジンの考え方。それ自体は素晴らしい考え方ですが、その行き過ぎによる富の偏在が特にアメリカでは目に余るレベルになってきている、という問題意識です。

また、社会のパフォーマンスを測る指標としてブータンをきっかけに知られるようになった国民総幸福度の考え方と、その国が持つ資源の消費スピード(ecological footprint)の考え方を組み合わせたHappy planet indexという指標で改めて世界を見ることを提案しています。いずれも、経済成長している国が必ずしも幸福度が高くない事実(日本、中国、インド、韓国など)や、逆に、幸福度が高い国が必ずしも資源を持続可能な形で消費していないことが紹介されます。(この両方の切り口での優等生は実は、コスタリカだったりします)

このギャップは、皮肉にも現状の仕組みの中で経済成長を目指せば目指すほど、人々の貧富の差は大きくなり、資源はさらに消費され、早いスピードの中で自分の心を失っていく、そういう構造にあるといいます。

彼が指摘する根本的な課題は、自由市場経済システム(2.0)をベースにする物の見方そのもの、であり、Social market(社会的な経済システム:3.0)そして、Co-creative market(共創マーケット4.0)へ変えていくための物の見方に転換することが必要だといいます。(Collective co-reative awarenessというい言葉を使っていました)

以前お会いしたときにも言っていましたが、これを解決するには個人同士が離れ、分割する西洋的な思考から、個人同士の繋がりを共創していく東洋的な価値観への転換が必要だといいます。これは、アジアの中の成熟国、かつ、共創的なマインドセットの強い日本のような国にとってはとても大事なメッセージではないかと思います。

この手の話は、往々にして大きくと難しい話、になりがちなのですが、彼がすごいのはこの問題の解決は「視座」の転換、以外にないと言い切っていること。このセッションは、常に、自分がどういう気持ちになるか、どんな感情を持つかを問いかけられながら進められます。そして、宇宙に降り立った宇宙飛行士たちの物語と視点がビデオで語られ、その視点から見たときに改めて今の自分の状況がどう見えるか?を問いかけられます。

このセッションは、ウェブ上で英語で公開されているもので、70ドルかかりますが、おそらく誰でも見ることが可能です。日本からは3人の参加のようですが世界30か国から参加しており、世界中のコミュニティメンバーによる共創を目指している、彼の思考の今が見える場ですので、もし「次世代のイノベーターの持つべきリーダーシップの素養」に興味がある方はぜひともお勧めです!(英語ですが、、、)

Webセッション

https://www.presencing.com/programs/leading-emerging-future-2014


Leading from the Emerging Future: From Ego-System to Eco-System Economies
http://www.amazon.co.jp/Leading-Emerging-Future-Ego-System-Eco-System/dp/1605099260/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1381142195&sr=8-1&keywords=ego+to+eco



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 MBAに行った友人から聞いたことがあった本。変化の過渡期のまっただ中にいる今の自分にはとても響く言葉が多かった。心に残った言葉をメモ。

ー人生で出会う問題のほとんどは、難しいから解決できないのではなく、直面した瞬間に無意識に感じる「自分には無理だ」という感情が解決を阻む。問題が生じても心の平衡感覚を失うことなくに最善の対応をして、効果的な対策を出来る力、が重要なのだ。

ー心のソフトウェアは「自分の経験の積み重ね」から出来ている。中には、自分たちを抑圧し、状況の変化に適応する力を奪う経験もある。そのような経験を心のソフトウェアから取り除くことが出来れば脳が変わる。成人の脳には、外部からの影響に適応して変化する可塑性があり、考え方が変われば神経回路も変化する。

ー人間の脳は物理的に右脳と左脳に別れているだけでなく、二つの心があって、それぞれが現実を異なった方法で処理し、互いに補完しあっている。新しい不慣れな環境に対処する時には右脳が重要な役割を果たす。実際に、先の見えにくい状況に遭遇した時には、右脳の動きが活発化することがわかっている。それに左脳は言語を使って伝達するが、右脳は身体の感覚、画像、記号、感情を使う。ここでの問題は、私たちは志向に対しては注意を向けるが、自分の感じたことや直感に関しては注意を向けないこと。自分が自分のことを規定しているアイデンティティは左脳を通して形成された者が圧倒的に多い。そして、自分たちに課している限界、つまり現実を見るときのフィルターもまた、左脳の役割なのだ。左脳の動きを時にストップさせる時間を作ることで新たな現実が見えてくる。

