地域コミュニティとコミュニティビジネス

地域コミュニティには共通の利益はない。強いて挙げれば、住み慣れた土地に住み続ける「暮らしやすさ」ということだろうか。地域には年齢や職業の異なるありとあらゆる人が住み、生活している。もっとも、これでもかの少子高齢化で活力どころか存続も危ぶまれて久しい。地域コミュニティに共通の利益がなくて、かつ見つけ出すことができてもそれはよってたかっての「妥協の産物」になることが多い。
 ようするに、地域での努力は報われないということだ。地域コミュニティはいま、進化はおろか空洞化が着実に進行している。地域に暮らすも者が時代に合った形で存続していくためには、生活のパターンがこれだけ大きく変化しているのに、コミュニティ(区)が昔ながらの運営体制をとることで、それでなくても少ない若者を中心に関心を失わせている。ようするに、地域に合ったカスタマイズがどうしても必要になっている。

 解決の一つに、コミュニティビジネスがあると信じる。
一言で言えば地域の力でビジネスの形をとって解決していくということだ。具体的には、私どもグループみんなの家EH事業部が実施ている、「地場産材による甘味保存食でめざす防災食品づくりも」該当する。
コミュニティビジネスってなんやと言われた時、必ずしも利益追求を目標とせず、住民主体の地域密着サービスであり、顔の見える関係をベースした住民による地域密着ビジネスということができるだろう。
しかしながら、世の中はあらゆる面で経費がかかる構造が出来上がっており、関連の出費は常にプロフィットを上回り、その穴埋めはボランティアとして割り切って参加してくれている山の神達の女性グループが担ってくれている。何とか、継続させるためのプロフィットを得たいものだ。

 12月3日

普通の国より理想の国

2003年に発刊された、12年前の司馬遼太郎対話選集を読み直している。いわゆる一昔前の世相を時の有名人と対話しているのであるが、実に2015年の社会問題とも符合している。井上ひさしとの対談で司馬は明治憲法の生い立ちから、統帥権を持ち出して憲法の理念を押し曲げ、戦争に突入していく過程を語り、12年前にも日本がその愚をもう一度犯す危険性を嗅ぎ取り、話している。
「私は普通の国になどならないほうがいいと思ってます。日本は非常に独自な戦後を迎えて、独自な今日の形態にあって、この独自さはいんだという気持ちがある。確かにその独自さの中には間尺に合わない、つまり核の問題も再軍備の問題もあります。しかし、かといってそれを全部クリアしてフランス並、あるいはアメリカ並みの普通の国になって普通に振舞って、それが何になるんだということがあるでしょう。ふたたび砲艦外交をやる。あるいは核を持って人を脅す外交をやるというのでしょうか。われわれはそれ以外の道を戦後に決めて、しかもわれわれの頭にはそれがしっかり染みこんでいるのだから、もうちょっと違った理想的な国を作るほうに行こうじゃないかと思うのです」
福島原発の事故、数年で原発の再稼働を決める政治、省益追求の官僚支配と天下り先確保主義、1000兆円の借金(債権はそうでも資産はどうよ?)、何でも補助金で解決しようする行政、補助金を漁る市民・・・・司馬遼太郎に今の世相を歴史的に見てどのように思うか、聞いてみたい。 

合わない人はすぐ分かる

 合わんなあ~と感じる人は誰でも居るのだろうが、齢60を超えると顔を合わせ、少し言葉を交わしただけで感覚的に「この人とは合わへんな」というのが、分かってくる。違和感を覚えるというか、この人は信用できないというのが肌感覚で感じられるのだ。年を取れば人格的にも丸くなり、人付き合いが上手になるように人生経験を積んでいるようにも見えるが、私は残念ながらそうはなっていない。
 断っておくが、「合わない」というのは「嫌なことを言う奴」のことではない、厳しく、嫌なことをいう人でも人間的に信用出来ていれば、素直に耳を傾けることができる。しかし、合わない人には、何を言われてても心に響くことはなく、言っていることが空虚と感じてしまう。
 残された人生の時間を大切にするためにも、合わない人とはそもそも付き合う必要がないというのが、私の基本的なスタンスだ。友人にも八方美人的に全方位で笑顔を振りまき、人から何か言われると必ず相槌とうなづきを返す者もいるが、傍から見ていて痛々しい。さぞやストレスをためているのだろうなあと思えてしま。
 少子高齢化が進む当地の山間集落は、あと数年で集落の有り方まで問われる時期が迫っている、人の顔色を覗い時間をかけて合意を形成していく時間はもうない。そうであるならば、自分が必要と思う地域の活動、社会貢献を、自分が信じられる人と進めて行くしかないと覚悟している。

