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モノとコトと不思議をつなぐ愉快なBLOG

2013年をふりかえって

今年もそろそろ終わりですね。超久々のブログですが、2013年をふりかえってみたいと思います。

まず最も大きな変化としてはマネージャーになったことあげられます。どちらかというとナイーブな一匹クリエーター風情ですらあったので、マネージャーになって15人もの部下を抱えるようになるなんて、少し前までは思ってもいませんでした。昨日、学生時代の仲間との忘年会でも驚かれたのですが、当時の素行の悪さを考えるに冗談としか思えないでしょう。ただ、今の会社にJoinしてから、うっすらと予想していたのも事実であり、ちょっとやってみてもいいかもな、と思ってたフシがありました。そして、いざなってみると、明らかに視野が広がりました。いままでの上司がどう考えていたのか分かるようになりました(本当に申し訳ない気持ちでいっぱい)。また会社単位でのビジネス視点も強くなりました。いまは自分の評価うんぬんといようも、グループとして成果をだしてメンバーに給料を払って行くというところに目がむくようになりました。いまの環境は、上司にも、同僚にもめぐまれているので、このタイミングでトライできてラッキーだったと思っています。

もちろん、大きなシフトであるので難しいところも多かったです。英語の先生に言ったときに「Congraulations! Now, you are psycologist」と言われたのが印象に残っているのですが、メンバーのモチベーションを上げて、ゴールにコミットさせて、なおかつ楽しく仕事をしてもらうにはどうするべきか、試行錯誤の連続でした。ちなみに、最初の数週間はコードも書いていたのですが、いまではほとんど書いていません(ただし、小姑がごとくコードレビューはしてます)。その辺も大きな変化でした。

仕事に関連することとしては、アメリカで2週間仕事をしてきたのもよい経験でした。英語はそこそこできるつもりでしたが、本気で仕事でやりあおうとすると苦労しまくりでした。あと、WEB+DB PRESSで記事を書かせてもらったのもラッキーでした。これまでもちょいちょ雑誌記事は書いてはいたのですが、なにげにAmazonで自分の名前がでたのは初めてで、ちょっとうれしかったです。もうひとつあげるならば、新卒採用のインターンというかハッカソンみたいなものにメンターとして参加できたのも楽しかった。フレッシュな若い世代が知恵をしぼってサービスを作り上げる様が見れて感動しました。(優勝したしね!)

最後にちょっとだけプライベートな話を。

息子について。一部では知られているとおり、うちは離婚家庭ではあるのですが、今年は週末に頻繁に会うことができて、会う度に成長を感じました。4月に小学校に入って、ゲームをやりだしたり、SF映画を見始めたりと、なんというか自分の少年期を再体験するようで、ものすごく幸せな経験でした。






2011年をふりかえって

2011年ももうすぐ終わりですね。去年の今頃の真っ暗闇の状態を思うと、ちゃんと1年サイバブして比較的穏やかな気持ちで年の瀬を迎えられることだけで奇跡のようだと思います。若干大げさなのは、まぁ芸風なので、ちょっと差し引いてもらうとしても、最悪の時期を支えてくれた友達や同僚のみなさまには感謝の言葉もありません。ホントに。ありがとうございました。

思えば、震災の時はサンフランシスコにいました。到着した日だったので疲れて昼寝してしまい、起きたらTwitter上ですごいツイートがとびかっていて目を疑いました。なので僕には、あの揺れの記憶がないのですが、それでもやはり震災以後は少し意識が変わった気がします。いつ自分の地域にあの規模の地震がきても不思議ではない、というようなメンタリティが常に側にあるように感じます。

さて、ふりかえると今年は多くの人に声をかけていただいて色々なプロジェクトに参加できました。iPhoneとAndroidのアプリを作ったり、震災ボランティア情報のサイトを運営したり、Linked Open Dataのコンテストに関わったり、有志でちょっとした翻訳プロジェクトをやったり、(また出版されてませんが)雑誌で記事を書かせてもらったりできました。ありがとうございました。ただ、「やりましょう!」と言い過ぎて若干やるやる詐欺気味になってしまったのはちょっと反省してます。キャパ以上に受けちゃって八方美人ぽくなってしまうのは、あんまりよくないので来年はもうちょいバランスをとれるようにしたいと思ってます。それに、本業であんまりニュースを作れなかったので、来年はもうちょっとヒットを飛ばしたいところですし。

とはいえ、面白い話はいつでも歓迎ですよ!(懲りない)

