2005年03月23日

中里見博さん「家族の重視で何が変わるか〜憲法24条の意義〜」(1)

*さる2月17日(木)におこなわれたSTOP!憲法24条改悪キャンペーン・せんだ
い集会の講演内容を、主催者のご好意で提供していただきました。
「仙台を中心とした市民・労働団体24団体のゆるやかなネットワークで構成された実行委員会が主催。大雪の中、100名ほどが参加。仙台からも改憲反対の大きな運動を作らなければとの意見もあった。集会の最後に賛同団体からのメッセージと共同アピールの採択がなされた」とのことです。
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「家族の重視で何が変わるか〜憲法24条の意義〜」
中里見 博  福島大学助教授

憲法24条というのは、憲法の中でも最も親しみやすい条文だと思います。国家と個人の基本的な権利義務関係を規定するのが基本である憲法の中で、24条には「家族」や「夫婦」という文言が出てくるわけです。

24条というのは戦前の家制度、全く理不尽な性差別、女性差別だけでなく、男性間の差別も含んでいた家制度を24条が崩壊させた。そういう非常に大きな意味をもったこの画期的な条文は、1950年代の復古主義的な第一の改憲の波において、改変の標的にされました。占領が終わって、日本が独立をした時に、当時の政府ができるだけすみやかに戦前の大日本帝国憲法体制に戻したいと考えていた。したがって、1条(象徴天皇制度)・9条(戦争放棄・戦力不保持)とならんで24条(封建家族の否定)が攻撃の対象となった。この3つが最初のターゲットになりました。

9条改変の議論は、その後もずっと続いたのに対して、1条の象徴天皇制度と、24条の封建家族の否定とは、その後それなりに日本社会に定着し、24条改変論というのは過去の話になった、と思われました。それが、90年代の改憲の中で再浮上してきました。私もびっくりしました。「男女共同参画社会」の実現が課題の21世紀に、「婚姻・家族における両性平等の規定を見直す」などとは、「あのおじさんたちは改憲をつぶす気か」と。




自民党の議員の24条改変をしたいという発言を読んでいると、まるで戦後60年間の日本社会の前進というものと全く別の空間に住んでいた人々の発言のような錯覚すら覚えます。しかし、もちろん彼らは同時代人ですし、政権政党の議員ですから何か切実な課題、何か国家的な課題を背景に言っているにちがいないわけです。

実際、24条改変論というのは、深刻で巨大な国家的課題と結びついて出てきています。つまり日本国憲法の平和主義国家や福祉国家の構想を、軍事国家、低福祉国家に変えたい。そして、軍事国家、低福祉国家を支える基盤としての家族に彼らは注目をしている。そういった国家構想の一環として出ている。

自民党が昨年6月の「論点整理」と同じ時期に出した「憲法改正のポイント」という小さなパンフレットがあります。それによると、「家族は一番身近な小さな公共」で、国家が「一番大きな公共」です。一番大きな公共である国家を再編するために、小さな公共である家族も再編したい。こういうつながりになっている。

それではなぜ婚姻や家族における男女平等を見直し、24条の男女「平等」型の家族を変えたいのか。それは、国家と市民社会を男女「不平等」なもの、男女不平等な構造や関係にしたいから婚姻や家族における男女平等を変えたいんです。「大きな公共」である国家や社会を男女不平等に変えたいので、その基本である公共の基本である家族を男女不平等に変えたいということです。

では、なぜ国家や社会を男女不平等な構造や関係にしたいのか。それは、日本を軍事国家化したい、低福祉国家にしたい、それとかかわっています。軍事国家をつくるためには、国民に「国防の義務」を課す必要があります。国防の義務の中心になるのは兵役の義務です。兵役の義務はまずもって男性の義務にされると思います。例えば、隣の韓国は兵役法で男性にだけ兵役の義務を課しています。憲法で男性に兵役の義務を課している国もあります。ドイツは憲法上、男性に兵役の義務を課しています。