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カッコいいアイディアより地道な実践

地方創生の掛け声で、地域の再生とか創生?の事業がメジロ押しで横文字のイベントも多い。
今の状態で良いのだろうか、自前の実践ではなくて、他の地方で成功したかに見えるものをパクリって地域に落とし込もうとする、そんな事業は成功するはずがない。
スローライフ、グリーンなんとか 、キックオフ〇〇・・・それって何なのと思わずつぶやいてしまう。
例えば、当地には農林水産祭りで地域で採れた野菜や果物を持ち寄り、軽トラの荷台で地元の人とふれあいながら売るといった地域に根を張っていたイベントが有ったが、いつの間にかスローライフフェスというコンセプトがあいまいな、 イベントに変わってしまった。すると客層も変わって、軽トラ市とか屋台は苦戦を強いられていた。大体スローライフってなに?自然農法、無駄を省いてシンプルな生活スタイルの追求かな。結局スローライフを実践する人とか興味のある人の購買意欲っていうのは、当然低いですわな。少なくともタイトルは農林水産祭り(スローライフフェス)にしておけば良かったのではないかと思えました。
別に、ネーミングがかっこよくなくても、地味な事業で当たり前のことをしっかりしていくことをおろそかにして、目新しいことばかり追いかけても結果がついてきません。いろいろな試行錯誤を経て生み出される、地域に合った事業を着実に実践して、地道にしっかり成果を積み上げていくことでしか、地域は変わず、変えられないと感じてますわ。6月20日1

一億総活躍社会はないですわ。

 一億総活躍って何?日本の人口は1億2千万人とちゃうのかいな?と突っ込んで見たくなる。
そもそも活躍とは何かを調べると、物事に秀いでていたり、業績を上げたり、他人が見て評価ができる人というのが辞典の記載なのだが、社会でも一極集中の東京もあれば、田舎の市町もある。
 忙しく仕事を続ける人もいれば、のんびりと自分の信念というか、感性でスローライフを送る人もいる。癌と共存しながら余命を数えている人いれば、幼い子供もいる。健康な人も、病気の人も、障害を持つ人も、等しく今を生きている。どう考えても、国民全てが総活躍できそうにはない。
 言い換えれば、「活躍しない人がゼロ」社会を目指すなんて、一寸気味が悪い。小市民は、戦後生まれだが、70年前の戦前のスローガン、語族協和、八紘一宇などと同じスローガンの匂いがしてしまう。
人間は様々な個性を持つ人がいてこそ面白い。面白くない社会は生きづらい。どうせなら、ブータンのように国民総幸福社会にしておいて欲しいものだ。
jyuugai 17



スズキは大した会社だ!

 私の村にもフォルクスワーゲンを愛車にしている人が3人いる。戦前からドイツでカブトムシの愛称で有名なフォルクスワーゲンはディーゼルエンジンの排ガス不正が明らかになり、会社の株は毎日下落している。
 不正の方法は、車載のコンピュータプログラムが、試験用のローラーか路上かを判断して、試験の時は排ガスがクリーンな状態を作り(燃費は落ちる)、路上ではNoxなどを出し放題だったというものだが、世界的な企業で技術大国と自称するドイツのメーカーがそんなことをするか?という信じられない話だ。 
組織的な犯罪で、技術者の矜持をいささかも感じられない事件だ。ドイツにギリシャの国の債務悪化を国民が怠け者だなどという資格はない。 
 それにしてもである、詳しいことは承知していないが、確か最近スズキ自動車がフォルクスワーゲン社との提携を学ぶことがないとの理由で、国際裁判所に提訴してまで、解消したと伝えられたが、実はスズキはこのことを知っていたからのアクションだったのだろうか。 
 そうであれば、85歳の娘婿鈴木修CEOは大した人だ、一代でスズキを国際企業に育て上げ、今なお経営の判断を誤らないカリスマだ。経営トップはかくありたい。
 国のトップこそアメリカの要望のままに無理に無理を重ねて、安保法制を無理強いするようなことなく、日本の進路を誤らないでほしいと切に願う。無理も不正も不法もいつかはほころび、手痛いしっぺ返しを受ける。
suzuki 

