8月11日(日)のC96コミケ3日目に、西館”G”ブロック-01a「アナログハックOR」で出展させていただきます。
 頒布物は、
  • 新刊『ANALOGHACK ENLIGHTENED「電霊道士」』
  • redjuice表紙B2ポスター(コミケ限定)。ポスターと新刊のセットもあります。
 既刊『ANALOGHACK IGNITING ISSUE』も持って行きます。
 おまけの「ミームフレームロゴ缶バッジ」は、新刊をお買い上げいただいたお客さん皆さんにお渡ししますが、こちらは数に限りがあります。
 
(お品書き:クリックで拡大します)
oshinagaki


 新刊『ANALOGHACK ENLIGHTENED「電霊道士」』は、準備号を2冊頒布した作品の、完成版になります。
 メインコンテンツの「電霊道士」は、中華風サイバーパンクを現代(古典ではなく2019年の現代)風にした、長谷敏司の新作中編小説です。

 小説『BEATLESS』の設定と世界観を誰にでも使えるようオープンにした「アナログハック・オープンリソース」の公式作例本になります。
 ですが、アナログハック・オープンリソースの作例としてではなく、ただ純粋に作品を読んで楽しんでいただける本にできたのではないかと思います。フルスイングしたので、商業出版でもできるクオリティまで持って来れたのではないかと。
 読んだ後に、「これを作るための基盤構造(ベースストラクチャー)が、誰にでも使えるよう全部オープンになっているんだ」と思っていただけるようなものを目指しました。
 そのゴールに、redjuiceさんと草野剛さんのおかげで、行けたのではないかと思います。

 サークルメンバーとして一緒に作って下さったredjuiceさんと草野剛さん、そして松田さんに感謝を。

 皆さんと、会場でお会いできますように!

 

1月7日に、父が逝去しました。
1月16日に、親族のみで告別式を行いました。

父は、自分が駆け出しの売れていなかった時期から、変わらず仕事を応援してくれていました。
デビュー前からそうだったので、20年ほどになります。
4年前に、仕事中の事故で首の骨を折ってから記憶や認知が怪しくなりはじめ、1年前ごろからはレビ−小体型認知症で、介護が必要になりました。食事やトイレの介護までは必要なかったのですが、日常生活をひとりで送ることは不可能で、要介護1の認定を受けた父を、自分が実家でひとりで介護していました。
肉親の介護は、きちんとしていた頃の姿や声をありありと覚えているぶん、精神的につらいとは言います。我が家でも、自身が認知症だとも衰えているとも認めようとしない父とは、衝突することが多く、怒鳴りあいになることもよくありました。父は夜中にまでずっと起きていて、下着や紙パンツを袋に詰めたり出したりしたりと片付けることがひどく困難になっていました。2階で仕事をしていた自分が、居間におりると、かならず床はぐちゃぐちゃに散らばっていました。
レビ−小体型認知症はパーキンソン症状が出るので、転倒を避けるために、わたしも床だけは片付けようとするのですが、父が何かしているのを中断させたり先回りして片付けたりしようとすると、怒鳴りつけられるわけで。認知症ですぐに忘れてしまう父との、穴を掘っては埋め直すような、何一つ片付かないし前にも進まない日常に、ついつい自分も怒鳴ったり怒鳴り返したりでした。この一年間で、父が人生でもっともたくさん喧嘩した相手は、母を除けば自分になったのではないかと思います。
地元の小規模多機能の介護施設での、週2日のショートステイと1日のデイサービスに頼るようになってからは、心身ともに負担はかなり軽減されました。3月くらいまではただただ介護で振り回されるばかりだったのが、ようやく仕事が立て直せるようになってきました。実を言うと、アニメ『BEATLESS』の放送実況では、何時間も風呂に入ったままの父をなだめすかして出して、すぐにノートPCに向かったこともありました。
仕事を立て直せるようになったのは、夏ころからだと思います。

それでも、父は介護施設に行くのを嫌がりました。私は介護施設に週数日は預かってもらわないと介護と仕事を両立できないわけで、「息子の人生を守るために介護施設には行ってもらわないと困る」と、そのたびに訴えました。5年後のわたしの仕事を作るのは、今、何ができているかであって、物書きは基本的に終わらないマラソンだからです。それはエゴで、恩返しに注力をするべきだったのかもしれません。けれど、考えを重ねて意図して積み上げてきた者が、たまたま積み上がった体験を頼りに5年後に勝負できると思えるほど、楽観的にはどうしてもなれませんでした。
認知症というのは、忘れるから認知症なわけで、1日に10回以上はそんなやりとりを繰り返して、そのたびに1週間に100回くらい同じ答えを返していました。