自民党の議員でしたか、「ヨン様ブーム」を気に入らないらしく、日本の女性がみんな韓国の男性にうつつをぬかしていて、奪われてしまうと心配しています。なぜ韓国の男性がよいかというと、徴兵制があるから、たくましくて魅力的なんだ、などと言っています。しかし、それは勘違いですよね、ヨン様は別にたくましくて、暴力的なところに人気があるのではなくて、それの逆ですよね。

軍事を中心に国家を再編しようとすると、「男らしさ」がとても重要になってくる。男女の性別役割というのが、国家の中心的な関心事になってくる。そうした性別分業型の大きな国家を支えるためには24条のいうような男女平等型の家族では無理だ、男女平等型の家族では支えられない、という危機感が彼らにはあります。

もう一つは低福祉国家を支えることとの関係です。いわゆる「新自由主義改革」、経済活動をもう一度市場優先にし、国による規制を撤廃していく構造改革が進行中です。市場は、基本的に弱肉強食、不平等で成り立っていますから、国家がそこから撤退するということは、ますます社会を優勝劣敗の不安定なものにしていくことになります。新自由主義改革はまた、低福祉とセットになっています。新自由主義改革は、軍事国家化と矛盾するのではなく、不可分に結びついています。

日本国憲法は、軍事の面では「小さな政府」(本来軍事については、政府の役割は「ない」のですが)、しかし、福祉においては「大きな政府」という前提があります。これに対して、現在の改憲論は、軍事において大きな政府、福祉において小さな政府という国家構造に転換しようとしています。現在日本国憲法では、25条によって、社会保障制度を維持し整備するのは、国民の権利であり、政府の義務ですが、改憲論では、国民に「社会保障制度を支える義務」を新たに課すというふうになっています。彼らの言葉で言えば、国民どうしの「社会連帯」「共助」を中心にすえるのだと言っています。

「社会保障制度を支える義務」というものを国民が果たす一つの方法として期待されているのが、家族の役割なんです。国民に新たに「家族を扶助する義務」を課そうというのです。これが、自民党の「論点整理」(2004年6月)の提案でした。「家族を扶助する義務」で念頭に置かれているのは、成人した子が高齢の親を扶助する、ということです。それは、社会福祉サービスの肩代わりを家族にさせる、という発想にほかなりません。介護保険制度などの近年の流れとは、全く逆だということになります。

その後11月になって、自民党は「憲法改正草案大綱」というものを出しました。資料1で憲法改正をめぐる最近の動きをまとめてあります。そこでは家族に関して「両性の平等」を削除するとか見直すとかとは言われていません。しかし、家族を社会の不可欠な共同体ととらえて、保護するという文言がある。さらに、「家族」の代わりに「家庭」という言葉を使ったことにわざわざ注釈がついていて、家族というと血縁関係を想像しやすいが、血縁主義を思わせない「家庭」という言葉を使うんだと言っています。このように相当に気を使った書き方になっています。おそらく2004年6月の「論点整理」に対する社会のさまざまな反対に配慮したんだと思います。

しかし、「論点整理」を軽視することはできない。もし何の制約もなかったら、このようにしたいということを赤裸々に語ったのが6月の「論点整理」だったと思います。しかし、自民党の憲法調査会などの会議で議員が言っていることを見れば、どんなにオブラートに包んでも、彼らの意図は明白に知ることができます。

さて、「論点整理」について、もう少し詳しくみていきたいと思います。資料2に、自民党憲法改正プロジェクトチーム論点整理抄録というのを載せてあります。総論・前文・「国民の権利及び義務」しかまとめてありませんが、自民党は日本国憲法の全面改正、新憲法の制定を言っていますから、国会・内閣・司法についてもあります。
抄録の右の欄の下から2つ目を見てください。「婚姻家族における両性平等の規定全憲法24条は家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべきである」とあります。なぜ「家族や共同体の価値を重視する」と「両性平等の見直し」につながるのでしょうか? にわかに理解ができませんね。ここには明らかに論理の飛躍があります。この論理の飛躍を補う上で参考になるのが、自民党プロジェクトチームの「根本にある考え方」といってわざわざ書かれている部分です。これが大きな手がかりを与えてくれます。こう書かれています。「本プロジェクトチーム内の議論の根底にある考え方は、近代憲法が立脚する個人主義が戦後の我が国においては正確に理解されず、利己主義に変質させられた結果、家族や共同体の破壊につながってしまったのではないかということへの懸念である。権利が義務を伴い、自由が責任を伴うことは自明の理であり、我々としては、家族共同体における責務を明確にする方向で、新憲法における規定ぶりを考えていくべきではないか」。