「そこまで言って委員会」にはガッカリや

   9月6日の読売テレビのそこまで言って委員会を見ていた。
安倍総理が出演して、質問に答えていくというものだった。(国会で問題視されている)番組のMC辛坊治郎はそんなに嫌いなタレントではく、むしろ好感を持って、主演している朝のニュース番組「すまたん」も毎日時計代わりに見続けている。
しかし、今日はガッカリした出演者の殆んどがこれでもかというくらいのヨイショを繰り替えし、読売新聞系とはいえ番組全体が安保法制の応援団と化していた。
 反対しているのを左翼と決めつけて、左翼つばさ君となづけたぬいぐるみのキャラをいじっていた。安保法制については、実は私は良くわからない、中国の軍事力の増強、海洋進出を見ていると、一概に反対とも言い難い、法制化されたとしても自衛隊が、米軍の補完的軍事力として、紛争地に派遣されたりすることはないだろう。
 しかし、それは着実に薄紙を剥ぐごとく、進展していくことは歴史が証明している。いったん、自衛隊が派遣されたり、米軍との共同行動で 戦死者が出たりすれば、国民感情として、やり返せとなることは明らかだろう。3年5年先に日本はどういう国になっているのだろう。どういう歴史を作っていくのだろう。小市民は少しばかり歴史が好きなだけに、歴史は繰り返すの言葉に恐怖というか、恐れを感じてしまう。

戦争 

本音で防災を考える

 消防機関に38年勤めて退職、前職関係から頭も体も意識的に離れて、少し立ち位置を変えて地域の自主防災組織サンダーバードを立ち上げ、仲間と地域活動をしてます。
 9月1日は防災の日、この時期になると定番の防災総合訓練とかが、全国津々浦々で実施されてます。6日あたりがピークになってますな。
 当区でも市の防災総合訓練に合わせて、避難訓練等が実施されます。今年は、消火栓の使い方をレクチャーしてくれと依頼されてます。私が、消火栓を使うとき、口やかましくいうのは、①放水は足場の良いところで ②建物の中には入らない ③煙にかけずに火元にかける この3点だけですな。
 
 少し、本音の話です。火事が起きても、消防車はそんなに早く来ないと断言しますわ!消防署が、火事です早く来て! の通報で現場を確定し、出動指令を出すまでに1~2分、署所から隊員が車両で出動するまでに1~2分の時間的ロスを加算すると、例えば、8km離れた火災現場で消火作業が開始されるには、15分は必要となります。私の経験からいえば、消防ポンプ車が駆けつけて、早い通報少ない損害を実践できるのは、消防署から2~3km以内での火災に限られます。
 それより遠隔地になると、通報から出動して到着するまでに相当な時間を要します。(到着時間は、1kmごとに1.5分くらい遅くなる)さらに、現場に到着、水利を求めてホースを伸ばし、放水するまでに、少なくともプラス2~3分かかりますから、初期消火のタイミングは完全に逸してます。後は、隣に燃えていかなければ良しとするのが実情ですな。
 木造の建物火災には原則があり、3口の包囲放水体制ができれば、延焼拡大することなく、制圧できます。初期に直近の消火栓が放水され、さらにもう一口消火栓からホースの延長がなされれば、十分建物は消火できます。(屋根が抜けて炎上してからは無理)ようするに、消防車を今かいまかと待っていては、家は燃えてしまいます。この事を心する必要がありますな。
 防災総合訓練では、このあたりを住民に教える必要があるのではないかといつも思ってました。単に消火栓を使って形どおり放水するだけではだめだで、もう一口を合言葉にしなければあきまへん。消火器訓練でも消火粉末の始末が面倒なので、水消火器という水鉄砲で訓練してますが、これも意味はありまへん。
 さらに、AEDの使用訓練とか、心臓マッサージの訓練についても、一年に一回程度では残念ながら モノにはならないと断言できますわ。(やらないよりはましだが)年に一回程度では、事が起こった時、訓練はやってましたという、言い訳のためにしかなりません。人を救うということは、そんなに甘くないことで、AEDを備えた学校、体育館、福祉施設は月に一回は訓練しなければ、実際の役に立ちませんなclassic_title