1月7日は、寒い朝でした。いつものように介護施設のショートステイの日数を減らしたい父と、いつも通りに押し問答を続けてから、20年近く定期通院している病院に行きました。出しなに、父がトイレから「行くな」と叫んでいました。似たようなことはしばしばあって、戻って聞いてもたいした話が出てきたことはなかったのでさっきの話の蒸し返しだろうと、予約時間に遅れないようにそのまま家を出ました。

そして、夕方に帰ってくると、父は掘りごたつに入ったまま仰向けに倒れていました。
眠っていても、わたしが帰ると何か反応するのにおかしいなと思い、顔色がおかしいことに気づき、名前を呼んで揺り起こそうとしました。そして、まったく反応がないため、鼻の下に手をやって、息をしていないことに気づいたのです。
救急車を呼び、指示された通りに胸骨を押して心臓マッサージをしました。父は、眠るような表情をしていましたが、口から吹いた泡が乾いたような跡があり、トレーナーにも同じような痕跡が残していました。胸を押すたびに、すこしずつ泡と一緒に生の肉が出てきました。一昨日の鍋に使った鳥の胸肉ブロックの残りが、生のまま切ってわさび醤油をかけた状態で、こたつに置いてありました。風呂に入った痕跡のように、風呂場の扉は開いて風呂桶の蓋が外れたままになっていました。
午後6時半頃、もう回復の見込みはないということで、臨終を看取りました。

今年の正月は、ひょっとしたら一緒に過ごす最後になるかもしれないなと、すこし豪勢なおせちを通販で買いました。確実にすこしずつ症状が悪化してゆく父を、全日で施設に預けなければならない時期が、近づいてきているという感覚はあったのです。
三段のお重を解凍して元日の夜に出そうとすると、父が寝ていたので、2人で食べるのは駅伝を見ながら2日の朝になりました。仕事で昼夜逆転していたので、それから一眠りして夕方に起き出してくると、冷蔵庫に入れたはずのおせちが引き出されて、ほとんど食べ尽くされていました。
食べ過ぎでおなかを壊したのか、白木の重箱に排泄物のような茶色いものがついていて、「これは大変な一年になりそうだな」と、ため息をついたものでした。

父の体は頑丈で、胃腸などは自分よりもよほど強い人でした。
この介護は、長ければ10年以上続くのではないかと思えたほどです。そのため、そう遠くないうちに全日の介護施設に預けたほうがよいのではないかと考えていました。
結局、そのいつも通りが、ずっと続くなどということはなかったのです。

病院死ではないため、死体を検案した医者さんによると、心停止したのは午後1時頃だという話でした。
病院で診察が終わって、会計待ちをしていた時間でした。
おそらく心臓が原因で、死は短期間で訪れ、咽を掻きむしったりといった苦しんだ所見はないと聞きました。

その日のうちに駆けつけた兄に、家が汚いと言われ、葬儀などで親戚が来ても今のままでは上げることができないので、その夜から片付けるということになりました。
父がいつも座っていた掘りごたつの、倒れていた場所から手が届く、いつも見ていた本の中に、自分の著書がまじっていました。
父はずっと、「お前の本はむずかしい」と言っていて、読み終えた本はほとんどなかったはずでした。認知症になった後は、読み進めることも極めて困難だったはずです。
それでも、何冊も、父が座っていた場所のそばには、長谷敏司の本がありました。
自分は一番身近な読者を亡くしたのだと、現実がようやく理解できました。何をしても、見えない異物がはさまって違和感があるような落ち着きようのなさをこらえながら、汚れた本を紐で縛りました。
その片付けは、かならず自分がやらなければならないのだと、わかっていました。

母が亡くなったのは、18年も前、小説家としてデビューする数ヶ月前でした。かたちになった本を、ずっと読んできた肉親は、父でした。
父は、引っ越しするたびに本を買い直すような富島健夫のファンで、長谷敏司の本は明らかに読書傾向とは違っていました。
それでも、新刊が出るたび一冊はかならず父に渡していました。父も、新刊がいつ出るのかと、思い出したように尋ねてきました。
今よりもずっと仕事が回っていない時期にもそうでした。そういうものだったのです。それが、自分たち、父と子でした。