ー平和とは、ほかの絵に描かれている凪いだ海や青い空といった穏やかな世界からえら得る者ではない。どんな過酷な状況にあったとしても自分の大切なことに集中し続ける力から生まれるものなのだ。集中力はそれを向ける場所にって平和の源にもなれば、不穏の種にもなる。

ー注意を向ける先をコントロールする能力は、きわめて大切である。そのための実践的な方法としては、2つの方法がある。1つは、全ての注意を今その瞬間にやっていることに向けること、そしてもう1つの方法が「問いを発する」という方法。

ー人は「もうここまでだ」、「これで終わりだ」、「こんなことはこれ以上続けられない」という境地に達しないと、勇気を出して道の世界に飛び移ろうなどとはなかなか考えないものだ。それでも、ちょっとしたことや人との出会いから刺激を受けて破れないと思っていた殻を破り、新しい自分になって羽ばたくケースがある。

ー姿勢や身体の動かし方も、実は感情や心理に大きな影響を与える。脳が全てをコントロールしていると思いがちであるが、姿勢をかえることで感じ方や認識が変わる。 ー心の状態を変化させるには4つのステップが必要である。  

ステップ1: 「無自覚の機能障害」を「自覚している機能障害」に変える(認知)  
ステップ2: 「自覚している機能障害」を「自覚している機能」に変える(新たな習慣の始まり)  
ステップ3: 「自覚している機能」を「無自覚の機能」にする。(習慣の身体化)

ー目標よりも、今向かっている方向性の方が重要。「今何が重要か」を明らかにすれば、正しい道は自ずと見えてくる。

ー決まったパーソナリティにとらわれて、それに慣れきっているときは、言ってみれば拘置所にそれと知らずに監禁されているような状態だ。つまり、自分が安心して楽に過ごせる「コンフォートゾーン」にいる状態だが、それは一方で自由になる可能性を奪われている状態でもある。このゾーンにいるときは、考え方も感じ方も、血液中に化学成分も変わることがなく、感情を表現するときもすでに出来上がった回路の条件反射で反応するだけである。  

ー多くの神秘主義者は神と一体化する過程で、混乱、悲しみ、恐怖、孤独と言った「魂の前夜」を体験するという。偽りのアイデンティティを捨てたいと思った時に、たいていこのような思いにとらわれる。この状態になると、ぼーっとして思考力が低下し、霧がかかったようにどうしていいかわからなくなる。偽りのアイデンティティは、言葉や志向を使って攻撃をしかけ、探検をあきらめよう、元の場所に帰ろうとそそのかす。でも、実はこの状態は「今が踏ん張り時」というメッセージなのである。

ーコンフォートゾーンから抜け出すには、戦う気持ちだけでなく、暗闇の中でも前に進み続けるという不屈の精神と勇気と自信が必要である。暗い夜がつらいのは、やんでいるからではない。「自分には確固たるアイデンティティ」があるという深淵が崩れ、感情がそれを感じ取ってなんらかの反応を起こしている為だ。芋虫が蛹になり、酵素によって分解されて蝶になるように、私たちも新しい自分になるには分解の過程が必要なのである。このとき、なんとかしようとしてあがかないこと。逆に、心を開いて、自分の感情をしっかりと受け入れなくてはならない。

ーネルソンマンデラの大統領就任演説での引用した言葉。「私たちを最もおびえさせるのは、闇ではなく光なのです」

昨日はあまりに印象に残る一日だった。明日3時50分起きでシンガポールにたつややせわしない気分では有るのだがぜひとも記録しておきたいと思う。

昨日はいつもやっている皇居ランの会だった。8月の頭からシカゴにたつ僕にしてみると最後の会になるので、以前からランのメンバーで壮行会をやってくれる、ということだった。