沈黙の艦隊を再読中

 かわぐちかいじのコミック沈黙の艦隊全32巻を読み返している。この作品は1988年から1996年の12年にわたって連載され、大人気を博した海と潜水艦をモチーフにしたバトルアクションストーリーだ。そういえば確かアニメでも映された。沈黙の艦隊は、アメリカが日本のお金を使って建造した原子力潜水艦が海江田という天才艦長によって奪取され、ヤマトと名付けられ、アメリカ海軍をはじめソ連海軍を手玉に取っていくというストーリーだ。単なる戦闘・戦場コミックではない。日米同盟とは何か?戦争とは何か?独立とは何か?情報とは何か?アメリカの日本に対する本音とは、のテーマを含んでいる。
 連載開始から27年も経ってしまったのだが、政治家、マスコミ関係の登場人物も色あせていないし、何より自衛隊の描写が素晴らしい。憲法違反の安保法案を論議する前に、政治家の方には一度読んで欲しいものだ。
 酷暑なのでクーラーの効いた部屋で、毎日数冊を読み替えているのだが、実はこのコミック本を処分しようとブックオフに、ジパング43全巻と一緒に持ち込んだのだが、古くてヤケているとし全く値段がつかず、当店で処分しておきましょうかという店員を制して、持ち帰った代物だ。それにしても、読み終わった本をお売りくださいと連呼しているブックオフ、とにかく本がきれいでなくては、どんなに名作でも、全巻揃っていても値段はつかないという。比較的新しくてきれいなコミック本に付いたプライスは一冊20円だった。(799円の本が・・・)01_fig05l

豊かさ

 猛烈に働く、成績を上げて給料を上げ、頑張った成果を所得という形で得る。そのために家に帰るのを遅らせ食事はコンビニ物も多い、手取りは増えたが自分の時間は無くなり、関連の支出は増えていくというのが今の社会(ただし、公務員は多くの既得権益を手にしているので別)の姿だ。成長こそ正しい経済の道で、消費を増やし、輸出を増やせば人も国も豊かになるというのが日本の目指す経済スタイルだとされている。
 本当にそうなのか?急激な人口減少社会でこの成長戦略モデルは続けられるのか、小市民は不安だ。
豊かさの指標である所得、生活するためのお金は発想を変えればかなりセーブできるということはリタイアして分かった。
 その品物は本当に必要なのか、少し待って頭を冷して購入することにした。酒・タバコに縁のない私は月の支出の中で2万円近くを本代(コミック・週刊誌から専門誌etc)に使っていたが、週刊誌は全く買わないし、専門誌の必要もないので本代は激減し、飲み会を中心にした交際費も、気の合った仲間と割りカンのスタイルに移行している。

 家の物置をチェックして今までなんと膨大な無駄なガラクタを買って来たものだと改めてため息をついている。
今は多くの時間を地域の仲間と過ごしている。血も涙もない山の神は、たまにしか乗らない小市民の愛車(9年目のローバー)に標的を絞って、軽トラ1台だけにするよう迫っているが、これはまだ譲れない・・・
 少ない年金だけの所得となったが、有り余る時間、自由なスケジュール、気配りのいらない気の合った仲間とのライフに精神的・感覚的な豊かさを(満足)を感じている。
 それでも、ヒマな奴が居るという評判が立って、一寸手伝えとか、この仕事を頼むとかいわれるとホイホイ出かけて行き、少しばかり小遣いが増えるとつい気前がよくなり余計な物を買ってしまう・・・・・・あかん、これでは前の生活スタイルに戻ってしまうがな。images