1月16日。父を見送りました。骨壺と位牌は、かつて母を亡くした父が、母の骨壺を置いた場所に据えました。
人生に一区切りついた思いがします。
実家は、やはり父の家で、片付けをしてもあらゆる場所に父の気配が残っています。
四十九日までは残りますが、1年以内か、どんなに長くても3年以内には転居することになると思います。

ただただ、ありがとうございました。
倒れるまでは、歩いてゆきます。

 振り返りにはちょっと早いですが、blogでそろそろまとまったご報告をすることにしました。

 今年は、BEATLESSのアニメ放映、BEATLESS文庫化、BLメディアの発売、C94の告知と、いろいろとお伝えしたいことがありました。
 記事にすることが山ほどあったものの、blogを放置してしまいました。
 なぜかと言いますと、家庭の事情でして。

 二人暮らしで同居の父が、認知症を急速に悪化させたため、介護に入っていました。

 実は、前のblog記事を書いた直後、12/30のC93から帰ってきたら、幻聴が始まっていました。
「隣の人が、二階に来ているから」と、誰もいない部屋に人がいると言い出したことを皮切りに、風呂場で気絶をするようになったり、夜中にトイレに行こうとして転んで朝まで立ち上がれなったりと、まともに生活ができなくなりました。

 長谷の状況としては、もっとも危機的状況だったのは、BEATLESSアニメ第1話が放映された1月12日頃でした。
 文庫責了直前のあれやこれやで、ただでも限界でした。介護保険をとるため病院に行ったら検査の必要があり、ほぼ一日中病院で張り付きでした。介護をはじめたばかりで、いつ仕事に戻れるのかタイミングをはかれず、ずっと見ていなければなりませんでした。介護保険をとれておらず、介護施設との契約もできず、助けを求められる相手も限られていました。
 BEATLESSのアニメ放映は、けっこう大変だった中で、数少ない癒やしでした。ディオメディアさんと水島精二監督、スタッフ、キャストの皆さんには、感謝しています。

 自著はじめてのアニメ化の、2週間前に親の介護が始まるというのも、なかなか珍しいのではないでしょうか。

 ともあれ、1月は、なんとか文庫作業を終わらせたものの、予定がほとんど壊滅しました。2月3月で遅れながらようやく最低限度仕事を立て直し、4月から6月でやっとペースを戻してきました。6月末に重症の四十肩で、突然、1週間ほど肩がまったく動かなくなるハプニングもありました。例年に近い余裕が出てきたのは、つい最近の7月8月です。

 そんな状況だったので、C93の同人誌では「完成版はC94(夏コミ)で」と気楽に書いていましたが、さすがに無理でした。お待ちいただいていた皆様には、誠に申し訳ありません。

 準備も昨年末からほぼ止まっていたため、このまま12月のC95に強行すると相当窮屈なスケジュールになるので、いったんスケジュールは仕切り直しとしました。今後は、長谷のほうの原稿完成後、造本のことなど相談することになりそうです。
 ただ、原稿自体は近々完成するので、おそらく来年の夏コミ(C96)にはなんとかなるのではないかと思います。

 ほか、ガガガ文庫の『ストライクフォール』4巻など、もろもろ玉突き事故で遅れております。こちらも、お待ち頂いているかたには、本当に申し訳ありません。
 刊行予定がズレているものは、だいたい介護の影響です。ちいさい締切でも、昨年までの経験での作業見込みから、仕事ひとつひとつが数日ずつ遅れて、それが雪だるま式にふくれていっている感じです。

 今は、介護保険もおり、デイサービスやショートステイも活用して、仕事がきちんと進むようになってきています。こんなことになるとは想像もしなかった昨年までに、アニメのタイミングにと入れた諸々の仕事が詰まって、いろいろ滞っているだけなので、それほど深刻ではありません。
 つまり、遅れは厳しいのですが、時間さえあればきちんと流れ出すということです。

 父には行き届かないところもあって申し訳ないのですが、介護よりも自分の人生を壊さないことを優先して、仕事を普通にしている感じです。介護に飲まれないように、やるべきことを、できるところまでは進めてゆこうかと。
 
 今年、「人生の宿題」という言葉に、深い納得感を得るようになりました。
 いつかやってくるとわかっていた課題にとうとう直面して、誰に提出するでもなく、すこしずつ手を動かしています。
 介護をしている以外は、何も変わったことはないと、言えるようになるまで、8か月かかりました。
 ようやく、ここまで来ました。 
 

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