要するに、「利己主義」なるものが家族の破壊を生んだ、そこでもう一度家族を再構築する必要がある、そのためには、家族を「破壊」せしめた原因である「利己主義」を改めなければいけない、と。「利己主義」というのは、彼らによれば「責務」の忘却なんです。権利や自由というのは、責任を伴うんだということを忘れてしまった、これが「利己主義」です。ですから、「家族の責務」というものを忘れてしまったので、家族が「破壊」された、したがって「家族の責務」を憲法に書きたい、ということなります。

そこで、「論点整理」で「家族の責務」として出てきたのが、「家族を扶助する義務」というものです。この義務を国民の義務として新たに設けるべきである、と言っています。また、国家の責務として家族を保護する規定を設けるべきであるとしています。

この「利己主義」批判というのは、実は、現在の改憲論に共通の論調です。昨年6月の自民党「論点整理」の前に、読売新聞社が改憲試案(第3次)を公表しました。この改憲試案で、家族保護条項を初めて打ち出しました。読売試案は、両性の平等規定を見直す、といことまでは言われていません。現行24条とほぼ同じ2つの項に1つ新たに加える、加憲ですね。「家族は、社会の基礎単位として保護されなければならない」という文言を加えるという提案でした。

この改憲試案を読売新聞は、昨年5月3日の憲法記念日に出しました。1面トップに、家族保護条項新設というのが見出しでした。彼らはこれを目玉として出したのです。これが、1000万読者のハートをつかむと思って打ち出しました。なぜ家族保護規定を打ち出したかというと、次のように言っています。「家族の崩壊といわれる現象のもと、さまざまな社会問題が顕在化している。社会の基礎としての家族の重要性を再確認するねらいから家族条項を設ける」と。では、「家族の崩壊」現象というのは何なのでしょうか。解説でこう言っています。「離婚・単身赴任・家庭内暴力の増加・老老介護・子どもの不登校などである」。続いて、「家族の崩壊現象の背景については、戦前の家父長制度への反省から、我が国で戦後、個人主義の重要性が過度に標榜され、従来あった良き家族関係まで否定されてきたとの見方が強い」と説明されています。

つまり、ざまざまな「家族の崩壊」現象なるものの原因は、「過度の個人主義」だというんです。これが6月の自民党の論点整理に与えた影響は否定できないと思います。読売新聞の記者から聞いた話では、改憲草案の目玉として、読者のハートをつかもうと出した家族保護条項は、実は読者から不評を買って、ずいぶん抗議の電話が来たそうです。もちろん、「サイレントマジョリティ」は家族保護条項を支持したのかもしれませんが、わざわざ抗議の電話をしてくる人の中には、反対が多かったそうです。「どうせこの家族保護条項のねらいは戦前的なものの復活だろう」と。読売新聞社としては、ねらいがはずれたということですが、自民党が家族保護条項を出す上で自信を与えたことはまちがいないでしょう。

しかし、この「利己主義」批判は、言いがかり以外の何ものでもありません。「家族の崩壊」現象が仮にあるとしても、それは「過度の個人主義」が原因ではないと思う。例えば、離婚ですが、いまでも離婚の多くの原因は、夫からの暴力であったり、パートナーシップの欠如であったり、というものでしょう。それを理由に離婚するとして、それは「過度の個人主義」の主張ではなくて、最低限の個人主義と平等の要求です。「家庭内暴力が増加した」と言いますが、本当でしょうか。増加したかどうかというのは、わかりません。統計がないからです。家庭内暴力というのは、かつては、社会問題ではなかったので、統計は取られていません。ようやく家族内暴力に社会が関心を持ち始めたから、その問題が浮上してきました。「子どもの不登校」と言っていますが、子どもの不登校も多くの場合、原因は「いじめ」であったり、何らかの人権侵害や差別だったります。これは「過度の個人主義」ではなくて最低限の個人主義の主張によるものだと思います。単身赴任を「家族の崩壊」現象だと言っていますが、これは企業の横暴が原因であり、決して「個人主義」が原因ではないでしょう。逆に、個人主義が足りないから単身赴任による家族の崩壊があるのです。明らかに議論のすりかえが行われています。