仕事面というか、職業人としての面では、世界の壁を感じた年でもありました。(詳細は端折りますが、)とある出来事があって、それまでソフトウェア・エンジニアとしてはある程度イケてる気でいたのですが、それはやはり国内リーグの話で、メジャーリーグはやはり一枚上手なのだなと実感しました。来年は何よりエンジニアリングの能力を上げることに注力するつもりです。まずは、あまり得意ではないC++をマスターして、目標としてはChromiumにコントリビュートできるくらいになりたいです。

あとは健康面。はじめて行った人間ドックで問題が見つかり、結局は大丈夫だったのですが、やはり再検査の結果がでるまでは気が気でなく、本当に冷や冷やしました。いや、ほんとに健康が一番大事ですよね。医者に聞いたところ原因も対策もない(!)、とのことでしたので、せいぜいにんじんジュースを飲みつつストレスフリーを心がけたいと思います。

そんなこんなであと1日。本年もありがとうございました。みなさまがよいお年を迎えられますよう。

♪今年の一曲:くるり「奇跡」


Thanks to 松田直樹、レイ・ハラカミ、スティーブ・ジョブズ

こないだの満月

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もうひとつブログはじめました(ちょっと前に)

そう言えば、こっちのブログから動線をはっていなかったので;

新しいブログを(1月ほど前に)はじめました
http://uxengineering.wordpress.com/

仕事っぽいネタはそちらに書いていくつもりです。
よろしくです。

「犬も歩けば英語にあたる」



坂之上洋子さんの「犬も歩けば英語にあたる」を読みました。海外での滞在記は面白いものが多いですね。違う文化にとまどったり逆に救われたりしながらなんとかサバイブしていく様に勇気づけられる気がします。自分は、いままでのところ長期の海外滞在はないのですがいつかできればいいなと思っています。

But I am too old for that - それをするには歳をとりすぎた
It's no big deal.What's the problem? - たいしたことじゃないでしょう?何が問題だって言うの?
(両方とも本文より)

序文で著者が書いているように英語の勉強になる本ではないと思いますが、英語の勉強をしたくなる本、、もっと言うと、何かやろうと思って先延ばしにしていたことをやってみたくなる本でした。平易な文なので寝る前にもおすすめ。

カメラを買った

カメラを買った。昔からカメラとオーディオには興味がなかった。もっと言うならウンチクっぽくて好きじゃなかった。「何で聴くかより何を聴くか、何で撮るかより何を撮るか、だろ?」と鼻息あらく思っていた。でも、そういうのはもうどうでもよくなった。

奇麗な写真が撮りたくなった。

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なので新しいカメラを買った。しばらく僕の家にはカメラがなかった。iPhotoライブラリはある時点でストップしていた。

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震災で家を失った方の談話としてよく写真の話を聞いた。思い出の写真、小さい頃の写真がない、と。それを聞いて写真って重要なんだな、と思った。はたして自分にとってはどうか?

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何はともあれ新しいカメラを買った。たくさん写真を撮ろう。正直、絞りとかシャッタースピードとかよく分らないんだけど、みんながよくやってるような食べ物に寄って撮るのができてうれしかった。なかなか楽しいじゃないか、カメラ。この勢いで料理ブロガーにでもなろうかな。

変わったり、変わらなかったり

内田樹さんの「街場のメディア論」を読む。すごく面白かった。タイトルに掲げられている最近のメディア環境に関する考察も深みがあって刺激的であったのだけど、まずグッと来たのが最初の章の「キャリア」に関する論考のところ。彼の考えとしては、キャリアを考えるにおいて『「自分の適正」にあった仕事とか「天職」を探す、という発想が間違っている。順序が逆。そうではなくて、まず仕事をする。仕事をする中で自分の中でどんな適正や潜在能力があったかが分ってく』とのこと。この考え方は割と共感できるところがあって、なにはともあれ現状でよいパフォーマンスと面白みを見つけれる努力をしてみると、割と幸せになりやすいんじゃないか、と最近では思ってる。もちろん確率論で、現状がひどすぎる場合もあるわけだけど、概ねそうなんじゃないかと。

街場のメディア論 (光文社新書)

ちなみに、内田さんはそのキャリアの考え方を結婚になぞらえて『理想の配偶者を探すんじゃなくて、まず結婚する。結婚してはじめて、自分の癖や、こだわりや、才能や、欠陥が露呈してくる。そこから自力でなんとかする』のだそうで。うむむ。まず結婚する、というのは、なんだかすごいね。