たかが草刈、されど草刈

 7・8月は、あらゆる道路の除草、草刈が行われる。先日、伊勢の賢島に行ってきたが、高速道路のあらゆる箇所で除草作業が行われていた。旗を振る人、草を刈る人、集める人、草キレをブロアーで飛ばす人、トラックに積む人etcで多くの作業員がチームで働いていた。
 山の神は一人一日一万円としてここだけで数十万円やね!としょうもない計算を披露してくれた。とんでもない、除草がそんな単価で実施されているはずがない。高速道路の面積当たりの除草費用は、詳しくは知らないがとんでなく高価であると聞いたことがある。昔、民主党が政権を取った時、高速道路の無料化を唱えて、一部実施していた確か土日に一部区間が無料になったと記憶している。この時、民主党は道路維持のための費用のことを考えたのだろうか、考えてなかったと思う。
 高速道路以外にも、国道、県道、市道と日本全国を網の目のように結ぶ道路の毎年の除草作業に要する経費は一体どれくらいの額になるのか、検索しても出てこないがおそらく数百億円は下らないだろう。
 何とかならないものか、アスファルト舗装の切れる路肩に雑草が繁茂するのだから、もう少し丁寧に施工して砕石を転圧するとか、防草シートを張っておくとかはできないのだろうか。 業者による除草作業単価もけっこう高い。刈った草を残らず除却するのが基本だからだ。 住民グループによる受託も行われているが、これも既得権益化し一部の者による独占とかで問題が多い。
 毎年感心している事がある、ある年配の方が、自分の村に至る県道沿い数百メートルを全くのボランティアで除草してくれているのだ、この方に道路管理者は燃料費を出すとか、保険を掛けるとかで報いることは全くしていないとも聞いた。あくまで、ボランティアで勝手に刈っているという形が行政的に都合が良いのだろう。〇〇さん、今年もありがとう。みんな感謝してますよ、無償でこの作業を行っていると知る人は少ないけれど、あなたの行為は交通安全、環境保全にとて貢献しています。片やm当たり数千円、片や手弁当の無償の草刈が混在する、実に不定理である。207

入れ墨と若者

 最近近所のスーパーあれっと思う事があった。
それは、夏になって半袖とか短パン、Tシャツでの買い物客が増えたのだが、これ見よがしに入れ墨をいれた肌を露出している若者を目にすることが片田舎でも確実に増えていることだ。
 肩口から二の腕にかけて鮮やかな入れ墨のデザインをじっくり(じろじろ)確認する気にはなれなかった小市民だが、入れ墨とベンツはやくざの代名詞だと信じて疑わない。
 そんな入れ墨をわざと見せて悪びれた様子も、遠慮する様子もないというのが小市民には理解できない。消える事の無い入れ墨は、江戸時代以降は刑罰の一種であり、現在でも数々の社会的制限がある。
 たとえば、入れ墨をしていれば公衆浴場などで建造物侵入罪となり得るし、退場を求められても従わないと、不退去罪にも問われる。神戸の須磨海岸では公衆の目に触れさせることも禁止されている。入れ墨は暴力団構成員の認識となる。司法当局では入れ墨の有無を当人の社会的スタンスを示す明確な指標として認識しており、逮捕されたものは入れ墨の有無確認とその写真が撮影されると何かの本に書かれていた。
 先ほどのスーパーで見かけた若者の一人は、スキンヘッドではあったが小柄でおとなしそうな風貌であった、ただ入れ墨だけが他の買い物客とは違っていた。若者君、あんたはこれから伴侶を見つけて、子供を育てるときその入れ墨がどんな社会的なリアクションを引き起こすのか考えたことがあるのかいなと心の中でつぶやいた。
 消える事の無い(消すのは困難)、入れ墨をして、牧歌的な地域の小さなスーパーでひけらかす行為にどれだけ意味があるのだろう、入れ墨に抵抗のない若者の行動は小市民の理解を越えるレベルになってきたと思う事が、老いの進行を示しているのだろうか。
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プレミアム商品券買ったが・・・・

プレミアム商品券は、政府の地方創生に関する「地域消費喚起・生活支援型」交付金で全国の各自治体に対して、総額2500億円を年度内に使えと言っているらしい。

 私も山の神に早く並ばないと買えへんでの声に急き立てられて10時発売の前の9時30分頃家を出たのだが、まあ凄い人だった。かってこの役場庁舎でこれだけの人出が有っただろうか、催しを知らずに通りかかった友人は一揆が起きたのかと思ったと笑っていた。
 4日・5日とも30分以内に完売で、明日6日も数を減らして販売されるらしい。私は、4日10時に発売ということで、9時40分ごろ発売所に行ったら、係りの人が完売の看板を持ち出すところだった。
並んでいる人と、言葉を交わしたがこれって結局税金で我々に返ってくるんやで、ばら撒きやがな、並らばんと買えないなんて何か不公平や、米原の発売所では近隣の市町から来て並んでる人もいるらしいわ、スーパーのフレンドでは発売枚数も多い代わりに、列の最後尾が見えない程人が田んぼの畔にまで並んでるわetc・・・なぜか皆少し後ろめたいのか、テレなのか自虐的な言葉が多かった・・・わが米原市は、1万円で13000円の商品券、率も良い、そら並びますわ2冊で6000円濡れ手に粟ですから。
 地方創生の名で強制的に発行を命じている国だが、探求のバラマキなのだろう。そういえば、昔もそんな事があった、全国の市町に1億円配ったり、近年では子ども手当(給付金)も同じようなものだったのだろう。さて、思惑どおり消費の拡大に結び付くのか、反動で後で消費が落ち込む事は想定していないのか。
 あるFBの投稿に、並んでいる人々の多さにあきれて、ギリシャに似ている、「未来を生きる人からの承認なき搾取」「今だけ、カネだけ、自分だけ」の社会の縮図を見るようだとの意見を見て、手に入った商品券を眺めて少しだが切なさを感じてしまった、気弱で欲深い小市民である。