しかし、「利己主義」批判、家族の復権という論理は、これまで既得権をもっていた人々、思い通りにいかなくなってきたぞと危機感をもっている人には、受けがいい論理だと思います。読売新聞社に抗議の電話をしなかった人たちの中には、結構うなずいている人たちがいるのではないかと思います。それもまた事実だと思います。あるいは、何となく不安を感じている人たちには受けがいいのかもしれません。

「家族の崩壊」現象が原因で「社会問題」が生じていると彼らは言っているのですが、「社会問題」とはおそらく国民が漠然と不安に思っている犯罪の増加であるとか、犯罪の低年齢化、社会のセーフティネットの崩壊、労使関係の再編、自殺の増加などでしょう。そういったものは、しかし、「家族の崩壊」によって生じているんではなくて、新自由主義改革によって生じているんだと思います。原因を別のところに見いだすことによって、家族の復権の方にもっていこうとしているのです。

家族の復権のさいに重視される「家族や共同体の価値」は、「利己主義」批判からわかるように、家族や共同体の責務を重視するということです。「家族・共同体の責務」の一つは、「家族を扶助する義務」であり、もう一つは「社会連帯」の義務ですね。「公共の責務(義務)」には3つあって、「家族を扶助する義務」「社会連帯・共助の観点からの公共的な責務」、それに「国の防衛及び非常事態における国民の協力義務」です。1つ目の「社会連帯・共助の観点からの公共的な責務」というのが、憲法25条において、「社会連帯・共助の観点から社会保障制度を支える国民の義務・責務」を設けるべきだというところにつながっています。

しかし、このようにみても、なぜ「両性の平等規定を見直す」べきなのかという肝心のところは、いま一つはっきりしません。重要なことは、彼らの「利己主義」批判にも、「公共の責務」にも、書かれていないけれど、暗黙の性別(ジェンダー)があるということなんです。性別を加えてみれば、彼らの議論はとてもよくわかるようになります。資料3で、4人の議員の発言がピックアップしてあります。これらはいずれも、「論点整理」に結実した自民党憲法調査会のプロジェクトチームの会議での発言なんです。森岡政宏衆議院議員は次ぎのように言っています。「今の日本国憲法を見ていますと、あまりにも個人を優先しすぎて公というものがないがしろになってきている。個人優先・家族を無視する、地域社会や国家を考えないような日本人になってきたことを非常に憂えている。夫婦別姓が出てくるような日本になったということは大変情けないことだ。家族が基本、家族を大切にして、家庭と家族を守っていくことがこの国を安泰に導いていくもとなんだということをしっかりと憲法でも位置づけてもらわなければならない」。

次の資料4を見てください。これは、国会の憲法調査会です。衆議院憲法調査会での鳩山邦夫議員の発言です。参考人の意見に注目していると言いながら、次のように言っています。「先生のお話の中で非常に注目すべきは、いわゆる道徳的な退廃ということと少子化現象が密接にからんでいるというところでございまして、一番面白くて何度も何度も読んだということなんです。それで、一番上の段の最後のパラグラフ。そういう中で、先生は物欲とか利己主義の肥大というものが国を悪くし、そして道徳的な退廃を生み、またこれが少子化現象につながっているというお話をされているわけで、私は非常にここに大きな注目をいたしたわけです」。

この「利己主義」批判は、性別が特定されないで語られていますが、しかし、「利己心が少子化につながっている」という批判は、主として女性に向けられた「利己主義」批判だと思われます。彼らの言いたいことは、「戦後の女性は自由や平等ばかり主張して、家族の責務を忘れてしまった結果、道徳心も退廃して少子化問題が生じた」ということでしょう。さすがに露骨にそこまで言えないけれど。

