2006年01月24日

皮肉言。

どんなに攻めても買ってくれなかったのに、ひょんなきっかけとタイミングで契約に結びついたりする。

かと思えば、ほぼ契約いただける段階で逆転してしまい、買ってもらえなくなったり。

これらは、きっと波のある自分の感情が影響しての結果だろう。

平常心で向上心に望みたいのだが、人間、風が肌に当たるだけでストレスを感じてしまうほど敏感なもんで、なかなか感情コントロールというのは難しいものだ。

自分の気持ちというものは、いかに人に影響し、思いもよらぬところで因果をなす。

そして、我が身は人の気持ちによって存在しうるようなものでもあり。

相互の気持ちの交流が気持ちの悪いバランスをかもしだしている。

そうであるからこそ潔癖さで、自己自立を目指してはみるものの、本能から集団にかまってもらえないと寂しさで気が狂いそうで、その穴を埋めるために人は遠からず近からず、ここでも気持ちの悪い交流とバランスのなかで安心を求めるのだ。

その発見がネット交流でもあり。

もとは軍事用に発明されたこのコンタクト手段を見事に人の心の隙を埋めるものにカスタマイズしたものだ。

そこまで時代がすさんでしまったのかと思うとなんとも未来は灰色なんだろうかと。

安心を得たいだけなのにどうしてはっきりしない灰色へと向かう傾向がみえるのか。

安心を得るには、自分が強くなって弱者を虐げ、自分の位置をより強固にし誰ものぼってこさせなくすることではないだろう。

いつも狙われているというプレッシャーのなか、ますます冷酷に残酷に、誰も信じられなくなってしまい、それはもうあるしゅ完璧な人間なのやもしれぬ。

だけども、本当の安心を得たいのであれば、やはり相互理解が必要なのではないか。

共産主義とまではいわない。

だけども、精神の共通化はきっと誰しもが望む、それこそ永遠の叶うはずもないアンチテーゼなのやも。

皮肉だ。


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