キャリアについてちょっと個人的な話を挟むと(結婚についての個人的は話は挟みませんよ)、僕は学生時代はプログラミングに適正があるなんて思ったことなかった。むしろ苦手だと思ってた。Photoshopとイラレが使えてHTMLが書ければなんとかなるだろ、くらいに考えて就職せずに大学を出て、なんとなく声かけてもらったところでウェブのプログラムを書いているうちに、動的なページを組むのは単なるHTMLより動きがあって面白いかもと思い、続けてるうちに今に至ってる。たまに不思議なときがある。

話はとんで「ソラニン」という映画の話。僕はあの映画があまり好きではない。実際のところ、途中で見るのを止めちゃったので、正確に言うと「前半部分」はかなり好きではない。最後でカタルシスがあったのかもしれないので、そうだとしたらちょっと申し訳ないのだけど、とりあえず前半部分の話。学生時代にやっていたバンドの夢をあきらめきれずにイライラしている彼と、そんな彼を不安げに見守る同棲中の彼女。「あなたは音楽から逃げてるの!」と彼女に叱咤されたりなんだりとして、結局「もう一回本気でバンドやる!メジャーデビューする!」と決断して、というような流れなのだけれど、その音楽との向き合い方がどうにも不幸な感じがした。焦燥感と一体化してしまっているような。

本質的には、音楽はもっと人生の側にずっとよりそっていて僕たちの生活を豊かにしてくれるものだと思ってる。例えば、最近だと昔サッカーをやっていた人たちがフットサルをやっていたりするけど、ああいう感じはいいなあと思う。ロックバンドが成功するか諦めるかの2択になったり、そのうちに「昔のこと」になってしまうのはなんだかもったいない。

それに、そのソラニンの彼も察するにデザイン事務所かなにかで働いているようなので、もしかしたらそこでそっち方面の適正が開花した可能性だって大いに考えられる。そういうのは映画っぽくないのかもしれないけど、生き方としてはアリなんじゃないかと思う。
ソラニン スタンダード・エディション [DVD]

あ、そうだ。そういう意味ではデトロイト・メタル・シティは幸せな例かもしれないですね。ネオアコじゃなくてメタルで適正は開花していくわけで。ああいうのはアリですね。

と、ここまででまとめると。「理想の自分」のイメージを先に規定してしまうと、いや、規定すること自体は悪いことではないのだけれど、ある時点で固定されてしまうと可能性を閉じてしまうんじゃないか、という問いとなる。どうだろうか?

最後に。Belle And Sebastianという僕の大好きなバンドがある。かなり以前から活動しているバンドなのだけれど、数年前にでた「Dear Catastrophe Waitress」というアルバムでガラッと作風を変える。正確に言うと、変えたように見えた。でも、先日ライブを見たら、最新の曲も、すごく昔の曲も、一環したBelle and Sebastianの音楽のように聞こえた。そして何よりも、音楽を楽しんでやっている感じがあふれていた。変化が先に立ったのではなく、ずっと楽しんでやっているうちに少しずつ変わったり変わらなかったりしてきた、という感じに見えた。理想の俺たち、みたいな像にとらわれていない感じ。とても軽やかで、見ている方も幸せな気分になった。

ああいうのは、とってもいいよね。

Write About Love

2011年1月の現在地

(長文注意だよー)

1月もおわりなので、少しふりかえりというか頭の中を整理しようと思う。この一ヶ月で大分メンタル的には安定してきた。これもいろいろと話を聞いてくれたり誘ってくれたりしてくれた人たちのおかげだと思ってる。感謝している。それで、今の問題意識としては仕事のモチベーションをどうもっていくか、というのがある。というのも、もし僕に収入があと数百万あっても、例えもっと知名度があったとしても去年の別れは避けられなかったのではないか、という実感があって、だとするとどこを仕事のモチベーションにもっていけばいいんだろう、というちょっとした迷いの中にいる。端的にいうと、仕事の成功は幸せにつながらないんじゃないかと感じている。

ソーシャルネットワークという映画がいま公開されている。僕のいる業界の人には結構評判がよく「仕事のやる気がでた」「コーディングしたくなった」と聞いていたので、明日からの仕事に気合いを入れるべく見に行ってきたのだけれど、今のメンタリティとやや相性がわるく、見終わったあとちょっと暗い気持ちになった。ラストシーンでマークが昔の恋人のページをリロードしながらボーッとしているシーンが一時期の自分を見るような感じがしてしまった。やっぱり仕事の成功は幸せにはつながらないんじゃないか、という気がした。僕も、幸運なことにも、ウェブサイト一個をまるっと作れるような技芸は持っているのだけれども、もしかしたらこれは誰も幸せにしない職能なんじゃないか、とすら思った。だったら天然酵母のパンでも焼いた方がいいんじゃないか、とか。