当日は大雨。壮行会をやってもらうという名目で雨の中無理してみんなを走らせるのも悪いな、と思い幹事の子に、「雨が強いようだったら無理に走らなくてもいいからね。例えばカラオケとかもありだよ」みたいなメッセージをラインで送ると、「最後だから走ろう!」という予想外の強いメッセージが帰ってきた。思えば、このときから気付くべきだったのだが。

ランで集合すると雨のせいもあってか集まっているメンバーも6人ほど。「懐かしの人も来るよ」という事前の告知通り、初期メンバーで久しぶりに会うメンバーも1人いて、今日はこじんまりとでも楽しくラストランするか、と思った。

皇居を走り出すと妙に要所要所で写真撮影タイムがとられる。これも想い出作り、ということなのかなあーと、思いながら時速5キロくらいの過去ないくらいゆっくりのペースでランがスタート。

皇居はあちこちに休憩スポットみたいなものがあるのだが、知らないうちにいつの間にか5人くらい人が増えている。すごくご無沙汰な顔も多くびっくりする。そしてパチリ。そのまま通過すると、走るかっこはしてないエキストラ、みたいなメンバーがまた3−4人。このあたりから、だんだん意味がわかってくる。これが、サプライズなのだと。

その流れで、半蔵門を通過すると一挙に人数が増える。どこから出てきたのか、というくらいで一挙に人数が25人を越える。しかも、よく見ると、一緒にベトナムに行った某君も走りに混じっている!ランのメンバーと一緒にいるはずの無いメンバーが一緒に走っている事実がよくわからない。そう思ってみると、ニコンの一眼レフを持ちながら自転車に乗ってる怪しい姿のベトナムジャーニーメンバーの姿が遠くに見える。

混乱しながらさらに前に進むと、東京駅近くの長い直線のところの石の上に列になって8人ほど応援している人がいる。よく見ると、勉強会や、ベトナムに行ったメンバー。小学校時代や大学時代の親友までいて撮影している。このあたりから完全にわけがわからなくなりつつ、集団は40人くらいになりながら走る。明らかに普段着でいた友人も走る。

そして、一周が終わり竹橋に到着すると、フットサルの友人が出迎えてくれ、そのまま胴上げ。3回宙に舞うとそのまま、解散、ということで、その場に現れた30人あまりはあっという間にいなくなる。嵐のように現れ、夢の如く去っていった。興奮と喪失感の入り交じった気持ち。

最後に最初に集まった6人でランステに戻り、二次会へ向かう。そこで、某君から「ちょっと人生相談があるのだけど、、、」ということで、二次会にいくまでの間カフェに二人で行くことになる。

色々話をしているだが、別にたいした悩みがあるようには思えない。これは、もしかして、次に何かが仕掛けられているのか、、、という予感。とはいえ、何が仕掛けられているかは全く想像がつかず、二次会の場所がどこなのかすら明かされていない状況で、きっとその場所が次なるサプライズに違いないと思う。

そして、彼につれられていくとそこは、神田の千代田プラットフォームスクエア。忘れもしない、勉強会仲間のオフィスがある場でもあり、伝説のベトナムコクリエーションジャーニーのキックオフワークショップが行われた場所である。

そこに行くと幹事の子が再び現れる。僕の引率係の彼と何やら打ち合わせをした上で、しばらく待たされ、そして一緒に入る。

入ってみると、プラットフォームスクエアの一階が貸し切りになっており、花道が出来ているではないか!しかも、ランのメンバーに限らず、え、こんな人まで!という顔が多々見える。特に、高校の友人や、振り返りの会を一緒にやっている、普段あんまりランと繋がりのなさそうなメンバーが多々いることに驚かされる。たぶん、50人くらいいる。すごい人数。

木村カエラのButterflyの曲で花道を入場するのは結婚式の二次会みたいだな、と思いながら、そのまま前に出ると、新郎新婦席的なものが用意され、そこにはなんと、僕のメンター吉澤さんと、うちの母親が座っているではないか!!これは本当にびっくりした。

そのまま、結婚式二次会風の会がスタートする。いきなりウェルカムスピーチをすることになり、そのまま母親をいろいろな友人に紹介。その場も結婚式の二次会風にいろいろな友人が入り交じっていて収拾がつかない感じ。