PS:上記のFB投稿者が、実は私も並んで買っているとの告白あり、オイオイ・・・・・・・


5月15日
 

人口半減中山間地の未来?

 今年、国土交通省から発表された、「国土のグランドデザイン」によれば日本で人が住んでいるのは約18万平方キロメートルでそのうち、60%の地域では2050年に人口が半減し、その三分の一の地域では人が住まなくなるとの未来図を描いて見せた。
 オイオイ!結局大阪、東京に人も物も金も集まってしまうのかいな。地域創生とか地域が元気にと掛け声をかけてもやはり地方の未来は極めて厳しいとしか言えないわけね。 
 地方の小さい市町を人間の体に例えれば、指とか足で細い血管で養われていて、地方交付税とか補助金がメインの血流なのだろう。
 それでも、このまま進んでいくと国はやれ行政効率が悪いとか、市町の努力が足らないとかの難癖をつけて、切ってしまえ、切り捨てよと進んでいくのだろう。
 日本は田舎が消滅し、大都市だけが繁栄しているという、恐竜の世界のような、いびつな国になってしまうのかも知れない。
 大都市だけの日本なんて考えたくもないが、2050年と言えばあと20年と少し遠いようで実は近未来だ。小市民などは、その時生きてはいないだろうが、生きている限り地域の衰退を見続けなければならない。

 地域おこしとか町おこしの掛け声は相変らずだが、行政は自分のセクションの事業の体裁と成果物何んぞにとらわれることなく、少し長いスパンで住民と一緒に考えよう、住民に寄り添おうという気持になって欲しいと願っている。
 それより果たして、2050年の人口半減に住民は故郷の存続が危ういと何時気づくのだろう、行政と手を携え合ってあらん限りの知恵を出し合って、この問題に備えることはできるのだろうか、小市民は少々悲観的にならざるを得ない。green%20tourism10

シャープの凋落原因

私の家のテレビ大小5台、メインの居間のテレビを除いて全てがシャープの亀山モデルだ。テレビでは吉永小百合のCMに象徴され、液晶テレビでは日本のトップブランドあった、このシャープが今や経営不振が続き債務超過寸前で解体の可能性が高いと月刊誌にドキュメントとして掲載されている。
 読んでみると、そういうことだったのかというのがいくつかある。いわく、シャープは改革が必要なこの3年間痛みを伴う改革を先延ばしにしてきた。その間にジャパンディスプレイ(JDI)にタッチパネルの機能を液晶パネルの中に作り込むインセルの技術で先行された。このJDIは日立、ソニー、東芝の中小液晶自業務の寄せ集めで、そこに官制の資金2000億を入れて作った国策企業であるらしい。
 日立が台湾のホンハイに液晶事業部を身売りしようとしたとき経済産業省が待ったをかけ、日の丸液晶企業を作ったとのことだ、そう言えば、何年か前NHKの特集でこの話がテレビで放映されたいたことを思い出した。
 そうだったのだ。そうすると、シャープは経産省にやられたことになる。伏線として、シャープが70年代に韓国のサムソン電子に半導体技術を供与したことで、サムスンは東芝や日立を抜き先世界最大のDRAMメーカーにのし上がった歴史があり、苦杯をなめさせられたメーカーや経産省は「国賊」と呼んだとか、実にさもありなんな話である。
 しかし、これで良いのだろうか、経産省は自由な経済競争、技術競争を阻害していることにはならないのだろうか、もし、シャープがこけて、日の丸液晶会社のJDIが中国他のメーカーとの国際競争に敗れでもしたら、 どんな事態が生じるのだろうか、まあ小市民が心配するような事ではないことはあきらかではあるが。

