もともと柴田罫線を学ぶことは好きでしたが、好きだけでは足りないことを痛感。妥協無く柴田罫線習得に取組む意志を持ちましたが、本当に必要なことは「柴田罫線を学んで理解する」ことだけでは足りず「柴田罫線をベースに自分だけの理論を築き、根拠のある利益を獲得する」ことだと理解するに至ります。自分の理論を築いた上で、それを実践(実戦)に反映させて実際に利益を獲得する。ここまでやり切らないと意味が無いのは当然のことなのですが、ただ勉強をしているだけだと本質である「利益を取る(獲る)」領域までに意識がなかなかたどり着かないのです。


人生、窮地に追い込まれ、死ぬような思いはしないに越したことはありません。しかし誤解を恐れず言えば、退路の無い窮地に自ら追い込む(仕向ける)ことで、かけがえのない、一生通用する精神力、前向きの力、運を呼び込む力などを手に入れることが可能であると言うことだけは知っておいて欲しいと思います。

そして時間は有限であると言うこと。仮に80歳まで生きるとして、一般的な流れで考えた場合、産まれてから20歳程度までは、まず一般常識を知るような期間ではないかと思います。
30歳くらいまでには仕事もすっかり覚え、大体のことはこなせるようになるでしょう。40代はそれを更に熟成させるような期間でしょうか?

40代に入ると身分、地位などもある程度確立されることにより、その地位を崩してまで何か新しいことを始めようとはしづらくなるのではないかと思います。人間とは皮肉なもので、若い時は体力は有り余るほどあれど知識・経験が足りず、そこそこ年を取ってくるとその逆、知識・経験はあるが、それをもとに何か新たに始めようと言うまでの気力・体力が出せない場合も多いのではないかと思います。

全く新しい何かを始めるにはその常識とも言える部分の考え方ををねじ曲げる必要があります。若い時、知識・経験があるかないかなど関係なく、まずは動く。年を取って体力が無いなら、身体をしっかりと鍛えれば気力もついてきます。これが出来ないと思うなら何もしない方がいいでしょう。

幸い、私は絶対に一般社会に馴染めないと早い段階から認識出来ていました。その上、一度大きな挫折を味わったことが大きな糧となり「絶対に退くことは出来ない!」と言う思いを持ち続けて今の環境に繋がっています。身体のコンディションは生涯の中でベストな状態にあり、まだ上げることが出来ると思っています。



戦争の時代はどのような人も、明日自分が存在すると言う保証がありませんでした。しかし、確率は違えど今もそれは同じはず。事故に遭って一瞬で死なないとも限りません。

一人の人間に生涯与えられた時間は実は想像以上に短いものです。更に、精力的に動ける期間は恐ろしく短いことを認識すべし。その上更に一瞬で死ぬ可能性もある。

今やっていることがどれだけ重要か重要でないのか、今最もすべきことは何なのか。もう一人の自分に問いかけてみてはいかがでしょうか?