いまは「どこで働くか」よりも「なんのために働くか」が問題意識として強い。金曜日に同僚にそんな話を打ち明けたら「それはプレデザインですね」と言われた。なるほどな、と思ったし、ちょっと嬉しかった。プレデザインは西村佳哲さんの「自分の仕事をつくる」などで紹介されている用語で、実際のプロダクトのデザインに入る前の意識合わせやイメージ作りの段階を指している。水口哲也さんがレースゲームを作る時には実際にマン島まで自分のチームをつれてレースを見に行ったりする、とかそういう行動を指して「プレデザイン」と呼んでいる。確かにそうかもしれない。

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)
自分の仕事をつくる (ちくま文庫)

先日、カウンセラーに向かって同じような話をしていたら「じゃあ、あなたにとって幸せって何ですか?」という直球ド真ん中の質問をされた。(ちなみに、そういう普段では聞かれないような質問を躊躇なくしてくるのがカウンセラーの妙だと思う)。その時は「だれかに認めてもらうこと」と言ったのだけれども、その後ちょっとひっかかった。つまり、それって評価されたい、とかそういう感情に近いんじゃないかという気がした。もっとシンプルな定義があるはずだと感じた。それでその後にこう定義しなおした。歯が浮くようなフレーズなので恐縮なのだけれども「自分もまわりの人間も笑顔でいること」。

じゃあどうしたらそうなれるかとずっと考えている。途中をはしょると、今現在では幸せになるために必要なのはもしかしたら二つのことだけかもしれないと思っている。それは、

「好奇心」と「ユーモア」

好奇心には野次馬根性的なネガティブな響きがあるけれど、もっと広く、目の前にある新しく物事に関心を持つ事というような意味。生き方として、今の自分ではない誰かになるためにストイックに直線的に努力を重ねることも素晴らしいことなのだけれど、どうしても自分にきびしい人は他人にもきびしく、不機嫌な人になりがちだし、もしかしたら途中での偶然をみすごしているのかもしれない。今の僕の感覚としては、なんとなくモラルよりも好奇心を優先した方がいいんじゃないか、という気がしている。ユーモアについては言わずもがな。僕がツベコベ言うよりもウディ・アレンの映画でも見てもらった方がよいかと。

仕事の話にもどる。英語で才能のある人をGiftedって言うけれど、ある種の職能はみんなGiftみたいなもので、それは誰かに贈り物をするためにあるのだと思う。今日は午前中に教会に行ったら、ちょうどその後に30分ほどのミニコンサートがあるというのでついでに見てきた。多分、いわゆるプロとして活躍するようなレベルではないだろうけれど、パイプオルガンやフルートの音色は心地よく十分に楽しめた。教会はこういう場としても機能するのがよい(ちなみにあんまり神様は信じてない)。楽器をおぼえるのってそれなりに大変だし、それは人を楽しくさせられる技芸なわけだけれども、実はあまり活かせていない人が多いのかもしれない。かくゆう僕もギターが弾けたりするのだけれども、なんにも活かせていない。教会がいいのは、ある閉じた系での階層内での評価を競うようなもの(バンドとか演劇とか、そういう傾向になってしまうところありますよね?)ではなく、開かれた場であること。文字通り子供からお年寄りまで20人ほどが聞きにきていた。Giftが届けられている感じがした。

昨日はYCC(ヨコハマ創造都市センター)にて開かれた「地域コミュニティとアートを考える」というシンポジウムを見てきた。有名な寿町だけでなく旭区や都筑区のような比較的中心から離れたようなところでも様々なイベントが行われていた。ある街では、ちょっとしたアートイベントをやることによって、そこに住むベトナム人や中国人との交流の機会が生まれた、というような報告がされていた。こういうのを見ると、アートの役割が少し変わってきてる気がする。なんというか、賞をとるものから場を作るものに変わってきている、というような。キーノート的に行われた芹沢高志さんのプレゼンテーションの中でも『アートは高尚な芸術でも、おしゃれな撒き餌でもなく、コミュニティを再構築するもの』と定義されていた。あともう一つ、そのプレゼンテーションの中でてきた「創造的縮退」というキーワードがとても印象的だった。曰く『日本は(世界全体としても)物質的、経済的な成長は限界に来ている。これからはシュリンクの段階にうつるのは避けられない。ただし、それは単純にガッカリしてしまうようなことでなく、創造的なやり方で成し遂げることは可能だ』。このフレーズは刺さった。仕事に対するモチベーションの置き方にもちょっとつながる気がした。年収アップ、知名度アップが物質的成長に例えられるなら、どこかに限界はくる。そこから先のクリエイティビティというものがあるのではないかと気付かされた。最近たまに見かける脱東京とかもある種そういう流れだろう。自分が何ができるかは分からないし、どういったスタイルが合うかも分からない(都会が好きだからね)のだけれど、もっている職能はGiftなので何かしらの形で誰かへの贈り物にできるんじゃないかと気がしている。

