2006年05月17日

小野塚小町考・1:奪衣婆と小野小町

小野塚小町と、そのモデルになっていると思われる小野小町の関係についての考察です。

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小野塚小町と聞いて小野小町を思い浮かべない者はまずいないだろう。
小野小町は平安時代の女性歌人にして六歌仙のひとりであり、
絶世の美女だったとも言われている。
そしてまた、「あきたこまち」で有名な秋田県など
全国各地に伝説が存在する人物でもある。

伝説の上での小野小町には、若かりし日の絶世の美女としての面と
無常観を象徴する晩年の醜い老婆としての面
がある。
この老いた小町の姿を彫り出したのが小町老衰像で、
京都の市原にある補陀洛寺(通称:小町寺)や秋田の金沢専光寺誓願寺などに保管されている。

そして小町老衰像は、まるで奪衣婆(だつえば)の姿のようだといわれているのだ。

奪衣婆とは
>亡者の衣服を剥ぎ取って、三途の川(葬頭河)の岸辺に生えている衣領樹という木にかける老婆。
>脱衣婆、葬頭河婆とも言う。
>衣領樹に掛けた亡者の衣の重さにはその者の生前の業 (仏教)が現れるとされ、
>その重さによって死後の処遇を決めるとされる。(Wikipedia

という存在であり、多くの点で小野塚小町との類似が見られる。
つまり、小野塚小町は、小野小町の絶世の美女・歌人としての面よりも、地獄の奪衣婆としての面をモデルにしていると考えられるのである。

錦仁著『小町伝説の誕生』(角川選書、二〇〇四)によれば、これらの小町老衰像はもともと
川原毛地獄(青森県の恐山、富山県の立山とともに日本三大霊地のひとつ)の近くの
三途川渓谷にある三途川十王堂(閻魔大王はじめ30体程の仏像がある)にあった奪衣婆像が、
なんらかの理由で小町寺に移された際に「老いた小町が自嘲を込めて彫った」という伝説を捏造され、
そのために奪衣婆=小野小町となったのだという。

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>また、奪衣婆は閻魔大王の妻であるという説もある。
らしいです。つまりこまっちゃんは映姫様の(ry マタコレカ
この考察、一応続きの予定があります。次は小野篁

sasuga_koyou at 23:51│Comments(0)TrackBack(0)clip!研究・考察 

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