12月19日2

騒々しい中国人

5月末からカナダを旅行していた。ナイアガラの滝、ロッキー山脈、氷河など面白く楽しい旅だった。
それでも、行く先々で、中国人には辟易させられた、私が直接体験した不愉快な事は3件有った。
 先ず、ナイアガラの滝壺へ観光船でクルーズしたとき、デッキで写真を撮っていた私に、かなりの歳の女性が、キンキン声で近づき私が写真を撮るので、お前はあっちへ行けと指さし、背中を押してきた。中国人には譲り合いの気持ちは全然ないのか?礼儀は無いのか実に不愉快極まりなかった。
 次に、土産物探しの山の神のポーターで、地元のスーパーでの目撃だが、中年の中国人が棚の上の商品を取ろうとして、土足で下の商品棚に足を掛けて 伸び上がり商品を取っていた。スーパーの店員は最初は笑っていたが、流石に何度も繰り返すので、踏み台を持って来て使うよう指示していた。食料品を土足で平気で踏みつけるのにはあきれてしまった。
 バンクーバーで明らかに中国人の経営の土産物店に入って30%引きの商品を数点購入したら、自分で計算したより高い、確かめるためレジの明細シートを要求したら、1割引きになっている、これを指摘すると、アナタノトッタショウヒンは、30%引きの隣の商品で10%引きだと言う。何割引きに飛びつく関西人の弱みをついた商法だと感じた。飛行機の中でも同じで、空いていた席を素早くゲットして、長々と横になっている足でシートの裏を少し押してやったら、怖い顔をして睨んできた。私の柔和な顔つきでは対抗できないので、無視しておいた。ガイドに聞いたところ、バンクーバーではかっては日本人が土地とか建物を買い占めてひんしゅくをかったが、今は安値で手放した日本人所有の土地建物は殆ど中国に置き換わったらしい、そう言えば空港内のショップもほとんど中国人の経営であるらしい。次の旅行は、どこか中国人の居ない国に行きたいと切に願っている。安部首相の政策とか言動には少しも賛成できないが、中国の脅威については同感だと言わざるを得ない。1月8日

地域のためには疲れるが・・・

 地域のために、何か役に立つ事をしたいと素朴に考え続けている。
 いろいろな事にチャレンジして、喜ばれ役に立っていると実感することもあれば、期待したほどの効果が表れないなあと自己採点しているものもある。地域はそこにあり続けているのでここまでやれば終わりということがない、「いつまで続けられるだろう」「いつまで続けていけばよいのだろう」と考えてしまう。
 地域の期待度が上がれば上がるほど、肩の荷は重くなる。私などは根が割といい加減に出来ているので、抱え込まない方であり、どんな良い事と考えて実施しても2割は反対派が存在すると割り切ってもいるので、何とか続けて来られた。
 ただ、やり始めた事はスクラップ&ビルドが簡単には出来ない。役所のように、事業は一定の効果を上げたと言っての幕引き宣言ができないのが悩みだ。
 少子高齢化が進み、私の住む地域などは機能不全寸前の状況に追いやられている。ただし、住民は慢性疾患のように自覚症状はあるが、自分の命に関わる(地域が無くなる)とは思っていない。
 しかしながらここに到り、ようやく地域で起こる問題の解決の判断基準を、個人の損得ではなく、地域のためになるか、定住者の増加に結び付くかで判断できる素地が整いつつあるように感じる。間に合うか、間に合わないかの問題は残るが・・・ 
3月15日 

成長とは何か?

 社会の成長とは一体何なのだろう?安部首相が最も大事と考える、経済成長というのは、社会の成長と呼べるのだろうか?原子力に依存し続けることが、社会テクノロジーの成長と言えるのだろうか?
 暮らしが便利になり、スマホで何でも情報が手に入る、24Hコンビニでは美味しいコーヒーもドーナツも簡単に入手できるが、これが社会の成長なのだろうか。高速道路が全国津々浦々まで整備され、歩き疲れるほどの規模のショッピングセンターにはモノがあふれて、眠らない町ができエアコンディショナーで季節に関係なく過ごしやすい気温が作り出されている。飽食の時代に生き、物質的豊かさを今実現出来ているのだが、豊かさを実感できない人があふれているように見える。
 株価の上がり下がりに一喜一憂している人たちはどこまでいっても満たされることのない欲望の海で生きているように見えてしまう。 
 NHKの朝ドラは、戦前から戦後の混乱期をたくましく生き抜くストリーに人気がある。また、私もそうだが、昭和30年代が一番懐かしく思える時代であるらしい、みんなが貧乏だったがオリンピック、カラーテレビ、ひとつひとつに感動があったあの時代である。
 
 リタイアしてから、富にマネーにあこがれる事が小さくなって来た、自然の中で季節を肌で感じ取り、森や山で自然の恵みを得る喜こびを、素直に幸せと感じられるようになった。
 私の釣りの仲間で動物写真家のSさんは、伊吹の人はこの豊かな自然の中での暮らしを享受していて、さらに何を望むのでしょうねとよく口にしているが、全く同感である。
 
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獣害増加の原因は暖冬?