二次会では、親友の弁護士が裁判官役をやっての「佐宗の罪(個人的には限りなく無罪に近い微罪だと思うけど)を断罪する」裁判が開かれたり、最後には、過去3年間の写真のスライドショーに、当日の企画のメイキングビデオがすごいスピードで出来上がっていて流されたり、Steve jobsのStay hungry, Stay foolishで有名なWhole earth catalogをプレゼントしてもらったり、と普通の結婚式の二次会に勝るとも劣らない凝った企画が作られていた。

何でも、この企画はベトナムジャーニーメンバーと、ランの共同企画で、それぞれのさらに個人的に繋がっている友人経由で様々なコミュニティへの連絡がいったものだったらしい。

あらゆる瞬間が意図されており、そしてそれは当然のように僕の予想を越える者だった。
信頼している仲間ばかりが自分のために集まってくれたその場は、今まで経験した中でも一番居心地の良い温かい場だった。
夢だった自分の家族(特に母親)と、素敵な友人が混じり合う場ができた。
過去3年のスライドショーを見ていて、この3年の想い出がフラッシュバックのように蘇る。思わず涙が出てくる場面もある。
そして、何より、一人でありながら結婚式二次会のイメージをすでに持つことが出来た。

長々と書いてきたが、この日1日に経験した全てのことは、削ぎ落すことがあまりにも惜しいくらい貴重な瞬間だった。誇張ではなく、今までの人生で一番幸せな一日だったと言っても過言ではない。

この企画に直接、間接的に関わってくれた全ての人に、心から感謝したいと思います。

皆様のお陰で、何の心残りもなく日本を離れることが出来そうです
心から感謝を込めて。

先週末は、京都の嵐山の桂川をみながらの極上の天ぷらを食べながら、最高に知的興奮溢れる会食に参加することが出来た。

某一部上場企業の創業者の方と、その跡継ぎと目されている息子との週一回の対話のディナーに同席させてもらったのだ。

その家族は月に二度ほど日曜日に夕食を共にするという。跡継ぎの彼にしても、帝王学を学ぶとてもいいチャンス。貴重な機会なのだろう。

その会話で感じたのは、19歳からたたき上げで上場企業を作り上げた経営者の魅力だった。

周囲で起こっているいろいろなことに対して、深く直感的に洞察している会話がとても印象的だった。

料亭のお姉さんが渡してくれた名刺に、「お守り代わりにしてくださいね。」と言った兄。その言葉をみて、「お守り」ってどういう意味を込めてたんだろう、という問いかけを家族に投げかける父。

はたまた、一つ一つの食事に対して、なぜ、それが良いと思ったか。なぜそれが良いと思わなかったのかを問いかける姿。

そして、料亭での大将と、息子のやりとりをみながら、その裏にどういうことが起こっているのか、ということを議論する姿勢。

見えていることだけではなく、見えていないことをいかにみようとするかという姿勢。

頭ではなく、感じようとする姿勢。それが、いろいろな苦難を乗り越えてそれでも大きくしてきた経営者としての生き方なのだろう、と感じた。

また、未来の話をした際に、100年スパンの未来を考える、300年考えていた孫正義さんへライバル心をだす姿。今更アジア行っても仕方ない。20ー30年を考えたらアラブ、南米、アフリカだと言い切った姿。また、逆に、一方では、先は読めない、ということを知り尽くしていて、その場その場でバランスを考えて決断をしようとする姿。
頭の使い方の根本が違う。でも、だからこその、人間としての深みがある。

経営者は生来のエネルギーと、楽観的な性格がかけ合わさって始めてできることだということも印象的。

何よりぐっときたのは、自分はこの瞬間に目の前の瞬間を勝負しているという雰囲気が伝わってきたこと。

改めて、サラリーマンばかりと付き合っていてはダメになるとも感じたし、一方、自分の生き方としての視座を高めてくれる時間を自分は今心から欲していることも感じた。

そろそろ、上の方と付き合い、学ぶフェーズに入ってきているのだ。その課題が見えてきたとても良い時間だった。

父が息子に残した経営者としての心得、あれは宝物。せっかく見せていただいたのだし、僕も徹底的に消化しようと思う。

1週間のサンフランシスコ出張が終わった。出発一週間前前までツアー自体の成立が危ぶまれ、メンバー間のコミュニケーションも十分に取れていなかったことを考えると、望外と言えるくらいとても良いツアーだったと思う。