というのが今日の現在地。

"お得感"あるいは解像度について

1.

離婚を経験した友達が面白い表現をしていた。彼が言うには、離婚後の数ヶ月は感情的にものすごくセンシティブになっているので気分の上下が尋常ではなかった。で、そういう時に音楽を聞いたり映画を見たりすると普段の何倍も感情をゆさぶられた。あるメロディの一節、ある映画の1シーンが心に強く響くようだった。それは今までは何にも聞いてなかったんだな、と思うほどで、それは「お得感があるんですよ」とのこと。いままでと同じ一曲でも何倍も受け取れるのだからお得だと思った、のだそうだ。そんなもんかな、と思っていたのだけれど、今は結構分る。今日は「春夏秋冬そして春」という映画をDVDで見ていたのだけれど、正にお得感が炸裂で見終わった後は立とうとするとヨロヨロしてしまうほどだった。すごい映画だ。
春夏秋冬そして春 [DVD]
春夏秋冬そして春 [DVD]


2.

Twitterでもちょっと書いたけど、最近聞いた面白い話に、押井守さんが空手をはじめて「空手はアニメと同じだ」と思ったという話がある。それはなぜかというと空手の型は決まった時(止まった時)のポーズのかっこよさが重要なんじゃなくて、そのポーズに至るまでの流れが重要だと知った時、それはアニメーションも同じじゃん、と思ったとのこと。その話を聞いて、なるほど、と思うとともに、そういうトランスレーションができるのは一流の職人の証だなと思った。常に自分の職能について問題意識をもっているからこそ何気ない所からパッとつながりを見つけて気付きを得れるんだろうと思う。同じものを見るにしても解像度が高い状態になっている、というような感じだと思う。そういえば、以前に筧康明さんと話していた時にも、同じようなことを感じたことがある。彼が京都タワーだかどこだかの望遠鏡(100円入れるやつ)をのぞいた時に「あ、この角度は前の人が見た視線なんだ。視線のログなんだ」と気付いたというような話。それはまさに常に人の行動ログなどについて考えているからこそ得られる気付きだと言える。

同じようなことは勝間和代さんの「インターディペンデントな生き方実践ガイド」という本の「アイデアの出し方」という章にも書いてあった。まとめると、アイデアは普段の姿勢から。インプットからどれだけ情報を吸い上げられるかによってアウトプットも変わってくるのだろう。

人生を10倍自由にするインターディペンデントな生き方実践ガイド 「自立」〈インディ〉から「相互依存」〈インタディ〉へ
人生を10倍自由にするインターディペンデントな生き方実践ガイド 「自立」〈インディ〉から「相互依存」〈インタディ〉へ


3.

なんとなく「お得感」という表現も、そういう解像度が高い状態を表したものじゃないかと思う。常に感情のことを考えているので、その分野における解像度がすごく高まっている状態、と言える気がする。

おまけ。今日IKEAに行ってきたのだけれど、IKEAのレイアウトってよく考えられてるなと思った。お店を一周する間に同じ商品が2〜3回でてくる。しかも収納品などはコンテキストを変えて登場する。つまり、キッチンのコーナーにあったり寝室や子供部屋のコーナーにあったり。ちょっとひっかかってたアイテムもそうやって見せられるとついつい買ってしまう(安いしね)。ああいうのはウェブサイトの動線設計にも行かせる知見だなと思った。

ということで、ちょっとづつ仕事モードにもどりつつある今日この頃でした。

ラチにらいおんを、のび太にドラえもんを、バスルームのリズに神の声を

「ラチとらいおん」という絵本がある。よわむしのラチは恐がりで何もできない、そんなラチの前にある日小さいライオンが現れる。小さいけど強いライオンと一緒にいると何でもできる気がしてくる。暗い部屋にも入っていけるし、いじめっ子だって怖くなくなる。そして、ひとりで何でもできるようになったある日、らいおんは手紙を置いて去ってしまう、というようなお話。