 獣害対策に本格的に取り組んで3年、とにかく自分の畑はおおむねディフェンスに成功している。この経験を元に獣害対策に特効薬は無いが!獣害対策はエキサイティングでやったらやっただけ効果が見えると各方面に話している。シカ・イノシシに対するメッシュ柵、電気柵の対象療法は成果を上げているが、根本的な解決策というか、 そもそも獣害がこれだけ増加した原因については皆目説明が付かない。
 いわく、森林・里山の環境変化、山に入る人の減少、不耕作農地の増加、野菜・果樹の未収穫etc、複合的な要因なのだろうが、スッキリしない。
 私は、一つの仮説として獣害の増加は暖冬が原因だと考える。当地で考えれば、獣害が当地で顕著に増加してきたのは平成18年以降のように思う、平成18年は豪雪の年で何度も屋根の雪下ろしをした。その後は、多少の変動はあるが屋根の雪を下さなければならない年は確実に減って、ここ数年は暖冬が続き積雪量は確実に減少している。温暖化は地球規模というのが定説だが、山の積雪が減ればイノシシやシカは生存に一番厳しい冬に餓死することなく越冬が容易になり、繁殖が活発になり、数が増えるという図式が一番納得するのだが、どうだろう?
 ハンターが協力金目当てに獣害捕獲に血道を上げても、個体数が減少しているようには見えない。国や県のペーパー上の統計ではむしろ増加しているのではないだろうか。
 もっと、お金を出して一頭あたり10万円位払ってでも、ハンターの鼻先にニンジンをぶらさげれば、一挙に解決するなどと発言している山に入ったこともない無責任な輩もいるが、全く現状を把握していない。米原市の森林面積15800haの実態的なボリュームを分っていないし、お金を増やせば捕獲数が単純に増加するものでないことは、各地の実例でレポートされている。(ネット上で証拠の尻尾の冷凍品が売られていたり、証拠写真の改ざん等は後をたたない。)狩猟の世界は、性善説だけでは成り立たないのだろう。
 獣害の原因が地球規模の暖冬であれば、打つ手の決め手は無く、 地道に地域の合った防御を続けて行かなければならないjuuugai06。 もっと、山に人が入って、獣にプレシャーを与え、防御ラインを押し広げていくのが、当面の課題であることだけは明らかだろう。 

山と森を考える

日本は国土の三分の二にあたる、2500万haの森林がある。世界では、毎日平均2.5haの森が消えているというのに豊かな森林が保たれている、素晴らしい事だ。
 今、資源が無い、人が減る、高齢化が進む、限界集落、消滅自治体などの悲観的なワードが溢れている。本当に資源は無いのか、日本には山があり森がある、豊かな森林資源があり、森林が生み出す水資源がある。
 もっと、森林資源の活用を図るべきだろう。バイオマス発電、水力発電を推進すれば、危険極まりない原子力発電と決別できるロードマップが描けると思う。
 それでも、2500万haの森林のうち、戦後国の政策で植林された杉、ヒノキの人工林が1000万haもあり、この時植林した多くの木々は成熟し伐採する時期が来ているのだが、木材需要の低迷により、間伐等の手入れがされずに放置された人工林が増大しているのを肌で感じている。
 人の造った森は、人に見放され手が入らなくなったときから、荒廃を始める、今まさに故郷の山林がその状況にある。
 山林が荒廃した結果が獣害である。木材価値が下がって山に人が入らなくなり、山林が荒廃、獣害が増えるというスパイラルが続いている。 
山の仕事は、決してきつい仕事でもない、多少の技術とやる気を持てば、自然と直接触れ合える楽しいワークだ。
森林の問題を通じて、自分たちのライフを見直す(エネルギーを考えるを含めて)機会にしたいものだ。 
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