去年8月にやったベトナムのラーニングジャーニーのツアーの経験があったこともあって、エスのグラフィーツアーのコーディネートについてはそんなに違和感もなくできた。プライベートでやったプロトタイプを大規模に拡大した形で会社でできているのは、大きな一歩だったと思う。

一方で、現地では、むしろ自分の無力感を感じる局面も多かったのも事実。

僕の強みである、多様性なバックグラウンドの人を交え合わせて化学反応を生む場を作る、という面については再現性の高い強みとして継続的に発揮できたと思うが、英語の環境の中でのエスノグラフィーについてはインサイトの洞察、ダウンロードセッションの進め方などは、チームのメンバーにおんぶにだっこだったことも否めない。

結局無い場を作る、という場作りのリーダーシップはあるけれど、洞察力、分析力、コンテンツ開発力についてはまだまだ、だと感じさせられた。

やはり、自分が作る、という意気込みでエスのグラフィーにいかないと学びも不十分になってしまうのだと思う。自らが創り手側に回る。

共創ファシリテーターから、共創プロデューサーへの変態。

目の前に留学を控えたタイミングで、良い気づきになった。

もう一カ国インドネシアを見ることで、新興国エスノという点もカバーでき、この3年の良い総決算にしたいと思う。

今年のGWにご縁を得た禅との出会いは、とても、とても大きなきっかけになるかもしれない出会いだと感じている。

1縁がある
世の中とてもたくさんのものとの出会いが日々、意識的にも無意識的にもある世の中の中で、深い縁でつながっている、という感覚のある縁はとても大事にすべきだし、筋がよい出会いだと感じている。過去の経験からも、ご縁を感じる出会いは、あれよあれよという間に物事が進んで行き、世界が広がって行くもの。

今回の出会いは、なかなかすごくて、大学時代お世話になった先輩と会いに京都に行ったところ、そこは、偶然にもうちの父が眠るお寺の総本山であり、大学時代恋愛相談に乗ってもらった優しい先輩は、その総本山の副住職。うちのお寺の若い住職さんも大の仲良し、ということだった。

それだけでもすごいのに、さらに自宅の近くで坐禅をすることを進められたお寺の住職に連絡をしたところ、小学校時代の塾で同じクラスだった同級生が今副住職をしていることが判明。20年ぶりに近い再会を果たすことができ、毎週日曜日はそこで坐禅会に参加することになった。

繋がる感覚。広がる感覚。

2自分の好きな世界観との共通点
僕がP&G時代からずっとアメリカ的な合理主義的な部分に頭ですごいと感じているものの、親近感を感じなかったことに対する、反発で探して行く中で出会った様々な分野。

人材開発のコーチングや、ポジティブ心理学、U理論、エスのグラフィーなどは、実はその根本の哲学を東洋思想を元にしている。自分を捨てることで新たな未来が開ける。自分の中にすべてのものはある。という考え方。これは、西洋の今ないものを探し求める、というアプローチとは逆で、自然との共生をしてきた東洋ならではの考え方。

禅の言葉をみていると、このあたりの分野がすべて凝縮されている世界観がある。今まで興味を持ってきたいろいろな世界をすべて統合するものとなりうる。

3不安との向き合い方というスキルとしての禅
今の日本に住んでいて、日本企業で働いていると、あらゆるものが右肩下がりである、という世間の流れの真っ只中で、淀んだ空気の中で過ごすことになる。

その中で、世界中とメールで繋がり、周囲のあらゆる知り合いとSNSで繋がる中情報量も増え、心を落ち着ける、ボーッとする時間があまりにも少ない。すなわち、アドレナリンを日々出して麻薬のように動いているしか、落ち着きを得られない日々。