ラチとらいおん (世界傑作絵本シリーズ―ハンガリーの絵本)
ラチとらいおん (世界傑作絵本シリーズ―ハンガリーの絵本)

こういう弱い少年(少女)のもとに力を与える何者かが現れて助けてくれる、背中を押してくれる、といった物語は、考えてみると結構ある。ひとつのアーキタイプのようなものかもしれない。例えばドラえもんもそうだ。弱いのび太を助けてくれるドラえもんという存在。ある日どこからかやってきて、濃密な時間をすごし、のび太の成長がなされると去って行ってしまう。

そういった存在は誰がおくりとどけてくれるのだろう?

食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書
食べて、祈って、恋をして

映画にもなったエリザベス・ギルバートの「食べて・祈って・恋をして」の冒頭に主人公のリズ(エリザベス)が真夜中に目覚めてバスルームで泣くシーンがある。普段祈ったこともない神に救いを求めて、神の声を聞く。神らしき声は言う「リズ、ベットにもどりなさい」。その後、離婚をし、バランスをとりもどすためにイタリア、インド、インドネシアと巡り主人公はある一つの気付きを得る。禅の教えに、樫の木が大きくなるのには二つの力が働いている、という逸話がある。一つはもちろん種の持つ力。大きくなろうと強く望む種が持つ力。そしてもう一つは大きくなったその樫の木自身が導く力。旅の終わりに主人公はバスルームで聞いた神の声は、かつての自分に語りかける今の自分の声だと気付く。未来から導く力。

ドラえもんの設定では孫のセワシが届けてくれることになっているけど、本当は、大人になったのび太自身が送り届けてくれたんだよね?

翻訳練習

以前から翻訳をやってみたいというのはボンヤリとした希望として持っていました。今のイメージとしてはRosenfeld Mediaから電子出版されている本を訳して達人出版会で売る、とかができるといいなあと。

とは言いつつも全く経験がないので、試しに1パラグラフやってみました。

From Mental Models (http://www.rosenfeldmedia.com/books/mental-models/)


Chapter 3 Who? Mental Model Team Participants

Whom should you include when choosing the members of your team during the mental model process?What kind of skills do you need? Who will contribute and in what way? There are three basic types of participants: the project leader,the practitioners doing the research and analysis,and the project guides - stakeholders who review the work periodically,ensure it takes account the details specific to each of their departments,and direct the focus of the project.This chapter outlines the ideal situation and encourages you to reach out to those with whom you might not normally work.


とりあえずザッと訳してみましょう


第3章 誰?メンタルモデルチームの参加者たち

メンタルモデル作りのプロセスを行うチームのメンバーを選ぶ時に誰を含めればよいだろう?どんなスキルが必要だろうか?誰がどんな形での貢献ができるだろうか?3つの基本的な参加者のタイプがある。プロジェクトリーダー、調査と分析を行う実践者、そしてプロジェクトガイドだ。プロジェクトガイドとは、定期的に仕事をレビューし、各部署の用件が考慮されているかを確認し、プロジェクトの目的にズレがないかを監督するステークホルダーだ。この章では、理想的なシチュエーションをおおまかに描き、あなたに多分いつもは接していないような人材へ声をかけることを促す。


日本語としてダメですね。書き直しましょう。


第3章 メンタルモデルのチームに参加するのは誰?

メンタルモデルのプロセスのためにチームメンバーを選ぶとしたら、誰を含めるべきだろうか?どんなスキルが必要だろうか?誰がどんな貢献ができるだろうか?チームの典型的なメンバーには3つのタイプがある。まずプロジェクトリーダー、そして調査と分析を行う実践者、最後にプロジェクトガイド 。プロジェクトガイドとは、定期的に仕事をレビューして、各部署の細かい用件が考慮されているか、プロジェクトの目的とズレがないかを確認するステークホルダーのことだ。この章では、理想的なシチュエーションを描く。そして、あなたに多分いつもは接していないような人物へ声をかける勇気を与えるだろう。


多少は読みやすくなったかもしれません。とはいえ若干いじりすぎな感もあり、翻訳においては、原文の語彙や構造をどの程度残すかは悩みどころなのだな、と当たり前のことに気づきました

もう一個やってみましょう。Peter Moville(@morville)のAmbient Findabilityからやってみましょうか。浅野紀予さん(@noriyo)の訳による日本語版があるので、それを正解例として答え合わせしてみましょう