他方で、国のことを考えないようになった、という部分は、主として男性の「利己主義」批判でしょう。憲法9条は、国から戦争と軍隊を奪ったわけですが、24条というのは、男性から「男らしさ」を女性から「女らしさ」を奪ったといって攻撃の対象になっています。また鳩山さんの発言を引けば、「日本国憲法の最大の欠陥は9条以上に24条的なもの、家族やコミュニティというものを全く認めないところではないかと言われている」と、24条の徹底的な個人主義に対する批判を述べているわけです。別な議員は「良い家族こそ良い国の礎である」と言っています。24条が命じている男女平等型の家族では、国をいざという時に守るために立ち上がるような男性も、それを支えるような女性も育たなという彼らの危機感がみえるようです。

彼らは、戦後はびこった「利己主義」によって「破壊」された「公共」を再構築したいという強い願望をもっています。この「公共の再構築」というのが、改憲派の根本的な衝動です。家族は、改憲派にとっては、「公共」の中に入っているんです、公共の「一番小さな」単位です。私たちにとって、「公共の再構築」が非常に問題なのは、“国のために戦う男性とそれを支える家庭的な女性”という、深くジェンダー(性別役割)を刻み込まれた男女差別型の公共をつくろうとしていることにあります。

「家族の扶助義務」というのが、自民党の「論点整理」で出てきました。「家族の扶助義務」は、ことあらためて憲法に定めなくても、すでに民法に規定があります。民法上は「扶養義務」という言葉が使われています。民法上、当然に扶養義務を負うとされているのは、夫婦(752条)、そして直系の血族(親子、祖父母と孫)と兄弟姉妹(877条1項)で、お互いに、かつ性別に中立的に、つまり男女の関係なしに扶養義務を持っています。これに対して、877条の2項には三親等内の親族間には、「特別な事情」がある場合にだけ家庭裁判所が扶養義務を課すことができる、とされていて一般的に法律上の扶養義務はありません。では、「三親等内の親族」にはどのような例があるかというと、たとえばおじ、おばと甥、姪です。そして、妻(夫)と夫の親(妻の親)です。これにも法律上の扶養義務関係はありません。

これが現行民法上の家族の扶養義務関係ですが、「論点整理」に結実した自民党の議論をみると、野田毅議員がこう言っています。「日本の場合は人倫というか人間関係に関しては空洞化してしまっている。ということであれば、せめて家族関係 親子の間について規律を定めておくことは養育の義務あるいは扶養というか保護というかその種のことが残念ながら必要になってきているのではないか」。別の議員はこうも言っています。「女性の家庭をよくしようというその気持ちが日本の国をこれまで真面目に支えてきたと思う。国民は良い家庭をつくり、良い国をつくる義務がある、ということを書くことが可能であれば書いていただく。ぜひ家族を強調していただきたい」。

さらに、自民党「憲法改正のポイント」には、「家族間の責務、すなわち児童を養育する責務や老親を扶養する責務を憲法に明記すべきである、という意見があり、憲法上どのように位置づけるべきか検討していく」と書かれています。

先ほど述べたように、「児童を養育する責務や老親を扶養する責務」は、すでに現行法上あるんです。「家族の扶助義務」というもので、いま民法上なくて、新しく定めて意義のあるものは、直系の姻族、つまり婚姻によって生じている家族、具体的には配偶者の親です。いま民法上定めのある扶養義務を憲法上書き込んで強化したいという意味もあるかもしれませんが、憲法上新たに文言として加えることに意味があるのは、いまない家族間の扶助義務を新たにつくりたいということでしょう。しかも、「婚姻・家族における両性平等規定の見直し」とセットになって提案されているわけですから、社会の実態とも組み合わせて考えれば、そこでいう「家族の扶助義務」というのは、妻による配偶者の親に対する扶助義務を新たに設けたいということと考えてよいでしょう。これが、「婚姻・家族における両性平等の規定を見直す」という議論のもう一つの根拠だと思います。