Computerlove芝原龍弥

恋の営みと訪れるコト。リプロダクションとそのフラグメンツ。ゴシック・ダブ・ロマンスをドローンとジャズる、いわゆるジャスト・アナザー・コンプリート・ミステイク。

2009年08月

当麻寺よ、永遠に。

もうずいぶん前になる。友だちの車に乗って、ちょっとしたピクニックに行った。

二上山ふるさと公園の展望台に登った。
中学生やその女性担任教師、そして多くの子供たちとすれちがいながら、その友だちとバカな話をしながら大津皇子の鐘の音を聴くでもなく聞いた。中学生の一人が飛んで鳴らした鐘だった。

二上山ふるさと公園の入口の手前には二匹の山羊がいました。
とっても人なつこい山羊たちだった。
その向かいにある店で、ソフトクリームと豆乳カルピスを作ってた、若夫婦らしき男女はレゲエを聴いてた。

それから当麻寺を参拝した。
中将姫の織った当麻曼陀羅を初めて観た。この曼陀羅は四方八方をドラマティックな絵が取り囲む凄まじいものだった。
本堂には南無大師遍照金剛の絵、行者の指導者と鬼たち、十一面観世音菩薩、中将姫がいた。中将姫を迎えに来た二十五菩薩とか。。。
金堂と講堂の他にその本堂がある理由とか、真言宗と浄土宗という宗派の違う脇にある寺が代わりばんこで守っていることとか、浄土宗のお坊さんに金堂と講堂の中も案内してもらった。
貧しかった庶民の暮らしのこと、奈良の唐招提寺や鑑真の話、最澄と空海の時代よりも前から当麻寺があること、三論宗のこと、京都東山の知恩院や和歌山高野山の金剛峰寺のこと、弥勒仏が五十七億年先の未来に向けて成就されるためにつくられたものであるとか、元来菩薩なのがなぜ如来としてつくられたとか、なぜ埃がかぶったままになっているとか、権力の世代交代が行われる度にどこの寺でも焼かれる危機があった話とか。。。

聖徳太子のこととなぜ二つある塔の先っちょが八輪になっているのかとか。。。
娑婆堂と本堂をつなぐ道がどういう意味をもっていて、そこで何が行われるかとか。。。
建てたのは聖徳太子の母違いの弟夫婦、近くの神社に神さまとして祀られてる。

それにしても中将姫は恐るべきティーンエイジャー。
寺の近くの墓地に墓がある。
世阿弥の能曲にもあるが、いつか天高く彼女の舞いを踏む姿を観てみたい。

当麻寺には日本一古い梵鐘がある。

(芝原龍弥)

スモーカーズ・デサイド。

煙草は単に煙草ではない。だからなかなかやめられない。
十代の頃から無意識にでも吸引してきた人間がやめるためには、より具体的なイメージが必要だ。

煙草はきっともっと自然に見たり聴いたり匂ったりという状態に、煙幕をはる機能があったのかも知れない。
そのものをそのままには感じたくないというような。。。

不本意な行動を肯定するための儀式なのかも知れなかった。

ついこの前までニコチンとアルコールに支配されているのが、少し好きだった。
そんなみっともなさが好きだった。

でも今は自由だ!

一日二日、煙草なしでいられれば、一週間なしでいられる。
一週間いらなくなればやめられる。

そんな中の禁断症状は心臓や肺をグルグルさせるけど、やがてマッシヴな感じが来る。

ステージの上で堂々と煙草を吸ってたニック・ケイヴのことと、ステージの上から「煙草吸いなよ!」と話してくれた佐藤伸治をふと想い出す。

煙草はやめてしまってもいつでも吸える。
しかしながら吸っているといつまでもやめられない。

心臓と肺臓は取り戻した、肝臓と腎臓も。

後は脳味噌だけだ!

失われた森または海?カポエィラ!

カポエィラの身体の動きには、好きな音楽のグルーヴとの共通点が脈打ってる。
これは柔道にも少林寺拳法にもなかった。

エレクトロとか、サンバとか、ロックステディとか。。。

バチザード(昇段式)は一種のお祭りで感動しました。
これからも、しっかりやってきます。

カポエィラで学んでいくことをこれからは生かせる仕事にしていきたい。

ロボットみたいに労働力を持ってしても、従う慣わしは太古から島に脈打つものでも、農耕をもたらした大陸からのものでもなくなっているという、なんだか戦後大事な伝統を奪われいる感じからリデンプシャンしたい。

カポエィラには厳格な階級制はない。極めていくにつけドラマティックにもカインドにもなっていく。

熟達者たちの転開といたわりの翼にヤラれてます。

ホーダ(ビリンバゥやパンデイロと歌をバックに円陣を組んでする乱取りの輪)にある分りやすい闘いの哲学を資本主義社会でラフに実践していければとも願います。

地球の裏側の文化に、なぜか縄文を、黒潮のリズムを感じる。

canivete(カニヴェッチ)と命名されました。小刀、激しく泳ぐ魚などの意味です。

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