そんな中、もともといつ死ぬかわからない先がみえない諸行無常の世界で生きていた当時のインテリ層に禅が広がったように、今の時代のビジネスマンにとって、日々のライフスタイルとして、そして哲学としての禅は、足りないものを補ってくれるような部分があると思う。最低でも今の僕の生活にはとてもよい補完関係になっている。

4海外に発信して行く東洋的価値として
スティーブジョブスは、禅的哲学をデザインに凝縮し、ipodなど一連の商品を作った。今これから海外でデザインを学びに行く僕としては、東洋思想のエッセンスを発信出来るのはまたとない日本人としての強みを生かすチャンス。

これからの自分のキャリアとも繋がる。

というわけで、このGWの出会いは、とても筋がよい出会いだと感じています。

ここ2ー3日朝6時おきでちょっと坐禅をしてから会社に行くようにしているのですが、心なしか気分も良いです。目指すは禅的エスのグラファー。禅の心を持って世界中の生活者とふれあい、新たなイノベーションの種を植える。そんなビジョンに向けての哲学的基礎をしっかり作って行きたいこの3ヶ月です。

禅の考え方は、体験から学ぶこと。そして、続けること。着実に守って行きたいと思います。

GWの後半は、半年に一度訪れている八ヶ岳の麓にある農家での農体験に言った。3年前に行って以来、農家のオーナーご夫妻とも仲良くしていただき、今では春と秋にお伺いして2泊し、帰りに清里に寄って帰ってくる、というのが恒例のコースになっている。

都会で生まれ育ち、都会で暮らしている僕にとっては、対極な生活。いつも行くと、幸せとは?ということを強く考えさせられる体験になる。もちろん、普段都会生活をしているが故に感じられることでもあるのだが、そこで感じたことを振り返ってみようと思う。

1.情報が少ないため、五感が研ぎ澄まされる
オーナーの方が自ら設計したコテージに宿泊した夜は、完全無音の生活。音が無いと、頭からツーンという音が聞こえるのだが、これはなかなか普段都会生活をしていると経験できないもの。テレビもないし、スマートフォンをいじろう、という気もなくなる。普段都会生活ではノイズの多さに五感が自らの働きを鈍らせることで自己防衛しているのだと思うが、普段眠っている五感が動いているのはとても心地が良い。

2.深呼吸が自然に出来る
周りにほとんど遮る物がない開放的な空間。おいしい空気。そして、普段の日常のタスクと遮断された世界。この中で、思いっきり空気を吸う、ということが自然に出来る。深呼吸が出来ていると、自然に身体は楽に、心地よくなってくる。セロトニンもバンバン出ている。これは、当たり前のことなのだが、都会ではなかなか難しい。

3.ご飯がおいしい
朝早くから身体を動かしているからかもしれないし、その場で作った農作物やお米を食べているから、かもしれないが、とにかくご飯がおいしい。野菜がとてもおいしいからか、脂っこい肉を食べなくなくなり、代わりに野菜やお米をたくさん食べてしまう。3食お代わりをする、など考えられないのだが。

4.子供が元気になる
毎回農体験にいると必ず子供連れの家族の人が多いのだが(むしろ僕のような独身は少ないらしい)、例外無く子供は農作業好き。いろいろな虫をとったり、作業をして褒められたり、そこで出会った他の子と遊んだりしている間に彼らはとても大事なことを学んでいるのだと思う。少なくとも小さいうちは、子供を田舎で育てる、というのはとても良いことだと思う。

こう書いてみて、心身にとってもとっても充実感のある生活、100%すぐに移行とはいかないまでも、近い将来次第にこういう環境で自然に生活をして、心身に開放的な生活を送る為の準備をしていきたいと思った。

間近なところで言うと、コテージを友人と共同で借りて、協生農法で農作物を自然に近い生態系で育てつつ、コテージをオフサイトミーティングにも使えたり、家族との旅行にも使えたりするような場を設計し、仲間と10人くらいで共同で借りる、なんてことも全然出来ると思う。

一方、どこにいても仕事ができるようなスキルと経験を積むこともとても大事だし、その点は今後も頑張っていかないと行けないのだが、その先にこういう生活が待っていると思うと頑張れる気がする。

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