From Ambient Findability (http://oreilly.com/catalog/9780596007652)


3.1. Defining Information

What is information? Consult a dictionary and enter a strange loop of circular definitions resembling the impossible structures of M.C. Escher, shown in Figure 3-1. Data is information is knowledge is information is data. Ask an expert and receive a philosophical treatise on the fine distinctions between data, information, knowledge, and wisdom. Ask a colleague and they'll question your sanity. But go ahead anyway. Ask someone to define information. Then poke holes in their definitions. Keep at it. Don't let them off the hook. I'll bet it's easy and fun, in a disturbing sort of way, like shooting fish in a barrel.


手強そうです


3.1 情報を定義する

情報とは何だろう?辞書を引けば、奇妙な定義のループに入りこんでしまうだろう。まるでエッシャーの不可能構造のように(図3-1)。データは情報であり、情報は知識であり、知識は情報であり、情報はデータである。専門家に尋ねれば、情報とデータ、そして知識や知恵、それぞれの定義の厳密な違いについて哲学的な講釈が聞けるだろう。同僚に尋ねれば、気が変になったと疑われるだろう。しかし、前に進もう。誰かに情報の定義を聞いてみよう。そして、彼らの定義の穴を突っ込んで行こう。それを続けるのだ。彼らに手を差し伸べてはいけない。きっとそれは、心をかき乱されるほど、簡単で楽しいに違いない。樽の中の魚を打つようなものだ。


下記が日本語版から


3.1 情報を定義する

情報とは何か?もし辞書を引いてみるなら、図3-1のM.C.エッシャーの作品に描かれた現実にはありえない構造物にも似た、出口のない奇妙な循環定義に入り込んでしまうだろう。データは情報、情報は知識、知識は情報、情報はデータ。専門家に尋ねれば、データと情報と知識と叡智との間の厳密な区別にまつわる哲学論文を突きつけられてしまうだろう。同僚に聞いてみれば、気が変になったのかと言われるかもしれない。しかしとにかく先に進もう。誰かに情報を定義してもらい、その定義の穴を突っついてみよう。執拗に、彼らを易きに流されないように。間違いなくそれは、一種の言いがかりのようなもので、至極簡単で愉快な遊びだ。


"Shooting fish in a barrel"はイディオムなんですね。知らなかった。
http://www.usingenglish.com/reference/idioms/shooting+fish+in+a+barrel.html
Peter Morvilleの文はむかしいですね。精進が足らないなと思いました。

ライブコーディング「Railsでn分で何かアプリを作る」

社内で行ったRuby勉強会にてライブコーディングをやりました。Railsを使ってn分で何かアプリを作る、というベタなお題で、Twitter的なマイクロブログサービス的なものを約2時間で作りました。あくまでRails未経験者向けに「こんな感じでできますよ」というのを見せる目的でやったものですので、かなり荒い構成ですがそのへんはご容赦ください。見返してみて、とくにまずいことも喋ってなかったので公開します。わりとよい入門者向けマテリアルなんじゃないかと思います。

途中ホワイトボードでモデルの構成や、ページ遷移の案を描いているところがあって、そこは画面的になんだか分らないところとなってます。すいません。2カメで撮るべきでしたね。


Rails Livecoding (1/2) from Masaki Sawamura on Vimeo.



Rails Livecoding (2/2) from Masaki Sawamura on Vimeo.



ソース一式はGithubに置きました。
http://github.com/sawamur/Microblog_sample

発見の科学

ポジションペーパーのようなもの

長いタームにおける自分の問題意識の核は「発見」についてのものだと思う。発見がおきるメディア、空間、サービス、そういったものを自分はデザインしたい。

僕は、ここしばらくは検索に関わる仕事をしているわけだけれども、よく言われるように検索は知っているキーワードについてより詳しく知るツールだ。それを超えるもの。知らないキーワードに出会う方法はどのようなものか、をずっと考えている。ライフログについて注目しているのもそういう観点からで、より多くの情報を共有できるようになって、よりストレスなく多くの情報に触れることができるようになるのが発見の源であり、大げさに言うならば、それがはよい人生の源であるのではないか、と思っている。

ところで、丸善で松岡正剛さんのプロデュースした松丸本舗は示唆的な空間だった。大量の本が彼の視点から分類されぎっしりと本棚にならんでいる。その空間は検索性は皆無に等しい。目的の本があっても探し出せないだろう。しかし、そこには発見がある。俯瞰される本の並びにはコンテキストとシーケンスがある。リアル書店は、今後は検索性においてはオンラインのそれを超えることはできないだろう。オンラインでは移動コストがゼロであるからだ。だとすれば、棚から棚への移動をコストではなく、それを逆にコンテキストとして提示するのがよさそうだ。発見の空間であることを意図するならば、検索性を捨て去るのも一案だ。

アンビエント・メディアという言葉がある。意識せずに情報を受け取れる装置、と解釈している。カフェで漏れ聞こえる会話、ショーウィンドウ、日頃接する人の着ている服、持っているもの、Twitterで流れてくる言葉、ラジオで繰り返しかかる曲。何よりも、何気なくしている他者との会話が最も豊かな情報源となることも多い。そういったインタラクションの中で自分の考えは少しずつ変化する。

私たちは情報過多か?それは情報量の問題ではなく、情報を受けとるためのコストの問題なのではないか。十分にコストが低くなると、情報を受け取るというよりも没入する感覚に近くなるのではないか。

話がそれた。発見とは何か?それは、現状の自分からはみだすためのキーワード。風呂場で一人で思索してはたどり着けない知見。そういうものがより多く流通するような何かを作りたい。

時計と時間とGPSと緯度経度

先日参加したジオメディアサミットのライトニングトークでちょっと面白いことを言っている人がいた。曰く、位置情報をベースとしたメディアは全然これからで、それは緯度経度をベースにした考え方が人々の間に普及していないからだ、というような話だった。比較として時間と時計の関係をあげていて、時計というものが十分に普及するまえは何時何分にという厳密な考え方も普及していなかっただろう、ということだった。確かにそうかもしれない。時計が十分に普及する前は、宵の口とかあけぼのとか、そういう範囲のあるゾーンを指定する用語を共有知識としていたのかもしれない。発表者の彼が言うには、現在の、GPS付き携帯電話が増えていっている状況は時計の普及期にあたるのではないか、ということだった。そうかもしれない。

さて本当にそうだとすると今後どうなっていって、何が必要になってくるのだろうか?例えば腕時計に時間だけでなく緯度経度も表示するようになるとどうだろうか。その場合、あらゆる住所表示の看板に緯度経度を記載するようになってくるだろう。そうなってくると、そもそも住所というのがゾーンをもった表現であり、緯度経度が普及して各人が緯度経度間の感覚を語れる(つまり「10分前」みたいな言い方が普及する)と住所という表現は不要になるだろう。手紙にも電話番号のように緯度経度(と部屋番号)だけを書けば届くようになるかもしれない。だいたいカーナビもこれだけ普及してきてるわけだし、住所よりも数字を入力する方が楽かもしれない(カーナビの住所入力って面倒ですよね)。

ただ表記形式については検討しないといけなだろう。緯度経度はあまりに長過ぎてまともな人間ではおぼえられない。時間が日付、時刻、分というように適度に範囲を区切って表現できるように、緯度経度も1km半径で適した表現と10km半径で適した表現というのが必要だろう。また時間の場合はタイムゾーンという仕組みがどこにいても感覚的な時間感覚を揃えているので、そういう仕掛けも必要かもしれない。例えばIPアドレスとDNSの関係から応用できるものがあるかもしれない。

こういった表記は、理想としては「あと○ナントカ向こうに行けばあれがあるのか」という感覚を共有することなのだけれど、そもそも緯度経度はそもそもXY座標であり「距離」とは違うものなのでもうちょっと工夫が必要だろう。時間についても、何分経過したかは感じられても、何時何分というピンポイントの時刻を感じることはない、私たちが感じられるのは差分でしかなく、例えば方角的に斜めに移動した時の距離の感覚とXY座標に分解されてしまう緯度経度との相性はあまりよくない。その辺を考慮してうまい表記方法をデザインすると面白いと思う。今度測定機器は確実に一般化するわけだし。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

Photomemo
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あけましておめでとうございます。
去年は、とくに後半はうまくいかないことばかりだった気もしますが、振り返ってみるとサービスを一個リリースできたことと、それにともなって重要な出会いがいくつかあったこと、それになんといっても家族全員が大きな病気をせずに一年を過ごせたこと、等々よかったこともたくさんありました。
今年一年またよろしくおねがいします。去年のテーマは「勝負強い」でしたが、なんかイマイチだったので、今年は「前向き」にしたいと思います。ベタですが、なるべくポジティブな雰囲気がでるよう心がけたいところです。

今年もよろしくおねがいします。
Photomemo
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